コヴェントリー
| シティ・オブ・コヴェントリー City of Coventry | |||
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| 位置 | |||
コヴェントリーの位置 | |||
| 位置 | |||
| 座標 : 北緯52度24分29秒 西経1度30分38秒 / 北緯52.40806度 西経1.51056度 | |||
| 歴史 | |||
| Founded | 1043 | ||
| 創設者 | en:Leofric, Earl of Mercia | ||
| 行政 | |||
| 国 | |||
| 連合王国 | |||
| リージョン | ウェスト・ミッドランズ | ||
| 大都市カウンティ | ウェスト・ミッドランズ | ||
| 市 | シティ・オブ・コヴェントリー | ||
| 地理 | |||
| 面積 | |||
| 市域 | 98.64 km2 (38.09 mi2) | ||
| 人口 | |||
| 人口 | (2021年現在) | ||
| 市域 | 389,603 [1]人 | ||
| 人口密度 | 3,108人/km2(8,050人/mi2) | ||
| その他 | |||
| 等時帯 | 西ヨーロッパ時間 (UTC+0) | ||
| 夏時間 | 西ヨーロッパ夏時間 (UTC+1) | ||
| Postcode | CV | ||
| 市外局番 | 024 | ||
| ISO 3166-2 | GB-COV | ||
| 公式ウェブサイト : http://www.coventry.gov.uk/ | |||
コヴェントリー (Coventry [ˈkɒvəntɹi] (
音声ファイル)) は、イギリス・イングランドのウェスト・ミッドランズ州にある都市州区(メトロポリタン・バラ)。
ウェスト・ミッドランズ地域ではバーミンガムに次いで2番目に大きな都市であり、両都市の間には「メリデン・ギャップ」と呼ばれる緑地地帯がある。ミッドランズ全体ではバーミンガム、レスターに次いで3番目の規模であり、ベッドワースとともに「コヴェントリー・ベッドワース都市圏」を形成している。2021年国勢調査での人口は389,603人 [1]。2019年の資料では、英国で13番目に人口が多い [2]。
コヴェントリーは大聖堂、ゴダイヴァ夫人(ゴディバ夫人とも表記される)の伝説及び自動車産業で有名である。
歴史
[編集]街の起源と地名の由来
[編集]コヴェントリーの初期歴史はほとんど知られていないが、近隣のコーリーやバギントンにケルト人の集落があり、後にローマ人、さらにサクソン人の侵入者によって占拠された[3]。 コヴェントリーの地名の起源もその頃にあると考えられ、有力説は、サクソン人の地主コファ(Cffa)と関係ある「コファの木(Coffa's Tree)」から来た説である[4]。2020年にコヴェントリーの庭で発掘された、4世紀から6世紀の間に刻まれた携帯型のオガム文字石碑[5][6]には、「コファの木(Coffa's Tree)」とされる木が描かれている[7]。また一部の人々に支持されている別の説は「Coventre」という語源で、これは「Coven」(「Convent=修道院」の古い形)と「tre」(ケルト語で「集落」または「町」)に由来し、「修道院の町(Convent Town)」を意味する[7]。
セント・メアリー修道院と大聖堂の起源
[編集]コヴェントリーの地の最初の記録は、1016年、イングランドの支配を目指していたデンマーク王クヌートとその軍勢によって、コヴェントリーの集落で、サクソン人の女子修道院が破壊された事だった[8]。その後、マーシア伯レオフリックとその妻レディ・ゴダイヴァ(彼女の本名「ゴドギフ」の変形)が、破壊された修道院の跡地に1043年、ベネディクト会のセント・メアリー修道院を創設した[9]。 その後セント・メアリー修道院は小修道院(プライオリー)および大聖堂へと格上げされ、約125年かけて再建し拡張された[10]。
ゴダイヴァ夫人の伝説
[編集]領主レオフリックとゴダイヴァ夫人については有名な伝説がある。重税に苦しむ領民を気の毒に思ったゴダイヴァが、夫レオフリックに税を軽くするように申し述べたところ、レオフリックはゴダイヴァが慎み深い女性であることを知りながら「お前が全裸で馬に乗って町を一周したら考えてやろう」と言った。悩んだ末にゴダイヴァは決意し、町中の住民に外を見ないよう命じた上、長い髪だけを身にまとって馬に乗って町を1周したのである。町民たちはこのゴダイヴァのふるまいに心を打たれ、窓を開けずに閉じこもった。レオフリックはやむを得ず税を軽くしたという。なお、このときにひとりだけ外を覗いた男がおり、彼がピーピング・トム (Peeping Tom) という言葉の由来になったという。ただし、中世を専門とする歴史家の見解では、上記の伝説が史実でないことで一致している[11][12][13]。この伝説にちなんで、馬に乗ったゴダイヴァの像が市の中心部に建っている。
近世・近代
[編集]14世紀になると、布貿易の中心地として栄えるようになる。コヴェントリーは、中世のイングランドで最も重要な都市のひとつであった[14] 。
