真岡鐵道真岡線

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真岡線
下館駅付近にて
下館駅付近にて
基本情報
日本の旗 日本
所在地 茨城県栃木県
起点 下館駅[1]
終点 茂木駅[1]
駅数 17駅[1]
開業 1912年4月1日[2]1920年12月15日全通[2]1988年4月11日三セク転換[3]
所有者 真岡鐵道
運営者 真岡鐵道
使用車両 真岡鐵道#車両を参照
路線諸元
路線距離 41.9 km
軌間 1,067 mm[1]
線路数 単線
電化方式 全線非電化
閉塞方式 特殊自動閉塞式(電子符号照査式)
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
STR
STRrf
関東鉄道常総線
STRq
JR東日本水戸線
STRlg
0.0 下館駅
BHF
2.2 下館二高前駅
BHF
4.6 折本駅
BHF
6.5 ひぐち駅
BHF
8.5 久下田駅
BHF
12.6 寺内駅
BHF
16.4 真岡駅
BHF
18.0 北真岡駅
WBRÜCKE1
五行川橋梁 五行川 42.71m
BHF
21.2 西田井駅
BHF
22.9 北山駅
WBRÜCKE1
小貝川橋梁 小貝川 42.90m
BHF
25.1 益子駅
BHF
28.4 七井駅
BHF
31.2 多田羅駅
BHF
34.3 市塙駅
BHF
38.1 笹原田駅
BHF
39.2 天矢場駅
KBHFxe
41.9 茂木駅
exLSTR
国鉄長倉線(未成線)

真岡線(もおかせん、かつては「もうかせん」)は、茨城県筑西市下館駅から栃木県芳賀郡茂木町茂木駅に至る真岡鐵道鉄道路線。かつては日本国有鉄道(国鉄)・東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営していた。愛称「コットン・ウェイ[4]

路線データ

運転

ワンマン運転の普通列車のみの運行である。1時間あたり1本程度で、下館駅 - 茂木駅間の直通運転を基本とするが、下館駅 - 真岡駅間・真岡駅 - 茂木駅間の区間列車も設定されている。また1994年3月27日から、土日祝日を中心に蒸気機関車C12 66またはC11 325が牽引する「SLもおか」が通年運転されており、通過駅がある列車として設定されている(「SLもおか」の回送を兼ねた下りの下館駅 - 真岡駅間を運行する1本も、同様に通過駅があるが、「SLもおか」と異なり寺内駅が通過駅となる)。

普通列車は真岡鐵道への転換時に導入されたモオカ63形(11両)で運行してきたが、老朽化により2003年(平成15年)1月20日よりモオカ14形が導入[6]され、年間2両前後の導入で順次モオカ63形を淘汰した。形式名称の数字(63・14)は導入が始まった和暦の年(モオカ63形は昭和63年、モオカ14形は平成14年)を示している。

転換後の一時期、JR路線からの臨時列車が設定された。益子大陶器市に合わせて東日本旅客鉄道(JR東日本)から同社水郡線営業所に配置されていた東北色キハ40系列や新津運輸区に配置されていた新潟色のキハ58系列が臨時列車として乗り入れた事例があったが、近年は行われていない。

JR東日本から試験車を借り入れ、年1回程度で軌道検測が実施される。転換直後はマヤ34形客車を使用していたが、同車淘汰後はキヤE193系気動車「East i-D」を使用する。

国鉄時代(1970年ころ)は上り14本、下り8本が運転され、うち上下8本が小山まで乗り入れていた。朝夕には5-6両編成で運転され、特に朝のラッシュ時には8両編成で運転されていた[7]

歴史

歴史は古く、1912年の官設鉄道真岡軽便線(もうかけいべんせん)下館 - 真岡間の開業に始まる。1920年には茂木まで全通した。しかし、地域の流動に合わない線形で、県都宇都宮との連絡鉄道(改正鉄道敷設法別表第37号「栃木県市塙ヨリ宝積寺に至ル鉄道」)も計画されたが実現に至らなかった[2]

国鉄再建法施行により1984年に第2次特定地方交通線に指定され、1987年にJR東日本に承継された後、1988年に真岡鐵道に転換された[3]

