ホンダ・CB-F

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CB900F

CB-F(シービーエフ)は、本田技研工業がかつて製造販売した排気量750㏄以上の4ストークガソリンエンジンを搭載するCBシリーズの大型オートバイである。

レギュレーションや各国の法規制に合わせて排気量を設定しており、本項ではCB900FCB750FCB1100Fならびに派生モデルのCB1100Rについて解説を行う。

概要[編集]

ホンダ・CB750Four
ホンダ・RCB1000

同社1969年に発売したCB750Fourは、時速200km/hを超える性能と、多くのライダーにとって手の届く販売価格を実現し[注釈 1]、国産大型オートバイが世界市場を席巻するにいたった歴史的な名車であったが、DOHC4バルブなどの技術を搭載した後発のオートバイによる追撃にあい、徐々に発売当初のイメージには陰りが見え始めていた[1]

また、1960年代北米市場での要望を中心に輸出車両の開発を行っていたが、1970年代に入りヨーロッパと北米のオートバイに対する嗜好は乖離し始めた。そのため、北米向けに作られた車両をヨーロッパ向けにローカライズするだけの販売戦略ではのシェアを失う一方であり、ヨーロッパ市場の要求にこたえる車種を持たないでいたホンダは、先進技術を投入した新たなフラグシップモデル、とりわけ需要の高いスポーツモデルの投入が急務となっていた。

1966年のロードレース世界選手権を最後に、自動車部門での環境適応エンジンの開発などのために一時休止していたレース活動であったが、先進技術を投入した新たなスポーツモデルの開発、設計のためにはロードレースへの復帰が必要であるとの判断がなされた[2]1972年マスキー法の基準を満たしたCVCCエンジンの開発を達成していた事から環境適応エンジンの開発に関しては一区切りついたと判断し、サーキットで活躍するカワサキ・Z1を追撃するため、1975年にH.E.R.T.(Honda Endurance Racing Team)を結成し、1970年代のヨーロッパで常時10万人を超える観客を動員するなど高い人気を誇ったFIMヨーロッパ耐久選手権から再びレース活動を開始した[2]

ヨーロッパ耐久選手権へ投入されたRCB1000は、CB750Fourに搭載されたSOHC2バルブエンジンをベースにDOHC4バルブ化させ、これを搭載。1976年は8戦中7勝、1977年にはシリーズ9戦全勝という成績を収め、圧倒的強さから「浮沈艦」「無敵艦隊」などと称えられた。こうしてRCBで培われた空冷DOHC4バルブエンジンの技術を市販車に転用し「RCBのイメージをダイレクトに受け継ぐ、サーキット最速・最軽量のスーパースポーツ」として開発されたのがCB900Fであった[3]。これら一連のCB900Fを擁して欧州での市場を奪還するというプロジェクトはノルマンディー上陸作戦に例えられ、社内では「マルエヌ」という通称で呼ばれた[4]

それぞれFZ→FA→FB→FC→FDの順にモデルチェンジが行われ、カウルが装着された車両はF2となる。日本国内仕様のCB750Fでは鈴鹿8時間耐久ロードレース記念車両としてFBB・F2BBなどの限定仕様も生産されたほか、白バイへも採用もされた。

CB-Fが発売された1970年代末から1980年代初頭にかけて日本はバイクブームの只中にあり、1981年から1982年にはオートバイの国内総生産台数は700万台を超えるに至った[5]。そのため各社とも次々とニューモデルを発表し、CB750FはXJ750E/A・Z750GPGSX750Sカタナなどの追撃にあった。また、HY戦争という対立構造もホンダの商品開発ならびに世代交代を加速させ、CB750Fは1982年にその存在感に反し短期間でV型4気筒エンジンを搭載するVFシリーズに750ccのフラッグシップの座を譲り生産を終了させた[6]

車両解説[編集]

エンジン[編集]

CB750Fourの開発段階ですでに検討されていたDOHC機構はメンテナンス性の向上などを理由に採用は見送られたが、当初は早い段階での投入が予定されていた。しかし、CB750Fourの予想以上の販売面での好調を受け、実際にDOHC機構を搭載する車両の開発は先送りになることになった[7][8]。 当時の国内他社が販売していたZ1RやGS1000Sと異なり900ccを選択した理由は、主たる市場である欧州のドゥカティ・900SS、モトグッチ・ルマン850、ベネリ900セイ等を対抗車種に設計されたためである[9]

車体構成[編集]

