ホンダ・NSR500V

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ホンダ・NSR500V
Honda NSR500V.jpg
基本情報
エンジン 499.7cm3 
車両重量 103kg
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NSR500V (エヌエスアールごひゃくブイ) は、ホンダ・レーシングHRC)が開発市販した排気量500ccの水冷2ストロークV型2気筒エンジンを搭載する競技専用のオートバイで、且つレギュレーションとの兼ね合いからホンダが新規開発した最後の2ストローク純レーシングマシンである。

概要[編集]

誕生[編集]

プライベーターが参戦しやすいマシンを目指して開発され、1996年ロードレース世界選手権500ccクラスにデビューした。

当時のロードレース世界選手権はプライベーターの参戦が重要視され、ホンダ自身もNSR500に切り替え前のワークスマシンであるNS500をベースにしたRS500Rを市販していた。しかし、1988年にRS500Rの生産終了により競争力のある市販レーサーがなくなるとエントリー台数が減少、プライベーター頼みのトップクラスが消滅の危機を迎える事となった。この問題にヤマハが旧世代のYZR500のエンジンを販売し、コンストラクターが製作したフレームと組み合わせオリジナルレーサーを作る事で対応したのに対抗すべく、ホンダが低コストで十分競争力があるマシンをコンセプトに開発したのがNSR500Vである。

エンジン[編集]

V型4気筒のNSR500と同じクランクケースリードバルブ式の水冷2ストロークV型2気筒エンジンが搭載された。このエンジンは当時の他のホンダGPレーサーマシンと同じくVバンク角は100度、シングルクランクシャフトを採用。車体設計等との兼ね合いから後方吸気前方排気が選択されたエンジンは、航空用ガソリン(通称「アブガス」)を入れた場合に135bhpを発生する。なお、初期仕様ではエンジントルクの出方が急と言う問題を抱えていたため、クランクシャフトの回転マスを29%上げた仕様に変更されている。

ちなみに、当初はNS500やRS500Rと同様のV型3気筒を採用するプランもあり、出力面ではNSR500のエンジンから1気筒分減らした仕様(375cc)でもフルサイズ(500cc)のV2を凌ぐ事は可能だが、1気筒増えると運用コストが少なくとも3割増えることが問題視されV2を選択する事となった。更に、コスト面の都合以外にも『RS500Rで採用したV3では焼き直し感が強く、革新性を重んじるホンダの社風に合わない』と言う技術者の矜持がV3を選ばせなかった部分もある。

車体[編集]

車体は、コーナリング重視と言う事からNSR500とNSR250の中間サイズに設定。その為、遠目ではNSR250に極めて似たスタイルが特徴となっているが、NSR500Vで採用された片持式スイングアームである「プロアーム」の向きは、NSR250とは逆となっている。ちなみに、プロアームを選択したのは予定のサイズで排気系の取り回しをクリアするためであり、耐久マシンと違ってタイヤ交換が稀なGPマシンではプロアームである必要性はそれほど高くない。なお、車両重量は2気筒エンジンの場合の最低重量(100kg)に近い103kgで、エンジン重量を除くとNSR250より軽い攻めた仕様となっている。

しかし、コンパクト化を優先するとウィリーが多発するなどの問題もあり、プロトタイプ車であるAXAからの泣き所となっていた。その為、対策としてワークス仕様のNVAAではスイングアームを長くしたモデルも投入。1996年シーズンを担当した岡田忠之は通常に近いのを標準とし、伊藤真一は後半戦から長くしたものを愛用するなど、ライダーによって使い分けられた。なお、NSR500とほぼ同等の全長となるスイングアームの導入も考えられたが、市販モデルとの兼ね合いから実行される事無く終わっている。

コスト[編集]

新車価格は、1997年モデルの場合で本体のみの定価が800万円、セットアップキット付きが920万円(いずれも税別)[1]、エンジン・アセンブリーは320万円であった[2]。4気筒のNSR500はレンタルのみで購入出来たとしても1000万円以内では到底収まらない高額マシンであった事を鑑みると、条件次第ではNSR500に勝るととも劣らぬポテンシャルを持つマシンを1000万円未満と言う破格の安さでで購入可能となれば、プライベーターから高い支持を受けるのも当然とも言える。

なお、ワークス仕様とは一部のパーツ(チタン製のマフラーを鉄製に変更等)に違いがあるが、性能面ではワークス仕様との違いは無い。

特徴[編集]

V4マシンよりは40-50馬力ほど非力なものの、より軽く、乗りやすく、ハンドリングの良いマシンに仕上がっている。V4勢よりも速いコーナースピードを維持できるのが最大の武器であり、多くのサーキットでは、単独で走行した場合V4勢と同じぐらいのラップタイムを出すことができた。しかしレース中のバトルでは、コーナー脱出時の加速に優れるV4勢に軍配が上がることが多く、予選では好成績でも決勝が混戦になると順位を落としてしまう傾向があった。[独自研究?]

