白糠線

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Japanese National Railway logo.svg 白糠線
北進駅でのキハ56形
北進駅でのキハ56形
路線総延長 33.1 km
軌間 1067 mm
最大勾配 16 パーミル
最小半径 300 m
停車場・施設・接続路線
根室本線
BHFq eABZ3lg
0.0 白糠
exBHF
6.0 上白糠
exHST
(9.5) 共栄
exBHF
11.8 茶路
exWBRÜCKE
茶路川
exBHF
19.3 縫別
exWBRÜCKE
茶路川
exBHF
25.2 上茶路
exWBRÜCKE
茶路川
exBHF
30.7 下北進
exWBRÜCKE
茶路川
exKBHFe
33.1 北進

※途中の橋梁は省略

白糠線(しらぬかせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線地方交通線)である。北海道白糠郡白糠町根室本線から分岐し、同町内の北進駅(二股)までを結んでいたが、1980年の国鉄再建法施行を受け、特定地方交通線廃止の第1号として、1983年に廃止された。

目次

[編集] 路線データ

  • 管轄:日本国有鉄道
  • 区間(営業キロ):白糠 - 北進33.1km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:7(起点駅を含む。他に仮乗降場1)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 閉塞方式:スタフ閉塞式(全線一閉塞)
  • 有人駅:なし(開業時の終着駅であった上茶路駅は昭和40年代に無人化され、廃止まで簡易委託駅であった)

[編集] 運行系統

廃止直前では全線通しの列車が1日3往復運行されていた。車両の送り込みを兼ねた根室本線釧路駅方面からの乗り入れもあった。

[編集] 歴史

沿線の石炭及び森林資源の開発を目的に計画された路線で、本来は、改正鉄道敷設法別表第147号の2に規定する予定線として池北線足寄駅に結ばれ、さらに足寄から新得までの北十勝線(未成線)とあわせて根室本線のバイパスを形成するはずであった。1964年に上茶路までが開業し、釧路二股までの工事も日本鉄道建設公団の手により1970年には完成していたものの、折しも「赤字83線」のローカル線廃止取組みの最中であり、開業すれば赤字必至のローカル線の引き受けを国鉄が拒否したため、釧路二股までの開業はこの取組みが頓挫した1972年に当時の運輸大臣であった佐々木秀世の命令という異例の形で行われた[1]。その際、終点の釧路二股はさらなる延長への期待を込めて「北進」と変更されている[2]

しかし、沿線の炭鉱(雄別鉄道上茶路坑)は1970年にはすべて閉山し、人口が激減。手を組むはずであった北十勝線も頓挫し、白糠線は新線延長はおろか既開業線の存続すら危うい状況に陥った。結局、北進延長を果たした1972年に、以北への延長工事の中止が決定した[3]。それでも沿線としては本来の目的である足寄までの全線開通を願い、また上茶路炭鉱跡地の炭鉱住宅を生かした「青少年旅行村」施策により夏場は賑わい臨時列車を出したほどであった[4]

だが、1980年に国鉄再建法が成立すると、白糠線は第1次特定地方交通線に指定された。この時白糠線は営業係数3,077(100円稼ぐのに3,077円かかる)という国鉄一の赤字路線であった。白糠線は石炭輸送という当初の目的がなくなっていたこと、全線が白糠町内であり、複数の自治体を走る他線に比べ、地元自治体からの了承取り付けは容易であったこと、ほぼ並行して国道392号が通っていたことなど廃止の条件が整っていた[5]ため、特定地方交通線の先陣を切って1983年に廃止された。開業から19年、上茶路 - 北進間が延伸開業してわずか11年後であった。

[編集] 年表

  • 1964年10月7日 白糠 - 上茶路間 (25.2km) を開業。上白糠・茶路・縫別・上茶路の各駅を新設。
  • 1972年9月8日 上茶路 - 北進間 (7.9km) を延伸開業(旅客営業のみ)。下北進・北進の各駅を新設。
  • 1974年7月25日 共栄仮乗降場を新設。
  • 1978年10月1日 白糠 - 上茶路間 (25.2km) の貨物営業を廃止。
  • 1981年9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認。
  • 1983年10月23日 全線 (33.1km) 廃止。白糠町営バスに転換。

[編集] 駅・乗降場一覧

全駅北海道白糠郡白糠町に所在。

駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線
白糠駅 - 0.0 日本国有鉄道:根室本線
上白糠駅 6.0 6.0  
共栄仮乗降場 - (9.5)  
茶路駅 5.8 11.8  
縫別駅 7.5 19.3  
上茶路駅 5.9 25.2  
下北進駅 5.5 30.7  
北進駅 2.4 33.1  

※仮乗降場には営業キロが設定されていなかった。括弧内に実キロを記す。

未成区間
北進駅 - 鯉方信号場 - 茂螺湾駅 - 螺湾駅 - 中足寄駅 - 足寄駅

[編集] 転換バス

  • 白糠町営バス 白糠町営バスターミナル - 二股間

[編集] 脚注

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  1. ^ この延長開業に関しては1983年(昭和58年)10月18日付の北海道新聞にも「特に1970年(昭和45年)の上茶路炭鉱閉山の後は採算の合うはずのない路線だった。上茶路~北進間延長の時、釧路鉄道管理局は開業を渋った。建設されたレールが2年間もたな晒しにされたが、当時の佐々木秀世運輸大臣が『赤字よりも公共性だ』と1972年(昭和47年)強引に開業させた。政治の後押しでできたレールが同じ政治の力で剥がされる。建設費計16億円は捨てたも同然となった」と書かれている。
  2. ^ ただ、終点付近にあった小中学校は1954年北進小中学校2001年廃校)と改称されており、北進への改称は白糠線の延伸とは無関係ともいわれる。
  3. ^ 1979年度(昭和54年度)に日本鉄道建設公団(鉄建公団)AB線(地方開発線・地方幹線)工事着工線の建設予算配分による4段階のランク付けがされたが、白糠線の場合はこの時点で既に同じ北海道の芦別線と共に鉄建公団工事着工線としてはランク外である「工事休止線」扱いとなっていた。森口誠之「鉄道未成線を歩く(国鉄編)」(JTBキャンブックス)より。
  4. ^ 1978年(昭和53年)12月11日付の北海道新聞より。当時の白糠町長であった千葉清いわく「一日でも早く足寄まで延ばすこと。盲腸線ではどうしようもないんだよ」。だが、その一方でこの年の秋で不定期ながら細々と残っていた上茶路での貨物取り扱いが廃止されたが当時の全国的な国鉄貨物合理化大反対の風潮にかかわらず抵抗はゼロであった。
  5. ^ それに加え、住民感情としても月刊「鉄道ジャーナル」(鉄道ジャーナル社)1983年(昭和58年)11月号に書かれている様に、白糠線の建設当時に農地を提供した住民からは「たった10年余りで廃止になること」への不信感は強かったが、その一方で毎年赤字ワースト上位で新聞に載る路線だけに「鉄道とはこんなものだ」という諦めの気持ちも強かったために(同じ北海道の美幸線の様な)強硬な反対運動は無かったようである、といった状態で白糠町としても「もう助からないと腹に決めた」と覚悟をしていた。

[編集] 参考文献

  • 松下弘之 (2001). “国鉄白糠線廃線跡を訪ねて”. 鉄道ファン 2001年9月号 No. 485: pp. 128-131. 

[編集] 関連項目

  • 北海道拓殖鉄道(国鉄北十勝線、鉄道敷設法142-3「新得ヨリ上士幌ヲ経テ足寄ニ至ル鉄道」)
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