川内優輝

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川内優輝 Portal:陸上競技
Kawauchi20111030osakaM.jpg
大阪マラソン2011での川内(右)
選手情報
フルネーム かわうち ゆうき
ラテン文字 Yuki Kawauchi
国籍 日本の旗 日本
種目 長距離走マラソン
所属 埼玉県庁
生年月日 1987年3月5日(29歳)
出身地 日本の旗 埼玉県北葛飾郡鷲宮町(現・久喜市
東京都世田谷区生まれ)
身長 172cm[1]
体重 59kg[1]
自己ベスト
1500m 3分50秒51 (2012年)
5000m 13分58秒62 (2012年)
10000m 29分02秒33 (2010年)
ハーフマラソン 1時間02分18秒 (2012年)
30km 1時間29分31秒 (2013年)
マラソン 2時間08分14秒 (2013年)
50km 2時間44分07秒 (2016年)
 
獲得メダル
男子陸上競技
アジア競技大会
2014年 仁川 マラソン
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川内 優輝(かわうち ゆうき、1987年3月5日 - )は、埼玉県地方公務員陸上競技選手。専門競技は、長距離走マラソン等。

以前は埼玉陸上競技協会に所属していたが、後に埼玉県庁走友会が陸協登録をし、現在は埼玉県庁に所属。公務員かつ非実業団の「市民ランナー」としての活躍が注目を集める。

2011年世界陸上大邱大会2013年世界陸上モスクワ大会男子マラソン日本代表(共に18位)、2014年仁川アジア競技大会男子マラソン銅メダリスト

来歴[編集]

生い立ちから大学時代まで[編集]

東京都世田谷区生まれ[2]埼玉県北葛飾郡鷲宮町(現・久喜市)出身[3]。父親は島根県隠岐島の出身であり[4][5]、高校時代に国体にも出場したアマチュアボクサーであった。優輝は3人兄弟の長男に当たり、2人の実弟である次男・川内鮮輝(よしき・國學院大學卒業)と三男・川内鴻輝(こうき・高崎経済大学卒業)も学生時代陸上部に所属し[6]、現在は3兄弟揃って市民ランナーとして活動中。

小学校入学前に世田谷区から鷲宮町へ転居[4]。鷲宮町立鷲宮中学校(現・久喜市立鷲宮中学校[7]埼玉県立春日部東高等学校を経て学習院大学法学部政治学科に進学[8]

高校時代は、県大会レベルの選手だったが故障を繰り返していた(詳細は人物・エピソードにて後述)、学習院大学時代に関東学連選抜の選手として箱根駅伝競走に2度出場、学習院大学の在学生では史上初めて箱根路を出走となる[9]2007年(平成19年)は6区を区間6位[10]2009年(平成21年)は6区を区間3位の成績だった。また2008年(平成20年)にはニューカレドニア国際マラソンのハーフマラソン男子の部で優勝している[11]

自身初のフルマラソンは、学習院大学卒業前の2009年2月の別府大分毎日マラソンで20位。それから1か月後の2009年3月の東京マラソン2009では19位に入っている。

市民ランナーとして[編集]

大学卒業後には陸上の実業団には進まず、当時陸上部のなかった埼玉県庁に入庁。埼玉県立春日部高等学校定時制に埼玉県職員(埼玉県教育局主事)として勤務する傍ら練習を続け[12]、「市民ランナー」として大会に参加。2010年1月10日の第11回谷川真理ハーフマラソンでは1時間6分49秒で優勝[13]東京マラソン2010では優勝した藤原正和と17秒差の2時間12分36秒で4位に入った[14][15]。当時は埼玉陸上競技協会所属として出場していた(後に川内の活躍を受ける形で埼玉県庁走友会が陸協登録をし、現在は埼玉県庁所属となっている)。

2011年1月23日には、第16回天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会に埼玉代表で7区・アンカーで出場(区間41位・総合37位)。2011年2月6日の第65回香川丸亀国際ハーフマラソンでは当時ハーフマラソンの自己ベスト記録をマークし9位。

世界陸上(大邱大会)初出場[編集]

同年2月27日の東京マラソン2011では、過去世界陸上選手権男子マラソン代表の入船敏藤原新らを抑え、さらに終盤追い上げ39Km地点で尾田賢典サイラス・ジュイケニア)を追い越した後も懸命にラストスパート、当時自己ベスト記録を約4分更新する2時間8分台をマークし、日本人トップとなる3位に入った。これで「2時間9分30秒を切って日本人トップ」という日本陸上競技連盟の代表選考基準をクリアしたため、2011年9月開催の世界陸上大邱大会の男子マラソン日本代表に内定した[16]

その世界陸上大邱大会男子マラソン本番では、レース前半は先頭集団の一番前の方を走る積極性を見せたが、16km付近で集団から脱落。一時は30位前後まで下がったが、30kmを過ぎ順位を上げた結果、日本人三番手の18位でフィニッシュ[17]。ゴール直後は東京マラソン2011同様に昏倒して担架に運ばれ、インタビューを受ける事は出来なかった(日本人首位は堀端宏行の7位入賞、二番手は中本健太郎の10位)[18]

