鹿手袋
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鹿手袋(しかてぶくろ)は、埼玉県さいたま市南区の地名。現行行政地名は鹿手袋一・二・三・四・五・六・七丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は、336-0031。
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[編集] 地理
さいたま市の南部、南区の北西部に位置していて、南北に長い地区である。古くは「しってぶくろ」とも読み、鹿手と略して呼称することも多い(鹿手通りなど)。さいたま市の副都心として発展を続ける武蔵浦和地区が近く、町内全域ほとんど住宅が密集している。近年までは、水田地帯で、地区南部に人家が数軒あっただけであった。水田の排水路として縦横に排水路が流れ、現在も多くが現存している。コンクリート張りの水路で、もっぱら現在は雨水排水が目的である。そのほとんどが最近では暗渠化され、上を歩道にするなどされるケースが多く見られている。
[編集] 開発計画
- 都市計画道路田島大牧線が地区北東部から南南西部に向かって計画されている。
- 20年前から計画されている道路で、現在予定地には住宅が密集しており、当分の間の実現は難しい。
しかし、浦和駅周辺から国道17号にかけての道路は用地買収が進み、着々と工事が進んでいる。また、道路と交差する埼京線の高架地点では、スペースが確保されている。さらに、中浦和駅の駅前広場を拡張するという計画もあるが、実現性は薄い。
[編集] 河川
[編集] 小字
明治元年における小字は前通・中通・壱町田・水深・野方・高沼。
[編集] 歴史
古くは「しってぶくろ」とも読んだ。
[編集] 沿革
- 1889年(明治22年)3月31日より前は、北足立郡鹿手袋村であった。地名も「しってぶくろ」とも呼ばれていた。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 周辺11村と合併し北足立郡土合村となり、当地区は土合村大字鹿手袋となった。(明治の大合併)
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 土合村が大久保村とともに浦和市に編入合併され、浦和市大字鹿手袋となった。
- 1990年(平成2年)8月1日 - 住居表示が実施され、大字鹿手袋の大部分が浦和市鹿手袋一~七丁目となった。この際、大字関の一部を編入するとともに、大字鹿手袋の一部を関へ編入し、境界を整えた。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併。さいたま市になり、さいたま市鹿手袋一~七丁目となった。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し区制が施行され、さいたま市南区鹿手袋一~七丁目となり、現在に至る。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
- 国道
- なし
- 県道
- 埼玉県道40号さいたま東村山線
- 鹿手袋を南北に走る道路は鹿手通りとよばれる。
[編集] 施設
- 教育
- 地区内に教育施設はない。
- 学区としてはさいたま市立浦和大里小学校・さいたま市立浦和別所小学校、さいたま市立白幡中学校・さいたま市立内谷中学校である。
- 1丁目
- 浦和鹿手郵便局
- 鹿手袋一丁目自治会集会所
- 鹿手袋第三児童公園
- プラザホテル浦和
- 2丁目
- しろま内科
- 野方会館
- 3丁目
- 浦和西部開発事務所
- 老人デイサービスセンター ハートランド浦和
- 野方広場(埼京線の緩衝地の空き地を活用)
- 4丁目
- 鹿手袋第一児童公園
- 鹿手袋第二児童公園(武蔵野線高架下)
- 武蔵浦和保育園
- 小鹿園(保育園)
- 鹿手袋四丁目公園
- 5丁目
- 鹿手袋五丁目公園
- 6丁目
- 鹿手袋さくら公園
- 宝泉寺
- 八幡社
- 不動尊
- 7丁目
- 鹿手袋七丁目公園