コンテンツにスキップ

山形テレビ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。三菱善次郎 (会話 | 投稿記録) による 2012年6月3日 (日) 12:59個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎その他)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

山形テレビ
英名 Yamagata
Television System,Inc.
放送対象地域 山形県
ニュース系列 ANN
番組供給系列 テレビ朝日ネットワーク
略称 YTS
愛称 YTS
呼出符号 JOYI-DTV
呼出名称 YTSやまがた
デジタルテレビジョン
開局日 1970年4月1日
本社 990-8511
山形県山形市城西町5丁目4番1号
演奏所 本社と同じ
リモコンキーID 5
デジタル親局 山形 18ch
アナログ親局 山形 38ch
ガイドチャンネル 38ch
主なデジタル中継局 鶴岡 18ch・新庄 21ch
米沢 34ch・小国 38ch
主なアナログ中継局 放送チャンネルの項を参照
公式サイト http://www.yts.co.jp/
テンプレートを表示
本社

株式会社山形テレビやまがたテレビ英称: Yamagata Television System)は、山形県放送対象地域とする放送局である。コールサインJOYI-DTV、略称はYTS

概要

  • テレビ朝日をキー局としたANN加盟の放送局で、山形新聞と結びつきが深い。山形テレビのホームページ上には山形新聞のリンク先のバナーがあるが、2007年6月に山新グループを脱退した。
  • 国内のローカル局において初めて、山形新聞社系列の山形放送と共同で蔵王山西部に地上デジタル放送対応の送信所を建設、2003年に運用を開始した。なお、当時は山形テレビも山形新聞社系列だった。運用開始当初はアナログ放送機と送信アンテナ、電源装置のみ設置し、後にデジタル送信機も設置された。UHF送信アンテナと鉄塔は既存のアナログ放送のものを継続使用している。
  • 山形テレビの主要株主は、テレビ朝日・朝日新聞。ほかに毎日新聞読売新聞、さらにかつてはフジテレビ系列だったことからフジテレビ・産経新聞(現在は山形テレビの10位以内の株主に名を連ねていない)の資本も入っている。以前は山形新聞が筆頭株主だった時代もあったが、マスメディア集中排除原則による行政指導などの理由で山形新聞が原則を超えて保有していた分はテレビ朝日、朝日新聞を中心に売却された。
  • しかし山形新聞は原則の上限いっぱいである発行済み株式の10%を引き続き保有、また山形放送とも株式の持ち合いを行っており、友好関係は現在も続いている。

会社概要

主要株主

資本構成は以下の通り(2008年3月31日時点)[1]

名称 所有株式数
1 テレビ朝日 1万5,060株
2 朝日新聞社 1万1,390株
3 山形新聞社 7,560株
4 カメイ 6,000株
5 荘内日石 5,870株
6 山形放送 5,720株
7 フジ・メディア・ホールディングス 5,460株
8 前田製管 5,200株
9 山形銀行 3,000株
9 荘内銀行 3,000株
  • 払込資本金3億7,845万円(授権資本12億円)
  • 発行済株式総数7万5,690株
  • 期末株主数 16


チャンネル

テレビ朝日系列のリモコンキーID地図
  • 親局
    • 山形(西蔵王高原) 18ch (JOYI-DTV)
  • 中継局(物理チャンネル順。2010年12月現在)

【村山地方】

  • 山形山寺 18ch
  • 山形東沢 18ch
  • 蔵王温泉 18ch
  • 尾花沢牛房野 18ch
  • 尾花沢銀山 21ch
  • 東山形 31ch
  • 尾花沢 39ch
  • 東天童 39ch
  • 東根関山 43ch
  • 朝日町 44ch

【置賜地方】

  • 高畠 23ch
  • 高畠時沢 31ch
  • 長井 33ch
  • 白鷹下山 33ch
  • 白鷹佐野原 33ch
  • 米沢(天元台高原) 34ch
  • 米沢舘山 35ch
  • 小国 38ch
  • 飯豊中津川 42ch
  • 白鷹黒鴨 44ch
  • 飯豊 46ch

【最上地方】

  • 新庄(杢蔵山) 21ch
  • 羽前金山 21ch
  • 真室川高坂 37ch
  • 最上前森 44ch
  • 戸沢 46ch

【庄内地方】

  • 鶴岡(高館山) 18ch
  • 温海 18ch
  • 鶴岡三瀬 44ch
  • 朝日東岩本 44ch


アナログ放送

2011年7月24日停波時点

  • 中継局(チャンネル順)

