小松謙次郎
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小松 謙次郎(こまつ けんじろう、1864年1月2日(文久3年11月23日) - 1932年(昭和7年)10月15日)は、明治・大正期の官僚、政治家、貴族院議員。正三位勲一等。
経歴
[編集]信濃国埴科郡松代(現・長野県長野市松代町松代)に松代藩士横田数馬の次男として生まれる。和田英・横田秀雄の実弟。同藩士小松政昭の養子となる。藩校文武学校を経て、上京後、慶應義塾から帝国大学法科大学に転じ1888年(明治21年)卒業。
司法省参事官、試験委員から逓信省に入り書記官となる。日露戦争で韓国へ派遣され電信電話の普及に努める。逓信局長を経て次官で退官する。同じくして1912年(大正元年)12月28日に貴族院議員に勅選される[1]。1913年1月10日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[2]。1924年(大正13年)の清浦内閣では鉄道大臣に就任した。1932年朝鮮総督宇垣一成の要請で京城日報社長に就任。同年10月15日死去。行年69歳。東京青山墓地に眠る。2015年(平成27年)4月、生地松代の小松家菩提寺本誓寺に改葬する。
栄典
[編集]- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲二等旭日重光章[3]
- 1911年(明治44年)6月20日 - 正四位[4]
- 1924年(大正13年)2月23日 - 勲一等瑞宝章
- 1932年(昭和7年)10月15日 - 旭日大綬章
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、685-686頁 。(近代デジタルライブラリー)
- 田島清 編『信州人物誌』1969年
公職 | ||
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先代 山之内一次 |
鉄道大臣 第4代:1924 - 1924 |
次代 仙石貢 |