「プロレスリング・ノア」の版間の差分
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== 過去のスタッフ、役員 == |
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== 試合中継 == |
== 試合中継 == |
2018年6月20日 (水) 09:51時点における版
種類 | 株式会社 |
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略称 | ノア |
本社所在地 |
日本 〒102-0074 東京都千代田区三崎町2-14-6 TM水道橋ビル2階 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 6011101052361 |
事業内容 |
プロレス興行 関連企画の運営 ECサイトの企画、開発、運営代行 商品プロデュース、制作 マーケティング、プロモーション、コンテンツの企画、制作 |
代表者 | 代表取締役 不破洋介 |
資本金 | 1000万円 |
主要株主 | 不破洋介 |
外部リンク | プロレスリング・ノア公式サイト |
特記事項: 2016年11月1日、エストビー株式会社が株式会社プロレスリング・ノアよりプロレス団体「プロレスリング・ノア」の運営、興行、関連事業を譲受[1][2][3]。11月7日、エストビー株式会社が社名をノア・グローバルエンタテインメント株式会社に変更。 |
プロレスリング・ノアは、日本のプロレス団体。運営事業者はノア・グローバルエンタテインメント株式会社。以前の運営事業者は株式会社プロレスリング・ノア(現在の運営事業者に事業譲渡後に社名を株式会社ピーアールエヌに改称)[3]。
歴代役員
プロレスリング・ノア(ピーアールエヌ)
ノア・グローバルエンタテインメント
団体名の由来
旧約聖書の創世記に登場する人物から(詳しくは「ノア」を参照)。ノアのロゴマークには、創世記の中でオリーブの葉をくわえて戻り嵐が終わったことを知らせた鳩が使われている。聖書に由来する単語を用いてはいるが宗教的な意図は無い。
単発興行のタイトルは「DEPARTURE(出航)」、「GREAT VOYAGE(偉大な航海)」、シリーズ名には「NAVIGATION(航海)」(2008年より「NAVIG」と略して表記)というタイトルが用いられて運営は航海に擬えられている。
ファンクラブ名は「ノアの方舟」を意味する「NOAH'S ARK」。
特徴
以前は、日本武道館大会を定期的に実施する唯一のプロレス団体であった。2007年12月2日に行われた小橋建太の復帰戦、2009年9月27日に行われた三沢光晴の追悼興行では、2階席の最上階まで立ち見指定席を設けて超満員(17,000人)の観衆を記録したが、観客動員の減少に伴って日本武道館の興行も減少したため、代わりに有明コロシアムが使用される頻度が増加していったが、2017年にはその使用もなくなり、現在は横浜文化体育館がビックマッチの試合会場として使用されている。
プロレスリング・ノアは21世紀以降に創設された新興団体であり、ファン以外の層においては新日本プロレスや全日本プロレスといった老舗プロレス団体と比べて知名度は劣る傾向である。他団体との交流については活発化と断絶を繰り返す例が多く、2017年の時点ではKAIENTAI DOJO・DDTプロレスリング・大日本プロレス・プロレスリングZERO1などとの関係が良好な一方で、新日本プロレスや全日本プロレスとは疎遠な関係になっている。
運営方針
三沢が全日本プロレス社長時代では実施できなかった大型のセット、ライトアップ、花道など華やかな演出を充実させた。しかし、リング上の試合内容は全日本時代から大きな変化はなく、三沢が「スポーツライク」と表現する、伝統的な駆け引きや受けの美学を中核とした試合を行っている。アングルは1シリーズ内で終わる程度の短期間である。各所属選手の素の属性に関連したものが多く、リング外での活動はあくまでも添え物程度である。
競技性以外の要素としては、セガ(現:セガ・インタラクティブ)のトレーディングカードアーケードゲーム「甲虫王者ムシキング」[4]とタイアップした覆面レスラーのムシキング・テリーとムシキング・ジョーカーを登場させてムシキングの主要対象の少年層に訴求したり、笑いの要素の強いコミカルな試合も興行の中に組み入れている。グッズ売り場では、1回500円で三沢の名刺が入ったケースなどの小物、選手のコスチュームなどの愛用品、直筆サイン色紙、ポスターや過去の大会のパンフレットなどがもらえる「のあのあクジ」を行っている。試合開始前、休憩中、試合終了後には所属選手によるサイン会や撮影会を日替わりで開催している。
マッチメイク
2007年に入るまでは好カードと呼ばれる組み合わせを乱発せず、ビッグマッチ用に温存することが特徴であった。大規模会場のメインイベント級のカードを大量消費してしまうリーグ戦は原則として行わなかった。カード温存の理由としては、選手への負担が高く、負傷の原因となる点が挙げられている。これは過去の激しい消耗戦を体験している三沢社長の意思と言われているが、内部からも反対意見が出ることがある。また関東圏でのビッグマッチ、特に武道館におけるビッグマッチに力を注ぎ、地方ではビッグイベントが無いとの不満が特に地方都市在住のファンから指摘されている。2007年以降にジュニアヘビー級タッグリーグ、GHC王者挑戦権獲得リーグ、モーリシャス杯、グローバル・タッグリーグなど、多数のリーグ戦が行われたことから、この規制は解除されている。
他団体と比較するとユニットの数が少なく、ユニット対抗戦などは活発ではない。各ユニットは敵対関係は薄い傾向があり、マッチメイクの目安程度として位置付けられていることが多い。そのため軍団を超越したタッグ編成もしばしば見受けられる。
なお最近では、ユニット抗争を積極的に行うケースも増えている。
試合の路線は、基本的に選手に自由にさせている。また特に地方の興行では、試合中にコミカル路線の攻防も見られる。
ジュニアヘビー級
王座には階級の区別があることを除き、試合はヘビー級とジュニアヘビー級を等しく扱っている。そのため、ヘビー級とジュニアヘビー級の混合試合は日常的に行われている。
混合が当たり前のように行われているノアにおいては、ヘビー級のベルトにジュニアヘビー級の選手が挑戦することも珍しくなくなっている。実際に2002年には小川良成、2006年には丸藤がジュニアヘビー級の選手ながらヘビーのベルトを手に入れている。日本のプロレス史上初めてヘビー級のタイトル戦を丸藤正道(王者)対KENTA(挑戦者)というジュニアヘビー級の選手同士で行ったこともある。
