浦和地区

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浦和地区

浦和地区(うらわちく)は、埼玉県さいたま市南部の旧浦和市域や浦和駅周辺を指す。特に当項目ではさいたま市成立以後の旧浦和市域について述べる。

概要

広義にはさいたま市の南部の旧浦和市域(浦和区南区緑区桜区)を指した地域名である。狭義には1889年明治22年)の町村制施行当時の浦和町の地域(浦和宿地区と岸町)を指す。その他「浦和」といった場合、浦和駅周辺を指す場合、浦和区を指す場合、旧浦和市をさす場合、浦和駅・武蔵浦和駅南浦和駅周辺を結んだ周辺を指す場合などがある。また、浦和は首都圏有数の文教都市や県内の高級住宅地として知られている[1]

人口

浦和地区(旧浦和市域70.67平方キロメートル)の人口は54万8032人(2015年現在)となっている。もっとも人口の多いのは南区の17万9618人となっていて、浦和区、緑区、桜区と続く。旧大宮市域(89.37平方キロメートル)の人口は50万7572人(2015年現在)である。さいたま市は、同じ市の中に50万人都市が二つある都市となっている。隣接する川口市鳩ヶ谷市(約6万人)を編入した影響もあり、57万3166人(2015年現在)である。

歴史

江戸時代に浦和は天領となり、当時の浦和宿の中心地であった常盤町に浦和御殿が設けられた。江戸から三番目の宿場である中山道浦和宿は宿場町として栄えていたが、江戸から近すぎたため市街地はあまり広がらず、もっぱら街道沿いの高台に集住していた。その後明治時代には廃藩置県により浦和に埼玉県庁が置かれ、1883年に埼玉県最古となる浦和駅が開業し、県都の町としてさらなる発展を続けた。1923年関東大震災で東京や横浜は壊滅的被害を受け、多くが浦和に転居し人口が急激に増加した。とくに罹災した文化人の多くが環境の良い鎌倉や浦和へ転居し、「鎌倉文士浦和画家」として有名になった。浦和駅からは出版業界の多く立地する都心へ利便が良く、定住者は多かった。現在も画家は多く居住する。木崎地区、谷田地区を合併し市域を拡大した1934年、市制施行を行った。浦和市になってからも尾間木、三室、六辻、土合、大久保、美園と合併し市域を東西に広げ、人口は五十万人に迫った。 埼京線埼玉高速鉄道開業後には武蔵浦和駅浦和美園駅周辺で大規模開発が始まり、現在も市街地を広げている。 2001年4月、大宮市与野市と合併しさいたま市となり、2003年には政令指定都市移行により旧浦和市域からは四つの行政区が誕生する。

浦和の行政上の区分

旧浦和市は大宮市与野市岩槻市と合併しさいたま市となり、旧市域は四つの区に分割された。

さまざまな面からみた浦和

合併前の旧浦和市から合併後の旧浦和市域を通して様々な面から浦和の特徴を述べる。

世帯所得

浦和地区の中でも中心となる浦和区や南区には明治時代より東京都内との関係が濃かったことから医師や官僚、社長などが多く居住した。浦和区の年間収入1000万円以上の世帯が占める割合は15.3%[2]で、国内市区町村中13位となっている。

また、浦和区の世帯平均年収は2014年時点で693万円となっており、首都圏では世田谷区などを上回り、港区(759万円)や中央区(705万円)に次ぐ水準となっている。市内の住宅地公示地価の上位1位から4位までが浦和区で高級住宅地としても知られている。また、後述のように外車ディーラーが多く立地する。

学校

浦和明の星高等学校

文教都市と謳われる浦和のゆえんとして、伝統ある学校の存在が大きい。 1921年に国内20番目の官立高等学校として旧制 浦和高等学校が設立され、文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置された。東京帝国大学(東京大学)への進学率は旧制 第一高等学校についで二位の位置を占め、全国各地から優秀な生徒が浦和に集まった。その後旧制高校は新制大学に昇格吸収されて埼玉大学となったが、旧制浦和中学校を前身とした新制埼玉県立浦和高等学校は公立高校で東京大学合格者数が全国1位なることもあった。 旧浦和市内にある高等学校には、私立高校も含め、すべて浦和の地名が使われている。文教都市である浦和のイメージにあやかっている一面もある。以下は高等学校の一覧である。

