三好匠

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三好 匠
広島東洋カープ 一軍内野守備・走塁コーチ #90
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県北九州市戸畑区
生年月日 (1993-06-07) 1993年6月7日(30歳)
身長
体重
174 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2011年 ドラフト3位
初出場 2013年7月15日
最終出場 2022年8月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 広島東洋カープ (2024 - )

三好 匠(みよし たくみ、1993年6月7日 - )は、福岡県北九州市戸畑区出身の元プロ野球選手内野手、右投右打)、プロ野球コーチ

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

北九州市立大谷小学校時代は大谷スポーツ少年団[1]北九州市立大谷中学校時代は軟式野球部に所属していた。中学3年夏にエースとして全国大会に出場し、初戦でノーヒットノーランを達成するなどの活躍で全国3位。また、福岡県選抜に選ばれ、4番エースとして秋のKボール全国大会で優勝に貢献した[2]

九州国際大付高校への進学後は、1年夏から外野手として第91回全国高等学校野球選手権大会に福岡県代表として出場。2年秋からは投手を兼任する。3年春の第83回選抜高等学校野球大会では、エースとして髙城俊人とバッテリーを組み5試合全てを一人で投げ抜き準優勝に輝いた。また、打撃でも2本塁打を放った。同年の夏の甲子園では、初戦となった2回戦で岡山県代表の関西高校に延長12回の末2-3xでサヨナラ負けを喫した。甲子園通算成績は56回、防御率2.73、38奪三振。野手としては9試合で打率.303、2本塁打。高校通算22本塁打。野球部の同期には児玉龍也、髙城俊人。1学年先輩には榎本葵。2学年先輩には河野元貴。1学年後輩には古長拓がいる。

2011年10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから3位指名を受け、契約金4000万円、年俸600万円で契約に合意した[3]背番号2。投手としての指名だったが、入団と同時に、内野手への転向[3]遊撃手への挑戦を表明した[4]

楽天時代[編集]

楽天時代
2013年7月18日、こまちスタジアムにて

2012年は、体格と守備力の強化に専念すべく、二軍生活に終始した。イースタン・リーグ公式戦では、遊撃手二塁手三塁手として58試合に出場。故障で一時戦線を離脱したが、打率.250、4本塁打を記録した。

2013年は、イースタン・リーグの前半戦で打率.276、2本塁打、20打点を記録するほどの好調を買われて、7月にプロ入り後初めて一軍に昇格。7月14日の対埼玉西武ライオンズ戦(Kスタ宮城)8回裏に、遊撃手として一軍デビューを果たした[5]。また、フレッシュオールスターゲームに出場を予定していたチームメイトの西田哲朗が故障で出場を辞退したため、代替選手として出場した[6]

2014年は、9月29日にシーズン初の一軍昇格。10月1日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では、一軍で初めて先発出場すると、吉川光夫からの二塁打で一軍初安打を記録した[7]。イースタン・リーグ公式戦では13本塁打、60打点(いずれもリーグ3位)を記録するとともに、同リーグの優秀選手賞を受賞した。シーズン終了後に開かれた第1回U-21野球ワールドカップには、日本代表のメンバーとして出場。主に三塁手として活躍した[7]

2015年は、一軍の主力野手が相次いで故障や不振に見舞われるというチーム状況の下で、6月12日にシーズン初の出場選手登録。6月21日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)に「9番・三塁手」として先発出場すると、2回裏の打席に、大嶺祐太からの安打で一軍初打点を記録した。一軍公式戦全体では、9試合の出場で打率.207にとどまったが、二塁打と三塁打を初めて放った。オフに背番号を57へ変更[8]

2016年は、藤田一也の故障で4月13日にシーズン初の出場選手登録を果たしたが、一軍公式戦1試合に出場しただけで、いったん登録を抹消された。7月12日にシーズン3度目の出場選手登録。7月23日の対ロッテ戦で関谷亮太から一軍初本塁打を放つと、7月24日の対福岡ソフトバンクホークス戦(いずれも楽天Koboスタジアム宮城)で一軍初の猛打賞を記録した。以降は、シーズン終了まで一軍に帯同。一軍公式戦には、自己最多の38試合に出場するとともに、3本塁打、6打点という成績を残した。オフの10月12日に第1回WBSC U-23ワールドカップ日本代表に選出され[9]、10月22日に代表主将に就任[10]。チームは優勝し金メダルを獲得している[11]

楽天時代
(2016年 さいたま市営浦和球場にて)

2017年は開幕から一軍に帯同し、ほぼ途中出場ながら5月終了時点で20打数9安打と打撃好調であった。茂木栄五郎が離脱すると、打撃の調子は崩しつつも7月にかけて一時期ながら遊撃手に定着した。しかし、7月末から新外国人のルイス・クルーズが起用されるようになると出場機会が減少し、8月4日に自打球で左足甲を骨折したため、残りのシーズンを全て棒に振った[12]。オフに背番号を24へ変更した[13]

