コンテンツにスキップ

伊勢市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。124.27.222.178 (会話) による 2012年5月3日 (木) 06:21個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎道路)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

いせし ウィキデータを編集
伊勢市
伊勢市旗
日本の旗 日本
地方 東海地方近畿地方
都道府県 三重県
市町村コード 24203-9
法人番号 5000020242039 ウィキデータを編集
面積 208.37km2
総人口 117,856[編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度 566人/km2
隣接自治体 鳥羽市志摩市
度会郡南伊勢町度会町
玉城町多気郡明和町
市の木 オヤネザクラ
市の花 なし
伊勢市役所
市長 鈴木健一
所在地 516-0037
三重県伊勢市岩渕1丁目7番29号
外部リンク 伊勢市

伊勢市位置図

― 市 / ― 町

ウィキプロジェクト

伊勢市(いせし)は、三重県南東部に位置する都市である。

概要

伊勢神宮門前町として発達した都市で、「神都」の異名を持つ。江戸時代には「お伊勢まいり」の街として多数の観光客が訪れ、現在も伊勢志摩の中心都市である。伊勢神宮では20年に一度社殿を建て替え神座を移す「神宮式年遷宮」が催行され、街に活気をもたらすことから「伊勢の町は遷宮のたびに新しくなる。20年ごとに活性化する」と言われている[1]。次の式年遷宮は2013年に開催される。

1906年(明治39年)までは度会郡(渡会郡とも)に属しており、明治維新直後の慶応4年7月6日から明治2年7月17日まで度会府の府庁が置かれた。廃藩置県により度会府は度会県となり、三重県に編入される明治9年4月18日まで県庁所在地であった。

地理

志摩半島の北東部に位置する。市の北部は平地伊勢平野の南端)であり、伊勢湾に面している。南部は標高100~500mの丘陵山地が広がる。

中心市街地は伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)の周辺に形成されている。市街地を外れた森の中に、伊勢神宮 内宮(皇大神宮)が位置する。

「伊勢市」と称する以前は「宇治山田市」と称しており、内宮周辺が宇治、外宮周辺が山田に当たる。

地形

伊勢と宇治山田

宇治山田という地名は、翌年に市制町村制の施行を控えた1888年(明治21年)に紛糾の末[2]、「宇治山田共ニ往古ヨリ稱スル著名ノ冠名ニ付、兩稱ヲ合セテ宇治山田ト撰定ス」[3]すなわち、「宇治と山田は古来から全国民に親しまれている」という理由から内宮鳥居前町の宇治と外宮鳥居前町の山田の両方の名を合わせて決定した[4]。町名には神都または伊勢の名を冠するべき[4]、宇治を外して山田と単称するべきという意見のほか[3]、そもそも市とするか町とするか、宇治と山田は別個に町制を敷くべき、といった議論もあった[5]1887年(明治20年)時点の人口は26,546人で、市制の標準人口の25,000人は満たしていたが、「宇治山田町」として出発することになった[4]

その後、1906年(明治39年)9月1日に市制を施行することになったが、また名称をめぐる問題が起きた[4]。結局、この時点では町名と同じ宇治山田を市名とすることで決着したが、これ以降、折に触れて市名問題が発生することになる[6]。具体的には1935年(昭和10年)頃、1941年(昭和16年)の神社町編入時、1943年(昭和18年)の大湊町・浜郷村・宮本村編入時である[6]1948年(昭和23年)1月には戦災復興都市計画の中で市名改称の是非を問う公聴会が開かれたが、賛成3人、反対15人、不明1人で否決された[7]

大きな流れとなったのは1955年(昭和30年)1月1日の豊浜村・北浜村・四郷村・城田村との合併であり、前年の1954年(昭和29年)11月13日に市名改称公聴会の賛成、11月29日の臨時市議会での議決を経て合併と同時に「伊勢市」に改称された[7]。このようにして自治体名としての宇治山田の名は消滅したが、現在でも駅名・学校名・店名などに残っている。

(例)近鉄宇治山田駅、三重県立宇治山田高等学校、三重県立宇治山田商業高等学校、ドコモショップ宇治山田店、auショップ宇治山田店、宇治山田港

また、宇治山田神社という伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社がある。ただし、読み方は「うじようだじんじゃ」である[8]

