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浜村純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はまむら じゅん
浜村 純
浜村 純
1962年
本名 武内 武
生年月日 (1906-02-07) 1906年2月7日
没年月日 (1995-06-21) 1995年6月21日(89歳没)
出生地 日本の旗 日本福岡県糟屋郡宇美町馬場
死没地 日本の旗 日本東京都世田谷区
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1933年 - 1995年
主な作品
映画
青春残酷物語』(1960年)
テレビドラマ
武田信玄
純ちゃんの応援歌
受賞
芸能功労賞1986年
日本映画批評家大賞
特別賞1994年
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浜村 純(はまむら じゅん、1906年明治39年〉2月7日[1][2][3] - 1995年平成7年〉6月21日[2][3])は、日本俳優。本名:武内 武[1][2]

福岡県[1]糟屋郡宇美町馬場出身[2]福岡市立商業学校卒業[1][2]。新倉事務所に所属していた[1]

戦前は新築地劇団劇団文化座などに所属して舞台俳優として活動。戦後は映画俳優として、数多くの話題作や名作に出演する。総出演本数は約300本に上る。個性的で幅の広い演技に定評があり、日本映画屈指の名バイプレーヤーとして活躍した。

来歴

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1906年(明治39年)2月7日福岡県糟屋郡宇美町馬場に、呉服商の父・伴太郎と母・むめの3男1女の三男として生まれる[4]。宇美尋常高等小学校を経て1926年(大正15年)に福岡市立商業学校を卒業。東京美術学校を受験するが不合格になり、福岡市にある松屋呉服店の店員を務めたのち上京、深川で新聞配達・職工、浅草でクリーニング店の店員などの職に就く[4]

1932年(昭和7年)、舞台装置家を志してプロレタリア演劇研究所に3期生として入る[4]。同期には宇野重吉がいる。翌1933年(昭和8年)、研究所卒業とともに新築地劇団へ入り、本名で『』『守銭奴』などの舞台に出演する。1937年(昭和12年)に劇団を退団すると、新協劇団公演『火山灰地』『夜明け前』などに助演する[4]1938年(昭和13年)、伊丹万作監督の『巨人傳』など数本の映画にエキストラ出演したのち、中国人の演劇指導のため満州新京に渡る[4]。のちにハルピンに渡り、昼は市公署官吏や不動産会社に勤め、夜は劇団に参加していた。その後帰国し、1944年(昭和19年)に劇団文化座に入って浜村純と改名。文化座の公演で再び満州に渡り、奉天で終戦を迎える[4]。復員後は移動劇団を組織して地方を巡業するが、肺結核に倒れる。

1949年(昭和24年)に児童劇映画『谷間の少女』に出演してからは映画に主力を置いた。

痩せこけた頬とギョロリと目の光る特異な風貌ながら、堅実な演技力で定評を受けた[4]市川崑の監督作品には計22本に出演しており、大島渚篠田正浩今村昌平浦山桐郎などの作品にも多数出演している。

1995年(平成7年)6月21日急性白血病のため日産厚生会玉川病院にて死去。89歳没。

人物

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受賞歴

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出演

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映画

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テレビドラマ

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ドキュメンタリー

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舞台

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、162頁。全国書誌番号:83045303 
  2. ^ a b c d e 20世紀日本人名事典. “浜村 純”. コトバンク. 2019年4月10日閲覧。
  3. ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「2月7日 / 2月8日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、43頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  4. ^ a b c d e f g 「日本映画俳優全集 男優編」『キネマ旬報』第772号、キネマ旬報社、1979年、462頁。 
  5. ^ 新撰 芸能人物事典 明治〜平成. “浜村純”. コトバンク. 2015年9月19日閲覧。
  6. ^ 過去の受賞作品 1991年度〜1999年度”. 日本映画批評家大賞 公式サイト. 2015年9月19日閲覧。
  7. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 91, 「『怪談』作品解説/俳優名鑑」
  8. ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, pp. 537–538, 「主要特撮作品配役リスト」
  9. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 137, 「『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』作品解説/俳優名鑑」
  10. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 213, 「『竹取物語』作品解説/俳優名鑑」
  11. ^ 老優たちの日々”. NHK (1986年6月15日). 2021年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月6日閲覧。
  12. ^ 「人形劇団プーク」『新劇便覧』テアトロ、1965年、444頁。 

参考文献

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外部リンク

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