石炭車

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セキ3000形5102・セキ8000形8027
太平洋石炭販売輸送知人駅の桟橋にて取り下ろし中のセキ6000形。車体下部の扉が外側に開き、石炭が排出される

石炭車(せきたんしゃ)とは、石炭輸送(運炭)のための専用貨車である。日本国有鉄道が用いていた記号は「セ」。

用途・構造[編集]

ホッパ車の一種であり、基本的にはホッパ車と同じ構造をしているが、大量に使用していたこと、積荷の石炭の比重がホッパ車が主に扱う砕石(鉱石)に比べ小さい(砕石1.09、石炭0.8)こと、そしてホッパ車よりも先に開発された事などから管理上、ホッパ車とは別格に位置づけられていた。塗色色に塗られている。

なお、ホッパ車との違いとしては積荷の設計比重が異なるため石炭車のほうが積荷体積が大きく取れるように設計されており、またそれに伴う重心の上昇に対応した設計になっている点が挙げられる。

また九州地区と北海道地区では車両構造が大きく異なっている事も特色といえよう。これは北海道はアメリカ型の鉄道を手本に、九州はドイツ型を手本に建設を行ったため石炭車から排出を行う施設が大きく異なり、石炭産業終焉までその施設を使用していたためである。北海道地区ではボギー車で側面から排出を、九州地区では二軸車で車両中心部の底面から排出する車両を基本としていた。

運用[編集]

北部九州や北海道などで石炭が採掘されていた時代には、蒸気機関車が石炭車を何十両も牽引し、炭鉱から港へと石炭を輸送していた。石炭産業縮小の影響を受けて数を大幅に減らしながらも一部の石炭車は日本貨物鉄道(JR貨物)に引き継がれたが、現在は使われていない。

石灰石輸送への転用[編集]

美祢線や北九州では石炭車のまま石灰石輸送に転用された。本来北海道用のセキ6000形セキ8000形がほとんど無改造で使用された他、北九州では余剰のセラに蓋を追加して転用した。JRで最後に残った石炭車は、美祢線で石灰石輸送に使われていたセキ6000形・セキ8000形であった。

残存する石炭輸送[編集]

石炭輸送自体は2008年現在も僅かながら残っている。

太平洋石炭販売輸送[編集]

北海道釧路市にある太平洋石炭販売輸送では釧路コールマインで採掘された石炭を自社保有の石炭車で港まで輸送している。

太平洋セメント熊谷工場[編集]

鶴見線扇町駅-秩父鉄道三ヶ尻駅(希に武州原谷駅)間で、ホキ10000形貨車ホッパ車)を使用して行われている。これは燃料用の輸入炭を、扇町駅に専用線が接続している三井埠頭から、三ヶ尻駅に専用線が接続している太平洋セメント熊谷工場へ輸送するもので、毎日1本運行されている。

主な形式[編集]

二軸車[編集]

二軸車は九州北部の産炭地で用いられた。

ボギー車[編集]

ボギー車は北海道と九州北部の産炭地で用いられた。

私鉄の石炭車[編集]

北海道や九州の産炭地では、炭鉱所有企業が炭鉱と国鉄線を結ぶ鉄道を引くことが一般的であった。距離が短い場合は専用側線とした場合もあるが、多くの炭鉱では国鉄線と炭鉱の間に距離があり専用鉄道(本格的に旅客輸送を行った鉄道は地方鉄道)として、独立した鉄道として運営されていた。このような炭鉱の石炭輸送を目的とした専用鉄道・地方鉄道を、「炭鉱鉄道」と呼ぶことがある。
製品出荷に使用する石炭車[1]は国鉄の車両を使用したが、一部の鉄道では自社線内で完結する石炭輸送用に独自の石炭車を持つ場合もあった。

三井三池鉄道セナ1形
九州の大牟田市荒尾市にあった三井三池炭鉱の専用鉄道では、自社線内用(炭鉱-九州電力)に2軸の石炭車を石炭輸送用として使用していた。初期は木造の小型車であったが、その代替として国鉄セラ1型を譲受して使用した。なお、系列の三井セメントが使用していたホラ1型もほぼ同型のため譲り受け、同系列に組み込んでいる。三池炭鉱の閉山とともに廃車となっている。
太平洋石炭販売輸送のセキ6000形 貨車では珍しい連接構造をもつ。
太平洋石炭販売輸送セキ6000形
北海道の釧路市にある太平洋炭礦(現釧路コールマイン)で採れる石炭を、釧路港知人埠頭まで運ぶ鉄道で運用されている石炭車。2両1セットで連接構造を持つ特異な構造をしている。なお、太平洋石炭販売輸送は現在営業している唯一の炭鉱鉄道であり、よってセキ6000形も現役で残る唯一の石炭車となっている。

脚注[編集]

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  1. ^ 石炭車は炭鉱から積出し港間などの大量輸送用の貨車であるため、小口の輸送には無蓋車が使用された。また、中小炭鉱にはもっぱら家庭用燃料としての石炭を生産していたところもあり、このような炭鉱では無蓋車による出荷が中心だった。

関連項目[編集]