歴史

伊勢神宮門前町として古代から発展し、江戸時代には江戸幕府が伊勢神宮の管理を目的とする山田奉行所を設置した。山田奉行所は大岡越前として知られる大岡忠相奉行を務めたことがあり、このころ紀州藩にいた徳川吉宗により、のちに抜擢されることになった。

明治から昭和にかけて参宮鉄道線(現在のJR東海参宮線)・参宮急行電鉄本線(現在の近鉄山田線)・伊勢電気鉄道本線(後の参宮急行電鉄伊勢線。1942年廃止)など鉄道が次々と開通したことにより参詣客が増加した。

更に、国家神道の下で、第二次大戦までは「神都」として国威発揚の場ともなった。「皇紀2600年」にあたる昭和15年(西暦1940年)には、約800万人が参宮のために当地を訪れた(当時の市名は宇治山田市)。大戦末期には、6回の空襲を繰り返し受けた。

沿革

人口

伊勢市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 130,339人
1975年(昭和50年) 134,910人
1980年(昭和55年) 137,296人
1985年(昭和60年) 138,672人
1990年(平成2年) 138,298人
1995年(平成7年) 138,404人
2000年(平成12年) 136,173人
2005年(平成17年) 134,973人
2010年(平成22年) 130,271人
2015年(平成27年) 127,817人
2020年(令和2年) 122,765人
総務省統計局 国勢調査より


行政

合併に伴う地名表記

  • 旧伊勢市 → 変更なし
  • 旧御薗村 → 伊勢市御薗町
  • 旧小俣町 → 伊勢市小俣町
  • 旧二見町 → 伊勢市二見町

いずれの旧市町村域も大字以下の変更はない (例外として、二見町 茶屋、光の街の2地区が、二見町の中で独立した町名になった)。

姉妹都市・提携都市

災害時相互応援協定
御食国サミット

経済

名産

赤福本店(伊勢市)

企業

本社を置く企業

工場を置く企業

商業施設

日本郵政グループ

  • 伊勢郵便局(岩渕) ★
  • 伊勢大世古(おおぜこ)郵便局(大世古)
  • 伊勢神社(かみやしろ)郵便局(神社港)
  • 伊勢辻久留(つじくる)郵便局(辻久留)
  • 伊勢古市郵便局(古市町)
  • 伊勢筋向橋(すじかいばし)郵便局(常盤) ★
  • 宮本郵便局(佐八町=そうちちょう)
  • 五十鈴川郵便局(宇治中之切町) ★
  • 伊勢外宮前郵便局(本町)
  • 伊勢船江郵便局(船江)
  • 伊勢御木本通(みきもとどおり)郵便局(勢田町=せいたちょう)
  • 伊勢朝熊(あさま)郵便局(朝熊町)
  • 豊浜郵便局(東豊浜町)
  • 伊勢浜郷(はまごう)郵便局(黒瀬町)
  • 伊勢大湊郵便局(大湊町)
  • 伊勢河崎郵便局(河崎)
  • 伊勢北浜郵便局(村松町)
  • 伊勢一之木郵便局(一之木)
  • 沼木郵便局(上野町)
  • 伊勢城田(きだ)郵便局(上地町)
  • 小俣郵便局(小俣町元町) ★
  • 御薗郵便局(御薗町高向(たかぶく)) ★
  • 二見郵便局(二見町荘) ★
  • 明野簡易郵便局(小俣町明野)
  • 御薗長屋簡易郵便局(御薗町長屋)
  • 今一色(いまいしき)簡易郵便局(二見町今一色)


  • 名古屋支店 イオンララパークショッピングセンター内出張所(小木町=こうぎちょう)(ATMのみ/ホリデーサービス実施)
  • 名古屋支店 ジャスコ新伊勢店内出張所(楠部町)(ATMのみ/ホリデーサービス実施)
その他簡易郵便局を除く各郵便局にATMが設置されており、★印の郵便局ではホリデーサービスも実施。(2011年2月現在)

※伊勢市内の郵便番号は以下のとおり(特記無しは伊勢支店の管轄)。

  • 515-05xx」「516-00xx」「516-11xx」=合併前からの伊勢市域(朝熊町の一部を除く)、御薗町上條の一部
  • 516-08xx」=旧御薗村域(御薗町上條の一部を除く)
  • 519-05xx」=旧小俣町域
  • 519-06xx」=旧二見町域
  • 517-0081」=朝熊町の一部(鳥羽支店の管轄)

