ホンダ・スペイシー

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スペイシー (SPACY) は、本田技研工業がかつて製造販売したオートバイのシリーズ商標である。

概要[編集]

シリーズとして排気量別に数車種が販売されていたが、共通項として4ストロークSOHC単気筒エンジンを搭載するスクーターである。

開発の経緯[編集]

1980年に本田技研工業としては初のステップスルースクーターのタクトが発売されると[1]、1年で38万台をセールスする爆発的ヒット商品となり[2]、バリエーションの拡大ならびに派生車種の多数設定が行われたが、それらはいずれも低コスト・小排気量でも高出力を得やすい特性・シンプルな構造ゆえの軽量な点で2ストロークエンジンを搭載するモデルであった。一方で4ストロークエンジンのもつ経済性静粛性耐久性を要望する声もあり、近未来感覚のスタイリングを併せ持つスクーターとして開発されたのが本シリーズである[3]

なお発売当時の1982年時点では、本田技研工業としては1963年に生産終了したM85型ジュノオ[4]以来かつ日本国内では唯一の4ストロークエンジンを搭載するスクーターである[3]

モデル別解説[編集]

本項では排気量別に解説を行う。

スペイシー50[編集]

スペイシー50
ホンダコレクションホール保存車

1982年5月7日発表、同月13日発売[5]。型式名AF02[注 1]。正式車名はスペイシー[注 2]の排気量49ccエンジンを搭載する原動機付自転車である。

最大の特徴でもあるAF02E型強制空冷4ストローク単気筒エンジンは、1981年発表のスーパカブC50に投入されたエコノパワー技術[6]も活用。その結果として内径x行程=39.0×41.4(mm)[注 3]から、最高出力5.0ps/9,000rpm・最大トルク0.42kg-m/7,500rpm・30㎞/h定地走行テスト値110㎞/Lのスペックをマークする[5]。また変速機も当時としても異例な自動遠心クラッチ式3速フルオートマチックトランスミッションを搭載するほか、始動方式はセルキック併用である[5]

車体も近未来的イメージな直線基調のデザインを採用し、独自構造のボディ一体キー付フロントトランクは容量こそ少ないものの12インチLPレコードの収納を可能とした本モデルは、年間販売目標を240,000台に設定し、以下の標準販売価格[注 4]でグレード展開が行われた[5]

  • カスタム:159,000円
  • デラックス:176,000円

カスタムは、液晶デジタルスピードメーター&エコノモニター・ツートーン電子ウインカーアラーム・電圧計・トリップメーター・スピードオーバー警告インジケーター・トリップメーター・ハロゲンヘッドライト・コムキャストホイールを装備する上級グレードとしての設定である。  

1984年2月14日発表、同月15日発売で以下のマイナーチェンジを実施[7]

  • グレード展開を廃止し標準販売価格179,000円とする
  • 変速機をVベルト式無段変速機へ変更
  • デジタルスピードメーターを廃止し指針式アナログメーターへ変更
  • 年間販売目標を50,000台に縮小

1986年に生産終了。

スペイシー80[編集]

1982年10月15日発表、同月16日発表[8]。型式名HF02。スペイシー50をベースにエンジンの排気量を76㏄にアップしたHF02E型エンジンを搭載する2人乗り可能なモデルで、最高出力6.5ps/7,500rpm・最大トルク0.66kg-m/6,000rpm・50㎞/h定地走行テスト値72㎞/Lのスペックをマークする小型自動二輪車である[8]

スペイシー50カスタムと同デザインや液晶メーターも採用されるが、タイヤサイズを8インチながら幅を50の3.00から3.50へ拡大。本モデルは単一グレード展開とした上で、年間販売目標を24,000台に設定。以下の標準販売価格[注 5]が設定された。

1985年4月25日、同月26日発売で以下のマイナーチェンジを実施[9]

  • 排気量79㏄のHF03E型エンジンに変更
  • 型式名もHF03へ変更
  • 標準販売価格209,000円に改訂[注 6]
  • 年間販売目標を24,000台に設定

1986年に日本国内向け仕様は生産中止となったが、海外向け輸出仕様は生産が継続され2009年頃まで基本設計も引き継いだElite80(エリート80)の車名で北米を中心に販売された。

スペイシー100[編集]

