タイムマシーン3号

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タイムマシーン3号
メンバー 山本浩司
関太
結成年 2000年
事務所 ケーアッププロモーション
(2000年 - 2001年8月)
アップフロントエージェンシー(K-UP事業部)
(2001年9月 - 2012年9月30日)
ジェイピィールーム
(2012年10月1日 - 2013年6月30日)
太田プロダクション
(2013年8月1日 - )
活動時期 2000年 -
出身 東京アナウンス学院
出会い 東京アナウンス学院
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才
過去の代表番組 YOYOGI PIRATES タイムマシーン3号のやりすぎマンデーズ
タイムマシーン3号〜I'm HUNGRY?〜
DREAM STAGE
メンB
黄金鷲団
タイムマシーン3号の代々木マンデーズなど
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
2005年 M-1グランプリ7位
2010年 第9回漫才新人大賞優秀賞
2012年 オンバト+第2代チャンピオン
2012年 THE MANZAI認定漫才師
2015年 M-1グランプリ4位
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タイムマシーン3号(タイムマシーンさんごう)は、日本お笑いコンビオンバト+第2代チャンピオン。2013年6月30日まではジェイピィールームアップフロントグループ)所属だったが、同社のお笑い部門撤退により、同年8月1日付で太田プロダクション所属となった[1]

メンバー

  • 山本 浩司(やまもと こうじ、 (1979-06-22) 1979年6月22日(44歳) - )ツッコミ担当
新潟県新潟市出身。身長172cm、体重63kg、足のサイズ28cm。
テレビにどちらかが映るたびに、backnumber清水依与吏に似ていると画像付きでツイートされる方。
FKDZ(旧・FKD48)ではスケベ担当、キャッチフレーズは「ナンパ大好きナン顔男」、カラーは緑色担当。
実家は美容室を営んでいる。
ネタ中に時より関に対しボケのようなツッコミを入れたり、ボケて関にツッコまれるというパターンもあり、「元ツッコミ」と自称することもあったが、現在はもっぱらツッコミに専念している。また、中堅若手芸人によるユニット・FKDZ内のコントでは、出演者の殆ど全員をボケに回して一人でツッコミを担当するなど、バランス感覚に優れた立ち回りを見せる。
高校時代サッカーをしていた(北越高等学校サッカー部で副キャプテン、新潟県大会ベスト4)。
観葉植物マニア。100鉢以上の観葉植物を育てている。
特技はけん玉、ギター(ひととおり弾ける程度)。
  • 関 太(せき ふとし、本名:関 智大(せき ともひろ)、 (1979-08-05) 1979年8月5日(44歳) - )ボケ担当
群馬県中之条町(旧・六合村)出身。身長163cm、体重101kg、足のサイズ28cm。
秋元康六角精児天津向清太朗に似ている方。
群馬県中之条町の観光大使。(2015年4月〜)
ステージ上では年中半袖短パン姿である。
FKDZ(旧・FKD48)では眼鏡担当、キャッチフレーズは「重量級おしゃべりマシーン」、カラーは若竹色担当。
ハチミツ二郎東京ダイナマイト)主催の二郎会の主要メンバー。芸名の「関 太」もハチミツ二郎の命名によるものである。
内山信二を中心としてザ・たっち安田大サーカスHIROなど若手デブ芸人による「肉の会」のメンバー。彦摩呂石塚英彦松村邦洋らが参加することもある。
趣味はダーツ。後輩の芸人20人ぐらいでチームを作り、月に1回トーナメントをしている[2]
イラストが上手く、単独イベントやブログなどで、その絵心を披露することがある。
2015年8月5日、交際11年の一般女性と結婚[3]