地域

  • 伊勢志摩地方の行政・経済の中枢となっている。
  • 「伊勢っこ正直」といわれるように、気候風土のためか、伊勢神宮があるためか、伊勢市民は性格が穏やかで明るいといわれる。
  • 伊勢商人
    • 江戸時代、東海道の始点であった日本橋周辺で呉服屋など堅実に商売をしていた。

学校

伊勢市は三重県南部では最大の都市であり、三重県南部ほぼすべてを周辺人口に含むため、文化施設と高等学校が多い。

大学

私立

高等学校

中学校

伊勢市立
私立

小学校

すべて伊勢市立

交通

鉄道

近畿日本鉄道(近鉄)
東海旅客鉄道(JR東海)

中心となる駅は近鉄、JR東海両社が接続する伊勢市駅だが、近鉄の利用者は宇治山田駅のほうが多く、近鉄における列車の運行上の拠点も宇治山田駅となっている。

かつては伊勢電気鉄道本線(後の参宮急行電鉄伊勢線。1930年~1942年。大神宮前駅など)と、路面電車として神都線(1903年~1961年)も存在した。

路線バス

高速バス

一般路線バス

道路

高速道路

有料道路

地域高規格道路

一般国道

主要地方道

一般県道

市内の道路通称名

  • おはらい町通り
  • おかげ横丁通り
  • 御木本道路(三重県道32号伊勢磯部線の一部)
  • 伊勢道路(三重県道32号伊勢磯部線の一部)
  • 磯部道(三重県道32号伊勢磯部線の一部)
  • 二見道(三重県道102号伊勢二見線の一部)
  • 鳥羽道(三重県道37号鳥羽松阪線の一部)
  • 伊勢志摩スカイライン

観光

2003年度には、伊勢神宮を中心として年間約550万人の観光客が訪れた。

また、近畿地方内の多くの小学校が修学旅行先としており、JR近鉄の臨時列車も運行される。観光ガイドでは、「伊勢・奈良京都」が「3点セット」とされる事がある。

名所・旧跡

皇大神宮(内宮)前の宇治橋
二見興玉神社の夫婦岩
宮川桜まつり、約1000本の桜並木

観光スポット

祭事・催事

博覧会

伊勢ではこれまでに数多くの博覧会が開催されている。既に1873年(明治6年)には、文明開化を意図して神宮司庁と度会県庁の共催で実施されている[10]。観光的な意図をもって博覧会が開催されるようになったのは、昭和以降である[10]。以下に挙げる博覧会のうち、平成に入ってから開催された世界祝祭博覧会以外は、「伊勢の博覧会男」の異名を持ち、宇治山田市長を務めた北岡善之助が開催に関与している[11]

  • 御遷宮奉祝神都博覧会[12] - 1930年(昭和5年)3月10日〜同年5月31日に開催。「国体に関する資料」と「優良産品」の展示が行われた。来場者数は55万人。
  • 平和博覧会[13] - 1948年(昭和23年)3月31日~同年5月31日に開催。倉田山を主会場とし、大神宮前駅跡地と近鉄宇治山田駅前を分会場としていた。北海道から熊本県まで日本中から特産物が出品され、観光・勧業両面で成果を挙げた。来場者数は443,115人。
  • 御遷宮記念お伊勢博覧会[14] - 1954年(昭和29年)3月31日〜同年5月31日に開催。宇治山田市と宇治山田商工会議所が主催し、倉田山と宇治山田駅前で開かれた。開幕は伊勢会館(現在の伊勢市観光文化会館)で、各界の代表者千数百人を招待して盛大に行われた。神宮神宝館・百万ドル真珠館・サーカスなどがあった。大々的に宣伝を行った割には入場者は45万人と低調で、一般には失敗だったと受け止められている[15]
  • 伊勢参宮博覧会[16] - 1958年(昭和33年)3月19日〜同年5月7日に開催。神宮式年遷宮と伊勢商工会議所の発足30周年を記念し、伊勢商工会議所の主催、神宮司庁・三重県庁・伊勢市教育委員会の協賛で行われた。会場は倉田山公園。この年には日本国内9か所で博覧会が予定されていたことから県庁は開催に反対したが、北岡善之助は「全国各地で博覧会があるからこそ、伊勢でも実施するのだ」として押し切り、商工会議所単独で主催した[17]倭姫命御一代館、南極昭和基地、全国商工会議所関係展示、テレビジョン電波実演、伊勢音頭などがあった。45万人が来場し、規模の割には予想外の集客を達成した[18]
  • 世界祝祭博覧会 - 1994年(平成6年)7月22日〜同年11月6日に開催。愛称は「まつり博・三重’94」で、テーマは「新たな“であい”を求めて」。来場者は351万人。会場跡地には三重県営サンアリーナがある。