ジュニアヘビーという階級が出来た後もプロレスの花形はヘビー級の対戦と考えられ、ジュニアヘビー級の選手がメインを飾るということは考えられなかったが、ノアでは金丸義信や丸藤、KENTA等のジュニアヘビー級の選手が全日本時代の「四天王プロレス」を髣髴とさせるような好試合をするようになる。彼らのうち丸藤とKENTAが俗に言うイケメンであり、試合のスタイルも華やかな動きと緩急で魅せる丸藤、キックスタイルのKENTAと素人にも非常に分かり易いこともあってか彼らを目当てにした若い女性客が一時的に増えた。しかし、これらの選手が結婚したこともあり、ノアの生命線とも言える女性ファンが減少してきているとゼネラルマネージャーの仲田龍は語っている。三沢の死去や小橋、田上明の第一線離脱によって現在のノアは一線級でのヘビー級の人材が不足しており、丸藤、KENTAがそれぞれユニットのリーダーとして団体を牽引してヘビー級王座戦線に参戦するなどオープンウェイト化が進んでいる。
フリー、他団体参戦選手への待遇
団体発足当時は団体の意向もあり、フリーの選手や他団体の選手がリングに上がることは少なかったが、プロレスリングZERO-ONEとの対抗戦で大谷晋二郎、田中将斗、高岩竜一らが継続参戦をしたあたりから他団体選手もよく上がるようになり、最近では国内外問わず頻繁に団体外の選手が上がっている。現在の対抗戦の基盤を作ったともいえる獣神サンダー・ライガーのGHCジュニアヘビー級王者時代には、他団体のヒールという自分の立場を最大限に利用して積極的に活動して大ブーイングを生み出して観客を大いに沸かせた。
また常連フリー選手ともなると「給与形態以外は全て所属選手と同じ」ということも多く(例としてSUWAや、フリー参戦時代の齋藤彰俊、石森太二など)、テーピングなどの会社の備品を使ったため、本来は選手会興行に出場しないはずの選手が強制参加させられたことがあった。
雰囲気
全日本プロレス時代からの慣習(馬場の指導)で、入門順に関わらず年長のプロレスラーは「〜さん」を付けて名前を呼び、年齢に関わらず入門順の早いレスラーを同様に「~さん」付けで呼ぶ。このため先輩後輩がお互いを「さん」付けで呼び合うケースがよく見られる。例を挙げると、力皇猛は森嶋猛や丸藤らよりプロレス界では後輩になるが、森嶋や丸藤らは「リキさん」と「さん付け」して敬語を使っている。杉浦貴も自衛隊でレスリングの実績を積んでいた関係上、入門が遅れているが、金丸らは「杉浦さん」と呼び、敬語を使う。その他、レスリング界で随一の実績を持つ本田多聞も入門が遅れているが、小橋は「本田」とは呼ばず、「本田選手」「多聞ちゃん」などと呼んでいるほか、秋山準も「本田さん」「多聞さん」などと呼ぶ。ただし齋藤は自身より年下でデビューも遅い秋山に対して「秋山選手」と呼んで敬語を使うのだが、その秋山より先輩である井上雅央に対しては「マサオ」と怒鳴ったような口調で呼んでいる。
課題
- 常時試合可能な所属選手の不足
特に初代社長であり、団体の大黒柱である三沢が事故死した2009年以降は相次ぐ所属選手の退団や怪我による離脱の穴埋めをフリー、他団体の選手に頼る状態が続いている。2012年から後述のように若手を投入しているが、同じ年にメインイベンターの5選手(秋山、潮崎豪、金丸、鈴木鼓太郎、青木篤志)が退団したため、改善されるには至っていない(秋山と青木は全日本プロレス、潮崎と金丸の二人は2015年にフリーとしてノアに参戦していたが潮崎はノアに再入団、一方の金丸も2016年にパートナーの潮崎を裏切り、鈴木みのるが率いるヒールユニット「鈴木軍」に加入しノアを経て現在は新日本プロレスを主戦場にして活動中。また鼓太郎もフリーとしてWRESTLE-1などに参戦している)。
- 若手選手の不足
若手選手においても従来は新弟子募集を行っていなかったために不足しており、セコンドにつく若手選手も健介オフィス所属選手などに頼りきる状態が続いていた。2011年より三沢威(新日本プロレスメディカルトレーナー)が主宰する「新日本メディカルトレーナー協会」と協力して新人育成のためのプロレスラー養成所を開設[5]、これを実質的な新弟子募集に代える計画だったが同養成所が一期のみで活動を停止したため、状況を改善させられなかった。
2012年に入り、4月のマーシャル・フォン・エリックとロス・フォン・エリックのデビュー[6]、5月の大阪プロレスから小峠篤司の移籍、2013年2月の熊野準のデビュー、2014年3月から定期参戦していたマサ北宮の移籍など若手の人材不足が改善する試みが行われている。
- 首都圏での集客数下降と地方での苦戦
東京を中心とする関東で観衆が落ち、その他の地方でも苦戦している事がノアの課題のひとつである。なお、日本武道館を使用しているプロレス団体は2010年まで日本ではノアのみであり、観客動員10000人以上の規模の会場で興行を継続的に行っている団体もノアと新日本、全日本、DRAGON GATE、DDT、IGF以外存在しなかった。だが、神戸ワールド記念ホール、愛知県体育館などでは同会場における他団体の興行と比較して観客動員は芳しくなかった。2013年の小橋建太引退興行では日本武道館を使用している。チケットはわずか2日で完売し久々に17000人の集客に成功した。
現在では有明コロシアム、横浜文化体育館、大阪府立体育会館が使用されることが多くなっている。また、2012年7月22日には初進出の両国国技館で久しぶりの都内の大会場での興行を行った。同年12月9日の2度目の両国大会は大日本プロレス横浜文化体育館大会と重なった影響もあり前回より主催者発表の数字も下げた。結局、両国での開催はこの2回以降未開催となり、2013年のビッグマッチは有明コロシアムとなった。2016年からはビッグマッチでも後楽園ホールを使用するようになった。
最近のシリーズでは北沢タウンホールやラゾーナ川崎プラザソルなど数百人収容の小規模会場使用が目立っている。なお、新日本プロレスのオカダ・カズチカが2012年プロレス大賞MVPの受賞会見で、「お客さんを呼べない団体の人がMVPって言われてもウソじゃないですか?」と指摘した(団体の名指しこそはしなかったものの、森嶋が棚橋弘至とともにMVPにノミネートされていたことからノアを指している事は明白であった。)[7]。
- 地上波放送打ち切りによる大幅な収入減