村山地方

置賜地方

  • 長井 23ch
  • 小国 39ch
  • 白鷹下山 41ch
  • 白鷹佐野原 42ch
  • 高畠 47ch
  • 米沢小野川 48ch(アナアナ変換で40chから変更)
  • 米沢大沢 55ch
  • 米沢舘山 55ch
  • 飯豊 57ch
  • 米沢(笹野山) 58ch(米沢デジタル局は天元台高原に設置)
  • 白鷹黒鴨 61ch
  • 高畠時沢 62ch(アナアナ変換で40chから変更)

※小野川局、高畠時沢局のアナアナ変換はさくらんぼテレビ米沢デジタル局開設に伴うもの。

最上地方

  • 羽前金山 41ch
  • 真室川釜淵 41ch
  • 鮭川 49ch
  • 鮭川中渡 54ch
  • 最上前森 55ch
  • 戸沢 56ch
  • 真室川高坂 56ch
  • 新庄(杢蔵山) 58ch

庄内地方

  • 鶴岡(高館山) 39ch
  • 温海 42ch
  • 鶴岡三瀬 57ch
  • 温海鼠ヶ関 57ch
  • 朝日東岩本 61ch


歴史

ネットワークの移り変わり

  • 1970年4月1日 フジテレビフルネット局として開局(※フルネット局は山形県初)したが開局時にNETテレビ(現: テレビ朝日)の番組の一部が山形放送から移行されていた。
  • 1975年4月1日 ANNに加盟。これによりフジテレビ・テレビ朝日系クロスネット局となる。
  • 1980年4月1日 ANNを含めたテレビ朝日の番組の大部分が山形放送に移行(これによりANNを脱退。但し一部の番組は引き続き放送)フジテレビ系単独局に戻るが山形放送から日本テレビ系の一部番組が移行する。つまりこの時期、日本の民放テレビ5系列全ての番組を放送していたことになる。
  • 1989年10月1日 テレビユー山形の開局に伴い、TBS系列の番組が姿を消し、民放テレビ4系列に減る。
  • 1993年4月1日 キー局を開局以来ネットしていたフジテレビからテレビ朝日にネット変更。FNN・FNSを脱退しANNに再加盟しテレビ朝日系フルネット局となる。同時に日本テレビ系の番組の全てが山形放送に移行、フジテレビ系の番組は大部分が打ち切りとなったが、ごく一部はテレビユー山形(TBS系)に移行される。逆に、民教協番組以外のテレビ朝日系の番組が山形放送及びテレビユー山形から移行し、既に山形テレビで放送されていた番組と併せて一本化される。

ネットチェンジ

1993年、YTSはネットチェンジ(フジテレビ系列からテレビ朝日系列へ鞍替え)という劇的な一変を遂げ、県民に多大な影響を与えている。地上波テレビ局において、今日では最も特殊な事例と言える。

ネットチェンジの直接的な引き金と見られるものが、1989年(平成元年)に開局したエフエム山形テレビユー山形(TUY)に対抗すべく実施した新規事業が軒並み失敗したことである。ハリウッド映画リ・アニメーター2(死霊のしたたり2)』『グランド・ツアー』への出資、健康食品避妊薬などを扱う製薬会社「バイオ科学研究所」の設立、「クルーガーランド金貨」の発行、ビデオソフトの製作など、さまざまな事業に手を出したものの、軒並み損失を出す結果となり、収益が悪化した。

1992年(平成4年)9月25日、YTSはフジテレビの猛反発を押し切って、ANNへ加盟申し入れを行う。1993年(平成5年)3月31日、半ば強引にFNN・FNSを退会。フジテレビ系列の番組を全て打ち切り、翌4月1日にANNに正式加盟、秋田朝日放送(AAB)に次いで19局目のテレビ朝日系列フルネット局として再スタートした。