同年10月30日に開催の第1回大阪マラソンは、日本男子ではトップとなる4位だった。同年12月4日、翌2012年8月開催のロンドンオリンピック国内選考レースの福岡国際マラソンに出場。中間点付近で一旦は日本人争いの集団から遅れるも徐々に追い上げ、36Km過ぎで今井正人前田和浩に追いつき、その後二人をかわして日本人トップの2時間10分を切るタイムをマーク、3位でゴール。その福岡国際からわずか2週間後の同年12月18日に防府読売マラソンへ出場。フルマラソンでは3大会連続で日本人首位の成績だったが、同大会2連覇のセルオド・バトオチルモンゴルNTN所属)に突き放され2位でゴールした。

ロンドン五輪日本代表落選[編集]

2012年2月5日の第66回香川丸亀国際ハーフマラソンでは27位ながらも、前年の同大会を22秒上回る自己ベストを達成。ロンドンオリンピック国内選考会再挑戦となる同年2月26日の東京マラソン2012で、日本人トップと自己記録を目指して出走したが、23Km過ぎで日本人トップ争いの第2集団から脱落してしまい、結果14位に終わる。同年3月12日に行われた日本陸上競技連盟のロンドン五輪・マラソン日本代表(男女計6名)の発表においては、結局正式代表選手補欠メンバーにも選出されなかった。それでも川内本人は、五輪落選時のインタビューで「実力が足りなかった。公平な選考がなされたと思います」とコメントした[19]

五輪落選後も、短いスパンでレースにことごとく出場する。2012年4月15日のかすみがうらマラソンでは、末弟・鴻輝のペースメーカー役を務めていたが、鴻輝が中間点を過ぎてついていけなくなると、長兄・優輝は先行する選手を次々追い抜き、ゴールタイムは平凡ながらも自身初めてのフルマラソン優勝を達成した[20]。同年5月13日の第22回仙台国際ハーフマラソンは、日本男子ではロンドン五輪代表の藤原新(2位)に次いで4位に入った[21]。前年ゴール寸前で倒れ途中棄権した6月17日の第7回隠岐の島ウルトラマラソン男子50Kmの部では、2位以下に33分以上の大差をつけて優勝[22]。又7月1日開催のゴールドコーストマラソンでは、日本男子トップの4位だった[23]

8月26日開催の北海道マラソンは気温30度近い気象条件の中、25Km付近から自ら仕掛けてその後は独走。2位以下に3分以上の差をつけ、2回目のフルマラソン優勝を達成した[24][25]。9月16日開催のシドニーマラソンにおいても大会新記録で3回目のフルマラソン優勝を果たす[26]。また10月6日世界ハーフマラソン選手権大会ブルガリアカバルナ)男子の部は、21位ながらも日本人ではトップに(団体戦は日本男子9位)[27]。 さらに10月21日開催の第1回ちばアクアラインマラソンでは、気温25度を超す高温の影響で終盤フラフラになりながらも、2位以下に10分以上の大差で4回目のフルマラソン優勝となった[28]

世界陸上(モスクワ大会)出場[編集]

2013年開催の世界陸上モスクワ大会男子マラソン選考レースだった、12月2日の福岡国際マラソンでは、レース前の招待選手記者会見で東京マラソン同様に藤原新との口撃バトルを繰り広げ場を沸かせていた。しかし本番レースでは28Km付近で先頭集団から脱落、終盤追い上げたが6位に留まる。それでも12月16日の防府読売マラソンでは、2位のマイナ・ディシ(愛三工業)に1分39秒の差をつけ、2012年に出場したフルマラソンでは5回目となる優勝で締めくくった。

世界陸上選考会再挑戦となった2013年2月3日の別府大分毎日マラソンでは、28Km付近でロングスパートを仕掛けると、その後ロンドン五輪男子マラソン6位入賞・中本健太郎との一騎打ちに。残り2Kmを切った給水地点を過ぎた直後、自ら果敢に飛び出して中本を引き離し、同マラソン大会新記録をマーク・自己記録も22秒を上回って通算7回目のマラソン優勝を達成。世界陸上モスクワ大会・男子マラソン代表選考へ大きく名乗りを挙げた[29][30]。それから2週間後の金栗記念熊日30キロロードレースでは、自ら30Kmの記録を36秒更新し大会記録で優勝[31]。3月17日のソウル国際マラソンは2時間7分台を目指して出場したが、32Km過ぎから2度目の先頭集団のペースアップについていけずに後退、辛うじて自己記録を1秒縮めるも4位に留まった[32]。しかし、別府大分毎日マラソン、ソウル国際マラソンでの2ヶ月連続2時間8分台達成は、世界でも類を見ない快挙である。4月21日の長野オリンピック記念 長野マラソンでは、降雪とスタート時の気温0.4度という厳寒の中、40km手前で2位のアレクセイ・ソコロフ(ロシア)を振り切り、同マラソンでは日本男子として初優勝を達成した[33]

2013年4月25日、世界陸上モスクワ大会男子マラソンへ2大会連続2回目の代表選出となった[34]。同年6月2日千歳JAL国際マラソンでは、タイムは2時間18分台ながらも合計9回目のマラソン優勝[35]。3年連続出場となる、6月16日の第8回隠岐島ウルトラマラソン男子50Kmは招待選手で出走、トップでゴールするも軽い熱中症で完走直後に倒れ、病院へ搬送された[36]。2年連続出場の7月7日のゴールドコーストマラソンでは大会タイ記録をマーク、自身丁度10回目となるフルマラソン優勝を成し遂げた[37]

