ゲイリー・カーター

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ゲーリー・カーター
Gary Carter
2008年9月9日、オレンジカントリー・フライヤーズ監督当時のカーター
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州カルバーシティ
生年月日 (1954-04-08) 1954年4月8日
没年月日 (2012-02-16) 2012年2月16日(57歳没)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1972年 ドラフト3巡目
初出場 1974年9月16日
最終出場 1992年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

殿堂表彰者
選出年 2001年
殿堂表彰者
選出年 2003年
得票率 78.02%
選出方法 BBWAA[1]選出

ゲーリー・カーターGary Edmund Carter, 1954年4月8日 - 2012年2月16日)は、アメリカ合衆国野球選手捕手)。右投右打。カリフォルニア州出身。メジャーリーグで活躍し、野球殿堂入りした名捕手。ニックネームは「Kid」(キッド)。

来歴・人物

カリフォルニア州カルバーシティ(Culver City)出身。サニーヒルズ高校時代には野球の他にアメリカンフットボールバスケットボールでも活躍。1974年9月16日に弱冠20歳でモントリオール・エクスポズでメジャーデビューを果たした。

1975年には早くもレギュラーに定着して144試合に出場し、打率.270、17本塁打、68打点と活躍し、新人ながらオールスター出場を果たした。

ナショナルリーグ新人王は15勝をあげたジョン・モンテフュスコJohn Montefuscoジャイアンツ)に譲ったが、「スポーティング・ニューズ」誌が選ぶ新人王には選出された。

負担の大きい捕手というポジションでありながら主力打者として活躍し、捕手として出場しない時には一塁三塁外野として先発出場することもあった。また、捕手としてもベンチからも投手陣からも信頼が厚く、まさにチームを引っ張る選手となった。その後も活躍を続け、1981年には、オールスターゲーム史上5人目の1試合2本塁打を放ち、MVPに選出された。

1984年、2度目のオールスターMVPを獲得。106打点で打点王のタイトルを獲得し、オフにヒュービー・ブルックス英語版)ら5選手との交換でニューヨーク・メッツに移籍する。

メッツでもリーダーシップを発揮し、ダリル・ストロベリーらを押しのけて四番に座り、移籍初年度の1985年には32本塁打・100打点。1986年にも24本塁打・100打点を記録し、この年のワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。特に、2勝3敗で迎えて後のないワールドシリーズ第6戦(対ボストン・レッドソックスシェイスタジアム)では、延長10回表にリードを許し、10回裏2アウトと追い込まれたが、カーターのヒットで口火を切って、最後は相手一塁手ビル・バックナーのサヨナラエラーで逆転に成功した(詳細は同項)。

このシリーズでもフェンウェイ・パークで1試合2本塁打を放ち、オールスターとワールドシリーズの両方で1試合2本塁打を記録した(現時点で)唯一の選手となっている。

しかし、この年をピークに以後成績は下降。1989年限りでメッツから自由契約となるが、この年のオフに彼の慈善活動が認められ、ロベルト・クレメンテ賞を受賞した。1990年はサンフランシスコ・ジャイアンツ、1991年ロサンゼルス・ドジャース1992年には古巣のエクスポズとチームを転々とし、この年限りで現役引退した。

野球殿堂入り有資格6年目の2003年の投票で選出され、12シーズンを過ごしたエクスポズの捕手として栄誉の殿堂入りを果たした。他にも、2001年にはメッツの殿堂とカナダ野球殿堂に入っている。また、引退した翌1993年には自身の背番号8」がエクスポズの永久欠番に指定された。球団がワシントンD.C.に移転してナショナルズとなった直後に一度は失効したが、2011年からは再び永久欠番となった。引退後はメッツの巡回コーチとして活動し、その後2005年から2007年までメッツ傘下のガルフコースト・メッツ(ルーキー級)、セントルーシー・メッツ(A級)の監督を歴任し、2008年から2009年まで独立リーグのオレンジカントリー・フライヤーズロングアイランド・ダックスの監督を歴任、2010年からはパームビーチアトランティック大学のヘッドコーチを務めた。

2012年2月16日、2011年5月に患った脳腫瘍のため死去[1]。57歳没。2月19日にはエクスポズと同じモントリオールに本拠地を置くNHLカナディアンズが追悼セレモニーを行い、ナショナルズも開幕後の4月12日にセレモニーを行った。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1974 MON 9 29 27 5 11 0 1 1 16 6 2 0 0 1 1 0 0 2 0 .407 .414 .593 1.007
1975 144 590 503 58 136 20 1 17 209 68 5 2 10 4 72 8 1 83 7 .270 .360 .416 .776
1976 91 347 311 31 68 8 1 6 96 38 0 2 2 3 30 2 1 43 7 .219 .287 .309 .596
1977 154 595 522 86 148 29 2 31 274 84 5 5 3 7 58 5 5 103 9 .284 .356 .525 .881
1978 157 607 533 76 136 27 1 20 225 72 10 6 2 5 62 11 5 70 10 .255 .336 .422 .758
1979 140 559 505 74 143 26 5 22 245 75 3 2 2 7 40 3 5 62 11 .283 .338 .485 .823
1980 154 617 549 76 145 25 5 29 267 101 3 2 1 8 58 11 1 78 9 .264 .331 .486 .817
1981 100 419 374 48 94 20 2 16 166 68 1 5 3 6 35 4 1 35 6 .251 .313 .444 .757
1982 154 653 557 91 163 32 1 29 284 97 2 5 4 8 78 11 6 64 16 .293 .381 .510 .891
1983 145 609 541 63 146 37 3 17 240 79 1 1 2 8 51 7 7 57 14 .270 .336 .444 .780
1984 159 669 596 75 175 32 1 27 290 106 2 2 0 3 64 9 6 57 8 .294 .366 .487 .853
1985 NYM 149 633 555 83 156 17 1 32 271 100 1 1 0 3 69 16 6 46 18 .281 .365 .488 .853
1986 132 573 490 81 125 14 2 24 215 105 1 0 0 15 62 9 6 63 21 .255 .337 .439 .776
1987 139 573 523 55 123 18 2 20 205 83 0 0 1 6 42 1 1 73 14 .235 .290 .392 .682
1988 130 503 455 39 110 16 2 11 163 46 0 2 1 6 34 1 7 52 8 .242 .301 .358 .659
1989 50 166 153 14 28 8 0 2 42 15 0 0 0 1 12 0 0 15 5 .183 .241 .275 .516
1990 SF 92 272 244 24 62 10 0 9 99 27 1 1 0 2 25 3 1 31 2 .254 .324 .406 .730
1991 LAD 101 280 248 22 61 14 0 6 93 26 2 2 1 2 22 1 7 26 11 .246 .323 .375 .698
1992 MON 95 325 285 24 62 18 1 5 97 29 0 4 1 4 33 4 2 37 4 .218 .299 .340 .639
通算:19年 2295 9019 7971 1025 2092 371 31 324 3497 1225 39 42 33 99 848 106 68 997 180 .262 .335 .439 .774
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録

背番号

  • 57 (1974年)
  • 8 (1975年 - 1992年)

脚注

  1. ^ Gary Carter dies at age 57 ESPN 2012-2-16

外部リンク