大楠道代

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おおくす みちよ
大楠 道代
本名 大楠 道代(旧姓:安田)
別名義 安田 道代
生年月日 (1946-02-27) 1946年2月27日(78歳)
出生地 中国天津市
国籍 日本の旗 日本
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ演劇
活動期間 1964年 -
配偶者 大楠裕二
主な作品
テレビドラマ
大江戸捜査網
映画
痴人の愛
ツィゴイネルワイゼン
BU・SU

座頭市
赤目四十八瀧心中未遂
大鹿村騒動記
 
受賞
日本アカデミー賞
最優秀助演女優賞
1980年ツィゴイネルワイゼン
優秀助演女優賞
2000年
2003年座頭市
2005年春の雪
ブルーリボン賞
その他の賞
TAMA映画祭
最優秀作品賞

2016年団地
特別賞
2011年大鹿村騒動記
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大楠 道代(おおくす みちよ、1946年昭和21年〉2月27日 - )は、日本女優中国天津市出身。旧姓は安田。

来歴・人物[編集]

武庫川女子大学附属中学校・高等学校を経て、武庫川学院短期大学国文科に進学した。

1964年、大学在学中に日活にスカウトされ、在学のまま吉永小百合主演の映画『風と樹と空と』で本名の安田 道代でデビュー。翌年、知人に勝新太郎を紹介され、勝にその才能を惚れ込まれて大映と正式に契約。短大を中退し、本格的に女優に専念。大映宣伝部は山本富士子の再来と大々的に売り出す。

入社第1作は若尾文子主演の『処女が見た』で、勝の実兄の城健三朗と共演した。これが成功してスター女優として歩みだす。城とは実生活で恋仲になったという。

1967年、『痴人の愛』でナオミ役を演じたのをきっかけに、青春スター路線から異色演技派女優に転身。1968年から1969年にかけて低予算の「秘録おんな」シリーズ、「関東おんな」シリーズなどの「エログロ・異色時代劇路線」と呼ばれる一連のシリーズに主演。また一方で、勝新太郎や市川雷蔵の相手役を演じる。大映の経営が傾くなか、官能路線からくノ一役まで、様々な役をこなした。『笹笛お紋』(1969年)では女版「木枯らし紋次郎」、『女左膳濡れ燕片手斬り』(1969年)では女版「丹下左膳」を演じている。

1968年タイの首都バンコク2月11日から15日まで開催された「バンコク日本映画週間」にいしだあゆみ大原麗子早瀬久美山本陽子ら女優陣の一人として出席。初日には同国のプミポン国王シリキット王妃が出席し『日本のいちばん長い日』を鑑賞した。

1971年、大映倒産前に退社しフリーとなり、若手ながら成熟した大人の女性を数多く演じた。

1976年に日本のデザイナー・ブランドの先がけ「ビギ」の設立者のひとりである大楠裕二と結婚し、芸名も大楠道代に改名した。1980年代のビギの全盛期には、ビギの役員であるため俳優タレント部門の長者番付の上位に並ぶこともあった。

1980年に公開された映画『ツィゴイネルワイゼン』で日本アカデミー賞ほか数多くの映画賞を獲得した。

阪本順治作品に常連起用されており、演技派女優として活躍。

主な出演[編集]

映画[編集]

1964年
1966年
1967年
1968年 
1969年
1970年
1971年
1972年
1973年
1974年
1974年
1980年
1981年
1984年
1987年
1990年
1991年
1998年
2000年
2003年
2005年
2008年
2010年
2011年
2012年
2016年
2020年

テレビドラマ[編集]

演劇[編集]

音楽[編集]

シングル
作詞:星野哲郎、作曲:鏑木創

受賞[編集]

日本アカデミー賞[編集]

  • 第4回(1980年) 最優秀助演女優賞 『ツィゴイネルワイゼン』
  • 第24回(2000年) 優秀助演女優賞 『顔』
  • 第27回(2003年) 優秀助演女優賞 『座頭市』
  • 第29回(2005年) 優秀助演女優賞 『春の雪』

キネマ旬報賞[編集]

  • 第54回(1980年) 助演女優賞 『ツィゴイネルワイゼン』
  • 第72回(1998年) 助演女優賞 『愚か者 傷だらけの天使』
  • 第74回(2000年) 助演女優賞 『顔』
  • 第77回(2003年) 助演女優賞 『赤目四十八瀧心中未遂』『座頭市』

毎日映画コンクール[編集]

  • 第58回(2003年) 女優助演賞 『赤目四十八瀧心中未遂』『座頭市』
  • 第66回(2011年) 田中絹代賞 

ブルーリボン賞[編集]

  • 第46回(2003年) 助演女優賞 『赤目四十八瀧心中未遂』『座頭市』

その他[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]