しかし自ら「6位入賞」が目標だった世界陸上モスクワ大会男子マラソン本番は、25度の高温に対応できず、25Km付近で2位集団の争いから脱落。結局前回の大邱大会と全く同じ18位、日本人四番手のゴールに終わった(日本人首位は中本健太郎の5位入賞)[38]

アジア競技大会(仁川)出場[編集]

レース前「目標は2時間7分30秒以内」と宣言した2013年12月1日の福岡国際マラソンでは、ペースメーカーが外れた中間点で川内自ら先頭集団を抜け出しスパートを仕掛ける。しかし29Km過ぎで後ろの集団に吸収され、34Km過ぎ、優勝したマーティン・マサシ(スズキ浜松AC)についていけなかった。その後は3位の位置をキープし、タイムは2時間9分台ながら日本人ではトップの3位に食い込んだ(ライバル・藤原新は20Km過ぎで途中棄権)[39]。尚末弟・鴻輝も同マラソンに出場、2時間24分47秒の32位でゴールしている[40]。なお、福岡国際マラソンから2週間後(12月15日)には、前年優勝の防府読売マラソンに出場。結果は2位だったが、前年を上回る2時間9分15秒(大会史上3位)で完走したことによって、「月間2大会(および2大会連続)でゴールタイムが2時間10分を切る」という快挙を達成した[41]

2014年3月2日のびわ湖毎日マラソンでは、22Km過ぎで先頭集団から脱落するもレース終盤に追い上げ、日本人では佐々木悟(旭化成)に次ぐ2番手の4位に入る。同年3月12日、東京マラソン2014で日本男子首位で8位の松村康平(三菱重工長崎)と共に仁川アジア競技大会男子マラソン代表に選出された。同年4月13日、さが桜マラソンでは15Kmから独走し12回目のマラソン優勝。それから僅か1週間後の4月20日、とくしまマラソンでは途中腹痛により20Km過ぎでトイレに駆け込み、3分近くのロスタイムが発生しながらも同マラソンの大会新記録で13回目のマラソン優勝[42]。5月4日のハンブルクマラソンは9位ながら日本男子首位、さらに日本人では単独最多記録となるマラソン7度目のサブテン(2時間10分未満)を達成した[43]。6月15日の第9回隠岐の島ウルトラマラソン男子50Kmの部は、招待選手として出走の為順位は付かずタイムは参考記録ながら、自らの大会記録・非公認の日本記録を更新、世界歴代6位相当の2時間47分27秒でフィニッシュ[44][45]。7月6日のゴールドコーストマラソンでは20Km手前、転がってきたカラーコーンを踏み外し転倒したが、後半追い上げて日本男子トップの3位に食い込んだ[46]。川内は、ペースメーカーと選手が蹴ったコーンが自分の前に来たと語った[47]

2014年10月3日開催の仁川アジア競技大会男子マラソンでは、レース終盤まで優勝・金メダル獲得のハサン・マハブーブバーレーン)、2位・銀メダルの松村康平と激しく競り合ったが、最後のトラック勝負で離されてしまい、マハブーブに4秒、松村にも3秒の僅差で惜しくも敗れ3位・銅メダル獲得に留まった[48]。レース後の川内は「(2015年開催の)世界陸上北京大会男子マラソンの国内選考会には一切出場しない」と公言、2016年開催のリオデジャネイロオリンピック男子マラソン日本代表は、世界陸上後の国内選考レースで出場選出を目指す予定。同年12月21日開催の防府読売マラソンでは、同大会2年ぶり2回目の優勝、同年5月のハンブルクマラソン以来8度目のサブテンを達成した[49]

2015年4月12日、本庄早稲田の杜クロスカントリー・ハーフマラソンのレース後、「2017年世界陸上ロンドン大会でメダル獲得を目指し、同大会で第一線から区切りを付けたい」と、日本代表から引退する意向を示した[50]。また同年6月、昨2014年度に日本陸連が設立したマラソンナショナルチーム(NT)の、今年度のメンバー入りを辞退した事を明らかにした(日本陸連は2015年5月、翌2016年のリオ五輪マラソン日本代表選考でNTメンバーから優先的に選出とした規則を撤廃)。それに関して川内は「(方針を)コロコロと変えるのはどうか。優遇が無ければ辞退する選手は沢山出ると思う」等、NTへの不満や疑問点についても追求している[51]

2015年5月24日、富山県黒部市のカーター記念 黒部名水マラソンでは、タイムは2時間17分台と平凡ながら自身20回目のフルマラソン優勝を達成。同年6月21日、第10回隠岐島ウルトラマラソン男子50Kmに5年連続で出場。2時間48分台でゴールしたが、昨年同様順位はつかず参考記録扱いだった(男子50Kmの部総合優勝は末弟・鴻輝の3時間15分20秒。次弟・鮮輝は男子100Km出場、11時間21分52秒で総合86位)[52][53]。同年8月30日、オーストラリアのシティ2サーフマラソンへ2年連続で出走、同大会2連覇を成し遂げた。