広島時代[編集]

2019年7月2日、下水流昂との交換トレードで広島東洋カープへ移籍した。背番号は35[14]

2019年7月23日 マツダスタジアムにて

移籍後は主に三塁手として先発起用が増え、8月20日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、自身初となるサヨナラ適時打を放った[15]。また、内野の守備固めとしても多く起用された。

2020年は、開幕から一軍に帯同。

2023年は一軍出場がなく、シーズンオフに戦力外通告を受け、現役を引退した[16]

現役引退後[編集]

2024年からは、広島の一軍内野守備・走塁コーチを務める[17]

選手としての特徴・人物[編集]

高校時代は140km/h台の速球と右打者にはスライダー、左打者にはチェンジアップを有効に使ったコンビネーションを武器に投手として活躍した。また、甲子園で本塁打を放ったように当時から野手としての評価は高く[18]、高校通算打率.354、23本塁打の左右に打ち分けるバッティング技術と[18][19]50メートル5.8秒の俊足を誇る[19]。内野守備では、グラブさばき、守備範囲、肩の強さ[20]、送球の安定感がトップクラスと評されており[21]三塁手を中心に内野全ポジションをこなす[22]一塁手に送球する際は、敢えてシュート回転をかけており、三好は「シュート回転の方が一塁手は捕りやすいと思う。その逆のカット回転だと急に変化するから、捕球するのが難しい」と語っている[23]

理想の打者として、井口資仁のような右方向に長打を打てる打者を挙げている[24]

苗字の三好と広島県の三次市と呼び方が同じということもあり、愛称は同市名物のブドウにちなんだ「ピオーネ[25]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2013 楽天 6 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2014 3 7 7 1 2 2 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .286 .286 .571 .857
2015 9 33 29 2 6 1 1 0 9 3 0 0 2 0 1 0 1 9 1 .207 .258 .310 .568
2016 38 70 63 11 14 0 0 3 23 6 0 0 2 0 5 0 0 16 1 .222 .279 .365 .644
2017 56 115 103 12 25 9 0 1 37 9 0 1 4 1 7 0 0 27 1 .243 .288 .359 .648
2018 70 54 48 5 5 0 1 0 7 0 0 1 3 0 3 0 0 15 2 .104 .157 .146 .303
2019 17 4 4 0 1 0 0 0 1 1 1 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .250 .500
広島 43 92 77 9 14 1 0 2 21 7 1 0 6 0 9 2 0 28 1 .182 .267 .273 .540
'19計 60 96 81 9 15 1 0 2 22 8 2 0 6 0 9 2 0 29 1 .185 .267 .272 .538
2020 62 29 24 3 3 0 0 0 3 2 0 0 2 1 2 0 0 5 0 .125 .185 .125 .310
2021 64 13 11 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 4 0 .000 .000 .000 .000
2022 10 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:10年 378 423 372 44 70 13 2 6 105 28 2 2 21 2 27 2 1 110 6 .188 .244 .282 .526

年度別守備成績[編集]



二塁 三塁 遊撃




































2013 楽天 - 2 0 0 0 0 ---- 4 2 3 0 0 1.000
2014 2 3 2 0 0 1.000 1 1 2 0 0 1.000 -
2015 6 12 21 0 6 1.000 3 0 2 0 0 1.000 2 2 5 0 1 1.000
2016 17 17 18 1 1 .972 2 0 0 0 0 ---- 17 21 44 1 10 .985
2017 13 7 12 1 2 .950 5 0 1 0 0 1.000 40 46 80 2 19 .984
2018 15 10 8 0 3 1.000 9 0 4 1 1 .800 49 16 49 1 6 .985
2019 1 0 1 0 0 1.000 - 15 3 4 0 0 1.000
広島 5 1 2 0 0 1.000 26 11 17 0 3 1.000 17 16 25 2 6 .953
'19計 6 1 3 0 0 1.000 26 11 17 0 3 1.000 32 19 29 2 6 .960
2020 1 1 1 0 1 1.000 53 9 24 1 0 .971 5 4 8 0 2 1.000
2021 13 2 4 0 0 1.000 54 4 12 1 0 .941 2 2 2 0 1 1.000
2022 1 1 1 0 0 1.000 7 0 0 0 0 ---- 1 0 0 0 0 ----
通算 74 54 70 2 13 .984 162 25 62 3 4 .974 152 112 220 6 45 .982

記録[編集]

初記録

背番号[編集]

  • 2(2012年 - 2015年)
  • 57(2016年 - 2017年)
  • 24(2018年 - 2019年7月3日[14]
  • 35(2019年7月4日[14] - 2023年)
  • 90(2024年 - )