スポーツ

埼玉スタジアム2002

現在のさいたま市役所付近に置かれた埼玉県師範学校(現・埼玉大学教育学部)が1937年の全国中等学校蹴球大会(現・全国高等学校サッカー選手権大会)で初優勝し、初めて優勝旗が箱根の山を越て以来、1950年代から1970年代にかけて浦和高校・浦和西高校・浦和市立高校・浦和南高校が次々と全国制覇し、静岡県や広島県と共にサッカー御三家と称され、1992年には浦和に本拠地を置くプロサッカークラブ浦和レッドダイヤモンズが誕生し、現在も浦和はサッカーの街として活気づいている。 2002年埼玉スタジアム2002が現在の緑区に建設された。日本国内最大の63,700人を収容できるスタジアムであり、2002 FIFAワールドカップでは日本代表の初戦や準決勝戦などが行われた。2020年夏季オリンピックではサッカー種目の会場となっている。 野球では浦和学院高等学校の甲子園出場回数は21回(夏12回、春9回)で春夏ともに埼玉県内最多であり、2013年には選抜高校野球大会で優勝した。

浦和の駅

浦和駅東口

東西を結ぶ路線、南北を結ぶ路線が充実しており、荒川周辺や芝川周辺などの例外を除けば、まんべんなく市街地が広がっている。

道路

鉄道と同じように、東西を結ぶ路線と南北を結ぶ路線が充実しており、利便性が高い[要出典]。しかし、交通量増大により歩道の安全が確保されない場所が多くあり、各所で拡幅工事やバイパス道路の建設が行われている。多車線の道路も充実しており、比較的交通はスムーズである[要出典]

南北をつなぐ道路
東西をつなぐ道路

外国車販売店の多さ

マセラティ浦和
アウディさいたま
  • 浦和地区は埼玉県内で最も外国車の販売店が多い。また国産高級車ブランドのレクサスも浦和地区に二店舗出店している。

食文化

浦和地区は現在も残る別所沼藤右衛門川付近の上谷沼など、沼地や河川が多く、ウナギが多く獲れた。そのため浦和宿周辺ではウナギを蒲焼にしてふるまう店ができ、蒲焼発祥の地となった。現在も創業150年以上の老舗である小島屋など創業100年を超える多くの老舗ウナギ店が軒を連ねている。また、浦和うなこちゃんというゆるキャラやなせたかしによって作成され、さいたま市観光大使に任命されるなど、さいたま市主導でウナギ料理のPRも行っている。浦和駅前や別所沼公園には、うなこちゃんの石像が設置され、待ち合わせスポットにもなっている。手に持つ団扇は季節により取り替えられている。

施設・史跡

浦和地区にある主な施設を挙げる。学校施設などは上記やさいたま市を参照。 とくに浦和区は埼玉県の行政機関の中枢となっており、様々なインフラ設備の本部、政党本部、文化施設が密集している。また、大宮氷川神社と同じく2100年以上の歴史を持つ調神社や、関東地方の真言宗寺院の中核となっていた平安時代建立の玉蔵院などもあり、浦和の歴史を実感することができる。商業施設としては伊勢丹が浦和駅西口にあり、伊勢丹新宿店に次ぐ二番目の売上となっている。東口の浦和パルコも単体ビルではパルコ最大の規模であり、東京を除く東日本では売上高一位となっている。今後も浦和駅の駅ビルである浦和アトレや、西口再開発地区の超高層マンションの低層階に商業施設の建設が予定されている。 南区では武蔵浦和周辺の再開発事業で超高層マンションの建設が続き、今後は未開発のケーズデンキ跡地や聖みどり病院周辺の再開発が検討される。桜区では、ごみ処理センターである桜環境センターが建設中であり、2015年の稼働を予定している。緑区では浦和美園駅前に図書館を含む複合施設の建設が進んでいる。また順天堂大学付属病院の誘致が行われている。埼玉県は人口10万人あたりの医師数が全国最下位で、ベッド数でも神奈川県に次いで46位となっていることも一因となっている。

浦和区

官公庁・行政機関
政党本部
文化施設
病院
銀行
放送局
商工会議所
インフラ
史跡・公園・スポーツ施設
ホテル・商業施設

南区

桜区

浦和西警察署は中央区にある。

緑区

浦和にゆかりのある著名人

浦和市#浦和市出身の著名人埼玉県立浦和高等学校の人物一覧も参照。

出身者
居住・一時居住など

浦和が登場する作品

関連項目

脚注

  1. ^ 『東京土地のグランプリ 2012-2013』講談社 、2012年、151-153頁
  2. ^ 2013年(平成25年)住宅・土地統計調査による。分母からは収入階層不明の世帯を除く。

参考文献

  • 浦和の歴史と文化を知る本(1982年)
  • さいたま市の歴史と文化を知る本(2014年)
  • 浦和市史 第4巻 〔2〕近代 (1979年)