鳥羽駅
鳥羽駅 | |
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JR側出入口(市街側) | |
とば Toba | |
所在地 | 三重県鳥羽市鳥羽一丁目8-13 |
所属事業者 |
■東海旅客鉄道(JR東海) ■近畿日本鉄道(近鉄) |
電報略号 | トハ |
駅構造 | 地上駅(一部橋上駅) |
ホーム | 3面7線 |
乗車人員 -統計年度- |
(JR東海)352人/日 (近鉄)2,011人/日(降車客含まず) -2010年- |
開業年月日 |
1911年(明治44年)7月21日(JR) 1929年(昭和4年)7月23日(近鉄) |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | ■参宮線 |
キロ程 | 29.1 km(多気起点) |
◄(臨)池の浦シーサイド (3.7km) | |
所属路線 |
■鳥羽線 ■志摩線 |
キロ程 |
13.2km(宇治山田起点) 伊勢中川から41.5 km |
◄*池の浦 (2.6 km) (1.0 km) 中之郷*► | |
備考 |
共同使用駅 JR東海:業務委託駅 JR東海:みどりの窓口 有 |
* 池の浦方 - 鳥羽線 * 中之郷方 - 志摩線 |
鳥羽駅(とばえき)は、三重県鳥羽市鳥羽一丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。
乗り入れ路線
JR東海の参宮線と、近鉄の鳥羽線・志摩線の3路線が乗り入れ、接続駅となっている。いずれの路線も当駅が起終点であるが、近鉄の2路線については鳥羽線列車の約半数がそのまま志摩線に直通する。
近鉄線利用時にはPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)およびICOCA(JR西日本)などの利用が可能(志摩線は一部のみ対象)。ただしJR東海利用時にはこれらの利用ができず、かつ同社のTOICAが近鉄線・JR線とも使用可能となる予定(近鉄はPiTaPaエリアのため、TOICAとICOCAとの相互利用が開始された現在もTOICAは利用対象外である)。
駅構造
両社とも地上駅である。
JRは0 - 2番線を使用し頭端式ホーム1面3線がある。1番線は0番線側の切り欠き部にある。なお、快速「みえ」は主に1番線より発車する。
近鉄は3 - 6番のりばを使用し島式ホーム2面4線を持つ橋上駅になっている。ホームの長さは10両分で、10両が入れるのはこの駅までである。近鉄のりばは鳥羽線建設前のJR線南側から現在の北側に移動している。このため、のりばの番号はJRと続き番号であるが、その順番には並んでいない。
改札口はJRホームに直結しているJR管轄の地上改札と、近鉄管轄の橋上駅舎内の2ヶ所がある。JRと近鉄の乗換は中間改札なしで可能である。ただし、どちらの駅舎も管轄担当社の券売機・窓口しかない。PiTaPaおよびICOCAも近鉄駅舎の改札口でしか利用できない。
JR東海の駅は、東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、伊勢市駅が当駅を管理している。
ホーム | 路線 | 行先 | 備考 |
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0 | ■JR参宮線(普通) | 松阪・名古屋方面[1] | |
1・2 | ■JR参宮線(快速) | 松阪・名古屋方面 | 2番線は1日2本のみ |
3 | 主に■近鉄線上り(鳥羽線) | 名古屋・大阪・京都・奈良方面 | 主に当駅始発の特急 |
4 | 主に■近鉄線下り(志摩線) | 鵜方・賢島方面 | |
5・6 | 主に■近鉄線上り(鳥羽線) | 名古屋・大阪・京都・奈良方面 |
近鉄線ホームは折返し列車が多いにもかかわらず構内に引上線がないため、折返し列車を長時間ホームに待機させなければならない。そのため、上下線とも発着番線は列車および時間帯によって変動する。大体の目安を挙げると、以下の通り。
- 3番のりばは主に当駅で折り返す大阪・名古屋方面への特急列車が使用する(早朝・夜間は賢島方面行も発着する)。
- 4番のりばは主に賢島方面への列車が発着する(時間帯によっては伊勢中川方面への折返し列車もある)。
- 5番のりばは主に賢島より大阪・名古屋方面へ向かう列車が使用する(時間帯によっては賢島方面行が入ることもあり、中には折返し列車もある)。
- 6番のりばは増発列車がない限り、昼間時にはほとんど使われず、主に朝および夜以降に使用される(主に通過待ち列車および始発列車が使用する。上下線問わずに使用する)。