2009年3月をもって日本テレビでの中継が打ち切ったため、大幅な収入減となりその補填のための資金繰りに苦しんでいる。三沢体制下では選手の解雇は原則として行っていなかったが、三沢の死後、田上体制に移行してからは2009年末日をもって菊地毅、泉田純至、本田多聞、川畑輝鎮、志賀賢太郎、橋誠らに対し事実上の解雇を行った。但し志賀のみは専属フリー選手として継続出場となり、その他の選手達もフリー選手としてスポット参戦している。これらの選手は2009年から契約解除されるまでの間、所属選手ではなく専属フリー選手として契約していたことが発覚しており、出場機会も減少していた。
- タニマチによる巨額詐欺事件
2008年頃、経営危機がささやかれていたノアに救世主のように現れたタニマチが後に巨額詐欺事件で起訴されたAであった。Aはノアに数千万円を融資したり選手に小遣いを気前よくあげたり、神奈川県内にノアの選手とファンが交流できるカフェをオープンしたり、三沢の死後、偲ぶ会もイベント費用すべて負担の上同店で開催したり、とにかく金払いがよかった。
Aは当時、三沢の死から間もない2009年8月に三沢の葬儀で初対面しそれまですっかり打ち解けていた三沢の妻に自分の口座が国税局に凍結されていて追徴金を払って復活させるまでお金を動かせないが、5,000万円あれば解除できるので立て替えてほしいと融資を依頼した。Aがノアに対し多大なる支援をしていたことを知っていたため、10月まで5回に分け計5,300万円をA被告の口座に借用書をとることなく振り込んだ。しかし、その後にAは10年6月までに三沢の妻にわずか500万円しか返済せず、9月に三沢の妻はA夫妻の自宅などを差し押さえ、その後、未返済金4,800万円の返還を求めて東京地裁に提訴し勝訴した。その後、刑事告訴したが民事で判決が出ているためこの件では不起訴となった。
三沢の妻の件とは別にAは2010年10月、徳島県内に住む老人から1億1,600万円をだまし取った詐欺容疑で逮捕され、2011年11月に徳島地裁で懲役7年という詐欺罪としては極めて重い判決を受けた。泉田も同様の手口で詐欺の被害者となり数千万の借金を背負うことになった。泉田が夫婦に騙し取られた金が一部選手や社員などに小遣いとして渡っていた事が、告発本として出版した「内側から見たノアの崩壊」に記されている。
企画
2005年末に4人の新人がデビューして若手選手の出場機会の減少が危惧された。その対抗策として、丸藤やKENTAなど若手を中心にした興行「プロレスリング・セム」が発表された。初回興行は2006年3月21日。常設であるディファ有明を半分ほどに仕切り、300人から500人規模で行った。リングマットの色は、ノアで用いられる緑ではなくピンクと紫が使用される。サプライズとして他団体の選手やベテラン選手も参戦する場合がある。初の試みとして、これまでセムはディファ有明のみで行われてきたが、2007年8月には春日部市に於いて、入場無料で興行が行われた。現在ではグローバルレスリング同盟加入の多団体交流戦の形で、ノア以外の団体が主催で開くこともある。
2007年、summer navigation 07よりノア内初のリーグ戦、「日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦」が開催された。7月1日ディファ有明から7月15日日本武道館まで開催。このリーグ戦はその後若手のシングルで争われる「モーリシャス杯」、トップのヘビー選手がタッグで競う「グローバル・タッグリーグ戦」など少しずつ拡大してきている。
2008年には若手選手育成で、旧全日本プロレスでジャンボ鶴田、三沢(タイガーマスク時代)、小橋、秋山らがこなした「7番勝負」の復活版として「谷口周平の驀進10番勝負」、「青木篤志の閃光10番勝負」を開催。この両名は2007年12月に行われた「モーリシャスカップ」で上位2位に入った特典として与えられたもので、1年間をかけてベテランレスラーを相手にそれぞれに10試合ずつの試合をこなす。1年以上かかったものの10番勝負は終了し、その結果は谷口が10戦全敗、青木が1勝9敗だった。
海外進出
小橋や森嶋などがアメリカのWLWやROHに出場したり、ヨーロッパ各地を転戦するなどレスラー単位での海外進出は行われていた。2006年度より、本格的に海外進出を行うことが発表された。その第一段階としてアメリカに現地法人を設立し、物品の販売を行っていた。
2006年春に英語版の公式ウェブページを開設した。ヨーロッパ、ハワイ、台湾などでも試合中継が放送されている。
これまで他団体に選手を派遣する形のみであったノアは、ダグ・ウィリアムスらの協力を得て、2008年6月21日(現地時間)に、イギリス・コヴェントリーで初の海外興行を行った。会場には2,400人のファンが集まり、日本と同じく「コーバーシッ!!」、「ミッサーワ!!」のコールも起こり、紙テープも乱れ飛んだ。試合後、ファンから「プリーズ・カム・バック!!」コールが起こった。
海外武者修行
1990年代以降、当時の全日本プロレスは鎖国体制を取っており、田上、小橋以降の世代はノアに移籍するまで海外遠征の経験がない者がほとんどであったため、ノアでは提携団体を中心に積極的に海外への選手派遣を行っている。ただし、長期遠征に対しては慎重な態度を取っている。
2006年より、ノア名義でイギリスにアパートを借りていた。これはノアにも参戦しているダグ・ウィリアムスのコネクションでイギリスで行われる大会に若手選手を派遣するためだが、小橋や丸藤らがアメリカに遠征して試合を行ったり、三沢らがヨーロッパの大会に参戦する形とは違い、「イギリスに行く」以外は何も決まっていないまま、若手選手を派遣。通常、海外遠征には渉外部長である仲田GMや通訳が同行するが、このプランについては選手のみが派遣され、言葉も通じない、電車の切符も買えない状況となる。仲田GM曰く「かつてロッキー羽田さんたちが行っていた海外留学を再現させた」。選手達に一回り大きくなってもらおうという配慮であるが、非常に過酷である。現在は就労ビザの関係で欧州を中心にローテーションを組んで若手を派遣する形となっている。アメリカでは就労ビザが比較的高価なため、修行という形で若手選手を派遣するのは割に合わないそうであった。メキシコなどにも参戦している。
これまでは長期遠征に関しては慎重な態度を崩していなかったが、業務提携しているROH側からのオファーがあったことから若手の潮崎豪を2008年の年明けから武者修行という形で一時ROHに派遣した。
その後は単発での選手派遣は行われていたものの、長期派遣は行われずにいたが、2017年に入り、若手の清宮海斗を無期限で海外へ武者修行という形で派遣している。
他団体との交流
