テーレゴノス
テーレゴノス(古希: Τηλέγονος, Tēlegonos, 英: Telegonus)は、ギリシア神話の人物である。「遠くで生まれた者」の意。長母音を省略してテレゴノスとも表記される。イタケー島の王オデュッセウスとアイアイエー島の魔女キルケーの息子で[1][2][3]、アグリオスとラティーノス[4]、あるいはナウシトオスと兄弟[5]。よってテーレマコスの異母弟にあたる。
テーレゴノスは誤って父オデュッセウスを殺した後、オデュッセウスの妻であったペーネロペーの夫になったとされる。テーレゴノスはホメーロスの叙事詩『オデュッセイアー』には登場しないが、その物語は『オデュッセイアー』以降を描いた叙事詩『テーレゴネイアー』で語られていたと伝えられている[6]。
神話
[編集]散逸した『テーレゴネイアー』の内容を伝えるプロクロスによると、テーレゴノスはオデュッセウスがアイアイエー島を去ったのち、キルケーからオデュッセウスの息子として生まれた。テーレゴノスは島でキルケーによって育てられ、ヘーパイストスが制作した毒があるアカエイの棘を穂先に付けた槍を授けられた。テーレゴノスは成長するとオデュッセウスに会いに行ったが、イタケーに漂着したテーレゴノスはそこがどこであるか分からず、空腹に耐えかねて家畜を襲い、家畜を守るために現れた老人を父オデュッセウスとは気づかずに殺してしまった。殺した男が自分の父親だと知ったテーレゴノスは、オデュッセウスの遺体と、異母兄テーレマコス、その母ペーネロペーを伴ってアイアイエー島に戻った。オデュッセウスを島に埋葬すると、キルケーは3人に不死を与え、キルケーはテーレマコスと、テーレゴノスはペーネロペーと結婚した[6]。
現在知られている限りで、この物語を扱った最古の文学作品はソポクレースの現存しない悲劇『エイの棘に刺されたオデュッセウス』である[7]。この作品ではソポクレースは『テーレゴネイアー』をもとに劇を構成したと考えられている[8]。他の文献でも大要において『テーレゴネイアー』と同じ話形であり、アポロドーロス[9]、オッピアノス[10]、ヒュギーヌスをはじめ[3]、『オデュッセイアー』11巻134行への古注、リュコプローン(796f)、セルウィウス『アエネーイス注解』2巻44行に伝えられる[7]。
アポロドーロスなどの文献によると、テーレゴノスがオデュッセウスを殺すのに用いた武器は、他ならぬ母キルケーから授かったアカエイの毒を持つ槍であった[9]。オッピアノスもこれとほとんど同じ伝承を伝えている。魚類や海洋生物に関する教訓を散文で綴った『漁夫訓』(Halieutica)において、オッピアノスはアカエイの毒の恐ろしさを語る過程でテーレゴノスの物語を取りあげ、アカエイの毒はあらゆる苦難を乗り越えたオデュッセウスを一撃で倒したと語っている。オッピアノスによると槍のためにアカエイの棘をテーレゴノスに与えたのは、毒に精通したキルケーであった[10]。
ヒュギーヌスもほぼ同じであるが、アカエイの毒については言及していない。またテーレゴノスがオデュッセウスと戦ったとき、異母兄テーレマコスがオデュッセウスに加勢したとしている。父と知らずにオデュッセウスを殺したのち、アテーナーに命じられてテーレマコス、ペーネロペーとともにアイアイエー島に帰り、オデュッセウスを島に埋葬した後、テーレマコスはキルケーと、テーレゴノスはペーネロペーと結婚した。そしてキルケーとテーレマコスからラティーノスが生まれ、テーレゴノスとペーネロペーからイタロスが生まれ、ラティーノスはラテン語に、イタロスはイタリア半島に名前を残したと述べている[3]。
アポロドーロスの摘要の簡略化された記述によると、テーレゴノスがアイアイエー島に連れて帰ったのはオデュッセウスの遺体とペーネロペーのみであり、テーレゴノスとペーネロペーの結婚については言及しているが、テーレマコスとキルケーの結婚については言及していない。テーレゴノスとペーネロペーが結婚すると、2人はキルケーによって至福の人々が暮らす島に送られたという[9]。
テーレゴノスはイタリア半島のいくつかの都市の創建者と伝えられている。オウィディウスは『祭暦』の中で、テーレゴノスがイタリアに都市を創建したと述べているが[11][12]、これはトゥスクルムのことであるという[13]。
プルタルコスによると、テーレゴノスは父を探す旅に出たとき、アポローンの神託により、花冠を被った農民たちが踊っているのを見た場所に都市を建設するよう告げられた。その後、テーレゴノスはイタリア半島に上陸した際に、農民たちがトキワカシの枝を編んで作った花冠を被って踊っているのを見た。そこでテーレゴノスはその地にプリニストゥムを創建した。ローマ人がプラエネステ(現在のパレストリーナ)と呼んだ都市の名前はこのプリニストゥムが変化したものという[14][15]。
解釈
[編集]テーレゴノス(遠くで生まれた者の意)という名前はテーレマコス(遠くで戦う者の意)と平行関係にある。テーレマコスの名前はオデュッセウスがトロイア戦争に参加した伝説を表わす名前であるのに対して、テーレゴノスの名前は父親の故郷から遠く離れた場所で生まれるという出自、オデュッセウスの帰国に関する冒険譚を表わす名前である[7]。父親と遠く離れた場所で成長した息子がたがいの正体に気づかずに戦うというモチーフは印欧語族に広く分布している。オデュッセウスとテーレゴノスの他にも、テーバイ伝説のラーイオスとオイディプース、インドの叙事詩『マハーバーラタ』のアルジュナとその息子バブルヴァーハナ、イランの叙事詩『王書』のロスタムと息子ソフラーブ、ケルトの英雄クー・フーリンと息子コンラ、ゲルマンの英雄詩『ヒルデブラントの歌』に登場するヒルデブラントとハドゥブラントなどが知られている[16]。このうち息子が父を殺す話形を取っているのはオデュッセウスとラーイオス、アルジュナであり、ロスタムとクー・フーリンは逆に父親が自分の息子を殺す話形を取っている。
