号泣 (お笑いコンビ)
号泣 | |
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メンバー |
赤岡典明 島田秀平 |
結成年 | 1996年 |
解散年 | 2008年 |
事務所 | ホリプロコム |
活動時期 | 1996年3月 - 2008年6月2日 |
出会い | 長野県の公文式教室(4歳当時) |
現在の活動状況 | 解散(島田のみ活動) |
芸種 | 漫才 |
ネタ作成者 | 赤岡典明 |
過去の代表番組 |
爆笑オンエアバトル 続!ボキャブラ天国 クリック! エンタの神様 アイドル☆レボリューション |
公式サイト | 島田公式プロフィール |
受賞歴 | |
1998年 ホリプロお笑いライブ芸腕グランプリ優勝 2001年 ホリプロお笑いライブ芸腕グランプリ優勝 |
号泣(ごうきゅう)は、ホリプロコムに所属していたお笑いコンビ。1996年1月結成、2008年6月解散。
メンバー
- 島田秀平(しまだ しゅうへい、1977年12月5日 - )
- ツッコミ担当 長野県長野市出身 O型。佐久長聖高等学校卒業。
- 怪談話をすることが多く、さらには手相に通じ『菅野鈴子(原宿の母)』に弟子入りし、「代々木の甥」を襲名している。現在はピンとして活動。
来歴
4歳の時に、公文式教室で出会う。長野市立通明小学校、長野市立篠ノ井東中学校の同級生。2人とも長野県屋代高等学校を受験するが島田は不合格。別々の高校に通っていたが、赤岡の誘いで屋代高校の文化祭で「ダンククラッチ」というコンビ名で漫才を披露し優勝。
1996年1月に号泣を結成し3月デビュー。コンビ名は略されたくないという意図と、テレビ欄によく載っている言葉を選んで売れているような感じを与えようとつけた。また、赤岡がドッキリを仕掛けようと、島田の椅子に画鋲を仕掛けたところ、知らずに座ってしまった島田が痛みのあまり「号泣」したというエピソードがあり、それがコンビ名の由来に一役買っているとの説もある。事務所の先輩和田アキ子から「幼馴染で仲が良いから」という理由で「ベストフレンズ」というコンビ名を提案されたことがある[2]。
デビュー当初はホリプロ所属。2003年1月、旧M2カンパニーを前身とする子会社・ホリプロコムの発足により同社に移籍。
1998年、『進ぬ!電波少年』の人気コーナー「電波少年的懸賞生活」の企画オーディション(内容はくじ引き)にも参加したことがある[3]。
『爆笑オンエアバトル』では、番組内で最多出演記録を持っている。また、チャンピオン大会ではなぜか高い評価を得られず、最下位になることや100KB台になることがよくあった(第1回チャンピオン大会、第2回チャンピオン大会ファイナル、第3回チャンピオン大会ファイナル)。「ホリプロお笑いライブ芸腕グランプリ2」ではアリtoキリギリス、坂道コロコロ(当時)らを抑え見事優勝、「芸腕グランプリ2001」でも敗者復活からの優勝を果たした。
M-1グランプリには、第1回の2001年から結成10年目ラストイヤーの2006年まで挑戦。2001年、2003年、2005年に準決勝に進出した。
2008年6月2日に解散。解散理由について、島田は「M-1グランプリの決勝に進出できなかったこと」を挙げている[4]。両者とも30歳になる頃にはコンビ結成10年となりM-1グランプリに出られなくなる事から、それを区切りと考えており、赤岡が島田に「他の仕事がしたい」と持ちかけ、解散が決まった[2]。解散後、島田のみが芸能活動を続けていくことになった。
芸風
初期は漫才が中心で、その後は言葉遊びネタ(回文など)が主流になった。そのためか「お笑い界の国語辞典」の異名を取る。たまに音響を使ったコントもする。
賞レース
- 2001年 M-1グランプリ 準決勝進出
- 2002年 M-1グランプリ 3回戦進出
- 2003年 M-1グランプリ 準決勝進出
- 2004年 M-1グランプリ 3回戦進出
- 2005年 M-1グランプリ 準決勝進出
- 2006年 M-1グランプリ 3回戦進出
出演
テレビ
- レギュラー
- 続!ボキャブラ天国(フジテレビ、 - 1999年3月)2003年1月の特番にも出演
- クリック!(日本テレビ、- 2005年9月)
- 情報発信塾 アイドル☆レボリューション(tvk、2005年11月 - 2006年1月)
- レギュラー以外
- 爆笑オンエアバトル(NHK総合)戦績20勝12敗 最高507KB ゴールドバトラー認定
- 第1回チャンピオン大会 予選10位敗退
- 第2回チャンピオン大会 本選10位
- 第3回チャンピオン大会 決勝11位
