松代町 (長野県)

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まつしろまち
松代町
松代城
廃止日 1966年10月16日
廃止理由 新設合併
長野市篠ノ井市、埴科郡松代町更級郡川中島町更北村信更村上高井郡若穂町上水内郡七二会村
長野市
現在の自治体 長野市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方信越地方
都道府県 長野県
埴科郡
面積 61.01km2.
総人口 21,451
(1965年10月1日(国勢調査))
隣接自治体 更埴市、篠ノ井市
更級郡川中島町、更北村
上高井郡若穂町
小県郡真田町
松代町役場
所在地 長野県埴科郡松代町松代1360
長野市役所松代支所
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松代の町並み

松代町(まつしろまち)は、かつて長野県埴科郡に存在した町。江戸時代には松代藩城下町であり、恩田木工佐久間象山を輩出した。明治期には製糸業が盛んだった。さらに、昭和期の太平洋戦争末期には国家中枢機能の移転を目的として松代大本営の地下坑道が造られた。

1966年(昭和41年)10月16日長野市合併してその一地区となったが、住所は依然として「長野市松代町」と「町」を含め表記する。本項では現在の松代地区についても記述する。

歴史[編集]

  • 16世紀 - 城下町松代として16世紀末に建設され、江戸時代を通じて長野盆地の中心的都市だった[1]
  • 1871年明治4年) - 近世以来の松代町のうち、馬場町が西条村、十人町が東条村にそれぞれ合併。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、松代町が単独で自治体を形成。
  • 1951年昭和26年)4月3日 - 清野村東条村と合併し、改めて松代町が発足。
  • 1951年(昭和26年)10月1日 - 更級郡篠ノ井町の一部(東福寺のうち道島・筏道下区)を編入。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 豊栄村寺尾村・更級郡西寺尾村と合併し、改めて松代町が発足。
  • 1955年(昭和30年)9月30日 - 西条村を編入。
  • 1957年(昭和32年)8月1日 - 杵淵および西寺尾のうち川西地区が更級郡篠ノ井町に編入。
  • 1966年(昭和41年)10月16日 - 長野市・篠ノ井市・更級郡川中島町信更村更北村上水内郡七二会村上高井郡若穂町と合併し、改めて長野市が発足。同日松代町廃止。
  • 1981年(昭和56年) - 東京大学教授大谷幸夫らにより、松代の馬場町、代官町、表柴町三町の伝統環境保全のための調査始まる[2]
  • 1982年(昭和57年) - 上記調査の報告書『庭園都市松代 : 伝統的建造物群保存対策調査報告書』(長野市)が刊行され[3]、水路網が発達し、各家庭に池を配した庭があり、周りの山々を借景にした庭園を有する「庭園都市・松代」の伝統的環境の保全が提言される[2]
  • 1983年(昭和58年) - 長野市伝統環境保存条例の指定を受ける[2]
  • 1993年(平成11年) - 上信越自動車道長野インターチェンジ誘致。松代町商工会議所が中心となって和風の景観重視の商店街づくりを行なうなど、長野市への合併により衰退した町の再活性化を図る[4]
  • 1996年(平成14年) - NPO法人・夢空間「松代のまちと心を育てる会」設立され、町の文化遺産の活性化を図る[5]
  • 1999年(平成18年) - 地元特産品宣伝のため、まちおこしグループ「ホイサッサ松代」誕生[4]
  • 2002年(平成21年)11月 - 長野市役所松代支所に観光課松代分室設置[4]
  • 2004年(平成21年)4月 - 松代城復元完成記念イベント「エコール・ド・まつしろ2004」開催[4]

寺院[編集]

神社[編集]

教会[編集]

観光・名所・遺構[編集]

象山地下壕(約500mを一般公開)

地震・関連施設[編集]

出身著名人[編集]

松代を舞台にした著作[編集]

松代で撮影された映画[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 松代旧武家屋敷地区の空間構成一武家地の町並み保全のための基礎的考察日本建築学会計画系諭文報告集第349号・昭和60年3月
  2. ^ a b c 庭園都市松代の推進NPO法人「夢空間松代のまちと心を育てる会」
  3. ^ 庭園都市松代 : 伝統的建造物群保存対策調査報告書国会図書館
  4. ^ a b c d 市町村合併時代の道標 長野市松代町内閣府経済社会総合研究所
  5. ^ 団体概要NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会

関連項目[編集]

外部リンク[編集]