スペイシー100
スペイシー100
メーターパネル
メーターパネル

2003年9月12日発表、同月13日発売[10]。型式名は平成11年自動車排出ガス規制適応モデルのためBC-JF13。1997年に本田技研工業が発表した二輪車エンジン4ストローク化方針[11]に伴い生産終了となったリード100のフルモデルチェンジ車的モデルで、中華人民共和国広東省広州市の現地法人五羊-本田摩托(広州)有限公司Wuyang-Honda Motors (Guangzhou) Co., Ltd.)が製造し、本田技研工業が輸入事業者となり、年間販売目標17,000台ならびに標準販売価格199,000円(消費税5%抜)で販売された[10]

車体はアンダーボーンフレームに内径x行程=50.0×52.0(mm)・排気量102㏄・圧縮比9.0・最高出力7.1ps〔5.2kw〕/7,500rpm・最大トルク0.8kg-m〔7.8N・m〕/5,000rpm・60㎞/h定地走行テスト値45㎞/LのスペックをマークするJF13E型エンジンを搭載する[10]

サスペンションは、キャスター角27°/トレール量75mmに設定した前輪テレスコピック/後輪ユニットスイングとし、タイヤホイールサイズは90/90-12 44J(前)/100/90-10 56J(後)、ブレーキは前輪が油圧式シングルディスク/後輪が機械式リーディング・トレーリングであるが、後輪操作だけで前後輪へ適切に制動力を連動配分するコンビブレーキを搭載する[10]

2005年9月29日発表、同月30日発売で標準販売価格200,000円(消費税5%抜)への改定ならびにカラーリングの変更[12]2007年2月5日発表、同月6日発売でブレーキキャリパーならびにリヤキャリアのブラクアウト化・ロゴマーク・カラーリング変更[13]のマイナーチェンジを実施したが、燃料供給がキャブレターでは平成19年自動車排出ガス規制に適応させることが難しいことから、継続生産期限の2008年9月をもって日本国内向け仕様の生産を終了[注 7]。後継として五羊-本田摩托(広州)有限公司が2006年から製造販売するPGM-FI電子制御式燃料噴射装置三元触媒内蔵マフラー搭載のSCR110(中国名:佳御)をベースに日本国内の法規に適合させた型式名EBL-JF19/車名リードへモデルチェンジされた[注 8]

スペイシー125[編集]

125ccクラスでは3代に渡り生産販売された。本項では型式別に解説を行う。

初代 (JF02)[編集]

スペイシー125ストライカー(JF02)ホンダコレクションホール保存車
スペイシー125ストライカー(JF02)
ホンダコレクションホール保存車
液晶メーターパネル(輸出仕様Elite150)
液晶メーターパネル
(輸出仕様Elite150)

1983年3月7日発表、同月10日発売[15]。型式名JF02。正式車名はスペイシー125ストライカーSPACY 125 STRIKER)である[15]

前ボトムリンク/後ユニットスイングのサスペンション・前後ドラムブレーキ・10インチタイヤの構成・基本的デザイン・液晶デジタルメーターパネルは先行発売されていた50・80を踏襲するが、二輪車としては世界初となる自動収納式リトラクタブル・ヘッドライトを搭載。また内径x行程=56.5×49.5(mm)・排気量124㏄から、最高出力11.0ps/7,500rpm・最大トルク1.1kg-m/6,500rpm・50㎞/h定地走行テスト値64㎞/LのスペックをマークするJF02E型エンジンは、始動はセルフ式のみとし、冷却方式を水冷に変更した上でラジエーターからの放熱を足元へ送る機能も装備されるなどより差別化された[15]

なお年間販売目標は20,000台ならびに標準販売価格[注 9]は278,000円とされた[15]

1985年8月7日発表、同月8日発売のマイナーチェンジでは、液晶メーターを廃止し通常の指針式へ変更・オプションだったリヤキャリアを標準装備化などのを実施[16]。年間販売目標は5,000台ならびに標準販売価格[注 10]は289,000円へ改訂された

また本型式は海外向け輸出仕様はElite125としたほか、エンジンのシリンダー内径を拡大し排気量を149ccとしたElite150[注 11]が製造された。

2代目 (JF03)[編集]

1987年2月4日発売、同月5日発売[17]。型式名JF03。JF02型からのフルモデルチェンジ車で車名からはサブネームのストライカーが消滅したが、基本コンポーネンツならびに設計はキャリーオーバー、エンジンは内径x行程=52.4×57.8(mm)・圧縮比10.3のJF03E型へ変更されたものの最高出力・最大トルクのスペックは同じで50㎞/h定地走行テスト値が64.7㎞/Lへ向上した程度である[17]。また年間販売目標5,000台ならびに標準販売価格[注 12]289,000円も継続した[17]

