海野和三郎
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海野 和三郎(うんの わさぶろう、1925年10月2日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の天文学者である。萩原雄祐に師事した。専門は、理論天体物理学。
多くの理論天文学者を育成したことで知られている。海野及び海野門下生は通称Unno Schoolと呼ばれ、日本の理論天文学に大きな業績を残している。海野自身は大きな業績を上げていないが、現在の国立天文台の理論研究部の基礎を築き、そこでの教育を通じて数多くの弟子を輩出した。特に、師である萩原に習い量子力学を天文学に導入するにあたり、先駆的な業績を上げている。このことが、祖父江義明などの著名な研究者を輩出することに繋がっている。
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[編集] 略歴
- 1943年:旧制埼玉県立浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)卒業
- 1943年:旧制第一高等学校(現・東京大学教養学部)入学
- 1947年:東京帝国大学理学部天文学科卒業
- 1947年:東京大学理学部助手
- 1952年8月:東京大学付属東京天文台助教授(発令が8月なのは、上司の逝去に伴う)
- 1953年4月:東大理学部助教授
- 1963年4月 -東大教授に就任
- 1986年 - 定年退官
- 1986年 - 近畿大学教授に就任。
- 先事館先事研究所長を経て、NPO法人東京自由大学学長。
[編集] 人物・来歴
旧制浦和中学時代より、東京帝国大学を目指す。地学部の部長を勤めるなど、天文学者としての素養はその頃に磨かれる。旧制第一高等学校時代は、周りの評価としてはあまり目立たない生徒であった。しかしながら、数学や物理学の素養に優れ、旧東京帝国大学では乙類である理学系に進む。ここで、師となる萩原と出会い、理論天文学分野での活躍を始める。特に、萩原に薦められて、旧来の天文学に量子力学視点を取り入れた研究及び講義は難解という評価がなされている。
しかしながら、戦後に刊行されはじめる英文教科書や欧文研究報告(PASJ)の作成や公刊などでも多大な貢献を行い、後に古在由秀や堀源一郎などの天体力学を専攻する研究者を初めとして、祖父江義明などに代表される電波天文学分野における、分子の放射機構などにも積極的な貢献を果たす事になる。
これらの研究及び教育活動によって、海野以降の理論天文学分野の研究者は海野学校、もしくは海野スクールと海外で呼ばれるようになった。
モットーは、教育者は人を育て、人を励まし、人に勇気を与えること。