リオ五輪日本代表ならず[編集]

2015年12月6日、リオデジャネイロ五輪男子マラソン国内選考会の福岡国際マラソンに出場。しかし左足が痺れるアクシデントにより、12Km手前で早々先頭集団から脱落。その後ペースダウンした選手を次々追い抜くも、結局日本人4番手の総合8位に終わった。複数のリオ五輪選考会に出場の場合、日本歴代2位相当の派遣設定記録(2時間6分30秒)を突破しないと、最初に出場レースが選考対象となる為、五輪選出は東京・びわ湖毎日各マラソン大会で再挑戦し派遣記録を破らない限り、絶望となる[54]。それから2週間後の防府読売マラソンでは、34Km地点でロングスパートを仕掛けて優勝の藤原新についていけず34秒差の2位に敗れたが、福岡国際のタイムより24秒上回った[55]

リオ五輪最終選考会だった2016年3月6日のびわ湖毎日マラソンへ、一般参加選手として出走するも、17Km付近で日本人首位争いから後退[56]。レース後半に追い上げて最後は皇子山陸上競技場内で中本健太郎を追い越し、日本人5着の総合7位に入ったが、4年前のロンドン五輪に続きリオ五輪男子マラソン日本代表選出もならなかった[57][58]

2016年6月19日の第11回隠岐の島ウルトラマラソン男子50Kmの部は、2年ぶりに自身の大会及び日本記録(非公認)を3分以上更新、2時間44分07秒でゴール(世界歴代3位相当、尚招待選手での出場により順位無し・参考記録)。尚男子100Kmの部は、次弟・鮮輝が7時間20分31秒の大会新記録で優勝した[59]。2週間後の同年7月3日、5年連続5回目の出場のゴールドコーストマラソンは2位だったが、自身2014年12月の防府読売マラソン以来1年7か月ぶりに自身日本人最多記録更新となる、合計9度目のサブテンを達成した[60]

人物・エピソード[編集]

現在は公務員ランナーとして、埼玉県立久喜高等学校定時制で事務を担当する傍ら、主に駒沢オリンピック公園を拠点に練習を行っており、青島健太は「最強市民ランナー」と評している[61] ほか、マスコミも「日本男子最速の市民ランナー」という表現を用いている[62][63]。過去に何度か実業団の強豪チームからスカウトを受けたこともあったが「今のスタイルで結果が出ている」として頑なにスカウトを断っている[64]。その一方で川内は「実業団には負けたくない。いつも『死んでもいい』という思いで走りますから」と強烈な自負を持ち続けている。

フルタイムで勤務していることから多くの練習時間を確保できず、実業団選手では、月間走行距離1000km以上の選手もいる中、川内は600kmほどで、競る相手がいないため強度の高い練習もできない。強度の高いポイント練習も水曜日と土曜日の2回だけ。水曜日がスピード練習(400mや1kmのインターバル走など)で、土曜日が距離走(30〜43kmのペース走やビルドアップ走など)をしており、あとの5日間はすべてジョグである。ポイント練習は週に2回だけであり、そのときはいつも以上に集中して取り組んでいるという。また、他のトップ選手が年1〜2レースなのに対し、川内は年9回(2012年)のフルマラソンに出場している。川内はこれを「究極のトレーニング」と捉えている[65]

川内が東京マラソン2011で日本男子トップの3位に入った際、実業団主導の日本男子マラソン界に大きな衝撃を与え、また日本陸連男子マラソン部長及び中国電力陸上部監督の坂口泰は「実業団の選手達はショックでしょう」としながらも、川内の快挙に対して賛辞を惜しまなかった[66]。本業は全く陸上競技と関わりが無かったものの、川内本人は世界陸上選手権の内定代表選出に関して「有給休暇が使い切れていないのでこういう時に使わせてもらう」として、休みを取っての大会出場に意欲を見せていた[67]

フルマラソンでは常に全身全霊で力を振り絞って突っ走るためか、マラソンのゴール直後は意識朦朧の状態で倒れ込み、医務室へ運ばれる事態が多い。川内本人は「本当は医務室とはお世話にならない選手になりたいのですが、100%近く力を出し切らないと勝負にならないので」としきりに頭を掻きながらコメントしていた[68]

大の漫画好き。特に陸上競技を題材とした漫画を集めており「長距離マンガなら日本で有数のコレクターだと思う」(本人談)という[69]。2011年世界陸上の際もお気に入りの漫画持参で現地入りしている[70]

2001年世界陸上エドモントン大会2005年世界陸上ヘルシンキ大会男子400mHで二大会銅メダリストの為末大が2011年6月にゲスト出演した春日部高の同校講演会で対談が実現した[71]。なお対談終了後の為末は、川内の印象に対して「やっぱり変な奴だな、と思いましたね」と苦笑いした。それから2年後、2013年の世界陸上モスクワ大会・男子マラソン日本代表に選出の川内と再び対面、為末は「彼は陸上界にとってもはや『きわもの』ではなく、新しいスタンダードを生み出しつつある」と記事を寄せている[72]