CB900Fの車体は先立って開発の行われていたCB750Kと共通の車体設計が行われた。750ccのエンジンを収めるフレームに900ccのエンジンを搭載することになるため、剛性と整備性の両立のために各部に補強を加え、右側アンダーチューブを取り外し式にするなどの対策がとられた。同様に750ccエンジンより容量の大きなエアクリーナーボックスが必要となるが、これは物理的に不可能であるため、できるだけ冷えた空気をより多く取り入れられるようダクト位置などを検討し、エンジン特性を車体設計から補填するようなアプローチも行われた[10]

デザイン[編集]

デザインを担当した森岡實は初期段階の構想を欧州視察のために訪れたフランスで行った[4]。そして、これまでにない新たなマーケットを調査するためにル・マンポール・リカール・サーキットを訪れ、現地のライダーの傾向を調査し、CB-Fを含む16車種のデザイン草案を完成させた[11]

フランスの現地法人からは要求していたボルドールのイメージを体現していると高評価を得た草案であったが、日本で行われた会議では「けばけばしく、厚化粧で恥ずかしいデザイン」という批判意見が持ち上がり、その評価は決して高いものではなかった[12]。しかし、現地法人の意見を尊重する久米是志の意向によりプロジェクトはそのまま進められ、クレイモデル完成まで9日、モックアップの完成まで実質10日と異例の早さで作業は進行した[13]

草案ではプラグ上部に位置するタンク前部にはエッジがあったが、仮にガソリンがオーバーフローした場合、そこを伝ってプラグへとガソリンが滴下する恐れがあるとして市販化にあたっては多少の手直しが行われた。しかし、レバーやステップ、メーターなど細かな部分まで新造することが許可され、プロジェクト全体としては自由度の高いデザインが可能であった[12]。結果としてCB900Fのデザインは市場に受け入れられ、好調なセールスを記録した。こうして採用されたタンクからサイドカウルへとつながる、コンセプトにもなった「流れるようなデザイン」はインテグレーデッド・ストリームラインと呼ばれ[14]、その後のCB1300SFなどの車種にも影響を与えるデザインとなった。

モデル一覧[編集]

CB900F[編集]


諸元[編集]

CB750F[編集]


CB750F(1979年製)

1978年に輸出が開始されたCB900Fに遅れること1年、当時の日本国内での排気量上限にあわせた750ccエンジンを搭載し、日本では1979年6月22日にCB750Fが発売された。エンジンは基本設計をCB750Kと共有するものの、スポーティーなエンジン特性実現のためカムシャフトを変更し、吸排気系や足回りはCB900Fと同一のものが与えられた。国内では初となる鍛造ジュラルミン製のセパレートハンドルやCB900Fそのままのスタイリングなど、国内オートバイのフラッグシップ的存在となり、750ccのトップセールスが月200台程度の時代に1,500から2,000台もの売り上げを達成する大ヒット車種となった[15][16]。その高い人気から、漫画『バリバリ伝説』では主人公の愛車としても登場した。販売当時の価格で538,000円(税別)[17]

アメリカにおいてもCB750Fは同時に発表されたCB750Kを上回る反響を得るなど、高い人気を誇った。

仕向け地によってエンジン出力に差があり、北米向けがCB750FZで75PS/9,000rpmであるのに対し、日本向けは68PS/9,000rpmであった[16]1980年、FA仕様から欧州向けにも輸出が開始された[18]。エンジン出力は79PS/9,000rm、6.5kg・m/8,000rpmまで強化され、北米仕様に見られたパイプハンドルを採用した車両も存在した。なお、国内仕様では最終的にフロントホイールが18インチ、フロントフォーク径がφ39mmへと変更されたが、北米や欧州向けのCB750Fは最後までフロントホイールは19インチが採用され、フロントフォーク径もFBになるとφ37mmに変更されたが、φ39mmに変更されることはなかった。このモデルでは白バイへの採用も行われた。


諸元[編集]

CB1100R[編集]