芸風

  • 漫才、コント共にネタのスタイルは多様であり、統一した形式や、芸風として括れるほどに共通するパターンは見当たらない。本人たちがパターンに陥ることを良しとしていないためである。
  • 2012年ごろから山本がボケて関がツッコミを行うネタが増えた。しかし、2013年に太田プロへ移籍した以降-2014年ごろからのネタの多くは、関がボケて山本がツッコむスタイルに戻りつつある。
  • イベントやラジオ番組などのフリートークでは、主に関が進行し山本が話を広げることが多い。ただし、2014年頃からは、徐々に山本が進行を行う機会が増えている。
  • オンエアバトルでは漫才で出演することが多かったこと、また2005年の第5回M-1グランプリのファイナリストであり、以降敗者復活戦の常連であったことから、漫才師としての印象が強いが、過去に発売されたDVDに収録されているネタのボリュームは、むしろコントに偏っている。太田プロへ移籍後の新作ネタは漫才に集中しており、コントは旧事務所時代に作成したものの焼き直しが時折かけられるのみで、新作コントはわずかしか見られない。
  • 実は「パクパクパクのすけ」というリズムネタを持っている。2015年初頭にFM-FUJIの深夜ラジオ番組内で作り、ラジオCMとしてそのフレーズが流れていることから、山梨県を中心に局地的に知られている。

この他に、過去の芸風として以下の物がある。

  • 2008年ごろまでは、登場時のツカミとして、関が「がんばれ半袖、負けるな短パン!」と言っていた。
  • 関のオタクのような様相から、ドラゴンボールクマのプーさんなどのアニメネタが多かったが、近年ではそういった傾向は薄れている。
  • 漫才の主旨への引きが「俺の架空の彼女がさぁ……」の関の発言で始まるネタがあったが、近年は見られない。
  • 関がヒューマンミスのボケに対し、水戸黄門のうっかり八兵衛からとって「ハチベェ、ハチベェ」と言っていた。
  • 関がネガティブな状態になりブルブル震えて寒がる。そして「体が寒いんじゃない。(露出している腕を摩って)ここが寒いんだ」とボケる。
  • ネタ中に関の体型ネタを多用する。主な例として、途中から食べ物が出てくる、力士のように接近してくるなど。
  • 山本の顔の長さをいじることもある。