すでに繰り返し指摘されているように、オデュッセウスがテーレゴノスと戦って死ぬという結末は『オデュッセイアー』11巻134行-135行におけるテイレシアースの亡霊の予言、「海から離れた場所(つまり陸地)で安らかな死が訪れる」と矛盾している。この点についてテイレシアースの予言の曖昧な表現に着目し、『テーレゴネイアー』の結末が必ずしも『オデュッセイアー』と矛盾しないことが指摘されている[7][17]。「海から離れた場所で」(ἐξ ἁλός)の部分は「海から」と解釈でき、問題のテイレシアースの予言は「海から安らかな死が訪れる」、海洋生物の毒の武器を持ったテーレゴノスの海の向こうからの来訪による死を暗示させる。これは『オデュッセイアー』以前にテーレゴノスの伝承が成立しており、『オデュッセイアー』の詩人はそれを知っていたことを想定させる[7][17]。また『オデュッセイアー』にテーバイの予言者テイレシアースが登場することや、『イーリアス』および『オデュッセイアー』にオイディプースに関する言及があることから、オデュッセウスの帰国譚がテーバイの伝説と結び付けられていたと指摘されている。テーレゴノスが自らの手で殺した父の妻ペーネロペーと結婚することはオイディプース伝説の影響によるものと考えられる[7][17]。
系図
[編集]ケパロス | プロクリス | ペルセウス | アンドロメダ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルケイシオス | アウトリュコス | オイバロス | ゴルゴポネー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラーエルテース | アンティクレイア | テュンダレオース | イーカリオス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
クティメネー | カリディケー | オデュッセウス | ペーネロペー | イプティーメー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カリュプソー | キルケー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ナウシトオス | ナウシノオス | ポリュポイテース | テーレマコス | ラティーノス | テーレゴノス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その他のテーレゴノス
[編集]脚注
[編集]- ^ ヘーシオドス、1014行。
- ^ アポロドーロス、摘要(E)7・16。
- ^ a b c ヒュギーヌス、127話。
- ^ ヘーシオドス、1011行-1013行。
- ^ ヒュギーヌス、125話。
- ^ a b プロクロス『文学便覧』「テーレゴネイアー梗概」。
- ^ a b c d e f 岡道男 「ホメロスと叙事詩の環」第6章テレゴネイア。
- ^ 『ギリシア悲劇全集11 ソポクレース断片』p.210。
- ^ a b c アポロドーロス、摘要(E)7・36。
- ^ a b オッピアノス、2巻497行- 502行。
- ^ オウィディウス『祭暦』3巻92行。
- ^ オウィディウス『祭暦』4巻71行。
- ^ 高橋宏幸訳注、p.291。
- ^ プルタルコス『モラリア』316A。
- ^ 庄子大亮 2002年、p.143-144。
- ^ West, Indo-European Poetry and Myth. 11.King and Hero.
- ^ a b c 安村典子「『オデュッセイア』21巻の弓競技におけるテーレマコス」。
- ^ アポロドーロス、2巻1・3。
- ^ アポロドーロス、2巻5・9。
参考文献
[編集]- アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
- アラトス/ニカンドロス/オッピアノス『ギリシア教訓叙事詩集』伊藤照夫訳、京都大学学術出版会(2007年)
- オウィディウス『祭暦』高橋宏幸、国文社(1994年)
- 『ギリシア悲劇全集11 ソポクレース断片』「エイの棘に刺されたオデュッセウス」根本英世訳、岩波書店(1991年)
- ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』松田治・青山照男訳、講談社学術文庫(2005年)
- ヘシオドス『神統記』廣川洋一訳、岩波文庫(1984年)
- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、岩波書店(1960年)
- 岡道男『ホメロスと叙事詩の環』 京都大学、1977年。 NAID 500000297187 。
- 安村典子「『オデュッセイア』21巻の弓競技におけるテーレマコス」『西洋古典学研究』第55巻、日本西洋古典学会、2007年、24-37頁、doi:10.20578/jclst.55.0_24、hdl:2297/32417、ISSN 0447-9114。
- 庄子大亮「古代ギリシア周辺世界における英雄伝説の受容」『史林』第85巻第2号、史学研究会 (京都大学文学部内)、2002年、125-156頁、doi:10.14989/shirin_85_125、hdl:2433/239687、ISSN 0386-9369。
- Martin Litchfield West, Indo-European Poetry and Myth. Oxford University Press (2007)