ただし車体面では、特徴的だったリトラクタブル・ヘッドライトを廃止し一般的な固定式としたほか、外装を曲線基調のエアロフォルムデザインとした[注 13]

1992年1993年1994年にカラーリング変更のマイナーチェンジを実施しており、1993年のマイナーチェンジでは自動二輪車のヘッドライト常時点灯義務化により点灯スイッチ廃止を併せて実施した。

3代目 (JF04)[編集]

スペイシー125(JF04)

1995年8月4日発表、同月22日発売[18]。型式名JF04。JF03型から以下の変更を施したフルモデルチェンジ車である。

  • エンジンの冷却方式を水冷から空冷に変更
  • 圧縮比を10.3→9.5へ変更
  • このため型式名をJF04Eへ変更
  • フロントブレーキをワイヤー式リーディング・トレーリングから油圧式シングルディスクへ変更
  • シート下に容量20Lのメットインスペースを設置
  • 前後ホイールをスチール製からアルミ合金製へ変更

年間販売目標は6,000台ならびに標準販売価格[注 14]314,000円(消費性5%抜)とされた[18]

またカラーリング変更を除いたマイナーチェンジは以下の3回が実施された。

2000年11月16日発表 同月17日発売[19]
  • 平成11年自動車排出ガス規制への適応
  • 型式名BC-JF04へ変更
  • エキゾースト・エアインジェクションシステム(二次空気導入装置)を装着
  • 最高出力10ps〔7.6kw〕/7,500rpm・最大トルク1.0kg-m〔10N・m〕/6,500rpmへダウン
  • 盗難抑止に効果的な強化ハンドルロック機構・強化キーシリンダー・直結始動防止回路を採用
  • 年間販売目標は5,000台ならびに標準販売価格[注 15]319,000円(消費性5%抜)へ改訂
2002年9月26日発表 同月27日発売[20]
  • 前後輪連動のコンビブレーキを搭載
  • 標準販売価格[注 16]319,000円(消費性5%抜)へ改訂
2005年4月28日発表 同月23日発売[21]
  • 年間販売目標は5,000台ならびに標準販売価格350,000円(消費性5%抜)

2003年9月以降は上述したスペイシー100と併売されたが、同様の理由により2008年9月をもって生産終了。

スペイシー250フリーウェイ[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 1979年に導入された本田技研工業の二輪車車両型式は、アルファベッド2文字+数字2桁となり、最初のAは排気量50㏄クラスを、アルファベット2文字目はモデルタイプを意味する。導入当初はBが小型スクーター、Fが本格的スクーターに分類されており、50㏄クラス原動機付自転車では、本モデルとリード(AF01)がFとされたが、1983年以降はサイズに関係なくスクーターはFに集約。以後Bはモンキーダックスなどレジャーモデル用とされた。
  2. ^ 他の排気量モデルと明確に区別するために排気量表記も加えてスペイシー50と通称で呼ばれることが多い。同様のケースではリードシリーズでも見られるが、初代AF01型リードは正式車名がリード50という例外がある。
  3. ^ 本数値はスーパカブC50用前傾80°エンジンとも同一である。
  4. ^ 北海道沖縄は3,000円高[5]
  5. ^ 北海道・沖縄は3,000円高。また16,000円高でウインドシールド付モデルを設定[8]
  6. ^ 北海道・沖縄は5,000円高[9]
  7. ^ その後もしばらくの間は、100のアジア向け生産を継続したが、2012年頃までスペイシー125も含めた車体構造やデザインを流用した環境規制対応エンジン搭載車を生産していた。
  8. ^ EBL-JF19型リードの発売は2008年1月のため厳密には8ヶ月ほど併売されたことになる[14]
  9. ^ 北海道・沖縄は5,000円高[15]
  10. ^ 北海道・沖縄は8,000円高[16]
  11. ^ 映画「ターミネーター」ではサラ・コナーが所有する設定がある。
  12. ^ 北海道・沖縄・一部離島は除く[17]
  13. ^ フロント部分の造形に独特な平らさがあり、特に白色モデルは「紋甲イカ」という異名を持つ。
  14. ^ 北海道は12,000円高。沖縄は8,000円高。一部離島は除く[18]
  15. ^ 北海道は12,000円高。沖縄は8,000円高。一部離島は除く[19]
  16. ^ 北海道・沖縄は8,000円高。一部離島は除く[20]
  17. ^ 教習所専用モデルのため一般販売計画はなし[21]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

本田技研工業公式HP
BBB The History