世界陸上大邱大会・男子マラソンでは個人戦で18位に留まったが、医務室で休んでいる最中日本代表のマラソン団体戦は2位に入った事を聞かされた後「団体の銀メダルに貢献出来て嬉しい」と涙を浮かべ、「僕みたいにスピードが無くても日本人の粘りがあれば、マラソンはやれるんだと証明できた」と自身も納得のコメントを述べている[73][74]。そのマラソン本番翌日の2011年9月5日、日本帰国便の飛行機を空港ロビーで待機中に、男子マラソン元日本記録保持者でマラソン15戦10勝の実績を持つ瀬古利彦と対面。瀬古からは「オレの記録(2時間8分27秒)を抜きなさい」と発破を掛けられていた[75]。なお2013年1月、エスビー食品陸上部が廃部のため同年4月からDeNA陸上部監督就任の瀬古より、同陸上部への入部オファーがあったものの、川内は「僕は指導者に従うつもりはないし、自由にやりたい」とあえて辞退した[76]

レース前に「2時間7分台を狙う」と宣言した東京マラソン2012だったが、序盤で給水ボトルが取れず動揺した影響もあってか[77]、中盤で日本人トップ争いからズルズル後退してしまい完敗。その翌日の2012年2月27日、記者陣の前に現れた川内は母親に頼んで五厘刈りスキンヘッドの髪型にして登場。「大勢の方の期待に応えられず悔しいし、情けない。誠意を示すために丸めました」と目に涙をためながら謝罪した[78]

なお東京マラソン2012では、レース前の記者会見で当時の無職ランナー・藤原新との激しい口撃バトルが繰り広げられる。すると前男子マラソン世界記録保持者の「皇帝」ことハイレ・ゲブレセラシェが「ケンカは良くないですよ」と川内・藤原の二人を宥める場面があった[79][80]。その東京マラソン本番は、藤原が日本人トップの2位に入りロンドン五輪男子マラソン代表に選出されたが、川内は14位で五輪落選と明暗が分かれる結果となる。その記者会見で川内は「藤原さんが五輪の舞台に立つことは嬉しい。藤原さんからお誘いがあれば勉強させていただきたい」とコメント。その後藤原も「僕も彼に刺激を受けて頑張れた。川内君と一緒にロンドンを走りたかった。五輪の枠に収まるようなランナーではないし、今後も良いライバルでい続けて欲しい」とエールを送っていた[81]

2012年3月31日には藤原新からの誘いにより、埼玉県の荒川沿いの河川敷にて藤原との合同練習を公開していた[82]。それ以降も2012年・2013年の福岡国際マラソンなど、川内・藤原両選手が揃って出場する際の記者会見で、二人の舌戦が話題となっていた[83][84]

2013年1月17日、翌日開催のエジプト国際マラソンに招待選手として出場するが、成田国際空港で搭乗前にパスポートを忘れてしまい、主催者側が用意した航空便に乗れず、約26万円(給与1か月分程度)の航空チケット代金を自腹で切らざるを得なくなるハプニングがあった(当初航空会社は約80万円支払ったと発表していたが、後日川内本人が笑いながら否定)[85]。なお、パスポート不携帯に気付いた時には母親が埼玉県の自宅から駆け付けたものの、電車が遅れた不運もあって間に合わなかった[86]。また現地で予定された記者会見もキャンセルに[87]。そのエジプトのマラソンでは大会新記録で優勝、その後エジプト大使館の好意で復路航空代の約25万円が支給された[88]

2013年3月24日には、次弟(鮮輝)が第1回サンスポ古河はなももマラソンで初マラソン初優勝を達成、兄・優輝も弟の快挙に喜びのコメントを述べている[89]

かつて川内が「マラソンをおまけに考える実業団選手には負けたくない」と発言した事に対し、九電工所属の前田和浩は「実業団をばかにしないでほしい」と反論していた。2013年5月、世界陸上モスクワ大会・マラソン日本代表に選出された選手達(男子5名全員・女子は野口みずき1名)がメディカルチェックで東京都内に集合。その際川内と対面した前田は「川内君の出場レースの多さは凄い。僕は感心しています。わだかまり?全然無いし普通に話しましたよ」とコメントする。また別府大分マラソンで優勝した川内に20秒差で2位と敗れた中本健太郎(安川電機)は「世間を騒がせてくれたけど、注目の的になって苦労して大変だなと思う」と苦笑しながらも川内の動向を気遣っていた[90]

地元である久喜市の鷲宮商工会が何らかの形で応援できないかと、町おこしで関わりのある漫画・アニメ『らき☆すた』の作者、美水かがみに応援キャラクターの制作を打診、川内のアイデアを取り入れた、ノースリーブパーカースパッツ姿のポニーテールの少女「武比奈まい」が作られた。名前は鷲宮神社の祭神・武夷鳥命と同神社で奉演される神楽の舞から付けられている[91][92]

2015年3月11日、世界陸上北京大会の女子マラソン選考において、横浜国際女子マラソンで優勝した田中智美が落選、大阪国際女子マラソンで日本人トップの2位[93]ながら田中のゴールタイムより18秒先着の重友梨佐が選出された事に関し、川内は「やっぱり優勝して選ばれないのは…私は優勝の田中さんを真っ先に選ぶのもアリだと。(陸連は)事前にタイム中心で選考すると言っていないし、積極性についても言っていない。メンバーのレベルなんて、エントリーしてみないと分からないですから」等とコメント、日本陸連が下した選考方法に疑問を呈していた[94]