5・6番のりばは上下両方向からの入線・発車に対応しているが、3・4番のりばは宇治山田方からしか入線できない(発車については上下両方向可能)。下り本線は4番線、上り本線は5番線である。ただし複線化までは3・4番のりばも上下両方向から入線が可能であった。
なお、5・6番のりばから賢島方面へ折返し普通列車が出る場合、ホーム賢島寄りから発車する。
特徴
近鉄の駅とJR東海の駅に共通する特徴
- 鳥羽観光の拠点駅である。
- 2010年現在、近鉄・JRどちらも自動改札機・精算機を設置していない。
- 当初は砂浜に沿った海辺の駅であったが海側が高度成長期に大幅に埋め立てられた。海側の幹線道路、土地はすべて埋立地である。
近鉄の駅の特徴
- 全ての列車が停車し、日中から夕刻の一部の乙特急はこの駅で折り返す。
- 本数こそ少ないが近鉄名古屋発の急行、大阪上本町発の快速急行[2]はこの駅まで乗り入れる。下り到着列車は夜間も設定されているが、上り当駅始発列車は朝9時台までの設定となっている。当駅始発の列車は伊勢市駅(宮町駅停車の近鉄名古屋行き急行は宮町駅まで)までの各駅に停車する。また、大阪上本町発着の快速急行は2012年現在は下り列車の到着のみで、上り当駅始発は2012年3月20日改正まで設定されていた。
- 一部の乙特急はこの駅で車両切り離しを行なう。構内に引き上げ線は無いので、切り離した車両は五十鈴川駅または明星検車区明星車庫へ折り返し回送となる。
- 前述の通り自動改札機も精算機もないため、駅員が改札口に立ち、乗客が提示する切符を確認しスタンプを押し、または回収している。精算は窓口にて行う。ただし切符の自動販売機は数台ある。
- 以前はすべて駅員の肉声によりホーム案内がなされていたが、現在では自動化されている。
- 近鉄駅舎の待合室からは鳥羽湾がよく見える。
JR東海の駅の特徴
- 観光客の大半は近鉄を利用するため、午後4時台(3本)を除き1時間に1~2本しか運行しないJR側は閑散としている事が多い(近鉄はほとんどの時間帯で1時間に4本以上運行している)。
- 自動改札機・精算機に加え、切符の自動販売機もない。切符の販売・確認・精算・回収は全て、改札に面した窓口の中にいる(主に1人だけの)駅員が手作業で行う。
- 通常は快速みえと普通列車のみ乗り入れてくるが、まれに修学旅行等の臨時列車が入ってくる事もある。
- JRの列車は夜間の停泊を行わず、そのまま多気駅方面へ折り返す。
利用状況
JR東海
- 三重県統計書によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。
- 524人(1997年度)
- 483人(1998年度)
- 457人(1999年度)
- 451人(2000年度)
- 421人(2001年度)
- 395人(2002年度)
- 361人(2003年度)
- 327人(2004年度)
- 328人(2005年度)
- 365人(2006年度)
- 361人(2007年度)
- 368人(2008年度)
- 334人(2009年度)
- 352人(2010年度)
近畿日本鉄道
- 主として観光・通学・通勤用に利用される。
- 鳥羽駅(近鉄)の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 2010年11月9日の調査結果によると、1日の利用客は3,458人(2005年11月8日の調査では3,752人、2005年11月8日の調査では4,376人)。この数字は…
- 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、132位。
- 山田線・鳥羽線・志摩線の駅(33駅、他線接続駅含む)の中では5位で、志摩線に限ると最多。
- 三重県内の近鉄の駅(116駅)の中では、19位。
- 2010年11月9日の調査結果によると、1日の利用客は3,458人(2005年11月8日の調査では3,752人、2005年11月8日の調査では4,376人)。この数字は…
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
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通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1958年(昭和33年) | 192,480 | ←←←← | 502,369 | 694,849 | |||
1959年(昭和34年) | ←←←← | ||||||