エピソード

  • コンビ名の「3号」は関が一日に食べるご飯の量(3合)から付いたという。「タイムマシーン」の方は弾みで付けたもの。
  • 爆笑オンエアバトル第10回チャンピオン大会のファイナル(横浜)の収録日前日、関の住む部屋の上階から出火。帰宅すると消火活動のため部屋に入ることができず、翌朝水浸しの部屋に入り衣装を持ち出し、収録に臨んだ。結果は4位だった。
  • 2011年1月、永沢たかし(磁石)が結成した、芸歴10年前後の吹きだまり芸人によるユニット「FKD48」に加入。関が眼鏡担当、山本がスケベ担当となっている。
  • 2012年から2013年にかけて、タイムマシーン3号だけで行う単独イベント『カクツキ』を行っていた。2か月に一度の開催ということで「隔月」からタイトルにしたが、漢字の読みを間違えたために「カクゲツ」ではなく「カクツキ」となったもので、決して各月行うという意味ではない。このイベントの出演は基本的にタイムマシーン3号のみとなっているが、ゲストを迎えることもあり、また通常の単独ライブと異なりトークやゲームなどの企画も行うなど、ネタだけで進行するものではない。また、「カクゲツ」と言いながらスケジュールの都合で期間が空くこともあるため、必ずしも隔月で行われている訳ではない。
  • 「カクツキVol.1」の打ち上げの場で皆が祝杯を挙げていた時、同じ事務所の後輩の川田青澄(ニレンジャー)が酔った勢いで、山本に向かって「単独ライブなんかやる意味ありますか?」、「タイムマシーン3号が何で売れないか、俺言いましょうか?」などと発言したため険悪な雰囲気となり、あわや掴み合いのケンカになりかけた。その際の話を山本がラジオで話したところ、翌日、川田のブログに未承認コメントが20件程度並び、ニレンジャーとサミットクラブが担当するUstream番組「TUESDAYチュ〜して〜」のコメント欄にもラジオリスナーから真相を訊ねる声が寄せられるなど、軽い炎上状態となった。そのため、翌週のタイムマシーン3号のラジオ番組「タイムマシーン3号のやりすぎマンデーズ」(2012年5月7日放送)の中で、同じ事務所だったさわやか五郎、川田の相方の林博之、お侍ちゃんを交え、悪いのはどちらかを検証する特別番組が放送されることとなった。現場を見ていた後輩・お侍ちゃんの証言により、山本が話した内容がほぼ正しいということが明らかになったが、結論としては先輩に失礼なことを言った川田を止めなかったという理由で、お侍ちゃんの罰ゲーム・川田の謝罪で幕を下ろした。この一連の茶番劇は、お侍ちゃんにより「川田の乱」と名付けられた[4]
  • 2013年7月30日に行われた「カクツキVol.?」(事実上の最終回)は、事務所を退社してフリーの時であったため会場は山本が押さえた。また、それまではローソンチケット及び会場で次回公演のチケットを直接販売していたが、ローソンにチケットを預けることができず、当日出来高払い制(終演後に封筒に現金を入れて渡す)で行った。
  • the pillows山中さわおと、彼がラジオにゲスト出演した縁で仲良くなり、山中が他ミュージシャンと対バン形式で行ってきた「CHEMICAL BUMP SHOW!!」に初めてお笑い芸人として出演した。後にDVD化もされた。
  • 2012年6月、三重県での仕事のため移動中、名古屋で下車する際、山本は自身の漫才の衣装であるスーツを車内に忘れた。しかしたまたま同じ新幹線にBerryz工房が乗車しており、Berryz工房のマネージャーに頼んでスーツを持ってきてもらい、事なきを得た。
  • 以前、めんこい内村(お侍ちゃん)、ツインクルのポリス二郎とともに一軒家を借りて住んでいた山本は、「風雲山本城」等、数々のイタズラをしかけていた。そのいたずら記録は「カクツキ」イベントでの被害者たちによる申告で、ホワイトボードが埋め尽くされ真っ黒になるほどだった。相方である関も山本のターゲットとなることがあり、ラジオのオンエア中に関のLINEのIDをバラされる、住所を途中まで言われる、関の彼女(後に結婚することとなった妻)を生放送にサプライズ出演させるなどのドッキリを仕掛けられた。