登場曲[編集]

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 三好 匠|侍ジャパン選手プロフィール”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト. 2023年11月25日閲覧。
  2. ^ 諦めの夏・・・甲子園ウォッチ!”. ベースボール北海道 ストライク. DAIの白球ウォッチ! (2011年8月15日). 2023年11月25日閲覧。
  3. ^ a b 楽天 ドラ3の三好と合意、内野手として選手登録へ」『Sponichi Annex』、2011年11月21日。2012年1月14日閲覧。
  4. ^ センバツ準V腕は遊撃手転向 三好「松井選手のように」」『Sponichi Annex』、2012年1月13日。2012年1月14日閲覧。
  5. ^ 星野監督 6カードぶり負け越しにオリ戦へ闘志「勝ち越すから」」『Sponichi Annex』、2013年7月15日。2013年7月17日閲覧。
  6. ^ 楽天西田7・18フレッシュ球宴出場辞退」『日刊スポーツ』、2013年6月20日。2013年6月22日閲覧。
  7. ^ a b 【楽天】三好「1軍スタートを目指して」現状維持でサイン」『スポーツ報知』、2014年11月29日。2015年3月14日閲覧。オリジナルの2014年12月1日時点におけるアーカイブ。
  8. ^ 背番号変更について 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2015年11月29日)
  9. ^ 「第1回 WBSC U-23ベースボールワールドカップ」に出場する侍ジャパンU-23代表選手が決定」『野球日本代表オフィシャルサイト』、2016年10月12日。2016年10月12日閲覧。
  10. ^ U-23侍ジャパンが始動!初代王者へ向けて「元気ハツラツ」で結束する 野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト (2016年10月22日) 2016年11月4日閲覧
  11. ^ No. 1 Japan crowned World Champions, defeat No. 15 Australia in Final of WBSC U-23 Baseball World Cup WBSC | World Baseball Softball Confederation (英語) (2016年11月6日) 2016年11月7日閲覧
  12. ^ 【楽天】故障・茂木の代役・三好が左足甲骨折 故障者続出に梨田監督「痛いね」”. スポーツ報知 (2017年8月4日). 2017年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月10日閲覧。
  13. ^ 背番号の変更に関して東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2017年12月5日)
  14. ^ a b c トレード | 2019年度公示 | NPB.jp 日本野球機構”. 2019年7月4日閲覧。
  15. ^ 広島・三好、8年目で初サヨナラ打 4連覇「まだ諦めてない」野間&誠也の手荒い祝福に「うわ~っ!」」『スポーツニッポン』、2019年8月20日。2019年8月21日閲覧。
  16. ^ カープ三好引退「ピオーネ」お疲れさま 「いい話をいただいた」球団に残って第2の人生」『デイリースポーツ』、2023年10月9日。2023年11月3日閲覧。
  17. ^ 広島が来季のコーチングスタッフを発表 戦力外の三好匠が内野守備・走塁コーチに就任”. Full-Count (2023年11月24日). 2023年11月24日閲覧。
  18. ^ a b 三好匠 センバツ準優勝右腕もバッティングが魅力」『Sponichi Annex』、2011年10月27日。2012年1月14日閲覧。オリジナルの2011年10月29日時点におけるアーカイブ。
  19. ^ a b センバツ準V腕は野手転向…三好、稼頭央に弟子入り志願」『Sponichi Annex』、2011年11月2日。2012年1月14日閲覧。
  20. ^ 広島・三好匠内野手 守備固めで好守連発、サードの「匠」/切り札はオレだ! | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2020年10月15日). 2021年7月19日閲覧。
  21. ^ 洋介, 河合 (2020年4月28日). “広島・三好匠と石原貴規 送球を“シュート回転”で曲げるふたりの秘密”. 文春オンライン. p. 1. 2021年7月19日閲覧。
  22. ^ 広島・三好 一塁にも挑戦 “守備の匠”真のユーティリティー内野手へ”. デイリースポーツ (2020年12月20日). 2021年7月19日閲覧。
  23. ^ 洋介, 河合 (2020年4月28日). “広島・三好匠と石原貴規 送球を“シュート回転”で曲げるふたりの秘密”. 文春オンライン. p. 2. 2021年7月19日閲覧。
  24. ^ 「ファームインタビュー」『週刊ベースボール』2012年7月23日号、ベースボール・マガジン社、64-65頁、雑誌20444-7/23。 
  25. ^ 我善導の“週刊”カープTシャツコレクション~35枚目~守備職人が魅せたプロ初のサヨナラ打。「諦めない」気持ちが凝縮した記念の1枚”. 広島アスリートマガジン (2021年10月23日). 2021年12月18日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]