1960年(昭和35年) | ←←←← | ||||||
1961年(昭和36年) | ←←←← | ||||||
1962年(昭和37年) | ←←←← | ||||||
1963年(昭和38年) | ←←←← | ||||||
1964年(昭和39年) | ←←←← | ||||||
1965年(昭和40年) | 334,160 | ←←←← | 382,987 | 717,147 | |||
1966年(昭和41年) | 369,090 | ←←←← | 303,430 | 672,520 | |||
1967年(昭和42年) | 385,540 | ←←←← | 268,576 | 654,116 | |||
1968年(昭和43年) | 340,620 | ←←←← | 287,339 | 627,959 | |||
1969年(昭和44年) | 412,560 | ←←←← | 349,640 | 762,210 | 改良工事のため営業休止(バス代行) | ||
1970年(昭和45年) | 450,240 | ←←←← | 1,159,721 | 1,609,961 | 標準軌化し営業再開 | ||
1971年(昭和46年) | 481,230 | ←←←← | 1,182,484 | 1,663,714 | |||
1972年(昭和47年) | 502,950 | ←←←← | 1,306,385 | 1,809,335 | |||
1973年(昭和48年) | 430,320 | ←←←← | 1,619,892 | 2,050,212 | |||
1974年(昭和49年) | 492,810 | ←←←← | 1,732,957 | 2,225,767 | |||
1975年(昭和50年) | 540,180 | ←←←← | 1,599,824 | 2,140,004 | |||
1976年(昭和51年) | 506,640 | ←←←← | 1,643,659 | 2,150,299 | |||
1977年(昭和52年) | 509,400 | ←←←← | 1,694,687 | 2,204,087 | |||
1978年(昭和53年) | 512,580 | ←←←← | 1,708,924 | 2,221,504 | |||
1979年(昭和54年) | 520,230 | ←←←← | 1,778,346 | 2,298,576 | |||
1980年(昭和55年) | 548,040 | ←←←← | 1,744,318 | 2,292,358 | |||
1981年(昭和56年) | 532,320 | ←←←← | 1,687,454 | 2,219,774 | |||
1982年(昭和57年) | 487,950 | ←←←← | 1,628,709 | 2,116,659 | 11月16日 | 8,674 | |
1983年(昭和58年) | 455,700 | ←←←← | 1,650,683 | 2,106,383 | 11月8日 | 11,237 | |
1984年(昭和59年) | 440,490 | ←←←← | 1,733,085 | 2,173,575 | 11月6日 | 9,133 | |
1985年(昭和60年) | 495,900 | ←←←← | 1,669,176 | 2,135,076 | 11月12日 | 9,268 | |
1986年(昭和61年) | 464,130 | ←←←← | 1,645,172 | 2,109,302 | 11月11日 | 8,270 | |
1987年(昭和62年) | 433,530 | ←←←← | 1,557,163 | 1,990,693 | 11月10日 | 9,499 | |
1988年(昭和63年) | 413,250 | ←←←← | 1,490,881 | 1,904,131 | 11月8日 | 8,552 | |
1989年(平成元年) | 391,770 | ←←←← | 1,509,782 | 1,901,552 | 11月14日 | 8,309 | |
1990年(平成2年) | 417,300 | ←←←← | 1,728,115 | 2,145,415 | 11月6日 | 9,318 | |
1991年(平成3年) | 426,450 | ←←←← | 1,723,890 | 2,150,340 | |||
1992年(平成4年) | 435,810 | ←←←← | 1,627,901 | 2,063,711 | 11月10日 | 9,845 | |