- 32回出演は番組最多出演記録。
- エンタの神様(日本テレビ)キャッチコピーは「ホリプロいちおし笑いのホープ」
- クイズ赤恥青恥(テレビ東京)テレビ初出演、デビュー間もない頃にクイズの解答者として1回のみ登場
- 新春かくし芸大会(フジテレビ、2000年)芸人仲間と「ザ・ヒットスラップオーケストラ」に挑戦
- 27時間テレビ(フジテレビ、2001年・2002年)「真夏の夜の爆笑ヒットパレード」に出演
- HR(フジテレビ、2002年10月 - 2003年3月)前説担当だが時々脇役で出演
- 第54回NHK紅白歌合戦(NHK総合、2003年)はなわ&テツandトモの応援に芸人仲間と登場
- お台場お笑い道(フジテレビ721、2005年5月29日 - 複数回出演)
- M-1グランプリ敗者復活戦(スカイ・A sports+、2005年)
- 最強お笑い芸人決定戦 時間無制限100本勝負 エンドレスサマー!!(日本テレビ、2005年7月23日)
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」(日本テレビ、2005年・2007年)
- 本気で芸能人勉強会 地球温暖化防止スペシャル!(東京MX、2005年9月17日)
- みつめて!信州生テレビ(長野朝日放送、2005年 - 2007年)
- お笑いチャンピオンボウリング2ジャパンカップ2005(フジテレビ、2005年10月14日)
- DAI★安BSフジNAVI(BSフジ、2005年10月24日)
- お笑い登龍門 ガッハ(フジテレビ721、第6回)
- お笑い日本シリーズ爆連発スペシャル(RKB毎日放送、2005年12月30日)
- 細木数子が緊急大予言・アナタの将来を幸せにするSP(テレビ朝日、2006年1月1日)
- イエヤス(CBCテレビ、2006年1月4日)
- 北野タレント名鑑(フジテレビ、2006年2月9日)
- ザ・駅前テレビ(長野朝日放送、2006年4月1日 - 複数回出演)
- ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!(テレビ東京、2006年4月10日)
- 笑いがいちばん(NHK総合、2006年7月23日)
- abnステーション(長野朝日放送、2006年8月4日)
- ワンダフル信州人!!(信越放送、2006年12月24日)
- 346Bar(信越放送、2007年5月31日・6月7日)
- 芸能人ドッキリ!(秘)性格改善クリニック(フジテレビ、2007年10月16日)
- 笑いの金メダル
ラジオ
- レギュラー
- ラジオDEアミーゴ(信越放送、2006年10月 - 2008年6月)
- わくわくわいど! アッパレ大通り(信越放送、2007年4月 - 2008年6月)
- ストリーム(TBSラジオ、2003年 - 2004年)「UCCスマイルデリバリー」に出演
- 男汁(信越放送)
- レギュラー以外
- 丁半コロコロの一発かましたれ!!(東北放送、複数回出演)
- お笑い!ネタとこ勝負(ラジオ日本・ラジオ大阪、2005年11月5日 - 複数回出演)
- お笑いネクストブレーカー(ニッポン放送、2005年12月11日)
- わいわいワイド ラジオの王様(信越放送、2005年12月17日)
- RADICAL LEAGUE(エフエム富士、2005年12月28日 - 複数回出演)
- 懸SHOWタイム(ラジオ日本、2006年6月9日)
- 笑ってE-じゃん!(ラジオ日本、2006年7月11日 - 複数回出演)
- Applause!〜週末の主役達へ〜(JFN、2008年1月11日)
インターネット
- 芸人川柳グランプリ(GyaO、2007年2月15日)赤岡のみ
映画
DVD
- 声に出してボケたい日本語(ホリプロ、2005年10月19日)
脚注
- ^ a b 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』 日外アソシエーツ、2004年6月、13頁。ISBN 978-4-8169-1852-0
- ^ a b 2010年9月30日放送回『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』(テレビ朝日系)の企画「元•コンビ芸人」に出演した島田談
- ^ ビデオ『なすびの電波少年的懸賞生活のすすめ 其の壱』 バップ、1998年。
- ^ 「お笑い界の押さえドコ島田秀平 コンビ解散のどん底から、「行列ができる手相芸人」に」『日経エンタテインメント!』第14巻第13号、日経BP社、2010年4月、pp.97。