かつては、秋山と永田の会合を皮切りに新日本プロレスとは三沢-蝶野正洋ラインを中心に行われ、GHCジュニアヘビー級王者になっていた獣神サンダー・ライガーが参戦した2004年7月のノア東京ドーム大会まで本格的な交流が続いた。その後、交流は途切れるが、2005年5月の新日本東京ドーム大会に三沢が参戦し約10か月ぶりの交流が実現した。そのバーターとして棚橋が同年7月のノア東京ドーム大会に参加した。しかし2006年になって、2005年のサイモン・ケリー猪木の新日本プロレス社長就任会見での「ノアとの交流は白紙にする」との発言[要出典]を受け、仲田が日本テレビとテレビ朝日の間で交わされた交流戦に関する覚書を一方的に白紙にされたとコメント。そのうえに最大のスポンサーである日本テレビに立つ瀬が無いとして、2006年5月13日付けの東京スポーツ紙上において正式に新日本プロレスとの交流断絶を表明した。しかしながら東京スポーツの報道は誤報で、その後に発行された週刊ゴング誌のインタビューでは仲田自ら覚え書きや契約の存在を否定し「こっちの選手が向こうに上がったら向こうの選手がこっちに上がってもらうという約束が守られなかった」と発言。テレビゲームへの選手登場を要請した新日本プロレスの親会社ユークスに対しても「巨人の選手が中日新聞に協力するようなことは無いでしょう[8]。よって辞退しました」としている。中日新聞社は中日ドラゴンズの親会社である。2006年7月に発売されたレッスルキングダムPS2版がユークスのゲームにノアの名前と所属選手が登場する最後のゲームとなっている。しかし現在では新日本プロレスの親会社であるブシロードのカードゲームにノアの選手が登場しており、矛盾した話になっている。事の発端となったサイモン猪木が新日本プロレスの社長辞任後の2007年4月26日にノア事務所を表敬訪問し、仲田と和解したと東京スポーツで報道された。記事によると今後はサイモン社長主宰のLA道場にも機会があれば協力するがその後は話に進展はなく交流もないとのこと。同じくサイモンが関わると言われているIGFに関しては協力する意志はないという話ではあった[9]。
その後、2008年8月26日に行われた新日本プロレスの主催によるレッドシューズ海野レフェリー20周年記念興行において、三沢、仲田両名がお祝いVTRで登場した。興行後の海野レフェリーの会見でノア勢の参戦も予定されていたことが明かされている。2008年9月6日、日本武道館大会の会場を高橋裕二郎と内藤哲也のNO LIMITが視察した。GHCジュニアタッグへの挑戦を表明し2008年9月14日のノアの大会のダーク・マッチに出場し勝利を収め、9月27日にタイトルに挑戦したが敗北した。また、中邑真輔らによる2009年1月4日新日本東京ドーム大会への対戦要請に呼応して、三沢、杉浦、秋山、佐野が出場したが実は後にドーム参戦はノアからのオファーだったことが発覚した。その後のノア興行に中邑、ミラノコレクションA.T.、天山広吉、金本浩二、ライガーが参加した。さらに2009年に開催されたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアにノアの所属選手として菊地、青木の2名が初参加している。
10月12日、蝶野のデビュー25周年記念試合で蝶野、武藤、小橋がトリオを結成し、中西学、小島聡、秋山がトリオを結成して対戦しノア、新日本、全日本のメジャー3団体による豪華な6人タッグマッチが行われた。2011年に入り新弟子の養成について実質的な提携を行う方針が明らかにされる(詳細は後述)。2012年以降、矢野通、飯塚高史がGHCタッグ王者に、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスクがGHCジュニアタッグ王者となり2012年、2013年にはグローバル・リーグ戦に永田が参戦して2013年は優勝している。また、小橋の引退試合では永田に加え小島、棚橋が、丸藤正道15周年試合ではタイガー、ライガーに加え中邑真輔とエース級の選手が参戦している。それ以降も中堅、ベテラン選手を中心に頻繁にノアのリングに上がり、ノアの選手も新日本の興行に出場しているため現在比較的関係は良好であるといえる。鈴木軍の選手の多くは新日本所属、あるいは新日本がブッキングした選手であるが新日本には参戦しておらず実質的にレンタル移籍の形で参戦していた。しかし、2016年11月のノアの経営譲渡に伴い鈴木軍やGHCジュニアタッグ王者だった邪道・外道、丸藤と共にGHCタッグ王者に就いていた矢野が撤退したことから一旦は交流を白紙にしている。
一時期は交流はあり得ないと考えられた全日本プロレスとは、三沢らの全日本プロレス離脱の一因となった馬場元子社長が全日本の経営から離れて武藤が社長であることなどの理由で、2004年に交流することになり同年7月に三沢と武藤のタッグ対決が実現した。その後、三沢が4年ぶりに古巣に参戦して小島と対戦して10月には武藤のデビュー20周年記念興行で三沢が武藤とタッグを結成している。
以後はVOODOO-MURDERSや佐々木健介、中嶋勝彦、曙、NOSAWA論外、MAZADAなどといった全日本系フリーのユニットや選手がノアマットに次々と上陸している。中には全日認定の王座を保持したままノアの大会へ出場することもある。鈴木みのる/三冠王者=2006年12月10日・日本武道館、近藤修司/世界Jr.王者=2006年11月1日・後楽園ホールなど。後述のディファカップといった、単発興行での接触もあった。2008年9月28日の全日本プロレスの興行で、丸藤が土方隆司の持つ世界ジュニアヘビー級王座に挑戦してタイトルを奪取したものの、翌年カズ・ハヤシに敗れ王座から陥落した。2009年8月30日、両国国技館で開催された2009 プロレスLOVE in 両国 Vol.8に小橋と菊地が2000年6月の全日退団以来、9年ぶりに参戦した。小橋、菊地、伊藤旭彦 vs 小島、KAI、大和ヒロシの6人タッグが行われた。9月27日、日本武道館で行われた三沢追悼興行に武藤が参戦し、田上と社長タッグを組み高山善廣とタッグを組んだ小橋と初遭遇した。
2010年に入り、新日本・全日本・ノアの3団体で調整が進められていた共通ライセンス構想から全日本が一方的に離脱したこと(詳細はプロレスラー#共通ライセンス構想を参照)などから、ノア側が全日本に不信感を抱き一時交流が断絶した[10]。しかし2011年の東日本大震災を契機に関係が徐々に改善しつつあり、4月に開催される全日本のチャンピオン・カーニバルに秋山が参戦するなど、一部で交流が再開[11]。その後秋山が三冠王者となった事から、秋山が定期的に全日本のリングに上がっており、2012年に入り近藤修司や大和ヒロシ、カズ・ハヤシに加えて、普段は他団体の試合への参戦経験がほとんどない諏訪魔が単発ではあるものの参戦している。だが2013年以降、ノアを離脱した秋山、潮崎、金丸、鼓太郎、青木の5人がフリーランスとして(後に正式に入団。後に潮崎、金丸、鼓太郎は離脱)全日本を主戦場としていることや、全日本のオーナーとなった白石伸生氏が他団体との交流を凍結し鎖国すると発言するなどし疎遠となった。その後は団体運営が変更され、秋山が社長となって直接的な交流はない状況が続いていたが2018年のチャンピオンカーニバルに丸藤の出場が決定し、交流が再開している。