関連有名人

伊勢市ゆかりの著名人

歴史上の人物

映画

作家

芸能

政治

スポーツ

その他

伊勢市を舞台とした作品

  • 鉄道唱歌 第五集 関西・参宮・南海篇』(作詞:大和田建樹、作曲:多梅稚
    大和田建樹は鉄道唱歌を作詞するに当たって、国家や歴史において重要な意義を持った場所には多く歌詞を割り当てる傾向があり、ここの場合も伊勢神宮と二見興玉神社の夫婦岩を舞台にして、5番を割いている。
25.伊勢の外宮のおわします 山田に汽車は着きにけり 参詣いそげ吾(わが)友よ 五十鈴(いすず)の川に御禊(みそぎ)して
26.五十鈴の川の宇治橋を わたればここぞ天照 皇大神(すめおおかみ)の宮どころ 千木たかしりて立ち給う
27.神路の山の木々あおく 御裳濯川(みもすそがわ)の水きよし 御威(みいつ)は尽きじ千代かけて いずる朝日ともろともに
28.伊勢と志摩とにまたがりて 雲井に立てる朝熊山(あさまやま) のぼれば富士の高嶺まで 語り答うるばかりにて
29.下りは道を踏みかえて 見るや二見の二つ岩 画(え)に見しままの姿にて 立つもなつかし海原に
  • 半分の月がのぼる空』(橋本紡)
    前述の通り、作者が伊勢市出身である事が大きく関係している。(ドラマ版のロケ地は栃木県佐野市であるが、2010年4月3日公開の映画版は伊勢市での撮影となる。)
  • 砂の器』(松本清張
    原作では伊勢市駅前付近、映画・ドラマ版では二見浦駅前付近が一場面として登場。

その他

参考文献

  • 伊勢市『伊勢市史』伊勢市役所、昭和43年
  • 宇治山田市役所『宇治山田市史 上巻』宇治山田市役所、昭和4年
  • 外山秀一「現代に回生する鳥居前町 伊勢市」『近畿 I 地図で読む百年 京都・滋賀・奈良・三重』(平岡昭利・野間晴雄 編、古今書院、2006年、ISBN 4-7722-3053-X)121-124頁
  • 橋爪紳也『人生は博覧会 日本ランカイ屋列伝』晶文社、2001年5月30日、284pp. ISBN 4-7949-6489-7

脚注

  1. ^ 外山(2006)124ページ
  2. ^ 伊勢市(1968)92ページ
  3. ^ a b 宇治山田市役所(1929)234ページ
  4. ^ a b c d 伊勢市(1968)93ページ。
  5. ^ 伊勢市(1968)92 - 93ページ
  6. ^ a b 伊勢市(1968)94ページ
  7. ^ a b 伊勢市(1968)95ページ
  8. ^ 財団法人伊勢神宮崇敬会"宇治山田神社(うじようだじんじゃ)"(2010年11月23日閲覧。)
  9. ^ 「友好関係さらに深く 災害時に相互応援 伊勢市と長野県飯田市 協定書に調印」中日新聞 1996年3月2日付 朝刊 22面 伊勢志摩版
  10. ^ a b 伊勢市(1968)630ページ
  11. ^ 橋爪(2001)249 - 278ページ。
  12. ^ 伊勢市(1968)631ページ
  13. ^ 伊勢市(1968)632 - 633ページ
  14. ^ 伊勢市(1968)633 - 634ページ
  15. ^ 橋爪(2001)273ページ
  16. ^ 伊勢市(1968)634 - 635ページ
  17. ^ 橋爪(2001)274 - 275ページ
  18. ^ 橋爪(2001)275ページ
  19. ^ 中日新聞 2007年9月12日朝刊 三重版、同年9月22日朝刊 三重版
  20. ^ 『広報いせ』平成20年9月号 18ページ

関連項目

外部リンク

行政
観光
その他