  • 2013年6月末を以て所属事務所のジェイピールームがお笑い事業から撤退したため、タイムマシーン3号を始めとする芸人たちがアップフロントグループから離れることとなった[5]。同年8月1日付けで太田プロダクションへの移籍が決定[1]。移籍先事務所の決定は山本のブログで真っ先に発表され、追って関のブログでも発表された。しかし、7月31日にAKB48ライブで発表された、太田プロ所属のトップアイドル・前田敦子の3rdシングルが「タイムマシンなんていらない」だったため、Yahoo!ニュースのエンタメ欄に「前田敦子の新曲に芸人が困惑」というトピックスがほぼ半日掲載され続けることとなった。
  • 2006年に関と当時モーニング娘。のトップアイドルだった紺野あさ美の熱愛が報道されたが、太田プロへ移籍後、2014年6月に有吉弘行のラジオ番組でアシスタントをした際に関本人が「一度も会ったことはない」と8年の沈黙を破り熱愛を否定した。[6]
  • 2014年7月14日-8月4日までニチレイフーズのサイトで行われた「おいしいアフレコグランプリ」で、509,076票というダントツの票数を集めて一位となった。ラジオでブログ、ツイッター、facebookなどで投票を呼びかけた成果と思われるが、360°モンキーズとタイムマシーン3号の票数が他の組に対して突出していたため、マネージャーから「何かやったんじゃないか」とあらぬ疑いをかけられた。
  • 2014年12月8日に行われた太田プロの事務所ライブ「月笑2014クライマックスシリーズ」で、移籍1年4ヶ月で初優勝を果たす。アップフロントグループから太田プロへ移籍した直後から連続して1位を取るなど、常に来場者の投票で上位をキープし続け1位を守り続けた結果である(2013年の事務所ライブ月笑には8月に移籍してきたため4回しか出場できなかったが、そのうち優勝回数3回と怒涛の強さを発揮したため年間チャート11位に入っている)。
  • 2015年7月1日放送のなら婚にて、関太が11年間交際している同棲中の彼女にプロポーズを行い成功、8月5日に入籍した。
  • 東北大学の学園祭に2007年から2015年まで9年連続出演している。これほど連続して呼ばれている理由は謎であるが、「東北大学○回生」などと毎年揶揄される。タイムマシーン3号はこのために新ネタを作ることがあるほど気合が入っており、特に関は毎年焼きまんじゅうを食すのが定例となっている。
  • M-1グランプリ2015の10日前、コンビニでミートソーススパゲティを買い階段を上っていた関が突如ぎっくり腰になった。その一方山本は酔っ払って携帯電話を道路の点字ブロック上に落として壊してしまい、応援メッセージが全く見られない状態になった。
  • M-1グランプリ2015で披露した漫才にタニタのネタが使われた事にタニタの公式Twitterが即座に反応し、ネット上で大きな話題となった[1][2]。その後、タニタからは関に体組成計とタニタカフェのコーヒーが贈られた[3]
  • M-1グランプリ2015の前日はテレビ収録後岐阜県に移動し、当日は岐阜県にてNHK「みんなDEどーもくん」の公開収録に参加していた。そのため、どのような状況でもベストなネタができるようにシチュエーションを想定し、岐阜へ向かう間の新幹線、名古屋駅の連絡通路、在来線の電車の中、関の部屋、タクシーの中などでネタを重ねた。M-1グランプリ2015当日は午後3時の時点でまだ岐阜県にいた。終演後現地を飛び出しタクシーで駅へ向かう途中、「はまったら1時間は抜けられない」渋滞に入り込みそうになったが、タクシー運転手の機転で難を逃れた。到着は18時20分であったので、リハーサルには出ておらず、トーク後はける方向も知らされていなかったが、上戸彩がはける方向を教えてくれた。[7]
  • 2015年12月11日に行われた太田プロの事務所ライブ「月笑2015クライマックスシリーズ」で、2年連続2回目の優勝を果たす。タイムマシーン3号と決勝戦で当たったインスタントジョンソンがかけたネタが、タイムマシーン3号がM-1決勝戦で披露した「何でも太らせる」ネタのパクりだったとネットニュースに掲載され波紋を呼んだ。(実際にはネタのフォーマットはタイムマシーン3号のそれと同じであったが、設定は「何でもお金持ち・貧乏にする」に変えられており、パクリというよりはオマージュというような形だった。)タイムマシーン3号は「(インスタントジョンソンが)自分たちを讃えてくれたということ」「(自分たちも直前のネタをパクり返して)盛り上がった」と前向きにフォローした。