同年11月15日、埼玉県が共催に加わり第1回大会が開かれるさいたま国際マラソンの大会サポーターに就任[95]。その前日のトークショーに出席した川内は、ロシア陸上界の組織的なドーピング問題について「あれだけ厳格に検査をやっている筈なのに…これでもっと厳しくなり(居場所情報など)手続きが面倒になると、アスリートにとって害になる」など不愉快な気分を表していた[96]

2016年3月13日に開催された、川内の出身地・第1回久喜マラソンでは開会式時に上下紺色の背広ネクタイ姿で登場。その後もランニングウェアに着替える事無く、スーツに黒サングラスを掛け、黒革靴を履きながら、ビジネスマン風のコスプレの格好でハーフマラソンを出走[97]。他川内の実母・次弟・末弟と家族全員がハーフの部にゲスト出場した[98]

第91回第92回箱根駅伝で総合2連覇達成の、青山学院大学陸上部監督・原晋が指導する当時19歳の下田裕太が、2016年2月28日の東京マラソン2016で、10代男子の日本記録達成(2時間11分34秒)で日本勢2着(男子総合10位)に入った事に、原は「下田の伸びしろは200%有る。『将来性』を見越し下田をリオ五輪男子マラソン代表に選出すべき」と大口を叩いた。これに川内は「下田君のゴールタイムは凄いが、若ければ良いってものじゃない。将来性だけで五輪に選ぶのはどうか」「私自身マラソンは10回以上下田君より良いタイムで走った。1・2回しかフルを走ってない若手選手と違い、経験では負けない」「原監督の発言に悔しく思った実業団選手は大勢いるだろうし、私も同感。最低2時間10分は切らないと。監督も箱根駅伝を語るのは良いが、マラソンはまだ早い」等、原のビッグマウスぶりを批判している[99]

同年4月30日、同じ苗字に因んだ福島県双葉郡川内村の「第1回川内の郷かえるマラソン -復興から創生への折り返し-」へ、久喜マラソン同様に川内家全4人がゲストランナーとしてハーフマラソンに出走した(公式記録・順位は無し)[100][101]

主な戦績[編集]

自己記録[編集]

種目 記録 年月日 場所 備考
1500m 3分50秒51 2012年9月22日 日体大長距離記録会
5000m 13分58秒62 2012年9月23日 日体大長距離記録会
10000m 29分02秒33 2010年6月20日 ホクレンディスタンス
10 km(ロード) 29分54秒 2013年12月31日 San Silvestre Vallecana 10 km(マドリード)
10マイル 47分28秒 2014年2月9日 唐津10マイルロードレース大会
20 km(スプリット) 59分10秒 2012年2月5日 香川丸亀国際ハーフマラソン
20 km 59分17秒 2013年10月20日 高島平ロードレース
ハーフマラソン 1時間02分18秒 2012年2月5日 香川丸亀国際ハーフマラソン
25 km(スプリット) 1時間14分32秒 2013年2月17日 金栗記念熊日30キロロードレース
30 km 1時間29分31秒 2013年2月17日 金栗記念熊日30キロロードレース
マラソン 2時間08分14秒 2013年3月17日 ソウル国際マラソン 日本歴代17位
50 km 2時間44分07秒 2016年6月19日 隠岐の島ウルトラマラソン 日本最高記録・世界歴代3位相当(参考記録)
歴代記録は当時の順位

脚注[編集]