CB1100RD

1972年、オーストラリアのカストロール6時間耐久レースに端を発する「量産車によるレース」というコンセプトは、ユーザーが直接所有することのできる市販車両の最速を競うという触れ込みにより多くの関心を集め、テレビ放送も行われるなど人気の高まりをみせていた[19]。しかし、オーストラリア国外ではレースは専用に開発されたレーサー車両で行うものという認識が根強く存在し、後のプロダクションレースへとつながるこれらのレース専用の車両開発は行われていなかった。そのため、ホンダにはレギュレーションで定められた排気量制限に合致した車両はCBX、あるいはGL1000といったレースに適さない車両しか存在しなかったため、CB900Fでこれに参戦するが、他社のヤマハ・XS1100スズキ・GS1000カワサキ・Zといった排気量で優位に立つ車両を相手に後塵を拝していた[19]。スズキがヤマハに対抗するために開発したスズキ・GSX1100Eに関する情報が明らかになると、ホンダ・オーストラリアとしてはこれ以上劣勢にたたされるわけにはいかないため、これらの車両に対抗できるマシンの開発を日本に要求した。 こうして1981年、CB900Fのエンジンをベースに内径を70mmまで拡大、鍛造ピストンやカムシャフトなど、エンジン内部のパーツを専用設計とし、プロダクションレースで勝つためのマシンとしてCB1100Rは発売された。

市販車両としての条件として課せられた「年間生産台数10万台以上のメーカーでは1,000台以上の生産台数」の条件を満たすために1050台が生産されたCB1100RBのうち、100台がオーストラリアへ向け出荷された。なお、生産初期にはカウルの製造が間に合わなかったため、FRP製カウルを装着した通常仕様(RB-2)と異なるネイキッド仕様(RB-1)であった[20]

1980年10月19日にアマルーパーク英語版で行われたカストロール6時間耐久レースに3台のCB1100Rが出場し、マイク・ニール、アラン・デッカー等の搭乗によって上位を独占した[21]

デビューを勝利で飾り性能の高さを証明したCB1100Rは、プロダクションレースの流行とともに、当時レース活動の本拠地を設置していたイギリスへ舞台を移し、ロン・ハスラムのライディングによる活躍で評価を確かなものとした。カストロール6時間耐久レースを参考にイギリスで行われたストリートバイクレースは、モーターサイクルニュース英語版ロイヤル・ダッチ・シェルがスポンサーとして参加し、ミック・グラントワイン・ガードナーといったライダーが参加する大規模なレースとして開催された。投入されたCB1100RCは1981年4月に行われた初戦のカドウェルパーク英語版での勝利をはじめ、6月のスネッタートン英語版ドニントン・パーク、8月のオウルトンパーク、9月のスカボロー、マロリーパーク英語版、10月のブランズハッチなどのレースで勝利し、初代チャンピオンに輝いた[22]

高い性能を有したCB1100Rであったが、ホンダが発売した特別車という扱いから、レースで勝つためのマシンという本来の目的からはずれ、コレクターズアイテムとなる車両も多かった[23]


CB1100F[編集]


CB1100F

CB1100Rは高い人気を得たが、高騰した販売価格や生産台数の少なさから手に入れられる人間は限られていた。そのため、排気量1000ccから1100ccの並列4気筒エンジンを搭載する車両を求める市場の声に答える形で販売されたのがCB1100Fである。1982年のケルンモーターショーで発表され、エンジンパーツの一部をCB1100Rと共通とするなど、これまでに発売されたCB-F系統の集大成となった。欧州仕様と北米仕様が存在し、欧州仕様ではCB900Fのイメージをそのまま受け継いだものであったが、北米仕様はCB-Fシリーズで唯一キャストホイールが採用され、角型ヘッドライトにバーハンドルの意匠が与えられていた。特別車両を除く、通常ラインナップの中ではフラッグシップといった位置づけのCB1100Fであったが、ホンダはフラッグシップモデルのエンジンレイアウトを並列4気筒からV型4気筒へと転換する方針を打ち立てたため、CB1100Fは1983年の1年間だけの生産となった。

諸元[編集]

遍歴[編集]

1977年[編集]

  • 4月、CB750A(EARA)が発売される。ハイボチェーンやクラッチの技術はCB-F系列に引き継がれた[24][25]

1978年[編集]

  • 8月、イギリスのアールズコートショーでCB900Fが発表され、イギリスを皮切りに9月にドイツのケルンショー、10月のパリ・サロンと各国のモーターショーで公開される。CB750Fは9月にハワイのディーラーミーティングで発表された[26]
  • 12月、CB750KZが発売される[27]

1979年[編集]

  • 6月22日、日本国内でCB750FZの発売が開始された[28]

1980年[編集]

  • FA仕様へとマイナーチェンジが行われた。
  • 5月、様々な専用装備が与えられたCB750カスタムエクスクルージブが1200台限定で発売された[29]
  • 8月、イギリスのアールズコートショーでCB1100Rが発表される。発売は9月に開始された。

1981年[編集]