ヘビー級はプロレスリングZERO-ONE時代に橋本真也や大谷晋二郎、田中将斗らが参加した。ジュニアヘビー級に関しては、プロレスリングZERO1-MAXの親会社であるファースト・オン・ステージとノアの共催で行われたディファカップでの繋がりから、日高郁人と藤田ミノルが参戦するようになった。KENTAや杉浦貴、菊地毅らがZERO1-MAXに度々参戦している。FOSの中村祥之代表とノア首脳(仲田)とのパイプは、FOSがグローバル・レスリング連盟設立案をノアに持ち込むなどかなり強く、プロレスリング・セムの興行に日高を送り込んだり、GPWA興行で若手の混成タッグを結成したり、大谷が小橋欠場で空位になったGHCタッグの新選手権決定トーナメントなどに村上和成(ビッグマウス・ラウド)とのコンビで出場していたが、2007年に齋藤彰俊が火祭りに参戦して以降は交流が途絶えていた。2012年に入りグローバルタッグリーグに大谷と橋本大地が参戦し、また丸藤がZERO1の会場に訪れるなど交流が再び行われ、2014年には合同興行を開催する等比較的良好な関係となっていたが新日本プロレスとの関係が強くなるに従い、徐々に疎遠の状態となっていた。新日本との関係が白紙になった後、2017年の火祭りに拳王の参戦が決定するなど交流が再開している。
以前はデスマッチ路線を主体としていたため直接な交流がなく2011年3月、ドイツのプロレス団体wXwへ潮崎と鼓太郎が遠征時に、大日本のストロングスタイルである関本大介、佐々木義人が合流し、直接対決はなかったが、同行していた李日韓(大日本レフェリー)が、潮崎、鈴木の試合をレフェリングした程度であった。だが、2013年に入り、石川晋也が大日本所属として初めてノア興行に参戦。その後、石川と義人がGHCタッグ王座へ挑戦し、関本がグローバル・リーグ戦に出場するなど、ストロングスタイルの選手を中心とした交流が行われるようになってきている。2014年には大日本の興行にノアから丸藤や杉浦らが参戦していたが、ノアと新日本との関係が強まるに従い関係が疎遠になり、2015年のグローバル・リーグ戦に関本大介&橋本和樹が参戦した以降は交流が途絶えていたが、2017年のグローバル・リーグ戦に野村卓矢の参戦が決定し、交流が再開している。
同様にディファカップなどでの単発的な接触はあったが、それ以外ではプロレスリング・セムの興行に飯伏幸太がノアでの選手会興行で男色ディーノが秋山のセコンドとして出場した。2007年4月1日のDDTプロレスリングの大会に丸藤が男色ディーノと組んで、KUDO、マッスル坂井組と戦い、所属選手初のDDTマット参戦を果たした。5月6日に開催された「ディファフェスタ」のDDT主催興行「Cruiser's Game」にもKENTAが出場し、KUDOとシングルマッチを行った。逆に同年6月-7月のシリーズでは飯伏がノアマットに会場限定ながらシリーズ参戦を果たし、丸藤とのタッグでノア初となるジュニアのタッグリーグ戦に参加している。その後も選手派遣などの交流が続き、12月9日のDDT新潟フェイズさよなら興行には三沢がシークレット扱いで、鈴木鼓太郎と共に初参戦を果たした。その後、DDTが全日本や新日本との交流を主にしているため、ノアとの交流は疎遠となっていたが、ユニオンプロレスの木高イサミが2014年8月12日のセムに参戦、その後もノアの興行に出場し2015年9月にはKUDOと梅田公太がジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦に出場する等交流が回復しつつあったが、新日との交流が活発になるにつれ、交流が一時期途絶えたが、2017年に入りDDTのブランドであるDNAに潮崎が参戦し、8月の両国国技館大会に丸藤の参戦が発表される等交流が再開している。
丸藤がザ・グレート・サスケと対戦し、今後の交流にも含みを持たせたことがあった。その後両団体の交流はなかったが、2007年7月には単発ながら同団体所属の気仙沼二郎がノアの気仙沼大会に出場している。また、2010年にはジュニアヘビー級タッグリーグ戦に、みちのくプロレスからサスケと剣舞が参加して2011年には、拳王と剣舞が参加して2013年には石森太二が保持するGHCジュニアヘビー級王座に野橋太郎が挑戦するなど、単発的ではあるが交流している。2014年より拳王がみちのくプロレス所属のままノアの全試合に参戦し、2015年には正式に所属した。
初代GHCジュニアヘビー級タッグ王座決定トーナメントに村浜武洋が参戦。2010年には、小峠篤司と原田大輔が日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦へ参戦。以後、単発的にノアへ参戦し、ジュニアヘビー級タッグ選手権にも挑戦している。このため関西地区の興行を中心に他の大阪プロレス所属選手が単発的に参戦する機会も増えていた。2012年に小峠が、2013年に原田がノアに移籍している。現在経営方針が変更され、所属選手を持たない興行体制に変り、所属選手がいなくなったがノアの興行に元大阪プロレスの選手の参戦や、大阪プロレスの興行にノアの選手が参戦するなど交流は続いている。
選手の交互派遣を行っている。
ディファカップなどで単発的な接触はあったが、共に業務提携しているROHの日本ツアーにおいてノアが東京大会、DRAGON GATEが大阪大会をサポートした。2007年にはGHCジュニアタッグ王者の鼓太郎&マルビン組に土井&吉野組、新井&岩佐組、堀口&土井組が連続して挑戦し、その後再挑戦した土井&吉野組がタイトルを奪取した。またタイトルマッチとは関係なくCIMAやドラゴン・キッドなども参戦し丸藤らと対戦しているが、DORAGON GATEへの未払いや前述のGHCを巡る争い後にはROHとDRAGON GATEの業務提携解消もあり、関係が一旦途絶えている。
