ミキモト真珠島
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ミキモト真珠島 (みきもとしんじゅじま、英: Mikimoto Pearl Island) は、三重県鳥羽市の鳥羽湾内に浮かぶ小島。
英虞湾内にある神明浦と並ぶ養殖真珠発祥の地であり、全島が株式会社御木本真珠島 (みきもとしんじゅじま、英: Mikimoto Pearl Museum Co., Ltd.) が経営するレジャー施設となっている。島内では真珠工芸品が展示されている他、海女の実演が催される。
年間観光客数は25〜26万人で、約1割が日本国外からの来客である[1]。このため、島内の案内は日本語と英語を併記し、パンフレットは日本語・英語・韓国語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・ドイツ語・フランス語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語の10ヶ国語を用意している[2]。
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[編集] 沿革
- 1893年 - 当時、相島 (おじま) と呼ばれていた同島で、御木本幸吉が真珠養殖に成功。
- 1919年(大正8年) - 鳥羽町(当時)が相島地先の海面埋立権と使用権を帝国汽船に売却[3]。
- 1927年(昭和2年) - 鳥羽町が帝国汽船から相島を買い戻す[3]。
- 1929年(昭和4年)4月 - 鳥羽町が御木本幸吉に相島を売却[3]。売却益は鳥羽小学校の建築費に充当された[3]。
- 1951年(昭和26年)3月12日 - 資本金500万円をもって[4]有限会社御木本真珠ヶ島が設立され、レジャー施設として御木本真珠ヶ島が開島[5]。
- 1953年(昭和28年) - 御木本幸吉像を建立[4]。
- 1956年(昭和31年) - 島の南側の海面を埋め立てる[4]。
- 1958年(昭和33年) - 御木本幸吉翁記念館を開設[4]。
- 1962年(昭和37年) - ミキモトパールミュージアムを開設[4]。
- 1970年(昭和45年)7月11日 - パールブリッジ完成[6]。
- 1971年(昭和46年) - 社名を御木本真珠島に改める[4]。これにより島名もミキモト真珠島に変更(真珠ヶ島の「ヶ」を外す)[4]。
- 1971年(昭和46年) - 島の護岸復旧と南西海面の埋め立てを行う[4]。
- 1985年(昭和60年) - 真珠博物館が開館[7]。
- 1993年(平成5年) - 御木本幸吉記念館が開館[7]。
- 2011年(平成23年) - 3月11日に発生した東日本大震災の影響で客足が減少[8]。4月下旬には日本人客の数は戻ってきたが、日本国外からの団体ツアー客は、ほぼ0のままであった[8]。
[編集] 施設
[編集] 真珠博物館
真珠工芸品を展示。
主な展示品
- 帯留矢車:1937年パリ万博出品。41個の真珠の他、ダイヤモンド、サファイア、エメラルド等、プラチナ、18金からなり、部品の組み立てで、ブローチ、髪飾り、指輪など12種類のアクセサリーになる。
- 地球儀:12,541個の真珠、377個のルビー、373個のダイヤモンドを使用した直径33cmの地球儀。
- 自由の鐘:1939年ニューヨーク万博出品。12,250個の真珠、366個のダイヤモンドを使用。
- 御木本五重塔:1926年フィラデルフィア万博出品。12,760個の真珠を使用。
- 姫路城:19,000個の真珠、447個のダイヤモンドのほか、サファイア、エメラルド、ルビーを使用し姫路城を1/90サイズで再現。
- パールクラウン1世:872個の真珠、188個のダイヤモンドを使用して作成した王冠。
- 軍配扇:1907年東京勧業博覧会出品。805個の真珠を使用し、李朝伝来の軍配扇を再現。
[編集] 御木本幸吉記念館
御木本幸吉の生涯を遺品やパネル展示などで表現している。生家の鳥羽のうどん屋「阿波幸」も再現されている。
[編集] パールプラザ
レストラン阿波幸とパールショップが営業している。
[編集] その他
御木本幸吉銅像、珠の宮、野鳥の森、見晴台などがある。
[編集] アクセス
- 住所:三重県鳥羽市鳥羽一丁目7番1号
近鉄鳥羽線・JR参宮線の鳥羽駅から徒歩5分。島へは橋(パールブリッジ)で渡ることができる。駐車場はある。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 折戸厚子(2008)"ミキモト真珠島(三重県鳥羽市)―養殖真珠誕生の地での産業観光―".CREC(財団法人中部産業・地域活性化センター機関誌).164:74-81.
- 片山健生・飯田竜司・渡辺大地「大型連休回復か停滞か 震災後の観光地」中日新聞伊勢志摩版朝刊p.11、2011年4月25日付
- 鳥羽市観光協会50周年記念誌編纂委員会 編『鳥羽の観光50年』鳥羽市観光協会、昭和55年9月15日、289pp.
- 鳥羽市史編さん室 編『鳥羽市史 下巻』鳥羽市役所、平成三年三月二十五日、1347pp.