CB900-F2 BOLD'OR
  • FB仕様へとマイナーチェンジが行われた。
  • フロントブレーキキャリパーが2ポットになり、フロントフォークのインナーチューブ径もφ37mmへとサイズアップされ、足回りの強化が図られた。だが、一部ではこれらのマイナーチェンジが適用されていない車両も市場に流移していた[30]。CB750FBでは最高出力発生回転数が下がったことにより、燃費が32Km/Lから35km/Lへと改善された[30]
  • 日本国内ではCB750FBが4月22日に発売開始され[31]、鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝記念のCB750FBB(ボルドールII)といった限定仕様も販売されたことにより、1979年から1988年のCB750F登録台数としては、この年最多となる11,760台を数えた[30]。CB750FBBにカウルやオイルクーラーを設置したCB750F2BBという特別仕様車も存在し、販売価格は848,000円であった[32]
  • カスタムエクスクルーシブの後継車種としてCB750カスタムが発売される[6]
  • この年より赤く塗装されたフレームにカウルを搭載したF2仕様もラインナップに加わり、CB900Fの北米での販売が開始された[33]

1982年[編集]

  • FC仕様へとマイナーチェンジが行われた。
  • エンジンをラバーマウント化し、フロントタイヤを18インチにサイズダウン、昨年度に続きフロントフォークインナーチューブ径はφ39mmへさらにサイズアップされ、ホイールにはブーメランコムスターを採用、更なる足回りの強化が図られた。
  • 日本国内においても正式にカウルが認可され、ヨーロッパ向けモデルと同様のカウルを装着したCB750F2C(インテグラ)がラインナップに加わった[34]。そして、日本国内においてはFC仕様が最終モデルとなった[16]
  • ケルンショーにてCB1100Fが発表される。

1983年[編集]

  • FD仕様へとマイナーチェンジが行われた。スペックはFC仕様と同じで、内容としてはカラーチェンジにとどまった。
  • F2仕様のフレームカラーが黒に変更された。

1984年[編集]

  • FD、F2DのエキゾーストシステムをCB1100Fと同じ黒く塗装処理の施されたものに変更するといったパーツの共有化をすすめ、限定的に輸出を継続していたが、この年を最後にCB-Fシリーズの生産が終了した[35]

レース戦績[編集]

AMAスーパーバイク選手権[編集]

CB750F #19

1980年〜1982年、AMAスーパーバイク選手権に、AHM(アメリカ・ホンダ・モーター)はCB750Fをベースに参戦した。CB750FのAMAにおける活躍として代表的な1982年のシーズンでは、ライダーに#19 Freddie Spencer#43 Mike Baldwin#88 Roberto Pietri#38 Steave Wize等を擁し、年間チャンピオンこそ獲得はならなかったものの、デイトナでは1位 #19 Freddie Spencer、2位 #43 Mike Baldwin、3位 #88 Roberto Pietriと、表彰台を独占する成績を残した[36]

AHMではCB750Fに対して、初期段階ではRS1000のエンジンを搭載する運用を行っていた。しかし、スプリントではエンジン出力が不足し、また多発するトラブルにも悩まされたため、1982年シーズンではBMWでもチューナーを務めていたユドー・ギードルを筆頭にMike Velasco、美藤定をメカニックとして招聘し、クランクケースやバルブスプリングなど、一部のパーツを除いた全ての部位に独自のチューニングを施し、最高出力でおよそ150ps/13,000rpmまで性能を向上させたエンジンへと移行するなど、大きな改革を行った[37]

エンジンはドライサンプ方式へと変更され、クラッチは乾式、バルブやコンロッドにはJet製チタンが用いられ、点火装置にはドイツのクローバー製CDIが採用された[37]。燃料供給装置にはケニー・ロバーツエディ・ローソンの車両開発にも参加したビル・エドモンドソンが設計を担当した、元々はドラッグレース用に開発されたフラットバルブキャブレター「クイックシルバー」が装着されていた[37]。フレームはレギュレーション上は補強しか認められていなかったのだが、当時のAMAではどのチームにおいても秘密裏にオリジナルフレームへの換装が常態化していたため、レギュレーションに抵触するが、AHMも同様にクロームモリブデン製のオリジナルフレームを採用した[37]

そして、前出のとおり、デイトナでは表彰台を独占し、このシーズンのシルバーにブルーのラインをあしらったCB750Fのカラーリングは、スペンサーカラーとしてホンダの代表的レプリカカラーとして知られるところとなった。

