板垣正

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板垣正
いたがき ただし
生年月日 (1924-07-01) 1924年7月1日
出生地 日本の旗 日本 東京府
没年月日 (2018-12-09) 2018年12月9日(94歳没)
死没地 東京都
出身校 中央大学法学部
前職 日本遺族会事務局長
所属政党日本共産党→)
(無所属→)
自由民主党
称号 正四位
旭日重光章
親族 父・板垣征四郎

選挙区全国区→)
比例区
当選回数 3回
在任期間 1980年7月8日 - 1998年7月25日
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板垣 正(いたがき ただし、1924年大正13年)7月1日 - 2018年平成30年)12月9日[1])は、日本政治家自由民主党所属参議院議員日本遺族会顧問。日本会議代表委員。板垣征四郎の次男。

経歴

永田町小学校(現麹町小学校[2]成城中学を経て、1945年に陸軍航空士官学校(第58期)卒業。シベリア抑留を体験。1950年の帰国後に日本共産党に入党するも54年に脱党、転向[3]。なお、入党は父・征四郎が処刑された事による「民主運動」参加のため。 1955年3月、中央大学法学部卒業。

1957年に日本遺族会へ加入して、企画部長を経て、1972年から80年まで事務局長をつとめた。

1980年、自由民主党から参議院議員選挙に出馬し当選。3期務めた。この間、参議院内閣委員長、同対外経済協力に関する小委員長、沖縄開発政務次官などを歴任した。自由民主党の保守派議連である「明るい日本」国会議員連盟事務局長。また、議員当選に伴い日本遺族会事務局長から引いたが顧問として留まり手腕を発揮し、首相の靖國神社公式参拝を強く要請した[要出典]

政界引退後は保守派論客として活動しており、米下院121号決議に対しても反対の意を表している。2007年7月13日にアメリカ大使館に手渡された抗議書にも賛同者として名を連ねている[4]。映画『南京の真実』の賛同者。田中正明の親友として知られており、田中の死去(2006年)に際して葬儀委員長を務めた[5]ほか、田中の後任として「興亜観音を守る会」の第二代会長を務めた[要出典]。2012年9月に行われた自由民主党総裁選挙の際は、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人に名を連ねた[6]

2018年12月9日、死去。94歳没。死没日をもって正四位叙位、旭日重光章追贈[7]

主な著作

  • 『この叫び 父の胸にとどけ』板垣正著、文化日本社、1950年6月
  • 『声なき声 250万英霊にこたえる道』板垣正著、原書房、1978年10月
  • 『本音の挑戦』板垣正著、山紫会、国会発言録
  • 『戦後政治への挑戦』板垣正著、山紫会、国会発言録
  • 『靖国公式参拝の総括』板垣正著、展転社、2000年6月、ISBN 4886561810

脚注

  1. ^ 日本遺族通信 平成30年12月15日” (2018年12月15日). 2019年6月18日閲覧。
  2. ^ 『立命館百年史』紀要・第6号 p151
  3. ^ 共同通信社社会部編「沈黙のファイル―「瀬島龍三」とは何だったのか」
  4. ^ 抗議書への賛同者一覧 (PDF) 日本文化チャンネル桜
  5. ^ “田中正明氏死去 近現代史評論家”. 共同通信社. 47NEWS. (2006年1月10日). http://www.47news.jp/CN/200601/CN2006011001003280.html 2012年11月22日閲覧。 
  6. ^ 発起人一覧”. 安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会. 2022年6月3日閲覧。
  7. ^ 『官報』7426号、平成31年1月15日


議会
先代
大城眞順
日本の旗 参議院内閣委員長
1989年 - 1990年
次代
井上孝
先代
佐々木満
日本の旗 参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長 次代
堀江正夫