当時、テレビ朝日系列に加盟する理由は視聴者やフジテレビに説明されることはなかった。ただ、一説にはテレビ朝日や(東北地方を中心とした)系列局が債務保証したのではないかと言われている。当時「全国4局化政策」に乗って系列局を増やしたかったテレビ朝日側としては、一つのテレビ局を新設するよりも既存局を自系列に加入させる方がはるかに安上がりだからである。騒動が勃発する前年の1991年(平成3年)、山新グループを率いていた〝山形の首領(ドン)〟こと服部敬雄が死去したことで、経営に苦しんでいたYTSは身動きがとりやすくなり、それでフジテレビ系列を脱退するという「禁じ手」を実行できた。一時属していたテレビ朝日系列へのネットチェンジは、(上記の債務保証が条件ならば)当然の選択肢ともいえる。ただし、ネットチェンジを決定した当時の役員は、「クロスネットの解消と株主の意向」と理由を説明している。

そのYTSは開局当初、日本教育テレビ(NETテレビ。現在のテレビ朝日)をキー局として一部TBS番組をネットする構想があり、それを前提として朝日新聞・毎日新聞系列の株主が多数存在していた。結局、開局前に株主と経営者間で紛争が生じ、これを調整すべく服部が乗り出して元来関係が乏しかった山新グループに入り、かつ、服部と鹿内信隆・フジテレビ会長との間の個人的な関係もあり、服部の「鶴の一声」でフジ系列となった。1970年代終盤に毎日系の株式が朝日関係者にわたったため、同社の株主の多くが朝日系となっていた。実は、ANN加盟局がYTSからYBCに移り、同時にYBCに朝日系の番組が移行した時期もこの頃であり、服部がテレビ朝日からの影響力を2局に分散させることでYBC・YTS両局を自身の影響下に置き続けようとしたとみられる。したがって、この株主たちが服部の死去をきっかけに「蜂起」し、その突破口が多額の債務だったとすれば、ネットワークが変わってもおかしくはない。それが先述の「株主の意向」のゆえんである。

ネットチェンジを行った1993年(平成5年)3月末日までの新聞のYTSのテレビ欄には、完結していないドラマ・アニメも含め、(終)マークが並ぶこととなった。自社製作番組やテレビ東京系列番組など、一部は継続し、(YBCからあふれたため)山形テレビで放送していた日本テレビ系の番組も、NNN・NNS単独ネット局となったYBCへ移行。ネットチェンジはYBCの協力もあり、スムーズに遂行された。山形県の視聴者にとっては1980年(昭和55年)に続く番組編成の激変だったが、YTSとしては開局23年にしてようやくなるべき系列になったと言えるのかもしれない。

ネットチェンジする8日前の3月24日、当時古舘伊知郎加山雄三田中律子が司会だった生放送音楽番組ミュージックジャーナル(MJ)』において、「山形県での放送が打ち切られることになったため、どうしても見たいのに見られなくなる」、「(仙台放送など)近隣県の系列局で見なければならない」などのFAXが多数送られてきた。

こうしてYTSはテレビ朝日系列局に生まれ変わったが、当時のテレビ朝日はフジテレビとは対照的で人気番組が少なかったことに加え、ネットチェンジによって県民の猛反発を受けたことから、視聴率は大きく低迷。また、CM提供していた地元スポンサーの一部が撤退(後にフルネット化により復活)する程のマイナスイメージを植えつけられてしまい、経営改善のためのネットチェンジは、皮肉にもイメージ悪化や経営悪化を招き、他局に流れるきっかけにもなった。

ちなみにテレビ朝日系列は、1985年(昭和60年)に発覚した『アフタヌーンショー』のやらせ発覚、YTSのネットチェンジ前年に発覚した『素敵にドキュメント』のやらせ発覚や(この2番組はYBCで放送)、YTSのネットチェンジ直後に発覚した椿事件などの不祥事を起こしており、系列全体のイメージが低下していた。

その一方で、全国放送視聴者参加クイズ番組1993年(平成5年)からテレビ朝日系列だけでの放送(『100万円クイズハンター』と『パネルクイズ アタック25』)になっていたため、ネットチェンジによってテレビ朝日系列の視聴者参加クイズ番組をリアルタイムで視聴、参加できるようになった。

そしてフジテレビ系列の空白地域になった1993年(平成5年)4月から4年間、フジテレビの番組の一部は、TUYが購入して放送していたが、これらの番組は深夜及び午後のローカル枠にて放送されていた。その際、諸般の事情から『笑っていいとも!』を購入・放送しなかったため、TUYにも苦情が相次いだという。

