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前田米蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 米蔵
まえだ よねぞう
生年月日 1882年2月17日
出生地 日本の旗 日本和歌山県
没年月日 (1954-03-18) 1954年3月18日(72歳没)
死没地 日本の旗 日本東京都港区
出身校 東京法学院 卒業
前職 弁護士
所属政党立憲政友会→)
立憲政友会革新派→)
(無所属→)
翼賛政治体制協議会→)
翼賛政治会→)
大日本政治会→)
日本進歩党→)
民主自由党→)
自由党
称号 従二位
勲一等旭日大綬章
配偶者 前田 幾[1]

内閣 小磯内閣
在任期間 1944年7月22日 - 1945年4月7日

日本の旗 第16代 鉄道大臣
内閣 平沼内閣
在任期間 1939年1月5日 - 1939年8月30日

日本の旗 第13代 鉄道大臣
内閣 廣田内閣
在任期間 1936年3月9日 - 1937年2月2日

日本の旗 第8代 商工大臣
内閣 犬養内閣
在任期間 1931年12月13日 - 1932年5月26日

日本の旗 第25代 法制局長官
内閣 田中義一内閣
在任期間 1927年4月20日 - 1929年7月3日

その他の職歴
日本の旗 衆議院議員(10期)
1952年10月2日 - 1953年3月14日
日本の旗 衆議院議員(1-9期)
1917年4月21日 - 1945年12月18日
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前田 米蔵(まえだ よねぞう[2][3]1882年2月17日[2] - 1954年3月18日[2])は、日本政党政治家

人物

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和歌山県出身だが、選挙区は中選挙区制時代の旧東京府第6区(戦後は東京都第5区)だった。衆議院議員選挙に通算10回当選し[2][3]、特に戦前は総選挙に連続9回当選を果たした[2][3]。戦前は立憲政友会政調会長・第1次近衛内閣参議等を歴任し[3]、政党解消後は翼賛政治会筆頭総務・翼政会総務会長・大日本政治会顧問等を歴任した[4]

心理学者前田嘉明は米蔵の次男[1][5]

経歴

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1902年、東京法学院(現・中央大学)を卒業[2]。翌1903年、弁護士を開業。弁護士時代に政友会所属の政治家・横田千之助の知遇を得たのが契機となり1917年、立憲政友会公認で第13回衆議院議員総選挙に立候補し初当選[2][3]。1925年4月、政友会幹事長に就任[2][3][6]。1927年、田中義一内閣法制局長官に就任[2]。1931年、犬養内閣商工大臣に就任[2]。1936年、廣田内閣鉄道大臣に就任[2]。1937年、政友会総裁の鈴木喜三郎が辞任したため鳩山一郎島田俊雄中島知久平とともに総裁代行委員に就任[3][6][7]。政友会では親軍派として知られ同じく親軍派の総裁代行委員である中島を担いで政友会内の親軍派派閥・中島派を結成した[2]。1939年1月、平沼内閣の鉄道大臣に就任[2]。同年4月30日、前田・島田ら中島派のメンバーは自派だけで臨時党大会を開き[8]、中島を総裁に選ぶとともに党役員を発表し立憲政友会革新同盟と称した[2][8]。ここに政友会は2派に分裂し[注釈 1][8]、前田・島田・中島らの政友会革新同盟は立憲政友会革新派と[8]、革新同盟に反対し久原房之助を総裁に担いだ鳩山派と久原派は立憲政友会正統派と呼ばれるようになった[8]。前田は政友会革新同盟では最高顧問に就任している[4]。政党解消後の1940年、大政翼賛会議会局長に就任[2][4]。1944年、小磯内閣運輸通信大臣に就任[4]。終戦後の1945年、日本進歩党の結党に参加[2][4]。1946年、公職追放[2][4]。公職追放解除後の1952年、自由党公認で第25回衆議院議員総選挙に立候補して当選し政界復帰[2][4]。自由党内の旧政友会中島派の議員を結集して前田派を結成したが、政界復帰時の総選挙の際に選挙違反を起こし[2][4]、その影響もあって翌1953年の第26回衆議院議員総選挙に落選した[2][4]。1954年3月18日、不遇のうちに72歳で没した[2]

栄典

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評伝

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参考文献

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脚注

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注釈

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  1. ^ 他に金光庸夫犬養健太田正孝ら少数の議員からなる中立派も存在した。

出典

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  1. ^ a b 『人事興信録 第14版 下』、マ23頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『新訂 政治家人名事典 明治 - 昭和』、561頁。
  3. ^ a b c d e f g 『コンサイス日本人名事典 第5版』、1227頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『コンサイス日本人名事典 第5版』、1228頁。
  5. ^ 森山欽司 - 反骨のヒューマニスト - 第二章” (PDF). 2007年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月20日閲覧。
  6. ^ a b 『昭和の政党』、419頁。
  7. ^ 『昭和の政党』、356頁。
  8. ^ a b c d e 『昭和の政党』、357頁。
  9. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
公職
先代
五島慶太
日本の旗 運輸通信大臣
第3代:1944年 - 1945年
次代
豊田貞次郎
先代
内田信也
中島知久平
日本の旗 鉄道大臣
第13代:1936年 - 1937年
第16代:1939年
次代
伍堂卓雄
永井柳太郎
先代
櫻内幸雄
日本の旗 商工大臣
第8代:1931年 - 1932年
次代
中島久万吉
先代
山川端夫
日本の旗 法制局長官
第25代:1927年 - 1929年
次代
川崎卓吉
議会
先代
山崎達之輔
日本の旗 衆議院予算委員長 次代
島田俊雄
党職
先代
鈴木喜三郎
(総裁)
立憲政友会総裁代行委員
鳩山一郎島田俊雄中島知久平と共同
1937年 – 1939年
次代
(革新同盟総裁)
中島知久平
(正統派総裁代行委員)
久原房之助
三土忠造
芳澤謙吉