19世紀後半になると自転車が流行し、英国中にサイクリング・クラブができる。ローバーがコヴェントリーで自転車製造を開始し、多くの自転車製造業者が後に続いた。1896年に自動車走行速度を制限する赤旗法が廃止されたのをきっかけとして、20世紀初頭、デイムラー、ジャガー他多くの自動車製造会社が創業された。こうしてコヴェントリーは自動車産業の中心地となった。
コヴェントリー爆撃
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工業都市であったため、第二次世界大戦中の1940年11月14日にはナチス・ドイツによる爆撃「コヴェントリー爆撃」(Coventry Blitz)の標的となり、コヴェントリー大聖堂を含む市の中心の大部分が破壊された。
1950年に新しい大聖堂を建てる設計コンペが開催された。設計を勝ち取ったのは、バジル・スペンスである。1962年、廃墟となった旧大聖堂の脇に新大聖堂が再建され、戦争の爪痕と戦後の復興のシンボルとなった。また、ジェイコブ・エプスタイン作『聖ミカエルと悪魔』の青銅像、ジョン・パイパー作の色彩豊かなステンドグラスおよびグレアム・サザランドのキリストの巨大なタペストリーが注目されるようになった。
ナチス・ドイツによる空襲について、イギリス政府は事前にドイツ軍のエニグマ暗号を解読し察知しながら、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、コヴェントリー爆撃隊を見逃したとする陰謀論があり、「小の虫を殺し大の虫を生かす」類の説話としてしばしば語られる。しかし、BBCの説明によれば、イギリスはエニグマ暗号自体の解読には成功していたが、電文中で標的は「Korn」とコードネームで書かれていたために、それがコヴェントリーを指すことまではわからなかったという[15]。
観光
[編集]コヴェントリー大聖堂が観光地として人気である。第二次世界大戦で破壊された旧大聖堂の隣に、近代的なデザインの新しい大聖堂が建っている。
コヴェントリー交通博物館 (Coventry Transport Museum) では自動車・自転車の街としてのコヴェントリーを知ることができる。
コヴェントリー近郊には、シェイクスピアの生地であるストラトフォード・アポン・エイヴォンや、荘厳な城で有名なウォリックがある。バーミンガムからもアクセスしやすい立地である。
経済
[編集]コヴェントリーは1890年代から自転車と自動車産業で栄えた都市である。ジャガーの本部、コヴェントリー・クライマックスの本社と工場があり、デイムラー、トライアンフ、プジョーなどの組立工場もある。ロンドンタクシーとして有名なブラック・キャブもコヴェントリーで生産されている。
芸術
[編集]クリスマス・キャロルのひとつで、16世紀に成立した『コヴェントリー・キャロル』で知られる都市である。
19世紀初めには、小説家のジョージ・エリオットの作品『ミドルマーチ』の舞台となった。
1962年、ベンジャミン・ブリテンによる『戦争レクイエム』が初演された。
現在ではコヴェントリー・ジャズ・フェスティバルなどの音楽イベントで人気を博している。
市内のウォーリック大学には、ロンドン以外ではイングランド最大規模の舞台劇場を備えたウォリック・アート・センター (Warwick Arts Centre) がある。
教育
[編集]- ウォーリック大学はコヴェントリー市の南西部に位置し、イギリスの研究型国立大学24校によって構成される団体ラッセル・グループの一員である。
- コヴェントリー大学は、 その一部であるコベントリー芸術デザイン学校Coventry School of Art and Designに、数少ない自動車デザイン学科を持つ。
スポーツ
[編集]- コヴェントリー・シティFC - コヴェントリーを本拠地とするサッカークラブ。
- ワスプス・ラグビー(Wasps Rugby)-コヴェントリーを本拠地とするプロラグビーユニオンクラブ。
出身人物
[編集]- クライヴ・オーウェン - 俳優
- ジル・ローベル - 児童文学作家
- スペシャルズ - バンド
- フランク・ホイットル - 技術者
- ナイジェル・ホーソーン - 俳優
- ハリー・ホース - 作家
- モー・モーラム - ベルファスト合意当時の北アイルランド大臣でコヴェントリー育ちである。1999年に名誉市民となった[16]。
姉妹都市
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出典
[編集]- ^ a b “Coventry Local Authority 2021 Census Area Profile”. Office for National Statistics. 2023年12月10日閲覧。