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  1. ^ a b 川内 優輝 Yuki Kawauchi公益財団法人日本陸上競技連盟
  2. ^ “川内優輝2泊5日で2戦! エジプト→埼玉”. nikkansports.com. (2012年9月26日). http://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/p-sp-tp0-20120926-1023103.html 2015年8月10日閲覧。 
  3. ^ “川内、銅で内定取れず…「世界選手権」選考は出ない/アジア大会”. SANSPO.COM. (2014年10月4日). http://www.sanspo.com/sports/news/20141004/ath14100405030002-n3.html 2015年8月10日閲覧。 
  4. ^ a b 『日刊スポーツ』2012年2月22日第6版20面
  5. ^ 川内優輝インタビュー - スポーツ総合サイト:Sports@nifty
  6. ^ 次男・鮮輝のマラソン自己記録は2時間22分54秒(2013年3月・第1回サンスポ古河はなももマラソン・優勝)、三男・鴻輝のマラソン自己記録は2時間21分48秒(2014年2月・別府大分毎日マラソン・32位)。
  7. ^ 鷲宮を世界にPR 世界陸上マラソン・川内選手”. 埼玉新聞 (2011年5月22日). 2011年5月28日閲覧。
  8. ^ 陸上競技部・川内優輝君 第85回箱根駅伝大会の結果について”. 学習院大学 (2009年1月5日). 2011年2月27日閲覧。
  9. ^ 選手詳細情報 川内優輝 - 箱根駅伝公式サイト
  10. ^ 「山下りをもう一度」学習院大、川内優輝”. 読売新聞 (2007年10月19日). 2011年2月27日閲覧。
  11. ^ 院長表彰(スポーツ活動賞)(”. 学習院大学 (2009年2月27日). 2011年2月27日閲覧。
  12. ^ 世界選手権は有給休暇で…川内選手は公務員”. 読売新聞 (2011年2月27日). 2011年2月27日閲覧。
  13. ^ “箱根ランナー”が優勝/谷川真理ハーフ”. スポーツニッポン (2010年1月11日). 2011年2月27日閲覧。
  14. ^ 藤原正が日本人初優勝! 2位は藤原新、3位は佐藤敦 女子はビクティミロワがV”. スポーツナビ. 2011年2月27日閲覧。
  15. ^ 東京マラソン:“市民ランナー”川内が3位 世界選手権へ”. 毎日新聞 (2011年2月27日). 2011年2月27日閲覧。
  16. ^ びっくり市民ランナー!公務員の川内 3位で世界切符 - スポーツニッポン・2011年2月28日
  17. ^ 世界陸上:男子マラソン決勝 実況 - スポーツナビ・2011年9月4日
  18. ^ ワールドカップマラソン公式結果- IAAF World Championships Deagu 2011 RESULTS
  19. ^ 川内「公正な選考」今後も公務員ランナー”. 日刊スポーツ (2011年3月13日). 2011年3月13日閲覧。
  20. ^ 川内 ペースメーカーだったのに…マラソン人生初V”. スポニチ (2011年4月16日). 2011年4月16日閲覧。
  21. ^ 藤原地力、終盤加速 仙台ハーフマラソン・男子”. 河北新報 (2012年5月13日). 2011年5月14日閲覧。
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  25. ^ 川内V 世陸で「表彰台に」/マラソン”. 日刊スポーツ (2012年8月26日). 2012年8月27日閲覧。
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  30. ^ ひと:川内優輝さん=別府大分毎日マラソンで優勝「やっぱりマラソンは楽しいな」”. 毎日新聞 (2013年2月4日). 2012年2月4日閲覧。
  31. ^ 川内優輝 また優勝 7分台へ好感触”. スポーツニッポン(スポニチアネックス) (2013年2月17日). 2012年2月19日閲覧。
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  42. ^ 川内、大会新で優勝 とくしまマラソン”. 日本経済新聞 (2014年4月20日). 2014年4月20日閲覧。
  43. ^ 川内9位 日本人最多7度目「サブ10」喜ぶ ハンブルク・マラソン”. 日本経済新聞 (2014年5月4日). 2014年5月5日閲覧。
  44. ^ 川内、父の日に父の故郷で記録更新「自信になった」 ― スポニチ Sponichi Annex マラソン
  45. ^ 【マラソン】川内、50キロで“日本新”マーク!世界6位”. スポーツ報知 (2014年6月16日). 2014年6月16日閲覧。
  46. ^ 川内、課題は転んでも「立ち直ること」 - 陸上ニュース : nikkansports.com
  47. ^ 川内が早朝帰国 転倒で「不完全燃焼」 雨天トレ→出勤 ― スポニチ Sponichi Annex マラソン
  48. ^ 勝機を生かせず金メダル逃す - コラム 陸上 スポーツナビ
  49. ^ 川内優輝2年ぶりV 防府読売マラソン - スポーツニュース 日刊スポーツ
  50. ^ 川内、世界選手権で代表引退へ「ロンドンが1つのいい区切り」 - スポニチ Sponichi Annex マラソン
  51. ^ 川内辞退で波紋 他の有力選手も辞退も - デイリースポーツ
  52. ^ 島根)ウルトラマラソン、最多1338人が健脚競う(朝日新聞)
  53. ^ RUNNET 大会結果 第10回隠岐島ウルトラマラソン
  54. ^ マカウ連覇、佐々木3位、川内8位/福岡国際M詳細(日刊スポーツ)
  55. ^ 藤原が初優勝、川内は34秒差の2位…防府読売マラソン(スポニチ)
  56. ^ リオ代表獲り川内優輝ばくち「びわ湖」一般参加(日刊スポーツ))