1993年(平成5年) | 417,990 | ←←←← | 1,490,203 | 1,908,193 | |||
1994年(平成6年) | 407,010 | ←←←← | 1,394,097 | 1,801,107 | |||
1995年(平成7年) | 385,950 | ←←←← | 1,246,556 | 1,632,506 | 12月5日 | 5,902 | |
1996年(平成8年) | 345,210 | ←←←← | 1,141,157 | 1,486,367 | |||
1997年(平成9年) | 321,300 | ←←←← | 1,050,356 | 1,371,656 | |||
1998年(平成10年) | 280,140 | ←←←← | 932,199 | 1,212,339 | |||
1999年(平成11年) | 250,470 | ←←←← | 829,004 | 1,079,474 | |||
2000年(平成12年) | 248,520 | ←←←← | 803,850 | 1,052,370 | |||
2001年(平成13年) | 240,240 | ←←←← | 780,271 | 1,020,511 | |||
2002年(平成14年) | 226,230 | ←←←← | 752,908 | 979,138 | |||
2003年(平成15年) | 216,180 | ←←←← | 752,757 | 968,937 | |||
2004年(平成16年) | 214,470 | ←←←← | 722,776 | 937,246 | |||
2005年(平成17年) | 203,490 | ←←←← | 694,009 | 897,499 | 11月8日 | 4,376 | |
2006年(平成18年) | 197,940 | ←←←← | 697,164 | 895,104 | |||
2007年(平成19年) | 192,720 | ←←←← | 716,018 | 908,738 | |||
2008年(平成20年) | 191,490 | ←←←← | 642,553 | 834,043 | 11月18日 | 3,752 | |
2009年(平成21年) | 177,300 | ←←←← | 568,025 | 745,325 |
駅周辺
- ミキモト真珠島
- イルカ島
- 鳥羽一番街(みやげ物・食事のビル。鳥羽駅と連結されている)
- パールビル名店街(2008年4月以降は営業終了。2011年6月時点では建物のみ残存)
- 鳥羽港佐田浜桟橋(鳥羽マリンターミナル)
- 日和山展望台
- 鳥羽水族館(徒歩約15分。近鉄志摩線の中之郷駅の方が近い)
バス路線(鳥羽バスセンター)
1番乗り場
2番乗り場
- かもめバス
- 安楽島
- 鳥羽小涌園
- かんぽの宿鳥羽
- 石鏡港
- 畔蛸口
- 国崎
- 鳥羽展望台
- 三重交通
歴史
- 1911年(明治44年)7月21日 - 参宮線山田 - 鳥羽間延伸により、その終着駅として開業。
- 1929年(昭和4年)7月23日 - 志摩電気鉄道(現在の近鉄志摩線)鳥羽 - 真珠港間が開業。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 会社合併により、志摩電気鉄道の路線は三重交通の一路線となる。
- 1953年(昭和28年) - 国鉄鳥羽駅のプラットホームに上屋を設置[3]。
- 1964年(昭和39年)2月1日 - 三重交通から鉄道事業が分社化され、旧志摩電の路線は三重電気鉄道に承継。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併。旧志摩電の路線は近鉄志摩線となる。
- 1969年(昭和44年)12月10日 - 改良工事のため近鉄志摩線営業休止。(バス代行)
- 1970年(昭和45年)3月1日 - 近鉄志摩線が標準軌化工事を完成させ営業を再開。近鉄鳥羽線も開業して、近鉄駅舎が国鉄駅北側に新築移転。
- 1974年(昭和49年)1月6日 - 火災により国鉄駅舎と日和山エレベーター焼失。
- 1975年(昭和50年)10月14日 - 国鉄駅舎改築竣工。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道と近鉄の駅になる。
- 1999年(平成11年) - 近鉄新駅舎完成。
- 2001年(平成13年) - 第3回「中部の駅百選」に選定。
- 2007年(平成19年)4月1日 - 近鉄鳥羽線・志摩線PiTaPa使用開始。
- 2011年(平成23年)7月21日 - 参宮線全線開通100周年の記念式典が行われる。