レース経歴[編集]

NSR500Vを駆る岡田忠之(1996年日本GP)

1996年[編集]

1996年、ホンダはワークス・チームレプソル・ホンダにNVAAのコードネームを与えられた2台のNSR500Vを投入し、岡田と伊藤が実戦での開発を担当した。V4マシンに慣れていた伊藤は癖のある新型V2マシンに慣れきれず苦戦を余儀なくされるも、岡田は開幕戦「マレーシアGP」(シャー・アラム・サーキット)のポールポジションを獲得。本戦は荒天により2ヒート制となった際の10秒のハンデを取り返すための焦りが災いし転倒リタイア喫したものの、優勝の可能性も十分にあったと言う会心のデビュー戦となった。その後は、「スペインGP」(ヘレス・サーキット)と「イモラGP」(イモラ・サーキット)で岡田は3位入賞し、最終戦の「オーストラリアGP」(フィリップ・アイランド・サーキット)では2位表彰台に立った。

さらに、ロードレース世界選手権終了後に行われる当時の日本では貴重な500ccマシンでのレースである「MFJグランプリ・スーパーバイクレースin菅生」(スポーツランドSUGO)では、唯一NSR500Vで参戦した岡田がホンダ・NSR500スズキ・RGV500ヤマハ・YZR500らのV型4気筒勢を抑えて優勝を果たした。

1997年[編集]

ホンダはシーズンオフもNSR500Vの開発を継続し、1997年シーズンはV4マシンにスイッチした岡田に代わり青木三兄弟の次男・青木拓磨が新型であるNVABの実戦を担当した。兄(青木宣篤)や弟(青木治親)と違い海外レースの経験が少なくヨーロッパでは苦戦をしたものの、「イモラGP」(イモラ)と「ドイツGP」(ニュルブルクリンク・GPコース)で3位入賞し、最終戦となる「オーストラリアGP」(フィリップ・アイランド)では前年同様2位表彰台に立った。なお、イモラとニュルブルクリンクの好戦果は、両者が当時F−1グランプリ開催地だった事を利用し、両者が収録されているF−1ゲームを使ってコースを覚えた結果と言うエピソードがある。

この年から、NX6のコードネームが与えられたプライベーター用のマシンの販売が開始され、中でも新興チームグレシーニ・レーシングアレックス・バロスは「イギリスGP」(ドニントン・パーク・サーキット)で3着入線し表彰台を獲得。ワークスマシンの拓磨(シリーズ総合5位)には遅れを取ったものの、ワークスのV4勢4台を凌ぐ総合9位に入った。

こうして翌年の活躍も期待された拓磨であったが、翌年早々にテスト中のアクシデントにより再起不能。NSR500VによるGP勝利の夢は、想定外のアクシデントにより絶たれる結果となった。

1998年以降[編集]

本来参加するはずだった拓磨が不在となってしまった1998年は、セテ・ジベルナウがレプソル・ホンダで新型であるNVACのNSR500Vを駆り、序盤こそ前年では問題にならなかったチャタリングの為に苦戦を余儀なくされシリーズ総合は11位に終わったものの、第6戦の「マドリッドGP」(ハラマ・サーキット)で3位入線し表彰台を獲得した。

更に、スイングアームを大胆にリニューアルしたNVADで参戦した1999年も、初戦の「マレーシアGP」(セパン・インターナショナル・サーキット)は10位に沈むものの、その後は「日本GP」(ツインリンクもてぎ)5位・「スペインGP」(ヘレス)3位・「フランスGP」(ポール・リカール・サーキット)4位と好成績を挙げる。ところが、4位入線したポール・リカールでワークスの絶対エースであるマイケル・ドゥーハンが重傷。ドゥーハンの穴を埋める為にジベルナウが引き抜かれた結果、乗り手不在となったワークスNSR500Vの参戦は終了となった。

なお、ワークスチームによるNSR500Vの戦果に触発され多くのチームが500Vを購入するようになり、2000年シーズンごろまでには「プライベーターがコンスタントにポイントを獲得できるコンペティティブなマシン」としての地位を確立した[独自研究?]。2000年にはユルゲン・ファン・デン・グールベルク2001年には青木治親がそれぞれNSR500Vを駆って「ベスト・プライベーター」賞を獲得した。またNSR500Vをベースとしたカスタムマシンを開発するプライベーターも現れ、日本ではテクニカル・スポーツの手による「TSR AC50M」が知られている。

終焉[編集]

2002年に最高峰クラスが環境問題との絡みから4ストローク車主体のMotoGPクラスに改編され、これまでは2ストローク車と同等だった排気量が4ストローク車に限って990ccに変更。排気量アップにより4ストローク車が有利になると、2ストローク勢はV型4気筒マシンですら勝負にならない状態となり、パワー面で劣るNSR500Vの時代は終わりを告げた。

HRCは1996年から2001年の間に33台のマシンを生産した。V4のワークスマシンNSR500は各チームにリースされるだけだったが、NSR500Vは市販レーサーとして販売され、プライベートライダーにより各国の国内選手権に参戦した。後年多くのマシンが市場に放出され、多くのマシンは個人コレクターに買い取られた。

参考リンク[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]