以前は積極的な交流は行われず、2004年10月にTAKAみちのくが金丸のGHCジュニアヘビー級王座へ挑戦、2007年4月に丸藤がKAIENTAI-DOJOの興行に出場、2011年7月に開催された日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦に負傷欠場となった石森の代わりに滝澤大志がザック・セイバー・ジュニアと組み出場した程度であったが、翌年から同タッグリーグに旭志織とヒロ・トウナイのタッグが3年連続で出場し単発的ではあるが他の興行にも出場してGHCジュニアタッグ選手権にも挑戦している。他にも梶トマトや本田アユムがノアの興行に出場し、逆にKAIENTAI-DOJOの興行にノアの選手が出場するなど交流が行われている。2016年まで社長のTAKAが鈴木軍の一員としてノアに継続参戦していたが、新日本プロレスとの関係が一旦白紙となった以降、TAKAの参戦はなくなったものの、それに代わりリッキー・フジ、洞口義浩、吉野コータロー、柏大五郎、稲松三郎、マリーンズマスク、滝澤大志等の所属選手がノアの興行に出場して友好的な関係を維持していたが、KAIENTAI-DOJOと新日本プロレスが交流を持ち始めるようになってからは、徐々に疎遠になってきている。
所属選手のHAYATAとYO-HEYが定期参戦し、現在はノアに完全移籍しているが一時ノアとタブプロレスとの兼任所属となっていた。
浅野起州オーナーは元全日本のプロモーターであり、その縁もありノア旗揚げ直後は頻繁に選手を派遣していた。近年は交流が途絶えていたが、2010年10月にIWA側がUMA軍とノアの対抗戦を申し込み、ノア側では新ブランド「HONA」による選手派遣という形でこれに応じることとなり、久々に交流が復活していてSEMにUMA軍団が参戦する経験がある。また、小峠が浅野オーナーの経営する花膳の看板息子にされている。
過去に当時の社長のTHE CRAZY SKBがノアの事務所に乱入するなどの行為を犯したため絶縁状態にあったが、2014年8月12日のセムに宮本裕向が参戦し、以降もノアの興行に出場している。
柴田勝頼は2005年11月のGHCタッグ選手権試合にKENTAのパートナーとして、12月のBML第2回興行ではノアに所属する直前の齋藤彰俊が出場している。2006年6月のBML第六回興行では丸藤と森嶋が出場した。しかし2006年8月に柴田が退団、ノアにてKENTAとのタッグ再開を予定していたがその後柴田は総合格闘技に活動の中心をシフトさせたため、事実上柴KENタッグは空中分解したと見る向きは多い。ただしKENTAの弁によると両者の交流は完全に途切れたわけではないらしい。同年10月には村上、臼田勝美、原学がノアマットに上陸、村上は三沢とシングルで対戦した。そのことを裏付けるかのように、村上らは同じGPWAの主幹団体であるZERO1-MAXにもほぼ同じ時期からレギュラー参戦しており、村上は同年11月のGHCタッグ選手権王座決定トーナメントにもZERO1の大谷とのコンビでノアに再上陸、更に同じくZERO1の高岩も含めたトリオで12月の横浜大会にも引き続き参戦した。村上は翌2007年にも丸藤の呼びかけに対して乱入という形で参戦を果たし、6月の横浜大会では暴走の果てに丸藤に勝利したが、その後、怪我をきっかけに出場が途絶えた。もう一方の上井が興した興行、UWAI STATIONの旗揚げ戦にはノアの常連フリー系選手の高山、鈴木、SUWAがタッグを組んで出場、さらには直前に行われたノアのシリーズに参戦した外国人選手のブライアン・ダニエルソンも同じく出場している。なお、2010年には再度ノアに参戦し村上、臼田が乱闘騒ぎを起こしてしまいノーコンテストとなり、さらには力皇とモハメド・ヨネが保持していたGHCタッグ選手権にも挑戦した。
三沢たちがかつて所属した、全日本プロレスが掲げていた「王道」をその名に冠する団体であることなどから交流の可能性は皆無と見られていた。だが、2006年4月の同団体の興行に三沢を含め4選手が参加することとなった。その後キングスロード自体がZERO1-MAX(現ZERO1)に吸収されるような形で終焉を迎えた。
2005年の東京ドーム大会に健介と中嶋勝彦が初参戦した。以降もスポット参戦していたが、2008年からはプロレスリング・セムの共同開催を始め、グローバル・タッグ・リーグへの参戦や、シリーズ継続参戦など本格的な交流を開始していた。2008年の9月に健介がGHCヘビー級王者に君臨したり、その後も頻繁に門下生を派遣するなど、自主興行数が少ないDIAMOND RING所属選手の主戦場となっていた。現在は団体の活動が休止中で、元所属であった北宮光洋はノア所属となり、唯一の所属選手であった中嶋も離脱しフリーとしてノアに参戦した後、北宮と同様に正式にノア所属となった。
代表の池田大輔はノアの旗揚げメンバーであり、定期的にノアへの参戦を続けている。
西村修、吉江豊が新日本所属時代にスポット参戦したことはあったものの、無我旗揚げ以降は接触が無かったが2007年9月9日の大会において三沢&潮崎組と藤波辰爾&西村組の特別試合が行われた。三沢と藤波は2005年5月14日の新日本プロレスの大会においてタッグを結成。対戦相手は蝶野&ライガー組であった。正真正銘の初タッグながらスムーズな連係を見せ、最後はライガーを三沢のダイビング・ボディ・プレス→藤波のグラウンドコブラツイスト、という流れで仕留めている。この後、再びタッグマッチという形で2年4か月振りの再会が実現した。その後、ノアとは関係を絶ち新日本などの他団体と交流していたが、2013年12月7日に行われた田上の引退試合に田上本人の希望で藤波が参戦した。以降、ドラディションの興行にノアの選手が出場するなど交流が再開され、現在は所属選手のLEONAがノアの興行に定期参戦している。
副社長を務めるジョニー・エースがノア関係者とは旧知の仲とあって森嶋、潮崎ともにWWEのトライアウトに出場している。森嶋は不合格となったものの潮崎は合格し、正式オファーもきていたが3年間の長期契約となるため断ったと自分では語っている[12]。近年は特に目立った交流はしていないが、ノアを退団したKENTAが2014年に公開契約という破格の扱いで入団している。
2007年の記者会見にて関わりを持つことを示唆、同年10月にサモア・ジョーが参戦し、GHCヘビーシングルに挑戦した。2012年7月に開催された両国国技館大会では、サモア・ジョー&マグナスがGHCタッグ王座に就いている。2013年にWRESTLE-1がTNAと業務提携を結んだため、団体同士の交流はが流動的になったが、その後WRESTLE-1とTNAの業務提携が解消され、2017年2月にノアとTNAの間で業務提携を発表し交流が開始されている[13]。
かつては業務提携を結び、合同興行の開催や所属選手の相互派遣等も行われていたが、現在はROHが新日本との関係を重視している事やノアがTNAと業務提携を結んでいる関係で疎遠となっている。
業務提携を結んでいる。WLWはノア設立時の後見人であり、GHC管理委員(現在は同委員長)のハーリー・レイスが主催していることから良好な関係にあり、選手を相互派遣したり、留学生を受け入れたり合同キャンプを開催したりしている。