これらの影響から、新たなアンテナを設置して、近隣県にあるフジテレビ系列の放送局を見ていた世帯もある。さらに、ケーブルテレビ山形(山形市など)やニューメディア(米沢市など)では、フジテレビ系列である仙台放送が視聴できたため、それらに加入する世帯が増加した。

その後、山形財界やフジテレビ、さらに東北地方系列局(岩手めんこいテレビ・仙台放送・秋田テレビ福島テレビ)の後押しや山形県民の署名運動もあり、1997年(平成9年)4月にフジテレビ系列局・さくらんぼテレビジョン (SAY) が開局。県民を混乱に陥れたYTSのネットチェンジは一応の解決を見ることとなった。ただ、SAYは送信所・中継局が他局に比べ少なく、難視聴・受信不可の地域もあるため、該当する地域では、ネットチェンジの影響が地上デジタル放送に移行された今も残っている。とはいえ、今後総務省による「後発民放局支援スキーム」や該当市町村による支援次第では、今後問題を解決することができる状態にある。

その後、YTSは平成新局の多いテレビ朝日系列、とくに東北ブロックにおいて制作力底上げにも貢献。現在は、テレビ朝日系列局として県民にも定着している。

2007年(平成19年)には山形新聞グループを脱退し(友好関係は継続)、名実ともに朝日新聞系列の仲間入りを果たしたことで、開局時から県民を巻き込んでの騒動を繰り広げるもととなった経営上の混乱は、37年間の時を経て収束したといえる。

なお、YTSのホームページにある会社概要内のプロフィール欄には、テレビ朝日系列局と県域局であることが書かれているだけで、ネットチェンジに関する事柄が全く書かれていない。ただし、FNSのホームページの沿革欄には「山形テレビがネット解消を通告」と書かれている。[2]

山形テレビのネットチェンジ顛末については、小田桐誠著『テレビ業界の舞台裏』(三一書房刊)、『2000年のテレビジョン』(角川書店)に詳しく書かれている。

オープニング・クロージング

  • 1980年代 - 1992年頃 静止画オープニング&夜の社屋の映像クロージングなど
    • オープニングのBGMはクラシック調。もう一パターンのクロージングはエレキギターの弾き語り。二パターン共にナレーションあり。なお、コールサイン読み上げや表示は本来「JOYI-TV」になるはずであるが、なぜか「JOYI」とアナウンスされていた。(JOYIと書かれたテレビカードを映し出すパターンも存在した)[3]
  • 1992年頃 - 1998年頃 喜怒哀楽 YTS ほか
    • オープニング一人一人地元の女性(なお当時在籍していた当局のアナウンサーも含まれる)が振り向くもの、ほか。クロージングは山形県内の夜景、ほか。ネットチェンジ後の約1年は3ヵ月毎にキャッチフレーズに合わせた画像を基本に放送していた。最後には画面の中央に「Good Night!」、右下に「JOYI-TV 山形テレビ」と表示。なおオープニングについては、ネットチェンジ当日に「山形テレビでは、きょうからテレビ朝日系の番組をお送りします。どうぞおたのしみください。」というテロップ表示もあり。
    • BGMは独自。
  • 1998年頃 - 2001年頃 山形県内の環境映像
    • 映像は、季節に合わせて1ヶ月に1回程度のペースで更新されていた。
    • BGMは独自。クロージングの最後には画面の中央に「See you soon!」、右下に「JOYI-TV 山形テレビ」と表示。
  • 2001年頃 - 2006年 「湧水の詩」
    • BGMは山形県内で活躍している須貝智郎が歌っている同局の環境キャンペーンソング。
    • 年、季節によって映像などは異なる。
  • 2006年 - (デジタル試験放送開始時 - ) - 最上川の春夏秋冬
    • 最上川を写した映像で、季節ごとに映像、BGMが違う。
    • また、アナログでは各中継局が紹介されるが、デジタルでは「リモコン5chでどうぞ」と表示されるだけである。コールサインもアナログ、デジタルで違う。
  • 2011年7月24日 アナログ終了時
    • ブルーバック画面に「JOYI-TV 山形テレビジョン これで山形テレビのアナログ放送を終了いたします。長い間ご視聴いただきましてありがとうございました」という文字をいれ、これとほぼ同等の文言のアナウンスを行った。