賞レースの戦績

爆笑オンエアバトル

  • 2003年7月11日放送回にて初出場し、見事初オンエアを果たす。因みにこの回は漫才ではなくコントを披露していた。しかし、同年10月17日の放送回にて再びコントで挑戦するも結果はオフエアとなってしまい[8]、それ以降同番組内ではコントを封印し徹底して漫才を行っていた。
  • 漫才に徹してからは成績が安定していき、2004年度にはオーバー500を2回記録するなど好成績を残す。同年のチャンピオン大会にも初出場し見事ファイナルにまで進出した(結果は4位)。
  • 2005年度は4月16日の放送回(東京収録)にて537KB、さらには10月1日の放送回(山口県山口市収録)にて545KB(満点)を獲得するなど立て続けに高得点を連発し、彼らにとってまさに飛躍の年となった。
    • 因みに537KBという数字は東京収録に限定すると最高KBであり、以降この記録は(オンバト+時代も含め)番組終了まで一度も破られる事はなかった。また545KB(満点)獲得は1999年11月13日放送回にますだおかだが記録して以来、約6年振り史上2組目の快挙であった。
    • 余談だが、2007年11月16日放送回には上々軍団が史上3組目の満点を記録しており、当時タイムマシーン3号と上々軍団は事務所が同じであった(当時は両者ともアップフロントエージェンシー所属)ため、満点を叩き出した3組中2組がアップフロント所属の芸人という形になっていた(その後、タイムマシーン3号は2013年に太田プロダクションに移籍)。
  • 2009年2月19日放送の爆笑オンエアバトルで20連勝を記録。これは流れ星の20連勝に並び、歴代1位の記録(流れ星は無敗の連勝記録であり、オフエア経験者では最長)。また、同放送分でオーバー500の獲得数が9回となる。これはパンクブーブーの11回に次ぐ記録であり、歴代2位の記録。
  • 爆笑オンエアバトル第9回チャンピオン大会では、1位のNON STYLEとボール2個差でチャンピオンを逃した。ちなみに、この大会でネタを披露した直後、関は審査員に対し本音交じりの冗談からか「一か所でも面白くないところがあったらボールを流さないでください。お笑い界のレベルが下がります」と発言していた。
  • チャンピオン大会には第7回から第11回まで5年連続で出場し、全ての回においてファイナルにまで進出しているが、いずれもあと一歩の所でチャンピオンを逃していた(2位を2回、4位を2回、7位を1回記録)。2010年度は通常回にも出場しておらず、従って第12回のチャンピオン大会にも出場していない。

M-1グランプリ

  • 2003年 M-1グランプリ 準決勝進出
  • 2004年 M-1グランプリ 準決勝進出
  • 2005年 M-1グランプリ 決勝7位
  • 2006年 M-1グランプリ 準決勝進出
  • 2007年 M-1グランプリ 準決勝進出
  • 2008年 M-1グランプリ 準決勝進出
  • 2009年 M-1グランプリ 準決勝進出
  • 2010年 M-1グランプリ 準決勝進出
  • 2015年 M-1グランプリ 決勝4位
  • M-1グランプリは第5回大会(2005年)で初めて決勝進出。彼らはデブを題材としたネタを披露していたが、披露していたネタの一部である「両国デブニーランド」の「デブニーランド」、東京ディズニーランドエレクトリカルパレードのメロディを使った替え歌、「ニックーマウス」という言葉を発した部分の音声がDVDでは著作権等の関係から消されていた。
    審査員の渡辺正行からは「漫才のテクニックはあるんだけど、デブネタ一本通しなのは厳しい。見た目だけのネタになっちゃうので、もうちょっと発想とか、捻りとか、展開が欲しかったですね」中田カウスからは「ネタを細かく細かく繊細に積み上げていましたが客席の盛り上がりに欠けていた」と評され、結果は7位だった。
    また、この年からスタジオが変わったためか演出面のトラブルが多く、得点発表の際にスタッフのミスで前の順番だった品川庄司の得点[9]が表示されてしまった。これでとんだ糠喜びをかまされたメンバーはその場に崩れ落ちるほどショックを受けてしまい、本当の得点が再度表示された時には「あぁ…。これが現実ですよ…。儚い夢でしたよ」と、完全に諦めているようなコメントをしていた。ちなみに、このハプニングの箇所はDVDではカットされているため、まるで最初から結果を諦めていたかのように見えている。大会委員長の島田紳助からは「来年、再来年に期待したいですね」と激励されたが、その後は2010年に一度大会が終了するまで決勝進出はできなかった。しかし漫才師としての実力は高く評価されており、第7回M-1グランプリで準優勝したトータルテンボスはよしもとオンラインで、2010年度のM-1決勝進出者を見て「なぜ毎年タイムマシーン3号がM-1決勝に行けないのかわからない。スベる訳がない」と語ったほど高い評価をつけていた。その後、M-1リターンズ2010に出演した。
  • 第11回大会(2015年)では10年ぶり2度目の決勝進出を果たした。8番目の出番で816点を挙げ一時は上位3組に入るも、その後の敗者復活のトレンディエンジェルに抜かれて惜しくも4位に終わる。審査員を務めた石田明(NON STYLE)は「(僕と)同期なんですよ。同期で審査するのもなんか変な話なんですけど、ずっと昔から漫才観さしてもらってるんですけど、本当にいろんな形に挑戦して、こんな形見せてもらって、本当悔しいなって思うくらい笑い取ってたので、これはもう高得点入れるしかなかったですね」と高く評価した[10]。結果は4位であったが、M-1グランプリ公式サイトの視聴者投票によるランキングでは1位であった。また番組が終わった後もtwitter上でトレンディエンジェル、ジャルジャルと並んで「タイムマシーン3号」がトレンド入りし続けるなど、大きな話題になった。