- ^ en:n:List of English districts by population based on ONS mid-year population estimates for 2018 Archived 8 October 2019 at the Wayback Machine.: Coventry is the 9th-largest city by population in England and the 11th-largest city in the UK proper with a 2018 mid-year estimated population of 366,785 (and a 2011 Census population of 316,915). This is after London (1st: 8,908,081), Birmingham (2nd: 1,141,374), Leeds (3rd: 789,194), Glasgow (Scotland) (4th: 626,410), Sheffield (5th 582,506), Manchester (6th: 547,627), Bradford (7th: 537,173), Edinburgh (Scotland) (8th: 518,500), Liverpool (9th: 494,814), Bristol (10th, 463,405), Coventry (11th: 366,785). (This is followed by Cardiff (Wales) (12th: 364,248) and Leicester (13th: 355,218).)
- ^ “Coventry, West Midlands”. ARCHI. 2019年9月3日閲覧。
- ^ Walters, Peter (2019). The Little History of Coventry. pp.11-14, History Press Limited. ISBN 978-0-7509-8908-4
- ^ “Stone with ancient writing system unearthed in garden”. BBC News 2024年5月16日閲覧。
- ^ “Teacher finds stone with ancient ogham writing from Ireland in Coventry garden”. The Guardian 2024年5月16日閲覧。
- ^ a b Origin of Coventry's name on the historiccoventry website
- ^ Levi Fox (1957). Coventry's Heritage. pp.3, Coventry Newspapers Ltd. ISBN 978-0902464087
- ^ “The history of Coventry Cathedral”. Coventry Cathedral. 2008年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月28日閲覧。
- ^ Origin of Coventry's name on the historiccoventry website||accessdate= 12 Oct 2025
- ^ [1] Coe, Charles. "Lady Godiva: The Naked Truth." Harvard Magazine. July-Aug. 2003 (July 28, 2008) 第2段落目 But as it happens, most medieval scholars agree the ride never took place.
- ^ [2] Lady Godiva: The naked truth, BBC News, 24 August, 2001, 15:31 GMT 第13段落目 Regrettably, though, the story of Lady Godiva's ride is almost certainly a myth.
- ^ [3] Why did Lady Godiva take a naked horse ride? 第2ページの最終段落 Too bad it's not true. On the next page, we'll take a closer look at the story and see why historians have discounted it. 第3ページの第5段落目 Therefore, Godiva's ride never happened because there simply was no need for her to prove anything.
- ^ “Coventry as a County”. Historic Coventry. 2024年10月12日閲覧。
- ^ “The Coventry Blitz 'conspiracy'”. BBC News. (2012年11月10日)
- ^ “City remembers schoolgirl Mowlam”. BBC News Online (BBC). (2005年8月19日) 2009年9月23日閲覧。