また、上記のプロレス団体以外にも地方興行において地元のローカル団体の所属選手が参戦するなど交流が行われている。
歴史
2000年6月13日、ジャイアント馬場の死後の馬場元子体制による全日本プロレスの運営に強い不満を抱いていた所属選手達が団結して三沢が中心となって川田利明、渕正信、留学生の太陽ケア、衆院選出馬中だった馳浩の4名を除く全所属選手、レフェリーの和田京平ら一部従業員を除く約20人というほとんどの社員となり日本のプロレス史では最大規模となる総勢約50名が離脱。6月16日、三沢が初代代表取締役社長に就任してノアを設立[14]。8月5日、旗揚げ戦を事務所と道場があるディファ有明で開催して旗揚げ戦を含む3会場、6,000枚のチケットが1時間足らずで完売して注目度の高さを示した。その後、地方興行や有明コロシアムでのビッグマッチなどを重ねて2001年7月27日、初の日本武道館大会を開催。以降、2006年と2007年には年7回(1月、3月、4月、7月、9月、10月、12月)に渡って日本武道館大会を開催している。
2001年4月から2009年3月まで日本テレビの番組「プロレスリング・ノア中継」での全国ネット地上波放送番組枠を確保していた(日本テレビの他にキー局2社も放映権獲得に名乗りを上げていた)。2009年4月からはテレビ大阪の番組「ノアぷ〜」として試合が放送されたが短期間で打ち切られた。旗揚げ当初はFIGHTING TV サムライにて中継する一方でノア中継開始までのつなぎとして放送された日本テレビの番組「コロッセオ」でダイジェスト放送を行っていた。サムライTVでの中継は2002年3月の日テレG+(当時はG+ SPORTS & NEWS)放送開始により一旦終了となり日本テレビ系地上波打ち切り後に日テレG+と並行する形で再開された。
2004年7月10日、初の東京ドーム大会「Departure 2004」を開催。
2005年7月18日、東京ドーム大会「Destiny 2005」を開催。
2006年3月21日、ディファ有明でノア主催の若手選手による興行「プロレスリング・セム」を開催。9月12日、将来的な統一機構の設立を目指したプロレス団体連合組織「グローバル・レスリング連盟」を発足して今までにない交流関係を築き上げるのかと期待されたものの現在は頓挫しているのか動きが一切見られていない。
2009年3月、新日本プロレス、全日本と共に打ち出した共通ライセンス構想も後に頓挫しており他団体との交流という面ではこれまで苦戦していた。ところが6月13日、三沢が広島県立総合体育館 小アリーナ大会での試合中に事故死するアクシデントが発生する事態となった。7月6日、人事が一新されて田上が2代目代表取締役社長[15]、小橋と丸藤が取締役副社長に就任してトロイカ体制で経営に当たった。
2011年4月、ジャイアント馬場の姪である馬場トシ子が経理部長として入社した。
2016年11月1日、株式会社プロレスリング・ノアがプロレス団体「プロレスリング・ノア」の運営、興行、関連事業をエストビー株式会社に譲渡して内田雅之が会長、田上が相談役に就任[16]。株式会社プロレスリング・ノアは株式会社ピーアールエヌに商号変更[3]、11月7日、エストビー株式会社が社名をノア・グローバル・エンタテインメント株式会社に変更となった[17][18]。12月28日、事務所と道場があるディファ有明が2018年6月に閉鎖されることにより事務所を2017年1月に水道橋に移転することを発表[19]。
2017年1月、ディファ有明から退居。2月1日、前運営会社「株式会社ピーアールエヌ」が東京地方裁判所より破産手続開始決定を受けた[3]。2月7日、インパクト・レスリング(現:GFW)と業務提携を結んだことを発表。
2018年5月、サイモン猪木が代表を務める「東方英雄伝」との業務提携を発表。選手の交互派遣や、中国人レスラーの養成をノアが受け持つ。また、事務所も「東方英雄伝」の事務所が入居するビルの同じフロアに移転する事を発表している。
タイトルホルダー
タイトル | 保持者 | 歴代 | 防衛回数 | 次期挑戦者 |
---|---|---|---|---|
GHCヘビー級王座 | 杉浦貴 | 第31代 | 2 | 拳王 |
GHCタッグ王座 | 中嶋勝彦 マサ北宮 |
第44代 | ||
GHCジュニアヘビー級王座 | 原田大輔 | 第36代 | 5 | 熊野準 |
GHCジュニアヘビー級タッグ王座 | Hi69 田中稔 |
第34代 | 1 |
タイトル | 覇者 | 年代 |
---|---|---|
グローバル・タッグリーグ戦 | 潮崎豪 清宮海斗 |
2018年 |
グローバル・ジュニアヘビー級リーグ戦 | 原田大輔 | 2015年 |
日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦 | HAYATA YO-HEY |
2017年 |
グローバル・リーグ戦 | 拳王 | 2017年 |
所属選手、主要参戦選手
結託中(ヘビー級)
ゴーカイ・タッグ
ジ・アグレッション
革命軍(仮)
50ファンキー・パワーズ
結託中(ジュニアヘビー級)
RATEL'S
背面砕者達(Back breakers)
結託中
無所属
フリー、他団体参戦選手
2018年から参戦した選手のみ列記。
プロレスラー
- フリー
来日外国人選手
- フリー
スタッフ
レフェリー
リングアナウンサー
GHC管理委員会
- ハーリー・レイス(管理委員長)
- ケビン・フォン・エリック
- 力皇猛
過去の所属選手
- 青木篤志(2005年 - 2012年→フリー→全日本プロレス)
- 秋山準(2000年 - 2012年→フリー→全日本プロレス)
- 浅子覚(2000年 - 2002年引退)
- 池田大輔(2000年 - 2004年→フーテン プロモーション)
- 石森太二(2008年 - 2018年→フリー)
- 伊藤旭彦(2005年 - 2010年引退)
- 井上雅央(2000年 - 2012年→フリー)
- 太田一平(2005年 - 2009年引退)
- 大森隆男(2000年 - 2003年→フリー→WJプロレス→フリー→プロレスリングZERO1-MAX→フリー→全日本プロレス)
- 金丸義信(2000年 - 2012年→フリー→全日本プロレス→フリー)
- 川畑輝鎮(2001年 - 2009年→フリー)
- 菊地毅(2000年 - 2009年→フリー)
- KENTA(2000年 - 2014年→NXT)
- 小橋建太(2000年 - 2011年→フリー→2013年引退→Fortune KK)