オンバト+

  • 2011年7月の第1回チャンピオン大会に出場しファイナルステージに進むが、惜しくもトップリードに敗れて2位に終わる。
  • 2012年3月の第2回チャンピオン大会に出場し、2回戦でラバーガールに勝利しファイナルステージに進む。そしてファイナルステージで1位となり念願の初優勝を飾る。ちなみに、+第2回チャンピオン大会では井下好井と年間獲得キロバトルが同じ(1511KB)だったが年間最高キロバトルで井下好井の方が上だったため、視聴者投票枠でのシードエントリーとなった。
  • 2013年3月の第3回チャンピオン大会では、司会者のアシスタントとしての出演のためネタはやらなかったが、出場者へのインタビューや楽屋レポートを行った。
  • 爆笑オンエアバトル時代は殆どコントはやらず漫才に徹していたが、オンバト+では通常回でコントを披露してオンエアを勝ち取る事がしばしばあった。第2回チャンピオン大会の2回戦でもコントを披露しており、対戦相手のラバーガールに対して見事勝利を収めている。

THE MANZAI

  • 2011年の第1回は2回戦で敗退。その知らせを車で移動中に受けたが、一緒に乗っていた同じ事務所のニレンジャーが認定漫才師50組に選ばれたため、車中が微妙な空気になった。
  • 2012年の第2回で、初めて認定漫才師に選ばれた。
  • 2013年の第3回大会は、2回戦で敗退した。
  • 2014年の第4回大会も2回戦で敗退した。ちなみに、2回戦でネタの最中に関が自分がネタを飛ばしたにも関わらず山本が飛ばしたと勘違いし、小さな声で続きを教えるというちょっとしたハプニングがあった。

キングオブコント

  • 2010年、2012年と準決勝までは進出するが、決勝には至らず。
  • 2013年以降はエントリーしていない。

芸歴

  • 2000年5月頃 東京アナウンス学院のクラスの余り者同士でコンビ結成。
  • 2003年 第3回M-1グランプリ 準決勝敗退。
  • 2004年 第2回お笑いホープ大賞決勝進出。
  • 2004年 第4回M-1グランプリ 準決勝敗退。
  • 2005年 第3回お笑いホープ大賞決勝進出。
  • 2005年4月16日放送の爆笑オンエアバトルNHK総合)では東京収録最高記録の537KBを獲得。
  • 2005年10月1日放送の爆笑オンエアバトル山口収録では、ますだおかだに次ぎ番組史上2回目の満点となる545KBを獲得。同時に史上初の4連続オーバー500を達成。
  • 2005年 第5回M-1グランプリ(2005年12月25日放送)では初の決勝進出(7位)。
  • 2006年 第6回M-1グランプリ 準決勝敗退。
  • 2007年 爆笑オンエアバトル第9回チャンピオン大会ファイナル2位。
  • 2007年 第7回M-1グランプリ 準決勝敗退。
  • 2008年 爆笑オンエアバトル第10回チャンピオン大会ファイナル4位。
  • 2008年 第8回M-1グランプリ 準決勝敗退。
  • 2009年 爆笑オンエアバトル第11回チャンピオン大会ファイナル2位。
  • 2009年 第9回M-1グランプリ 準決勝敗退。
  • 2010年 第9回漫才新人大賞優秀賞受賞。
  • 2010年 キングオブコント2010 準決勝敗退。
  • 2010年 第10回M-1グランプリ 準決勝敗退(予選12位)。
  • 2011年 オンバト+第1回チャンピオン大会ファイナルステージ2位。
  • 2012年 キングオブコント2012 準決勝敗退。
  • 2012年 オンバト+第2回チャンピオン大会 優勝。
  • 2012年 THE MANZAI 2012の認定漫才師50組に選ばれる。
  • 2012年10月1日付で、所属事務所をアップフロントエージェンシーから同系列のジェイピィールームに変更。
  • 2013年6月末をもって、ジェイピィールームがお笑い事業から撤退したことにより、アップフロントグループから離脱。
  • 2013年8月1日付で、太田プロダクションに所属。
  • 2015年 第11回M-1グランプリ(2015年12月6日放送)にて10年ぶり2度目の決勝進出(4位)。