  57. ^ 川内、情熱失わず=びわ湖毎日マラソン(時事ドットコム)
  58. ^ 川内優輝7位…選考「かすってもない」リオ五輪消滅(日刊スポーツ)
  59. ^ 島根)隠岐の島ウルトラマラソン 1087人駆ける(朝日新聞 DIGITAL)
  60. ^ 川内は2位、女子は堀江が優勝 豪ゴールドコースト・マラソン(長崎新聞
  61. ^ 最強市民ランナーの川内選手、「僕はアフリカの選手よりハングリー」 - 日経BPネット・BPnetビズカレッジ
  62. ^ 第65回福岡国際マラソン - 九州朝日放送
  63. ^ 柏原、マラソン4分台の夢へ「絶対に勝ちたい」 - スポーツ報知
  64. ^ 川内優輝が世界陸上代表内定 市民ランナーが日本人トップ - 中日スポーツ・2011年2月28日
  65. ^ "公務員ランナー"川内優輝のマネジメント力 - 東洋経済オンライン・2013年7月4日
  66. ^ “市民ランナー”川内が世界選手権代表に決定 実業団に衝撃を与える好走 - Yahoo! JAPANブログ・2011年2月28日
  67. ^ 実業団勢抑えた川内選手 世界選手権は「有給で」 - スポーツニッポン・2011年2月27日
  68. ^ 川内、日本人最高4位もゴール後に医務室直行…第1回大阪マラソン - スポーツ報知・2011年10月31日
  69. ^ 川内 陸上マンガ持って大邱入り - 中日スポーツ・2011年9月1日
  70. ^ 川内、漫画6冊持参で韓国入り/世界陸上 - 日刊スポーツ・2011年9月1日
  71. ^ 川内、為末選手が対談、「文武両道」高校生に語る…埼玉 - 読売新聞・2011年6月6日
  72. ^ 川内はキワモノではない/爲末大学 - 日刊スポーツ・2013年8月7日
  73. ^ 市民ランナー川内はマラソン団体2位に感涙「完全燃焼」で医務室直行 - msn産経ニュース・2011年9月4日
  74. ^ 川内、完全燃焼の18位「粘りがあればマラソンはやれる - msn産経ニュース・2011年9月4日
  75. ^ 川内、瀬古さんからエール「俺の記録を抜け」…陸上 - スポーツ報知・2011年9月6日
  76. ^ DeNAの誘いを蹴飛ばした公務員ランナー 川内優輝 瀬古監督にソッポ - livedoor SPORTS・2013年1月22日
  77. ^ 公務員ランナー川内選手が実証「本当は恐いマラソン給水」 - 週刊FLASH・2012年3月20日号
  78. ^ 川内、「けじめ」の丸刈り 東京マラソンから一夜明け- 朝日新聞・2012年2月27日
  79. ^ 川内がライバル藤原と会見場バトル- 日刊スポーツ・2012年2月25日
  80. ^ 川内、目標は2時間7分台 ゲブレシラシエには恐縮 東京マラソン2012・招待選手記者会見- Sportnavi・2012年2月24日
  81. ^ 落選川内 藤原新を合同練習で支援- 日刊スポーツ・2012年3月13日
  82. ^ 藤原&川内の“無所属”コンビが合同練習- スポーツニッポン・2012年4月1日
  83. ^ 福岡国際マラソン会見で川内が藤原を猛攻撃- 東スポweb・2012年11月30日
  84. ^ 川内VS藤原 恒例?の舌戦 12・1福岡国際で激突- スポーツニッポン・2013年11月30日
  85. ^ 自腹航空券は26万円「80万円も払ってません」 - スポーツニッポン(スポニチアネックス) 2013年2月3日
  86. ^ 川内優輝 パスポート忘れて招待機乗れず - スポーツニッポン 2013年1月17日
  87. ^ 川内 ぐったり「人生最高に焦りました…」 - スポーツニッポン 2013年1月17日
  88. ^ 公務員ランナー川内優輝、エジプト国際マラソン大会で優勝 - J-CASTニュース 2013年1月17日
  89. ^ 川内鮮輝選手V 優輝選手の弟、こちらは“営業マンランナー” 古河はなももマラソン - 産経ニュース 2013年3月24日
  90. ^ 川内って、いいヤツ 実業団選手“休戦” - 日刊スポーツ 2013年5月22日
  91. ^ 川内応援美少女キャラ「武比奈まい」完成,日刊スポーツ,2013年8月8日
  92. ^ 川内優輝選手 : 美少女の応援キャラ「武比奈まい」完成 「らき☆すた」作者がデザイン,毎日新聞,2013年8月7日
  93. ^ 当初首位のタチアナ・ガメラ=シュミルコウクライナ)が、2015年11月にドーピング違反・失格により順位・記録抹消され、重友の順位は3位から2位に繰り上がった。
  94. ^ 川内 女子マラソン選考に持論「優勝者を真っ先に選ぶのもアリ」 - スポーツニッポン 2015年3月14日
  95. ^ “さいたま国際マラソン、Qちゃん「街と自然が味わえるコース」”. 産経ニュース. (2015年4月16日). http://www.sankei.com/region/news/150416/rgn1504160031-n1.html 
  96. ^ 川内、ドーピング問題で吠える「厳格に検査やってるはずなのに…」 - スポーツニッポン 2015年11月14日
  97. ^ 埼玉)川内選手、スーツ姿で激走 久喜マラソン大会 - 朝日新聞デジタル 2016年3月14日
  98. ^ ゲストの川内選手、スーツ姿で駆け抜ける 久喜マラソンに3500人 - 埼玉新聞 2016年3月13日
  99. ^ マラソン川内優輝「青学・原監督がマラソンを語るのは早い」 - NEWSポストセブン 2016年4月7日
  100. ^ 第1回川内の郷かえるマラソン大会~復興から創生への折返し~(大会HP)
  101. ^ 川内復興へ初のハーフマラソン 川内の郷かえるマラソン - 福島民友 2016年5月1日
  102. ^ 公務員ランナー・川内が韓国での“悲惨体験”告白,東京スポーツ,2014年04月02日
  103. ^ フルマラソンでの2大会連続2時間10分以内を最短で記録したとして、ギネスブックに申請する意向を明かしている。12月1日の福岡国際マラソン(2時間09分05秒)に続き中13日で達成。

関連書籍[編集]

外部リンク[編集]