- 佐野巧真(2001年 - 2012年→フリー)
- シェイン・ヘイスト(2013年 - 2015年→フリー→NXT)
- 潮崎豪(2004年 - 2012年→フリー→全日本プロレス→フリー→ノア)
- 志賀賢太郎(2000年 - 2009年→フリー)
- 鈴木鼓太郎(2001年 - 2012年→フリー→全日本プロレス→フリー)
- 田上明(2000年 - 2013年引退)
- 高山善廣(2000年 - 2001年→高山堂)
- 友寄志郎(2015年 - 2016年引退)
- 中井光義(練習生)(2014年 - 2015年→フリー)
- 橋誠(2000年 - 2009年→フリー→2012年引退)
- 平柳玄藩(2005年 - 2016年引退)
- 本田多聞(2000年 - 2009年→フリー)
- マーシャル・フォン・エリック(2012年 - 2013年→フリー、名義はプロレスリング・ノア[20])
- マイキー・ニコルス(2013年 - 2015年→フリー→NXT)
- 百田光雄(2000年 - 2009年→フリー→天龍プロジェクト→リキエンタープライズ)
- 百田力(練習生)(2004年→フリー→天龍プロジェクト練習生→リキエンタープライズ→フリー)
- 森嶋猛(2000年 - 2015年引退)
- 力皇猛(2000年 - 2012年引退)
- リッキー・マルビン(2006年 - 2013年→フリー→AAA)
- ロス・フォン・エリック(2012年 - 2013年→フリー、名義はプロレスリング・ノア[20])
過去のスタッフ、役員
- マイティ井上(レフェリー)
- 山本義浩(レフェリー)
- 難波信二(リングアナウンサー)
- 大川正也(リングアナウンサー)
- 浅子覚(メディカルトレーナー)
- 大八木賢一(日本テレビ)(専務取締役)
- 早川久夫(常務取締役)
- 三井政司(取締役)
- 浅野隆司(監査役)
故人
プロレスラー
- 三沢光晴(2000年 - 2009年死去)(代表取締役社長)
- 永源遙(2000年 - 2006年引退→2016年死去)(取締役、常務取締役兼営業部長、相談役)
- ラッシャー木村(2000年 - 2004年引退→2010年死去)(終身名誉選手会長)
- 泉田純(2000年 - 2009年→フリー→2017年死去)
スタッフ、役員
歴代ユニット
- WAVE
- バーニング
- NO FEAR
- 色男軍
- 男前軍
- スターネス
- ノア・ヘルスクラブ
- ダーク・エージェント
- パンチ軍団
- RO&D
- ディスオベイ
- NO MERCY
- BRAVE
- TMDK
- 名古屋維真軍
- 超危暴軍
- 鈴木軍
- RATEL'S
歴代タッグチーム
- NO FEAR
- WILD II
- ブリスコ・ブラザーズ
- パンチパーマ・ブラザーズ
- TMDK
- 日英テクニシャン・タッグ
- モハメッド・ボンバーズ
- ケンオーハラ
- K.E.S.
- 桃の青春タッグ
- ヤノマルフジ
- 50ファンキー・パワーズ
- ジ・アグレッション
- XX
- Back Breakers
- New Browmans
- ゴーカイ・タッグ
試合中継
- 放送中の番組
- プロレスNOAH スペシャル(日テレG+)
- プロレスリング・ノア(FIGHTING TV サムライ、サムライ2)
- 終了した番組
- プロレスリング・ノア中継(日本テレビ、日テレG+)
関連番組
- 終了した番組
- NOAH di コロッセオ(日テレG+)
- 独占NOAH情報(日テレG+)
- NEXTノア(日テレG+)
- ノア方舟通信(FIGHTING TV サムライ、サムライ2)
- ノアぷ〜(テレビ大阪)
主なマット広告スポンサー
関連書籍
- 『This Is NOAH!』 アミューズブックス
- 『NOAHを創った男 -三沢光晴の参謀-』 ベースボール・マガジン社
- 『ノア崩壊 黒い報告書』 宝島社
脚注
- ^ 事業譲渡のお知らせ
- ^ 事業譲受のお知らせ
- ^ a b c d “株式会社ピーアールエヌ(旧:株式会社プロレスリング・ノア)”. TDB 倒産速報. 帝国データバンク. (2017年2月6日) 2017年2月6日閲覧。
- ^ 甲虫王者ムシキングの知的財産権並びに開発と発売は2015年3月まではセガ(現:セガゲームス)、2015年4月のセガグループ再編により知的財産権はセガホールディングスが保有して開発と発売はセガ・インタラクティブが承継。
- ^ プロレスリング・ノア×新日本メディカルトレーナー協会“プロレスラー養成プロジェクト”START!! - プロレスリング・ノア 2011年1月12日
- ^ ノアにとっては、マーシャルとロスのデビューは、2005年12月の谷口周平以来の新人選手のデビューであった。
- ^ オカダ最年少25歳でプロレス大賞MVP「誰がカネの雨を降らせてるか」 - スポーツナビ 2012年12月11日
- ^ 1967年、中日新聞が東京新聞と復縁する以前は中日新聞と読売新聞は業務提携関係だった。
- ^ 後年にはノア所属選手が参戦している
- ^ 東京スポーツ 2011年3月6日付 28面
- ^ ノア秋山が11年ぶりにチャンピオン・カーニバル出場=全日本プロレス - スポーツナビ・2011年3月22日
- ^ 潮崎3冠WWE戦士イタミの勇士に奮発 - 東スポWab・2015年1月7日
- ^ “【TNA、現インパクトレスリングとの業務提携を発表!】2月7日内田雅之会長の記者会見の模様”. N O A H. (2017年2月7日). 2017年2月7日閲覧。
- ^ インタビューで三沢は「仲田さんと2人で居酒屋でもやりながら新弟子を4から5人くらい育てて月に1度くらい後楽園ホールで興行が出来たらと思っていた」と語っている。
- ^ 7月、小橋を社長に推薦するも容れられなかった百田光雄が相談役を辞職して退団している。
- ^ “事業譲渡のお知らせ”. プロレスリング・ノア公式サイト. 2016年11月2日閲覧。
- ^ 社名変更のご挨拶|プロレスリング・ノア公式サイト
- ^ 社名変更のお知らせ – エストビー株式会社
- ^ “ノア事務所が水道橋に移転 新体制移行と2018年ディファ有明閉鎖に伴い”. ぼくらのプロレス (2016年12月28日). 2017年1月8日閲覧。
- ^ a b 選手紹介|プロレスリング・ノア公式サイト2016年12月閲覧
関連項目
- 興行
- リーグ戦
- 王座
外部リンク
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