  • 1911年明治44年)10月15日:真岡軽便線着工[2]
  • 1912年(明治45年)4月1日 : 真岡軽便線下館駅 - 真岡駅間 (16.5km) 開業[8]。途中に折本駅、久下田駅、寺内駅を新設[2]
  • 1913年(大正2年)7月11日 : 真岡駅 - 七井駅間 (12.0km) が延伸開業し、途中に西田井駅、益子駅を新設[2]
  • 1920年(大正9年)12月15日 : 七井駅 - 茂木駅間 (13.5km) が延伸開業し、途中に市塙駅を新設(全通・42.0km)[2]
  • 1922年(大正11年)9月2日 : 軽便鉄道法廃止により、真岡線に改称[2]
  • 1935年(昭和10年)12月15日 : 気動車(ガソリンカー[2])運転開始(下館 - 茂木間)[9]
  • 1955年(昭和30年)4月1日 : 多田羅駅、北真岡駅新設[2]。ディーゼルカー運転開始[3]
  • 1958年(昭和33年)9月5日:折本駅の交換設備撤去[3]
  • 1962年(昭和37年)10月1日 : 上野駅 - 下館駅 - 真岡駅・茂木駅間で準急「つくばね」運転開始[3]
    • 停車駅(真岡線内)※全停車駅は「水戸線」参照
      • 下館駅 - 久下田駅 - 真岡駅 - 益子駅 - 七井駅 - 市塙駅 - 茂木駅
  • 1966年(昭和41年)3月5日:「つくばね」が準急から急行に格上げ[3]
  • 1968年(昭和43年)10月1日:急行「つくばね」の電車化に伴い真岡線乗り入れ廃止[3]
  • 1970年(昭和45年)10月1日:無煙化[3]
  • 1978年(昭和53年)10月1日 : 益子駅 - 茂木駅間貨物営業廃止[3]
  • 1982年(昭和57年)11月1日 : 下館駅 - 益子駅間貨物営業廃止(全線貨物営業廃止)[3]
  • 1984年(昭和59年)9月11日 : 廃止承認(第2次廃止対象特定地方交通線)[3]
  • 1987年(昭和62年)4月1日 : 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継[3]
  • 1988年(昭和63年)4月11日 : JR真岡線廃止 (-42.0km) [3]。真岡鐵道真岡線開業 (41.9km)[3] 。線名・真岡駅・北真岡駅の「真岡」の読み方をそれまでの「もうか」から真岡市と同じ「もおか」に改称[3]。下館二高前駅新設[3]。七井駅の交換設備復活[3]
  • 1989年(平成元年)3月11日 : 北山駅新設[3]
  • 1994年(平成6年)
    • 3月14日 : ひぐち駅、笹原田駅、天矢場駅新設[3]。西田井駅、市塙駅の交換設備復活[3]
    • 3月27日 : 「SLもおか」運転開始[3]
  • 2011年(平成23年)

駅一覧

凡例
*印 : 転換時、または転換後に設置された駅
SLもおか停車駅 … ● : 停車、| : 通過
線路(全線単線) … ◇:列車交換可、|:列車交換不可
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ SLもおか 接続路線 線路 所在地
  下館駅 - 0.0 東日本旅客鉄道水戸線
関東鉄道常総線
茨城県
筑西市
下館二高前駅 2.2 2.2  
  折本駅 2.4 4.6  
ひぐち駅 1.9 6.5  
  久下田駅 2.0 8.5   栃木県 真岡市
  寺内駅 4.1 12.6  
  真岡駅 3.8 16.4  
北真岡駅 1.6 18.0  
  西田井駅 3.2 21.2  
北山駅 1.7 22.9  
  益子駅 2.2 25.1   芳賀郡
益子町
  七井駅 3.3 28.4  
  多田羅駅 2.8 31.2   芳賀郡
市貝町
  市塙駅 3.1 34.3  
笹原田駅 3.8 38.1  
天矢場駅 1.1 39.2   芳賀郡
茂木町
  茂木駅 2.7 41.9  

計画路線

国鉄長倉線跨道橋・茂木町小萩・栃木県道27号那須黒羽茂木線(2007年5月撮影)

改正鉄道敷設法で挙げられた真岡線に関係する予定線としては、以下のものがある。

  • 第36号「栃木縣茂木ヨリ烏山を經テ茨城縣大子ニ至ル鐵道及栃木縣大桶附近ヨリ分岐シテ黒磯ニ至ル鐵道」
  • 第38号「茨城縣水戸ヨリ阿野澤ヲ經テ東野附近ニ至ル鐵道及阿野澤ヨリ分岐シテ栃木縣茂木ニ至ル鐵道」

このうち前者は実現することなく、国鉄バス常野線として先行開業した。

また後者は、このうち茂木 - 長倉宿(現常陸大宮市)間が国鉄長倉線として計画され、1937年3月に着工[2]。全線の用地買収と河井村(現茂木町)までの路盤建設が完了し、1940年にはレールの敷設工事も開始されていた[2]。しかし、太平洋戦争勃発による建設区間見直しで工事は中断、レールも金属回収により撤去され、戦後も再開されず開業することはなかった[2]。また、1927年に後者のルートの水戸と阿野沢付近の御前山駅(現城里町)を結ぶ鉄道として茨城鉄道(後の茨城交通茨城線)が開業したが、1971年に廃止された。茨城鉄道は御前山 - 長倉間の免許も取得していたが実現しなかった。

その他

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 3頁
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 18頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 19頁
  4. ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 14頁
  5. ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 12頁
  6. ^ モオカ14形の2両(1・2)は富士重工業の製造した最後の鉄道車両である。3 以降は日本車輌製造で製造されている。
  7. ^ 『シナリーストラクチャーガイド1』機芸出版社、1988年、80頁
  8. ^ 下館駅 - 真岡駅間開業時、起終点の駅名から「真館線(しんかんせん)」の通称で呼ばれたこともあった。出典 - 大道雅美『郷愁の野州鉄道 - 栃木県鉄道秘話』随想舎、2004年、P.100
  9. ^ 『鉄道省年報. 昭和10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ お客様各位 真岡鉄道 (2011-3-22). 2011年3月24日閲覧
  11. ^ お客様各位 真岡鉄道 (2011-4-1). 2011年4月3日閲覧
  12. ^ “ツインリンクもてぎまで/真岡鉄道延伸を要望へ/活性化狙いはが観光協会”. 下野新聞(朝刊) (下野新聞): p. 6. (2003年9月29日) 

参考文献

  • 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年8月7日。 

関連項目