出演

テレビ番組

テレビアニメ

ラジオ番組

イベント

  • 就活生のためのSNS「JOB-SHIP」の就活ひとやすみ交流会(2006年3月20日)
  • CHEMICAL BUMP SHOW!!(2012年7月6日:大阪、7月7日:名古屋、7月13日:東京・渋谷) - 山中さわおのライブイベント

CM

DVD

  • 「青春18キック」(2005年3月25日、ジェネオン エンタテインメント)
  • 「マジ☆ワラ」vol.5(フォーサイド・ドット・コム
  • 「メリッサに恋して」(2006年9月6日、ソニー・ミュージックディストリビューション)
  • 「メトロ鉄道の夜」(2011年2月2月23日、よしもとアール・アンド・シー)
  • 「ひまわり畑でつかまえて」(2012年2月22日、よしもとアール・アンド・シー)
  • 「ROAR! FLASH! AND MEMORIES 2013.06.02 at Shibuya O-EAST “Buzzy Roars Tour"」※山中さわおのライブDVD。特典が2012年7月13日のCHEMICAL BUMP SHOWである(2013年9月16日発売、DELICIOUS LABEL)

CD

  • 「愛は勝つ」(2011年6月22日、アップフロントグループによる復興応援プロジェクト「がんばろうニッポン 愛は勝つ シンガーズ」に参加)
  • 「BEAT&LOOSE」(2013年10月2日、中島卓偉アルバム2曲目「サイトウダイスケ~all good adults go to heaven?~」にMCで参加)

脚注

  1. ^ a b タイムマシーン3号、太田プロに所属!前田敦子の新曲に困惑も「神が降りた」 - マイナビニュース・2013年8月1日
  2. ^ 2012年9月27日発売「ソフトダーツバイブルVol.36」
  3. ^ タイムマシーン3号・関が結婚「幸せを噛みしめたい」”. ORICON (2015年8月5日). 2015年8月6日閲覧。
  4. ^ 2012年4月30日・5月7日放送FM-FUJI「YOYOGI PIRATES タイムマシーン3号のやりすぎマンデーズ」
  5. ^ 2013年6月24日放送FM-FUJI 「YOYOGI PIRATES タイムマシーン3号のやりすぎマンデーズ」
  6. ^ 2014年6月8日の有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER
  7. ^ 2015年12月25日、2016年1月9日放送『タイムマシーン3号の俺たちの穴』(FM-FUJI)
  8. ^ 結果的にこれが「オンバト+」時代も含め、通常回では唯一の敗戦となる
  9. ^ 「626 / 700点」。タイムマシーン3号の得点は「571点」だった。
  10. ^ 一方でこの結果を受けて敗退したスーパーマラドーナの武智正剛は「俺らも同期やろ!」と抗議した。

外部リンク

旧ブログ