名松線

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名松線
家城駅に停車中の名松線列車 キハ11形
家城駅に停車中の名松線列車 キハ11形
路線総延長 43.5 km
軌間 1067 mm
最高速度 65 km/h
leer
↑↓(左)近鉄山田線
STR STR
↑↓JR東海紀勢本線
BHF BHF
0.0 松阪駅
ÜWor STR
←近鉄:山田線↑
ABZrf
←JR東海:紀勢本線↑
BHF
4.2 上ノ庄駅
BHF
7.0 権現前駅
AKRZu
伊勢自動車道
BHF
11.7 伊勢八太駅
ÜWo+r STR
←近鉄:大阪線
BHF BHF
13.0 一志駅 /←川合高岡駅
ÜWor STR
←近鉄:大阪線↑
BHF
15.6 井関駅
BHF
18.5 伊勢大井駅
exSTRlg STR
中勢鉄道
exKBHFe BHF
21.3 伊勢川口駅
BHF
23.3 関ノ宮駅
BHF
25.8 家城駅
BHF
29.5 伊勢竹原駅
BHF
33.8 伊勢鎌倉駅
BHF
36.6 伊勢八知駅
BHF
39.7 比津駅
KBHFe
43.5 伊勢奥津駅

名松線(めいしょうせん)は、三重県松阪市松阪駅から同県津市伊勢奥津駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線地方交通線)である。

雲出川の渓流沿いを走るローカル線である。名張と松阪を結ぶ計画だったことから名松線と名付けられた。現在、終点の伊勢奥津駅からは名張駅前行きの三重交通バスに接続している[注 1]

赤字83線として廃止勧告対象となり、特定地方交通線第2次廃止対象線区に選ばれていたが、岩泉線とともに代替道路未整備を理由に廃止対象から除外された。国鉄分割民営化後は特に廃止などの話は取りざたされていない。

目次

[編集] 路線データ

  • 管轄(事業種別):東海旅客鉄道(第一種鉄道事業者
  • 路線距離(営業キロ):43.5 km
  • 軌間:1067 mm
  • 駅数:15駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 閉塞方式:票券閉塞式(松阪 - 家城間)、スタフ閉塞式(家城 - 伊勢奥津間)
    • 交換可能駅:家城駅(2009年現在JR東海の旅客営業線で唯一キャリア[注 2]の交換が見られる駅である)
  • 最高速度:65 km/h

松阪駅を出発したあとしばらくは紀勢本線と線路を共用する。その後、当線を分ける分岐器が設置されており、数百メートルに渡って並行したあと、当線が左側に向かって離れていく。1987年までは、紀勢本線の山側に名松線専用の単線が敷設されていた。

[編集] 運行形態

夜の松阪駅発最終が家城駅止まりであるほかは全区間の運転であり、2時間に1本ほどが運行されている。下り列車はすべて松阪駅始発だが、2006年3月18日改正から伊勢奥津駅発上り列車のうち3本が紀勢本線多気駅参宮線鳥羽駅伊勢市駅までそれぞれ1本ずつ直通している。

民営化後の1989年からは、全列車がワンマン運転されており、定期列車ではキハ11形気動車のみが運用されている。また、家城駅にしか車両の留置設備や乗務員の宿泊設備がないため、早朝には家城駅 - 伊勢奥津駅間ならびに松阪駅 - 伊勢奥津間の回送列車が、深夜には伊勢奥津駅 - 松阪駅間の回送列車が運転されている。

担当乗務員区は伊勢運輸区である。

[編集] 使用車両

[編集] 利用実態

通学時、特に中間部の一志 - 家城間の利用が顕著である(一志で近鉄線(川合高岡駅)に乗り換えて津方面に向かう流動が多い)。これは、沿線の三重県旧一志郡の高校通学区が、長らく津市・旧久居市等と同一で、起点の松阪市とは別学区だったことが影響していると思われる。

[編集] 歴史

名松線は改正鉄道敷設法81.にある、「奈良県桜井ヨリ榛原、三重県名張ヲ経テ松阪ニ至ル鉄道及名張ヨリ分岐シテ伊賀上野附近ニ至ル鉄道並榛原ヨリ分岐シ松山ヲ経テ吉野ニ至ル鉄道」の一部として敷設された。

このうち、伊賀鉄道(伊賀鉄道伊賀線の前身[注 3])が名張駅(後の西名張駅1964年廃止) - 伊賀神戸駅 - 伊賀上野駅間を改正鉄道敷設法成立と同じ1922年に開業させていたため、桜松線(おうしょうせん、桜井と松阪から各一文字を取った)の一部として、松阪駅から名張駅(後の西名張駅)を目指して工事が進められることになった。

しかし、1930年参宮急行電鉄が現在の近鉄大阪線山田線にあたる桜井駅 - 名張駅 - 参急中川駅(現在の伊勢中川駅) - 松阪駅 - 山田駅(現在の伊勢市駅)間を開通させたため、松阪 - 名張間の旅客輸送目的で名松線は建設意義を失った格好になり、松阪駅 - 伊勢奥津駅間を開通させたにとどまった。ただし参宮急行電鉄は親会社の大阪電気軌道との直通を前提として標準軌規格で開通したため、貨物輸送や大阪から東紀州方面への連絡で意義があるとして、戦後も桜松線の建設要望は継続された。また戦中には、狭軌で開業した名古屋線との直通や軍需輸送を目的に、大阪・山田線の狭軌化と国鉄線・南大阪線との接続が検討されたこともあった。