代表的な番組

自社制作

東北地方以外のANN系列番組

テレビ東京 (TX) 系列の番組


テレビ東京系列の番組の放送数はTUYに比べれば少ないものの、YBCとほぼ互角である。

再放送枠

その他

時刻出し

平日
土曜
  • 4:15 - 9:29
日曜
  • 4:15 - 7:58

イメージキャラクター

  • 開局30周年を記念して1999年9月1日より「みるるん@(あっと)」が誕生した。これは山形県内の局では、初めてさくらんぼテレビジョンがステーションイメージキャラクター「ハート(SAYランドの仲間たちのうちの一匹)」を誕生させたのを機に、山形放送が「ぷにゅん」を発表。それに続いての発表である。関連商品として「みるパインサイダー」(山形県酒類卸株式会社)やお菓子「たべてみるるん」(杵屋本店)などがある。
  • 「みるるん星」からやってきた宇宙人という設定である。なお「みるるん星」は宇宙の彼方Y38星雲にあることになっており、男女の区別もない。他に仲間として、「みにみる@ちゃっと」、「みにみる@どっと」、「みにみる@さいと」、「みにみる@ひっと」、「みるるん@みるぽっち」がいる。
  • 金曜23:10の「みないと」では、「みるるん@劇場」という紙芝居形式のコーナーがあり、番組公式ページでも公開されている。
  • テレビ宮崎も同名のキャラクターを使っているため、混同されることも一部ある。ただ同局のキャラクターは「みるるん@あっと」というように、名前の後ろに@マークをつけ、さらにその後ろに別の名前が書かれている。

アナウンサー

男性

女性

かつて在籍していたアナウンサー

男性

女性

主なイベント

  • YTS沖縄YOU・遊塾(毎年3月下旬開催 対象は小学校4年生~中学校3年生)
  • YTSマンモスフリーマーケット(毎年4月下旬開催 会場は山形ビッグウイング)

その他

  • 1970年代前半に開局した日本の地上波テレビ局で最後に音声多重放送を開始した。[4]
  • 視聴率は1993年以降、山形放送に首位の座を奪われることが多くなり、2009年現在でも三冠王を獲得したことがない(フジテレビからテレビ朝日へのネットチェンジへの影響もある)。ただ、キー局のテレビ朝日の視聴率が2000年代後半以降好調傾向にあることから、2位に躍進することがある。実際、2008年の年間・年度視聴率で、山形県内の民放局では、全日・プライムタイムで2位だった。
  • 地上デジタル放送では画面右上に「YTS5」とロゴが表示されている。ただし、CM中と提供を表示されている時は表示されない。
  • 朝まで生テレビ!』は2009年9月までオープニングから放送していたが、2009年10月より25:34から(テレ朝では25:25)の飛び乗りとなっている。
  • 2008年よりスカパー!Jリーグ中継のモンテディオ山形ホームゲームの中継制作を担当している(2007年は仙台放送が担当した)。実況アナウンサーは小出匡志、リポーターには「成田ひみこ」名義で成田比巳子(元アナウンサー、現同社所属記者)が担当している。
  • モンテディオ山形との関連は県内他放送局と比べて強く、『YTSゴジダス』内でレギュラーコーナーを持っていたり、J1昇格DVD制作を手掛けている。
  • 2011年3月11日には東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の停電によって起きた東日本放送の一時停波中、本局のSNG車経由で東日本放送からテレビ朝日への情報発信が行われた。
  • 「y」を図案化したロゴマークが存在する。

脚注

  1. ^ 『日本民間放送年鑑2008』 - 日本民間放送連盟(2008年)
  2. ^ FNSのあゆみ・沿革
  3. ^ 山陰放送テレビや京都放送テレビも、一時期これと同じようなコールサイン読み上げ・表示をしたことがあった。
  4. ^ 同時期に開局した局(1960年代末に開局した局も含む)の場合人口150万人を下回る地域の局でも遅くとも1990年前後には音声多重放送を導入したことが多かったものの、本局は1994年開始と開局から24年かかっている。本業での設備更新より新規事業に経営資源を集中していたことがうかがえる。また、同じ年に開局したANN系列の広島ホームテレビは1985年開始と早い。また、1969年開局の瀬戸内海放送ですら1990年開始である。また、隣県の福島放送では1981年の開局と同時、東日本放送でも1991年開始である。(それらはいずれも当局のネットチェンジ前の事象であり1993年ネットチェンジ時点でのフジテレビ系列でも唯一の音声多重放送非実施局であった。)

その他の山形県の放送局

外部リンク