2014年現在、この車両はツインリンクもてぎに併設されたホンダコレクションホールで展示が行われており、ホンダレーシングの殿堂入りも果たした。

鈴鹿8時間耐久ロードレース[編集]

1979年、TT-F1規定で行われた鈴鹿8時間耐久ロードレースでは前年度出場したRCBのようなプロトタイプレーサーが出場できなくなったため、ワークスチームもCB900Fをベースに参加した。CB900を駆るトニー・ハットン、マイク・コール組が優勝し、上位8位までを独占したホンダ勢の内、4台はCB900Fであった。

CB750FourのエンジンをDOHC化したRCBの技術を生かし開発されたCB900Fは、そのエンジンをベースにRS1000が開発され、これには耐久仕様とスプリント仕様が存在した。しかし1983年以前のレギュレーションでは、4ストローク1000ccプロトタイプ車両であるRS1000の参加するレースの多くには2ストローク750ccプロトタイプ車両の参加が可能であり、2ストロークエンジンを搭載した車両を相手に苦戦を強いられた。そのため、4ストロークで2ストローク車両に勝つ、という悲願のために早々に水冷、V型4気筒エンジンを搭載したRS1000RWの開発が決断され、次世代への移行は早かった[38]。RS1000は鈴鹿8時間耐久ロードレース1981年大会で優勝を獲得した[39]

参考画像[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 同時期に販売されていた車種として、MVアグスタ・MV600が1040,000円(2,889ドル)、ミュンヒTT1000が1440,000円(4,000ドル)といった販売価格のところ、CB750Fourは535,000円(1,495ドル)で販売された。(いずれも当時の換算価格)
  2. ^ アンチダイブ機構

出典[編集]

  1. ^ 熱き心で夢を創らん 第3話 1ページ”. 2013年2月6日閲覧。
  2. ^ a b 熱き心で夢を創らん 第2話 2ページ”. 2013年2月9日閲覧。
  3. ^ 熱き心で夢を創らん 第3話 5ページ”. 2013年2月9日閲覧。
  4. ^ a b ホンダ CB-F オーナーズバイブル P.162
  5. ^ 日本のバイク遺産 1970年代編 P.174
  6. ^ a b 日本のバイク遺産 1970年代編 P.175
  7. ^ ホンダCBストーリー P.93
  8. ^ ホンダCBストーリー P.98
  9. ^ ホンダCBストーリー P.149
  10. ^ 熱き心で夢を創らん 第3話 2ページ”. 2013年1月6日閲覧。
  11. ^ ホンダ CB-F オーナーズバイブル PP.162-163
  12. ^ a b ホンダ CB-F オーナーズバイブル P.163
  13. ^ 自動車技術会 モーターリンク34号 (PDF)
  14. ^ 日本のバイク遺産 1970年代編 P.173
  15. ^ 熱き心で夢を創らん 第3話 5ページ”. 2013年1月6日閲覧。
  16. ^ a b c ホンダ CB-F オーナーズバイブル P.6
  17. ^ CB750F”. 2013年1月6日閲覧。
  18. ^ ホンダCBストーリー P.154
  19. ^ a b ホンダCBストーリー P.175
  20. ^ ホンダCBストーリー PP.177-178
  21. ^ ホンダCBストーリー P.178
  22. ^ ホンダCBストーリー PP.179-180
  23. ^ ホンダCBストーリー P.183
  24. ^ ホンダCBストーリー P.148
  25. ^ ホンダ Eara”. 2013年2月16日閲覧。
  26. ^ ホンダCBストーリー PP.148-149
  27. ^ ホンダCB750K”. 2013年2月16日閲覧。
  28. ^ CB750FZ”. 2013年2月6日閲覧。
  29. ^ CB750カスタムエクスクルージブ”. 2013年2月6日閲覧。
  30. ^ a b c ホンダCBストーリー P.156
  31. ^ CB750FB”. 2013年2月6日閲覧。
  32. ^ ホンダ CB-F オーナーズバイブル P.10
  33. ^ ホンダ CB-F オーナーズバイブル P.11
  34. ^ CB750F2C インテグラ”. 2013年2月6日閲覧。
  35. ^ ホンダCBストーリー P.158
  36. ^ ホンダ CB-F オーナーズバイブル P.23
  37. ^ a b c d ホンダ CB-F オーナーズバイブル P.22
  38. ^ ホンダCBストーリー P.172
  39. ^ Honda RS1000”. 2013年2月9日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

  • ホンダ・CBX1000 - 同時期に投入された大排気量、大出力をコンセプトにしたフラッグシップマシン

外部リンク[編集]