なお、改正鉄道敷設法で定められたこれらを結ぶ鉄道は、経路が異なるものの、榛原 - 松山(旧大宇陀町) - 吉野を除いて現在の近鉄各線によって実現している。

1982年8月、三重県全域を襲った台風10号により名松線全線が不通となり、伊勢奥津駅には2両の気動車が取り残された。その後、被害の大きかった伊勢竹原駅 - 伊勢奥津駅間はバス代行となる。日本国有鉄道(国鉄)は三重交通によるバス転換の方針を打ち出し、同年11月には名松線の廃止承認の申請を提出した。しかし、熱心な反対運動や、道幅が狭くバスを走らせるのは困難と判断されたことで、復旧作業が続けられ、翌年6月に全線の運行を再開。1985年には廃止対象から除外され、廃止承認申請が取り下げられた。

[編集] 年表

  • 1929年昭和4年)8月25日 : 松阪 - 権現前間(4.4 M≒7.08 km)が開業[1]。権現前駅開業[2]
  • 1930年(昭和5年)3月30日 権現前 - 井関間(5.3 M≒8.53 km)が延伸開業[1]。伊勢八太駅、井関駅開業[2]
  • 1930年(昭和5年)4月1日 営業距離の単位をマイルからキロメートルに変更(全線 9.7 M→15.6 km)[1]
  • 1931年(昭和6年)9月11日 井関 - 家城間 (10.2 km) が延伸開業[1]。伊勢川口駅、家城駅開業[2]
  • 1935年(昭和10年)12月5日 家城 - 伊勢奥津間 (17.7 km) が延伸開業[1]。伊勢竹原駅、伊勢鎌倉駅、伊勢八知駅、比津駅、伊勢奥津駅開業[2]
  • 1938年(昭和13年)1月20日 伊勢田尻駅、伊勢大井駅、関ノ宮駅開業[2]
  • 1960年(昭和35年)8月1日 上ノ庄駅開業[2]
  • 1965年(昭和40年)10月1日 貨物営業廃止[1]
  • 1968年(昭和43年)10月1日 伊勢田尻駅を0.3 km 松阪方面に移転し一志駅に改称[2]
  • 1982年(昭和57年)8月1日 台風10号により全線不通に。
  • 1983年(昭和58年)6月1日 全線復旧、運行再開。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 全駅で荷物の取扱いを廃止[2]
  • 1984年(昭和59年)6月22日 運輸大臣が廃止承認を保留。
  • 1985年(昭和60年)8月2日 代替道路未整備を理由に廃止対象から除外。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化によりJR東海が承継。
  • 1989年平成元年)2月20日 ワンマン運転開始[3]
  • 2006年(平成18年)8月20日 車輪止めの不備が原因で、家城駅に留置されていた車両が深夜に無人状態で逸走する事故が発生。一部の自動踏切が作動しなかったが、死傷者は発生せず大事には至らなかった。運転士は書類送検された。
  • 2009年(平成21年)4月19日 22時過ぎ、家城駅で運転を終え、運転士が運転台を離れている間に、無人の車両が約8.5km離れた、前回の事故現場と近い井関 - 伊勢大井間の踏切まで走行。今回も死傷者なし。警察は業務上過失往来危険の疑いで調べる方針。また、中部運輸局は2度も同様の事故が起きたことを重く見て、JR東海担当者に警告書を手渡し、行政指導を行った[4]
  • 2009年(平成21年)6月1日 上記の車両逸走の防止対策としてこれまで家城駅に夜間留置されていた車両2両のうち1両を松阪駅まで回送する体制に変更(家城駅での車両入換作業を廃止)。

[編集] 駅一覧

  • 全駅三重県に所在。
  • 全列車普通列車(全駅に停車)。
  • 列車交換 … ◇・∨:交換可、|:交換不可
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 列車交換 所在地
松阪駅 - 0.0 東海旅客鉄道紀勢本線
近畿日本鉄道山田線
松阪市
上ノ庄駅 4.2 4.2  
権現前駅 2.8 7.0  
伊勢八太駅 4.7 11.7   津市
一志駅 1.3 13.0 近畿日本鉄道大阪線川合高岡駅
井関駅 2.6 15.6  
伊勢大井駅 2.9 18.5  
伊勢川口駅 2.8 21.3  
関ノ宮駅 2.0 23.3  
家城駅 2.5 25.8  
伊勢竹原駅 3.7 29.5  
伊勢鎌倉駅 4.3 33.8  
伊勢八知駅 2.8 36.6  
比津駅 3.1 39.7  
伊勢奥津駅 3.8 43.5  

[編集] 過去の接続路線

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 脚注

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[編集] 注釈

  1. ^ 本数は僅少であり、平日1本、土休日2本しかない。
  2. ^ 通票を運ぶための大きな輪がついた皮革製の入れ物。
  3. ^ 2007年10月より同線を運営している伊賀鉄道とは別の企業である

[編集] 出典

  1. ^ a b c d e f 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』1、JTB、1998年、189頁。ISBN 4-533-02980-9
  2. ^ a b c d e f g h 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2、JTB、1998年、383・384頁。ISBN 4-533-02980-9
  3. ^ 1988年12月27日 中日新聞 朝刊 記事「新造ディーゼル車で初のワンマン運転へ JR東海が「太多」など3線で」、1989年2月21日 伊勢新聞 記事「名松線にワンマンカーお目見え 村長らテープカット 美杉村・JR伊勢奥津駅」、1989年2月22日 中日新聞 朝刊 三重版 記事「三重地方のJRの3線に新型車両 参宮、名松、紀勢 ワンマン運転」
  4. ^ 「運転士 ブレーキ確認せず離席」NHKニュース 2009.4.20 12:38(JST)
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