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'''由布島'''(ゆぶじま)は、[[西表島]]の東約0.5kmに位置する[[八重山列島|八重山諸島]]の[[島]]である<ref name="data_taketomi">{{Cite web| url = https://www.pref.okinawa.lg.jp/chiiki_ritou/simajima/17taketomi/data_taketomi.pdf | title = 島データ 竹富町| publisher = 沖縄県 |format = PDF | accessdate = 2019-02-11| archiveurl=https://web.archive.org/web/20190211055557/https://www.pref.okinawa.lg.jp/chiiki_ritou/simajima/17taketomi/data_taketomi.pdf | archivedate = 2016-02-01}}</ref>。行政区域は、全島が[[沖縄県]][[八重山郡]][[竹富町]]字[[古見 (竹富町)|古見]]に属する。
'''由布島'''(ゆぶじま)は、[[日本]]の[[沖縄県]]に属する[[八重山列島|八重山諸島]]の一島である。

[[西表島]]の東岸直近に隣接。西表島の与那良川からの堆積砂が[[海流]]により堆積して形成された総面積0.15[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]、周囲2.0km<ref name=":0">{{Cite web|url=http://www.pref.okinawa.jp/chiiki_ritou/simajima/iriomote/data_index.html|title=由布島のデータ|accessdate=2019-02-11|publisher=沖縄県ホームページ|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160412061631/https://www.pref.okinawa.jp/chiiki_ritou/simajima/iriomote/data_index.html|deadlinkdate=2019-02-11|archivedate=2016-02-01}}</ref>の小さな[[島]]である。

現代は観光客向け施設が数軒あるが、昼間は観光客で賑わう一方、定住者は水牛守のほかは少ない。観光ブームで少しずつ観光業に係わる住民が増え、役場上は戸数十数戸、人口数十人となっている<ref name=":0" />。飼養する水牛が増え続け、島民よりも水牛の頭数の方が多くなっている。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[西表島]]の東岸直近に隣接する総面積0.15[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]、周囲2.0kmの小島である。島全体が「亜熱帯植物楽園」と呼ばれる[[植物園]]になっている<ref>{{cite web| title = 亜熱帯植物楽園 由布島| publisher = 竹富町観光協会| url = https://painusima.com/634/ | accessdate = 2019-02-11}}</ref><ref>{{cite web| title = マップ| publisher = 亜熱帯植物楽園| url = http://www.yubujima.com/map.html | accessdate = 2019-02-11}}</ref>。


昼間はピーク日で1,117人もの観光客で賑わう{{refnest|group="注"|2017年に環境省が取りまとめた資料によると、由布島への入込客の概数は年間201,600人で、ピーク日は1,117人<ref>{{cite web| title = 奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島世界自然遺産候補地地域連絡会議第2回西表島部会 参考資料3 西表島における観光利用の現況と課題(現時点修正版)| publisher = 環境省九州地方環境事務所| url = http://kyushu.env.go.jp/naha/amami-okinawa/meeting/region/pdf/D2_e2_h28_2_iriomote/D.2.e2_H28-2_93.pdf | format = PDF| date = 2017-02-15 | accessdate = 2019-02-11}}</ref>。}}一方、[[住民基本台帳]]上の人口は16人(2019年1月末時点)と[[住民]]は少ない<ref>{{cite web| title = 竹富町地区別人口動態票| publisher = 竹富町| url = https://www.town.taketomi.lg.jp/administration/toukei/jinko/doutai/ | accessdate = 2019-02-11}}</ref>。植物園で飼養する[[スイギュウ|水牛]]が増えた結果、住民よりも水牛の数が多くなっている<ref name="history">{{cite web| title = 由布島ヒストリー| publisher = 亜熱帯植物楽園| url = http://www.yubujima.com/history.html | accessdate = 2019-02-11}}</ref>。
=== 歴史 ===
砂州を現地の言葉で「ユブ」と言う事が由来と考えられている。西表島での耕作の際、熱病蚊を避けるために由布島に住居を置いたのが(確認されている範囲での)定住の始まりだと言われている。太平洋戦争・沖縄戦後、果実や[[サトウキビ|甘蔗]]栽培で定住者が増え各戸で水牛を飼養するようになり、学校(島分教場)が昭和23年に開校。のちに由布島小中学校などに改称。最盛期には島民111人、25世帯を数えた。当時は石垣島との間に定期航路(春風丸)もあったほどである。


== 歴史 ==
昭和44年(1969年)にエルシー台風により島全域が水没するなど壊滅的な被害を受け、対岸の西表島へと全島移住が決まる。その後しばらく非定住島であったが日本本土復帰、沖縄観光ブームなどにより再び若干数の定住戸(役場上)が出始める<ref name=":0" />。
近世、[[稲作]]に不適であった[[竹富島]]や[[黒島 (沖縄県竹富町)|黒島]]の島民は、西表島に[[田|水田]]を開き舟で通って耕作を行っていた(通耕)。その際、[[マラリア]]の有病地であった西表島を避け、無病地であった由布島に田小屋と呼ばれる仮住居を置いたのが、確認されている範囲での人が住むようになった始まりとされる<ref name="history" /><ref>{{cite journal|和書| title = 近代八重山諸島における遠距離通耕の歴史的展開| author = 藤井紘司| journal = 地理学評論 Series A| volume = 83| issue = 1| pages = 1-20| publisher = 日本地理学会| url = https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj/83/1/83_1_1/_article/-char/ja/| date = 2010}}</ref><ref name="kadokawa">{{cite encyclopedia | title = 由布島| encyclopedia= 角川日本地名大辞典 47 沖縄県| author = 角川日本地名大辞典編纂委員会| date= 1986-07-08| publisher= 角川書店| page = 710}}</ref>。


[[太平洋戦争]]後、[[1947年]](昭和22年)に竹富島や黒島から移住が行われて由布島に集落が成立<ref name="ayumi">{{cite web| title = 沿革2(昭和13年~昭和63年)| publisher = 竹富町| url = https://www.town.taketomi.lg.jp/administration/ayumi/1531187888/ | accessdate = 2019-02-11}}</ref>。果樹や[[サトウキビ|甘蔗]]が栽培され、各戸で水牛を飼養するようになった。人口も増加し、[[1948年]](昭和23年)には学校(島分教場)が開校<ref name="history" /><ref name="kadokawa" />。のちに由布島小中学校などに改称<ref name="history" />。[[1964年]](昭和39年)頃には島民111人、25世帯を数えた<ref name="tikubetu_jinkoudoutai_rekinen">{{cite web| title = 竹富町地区別人口動態票(昭和39年~平成22年)| publisher = 竹富町| url = https://www.town.taketomi.lg.jp/userfiles/files/page/administration/toukei/jinko/doutai/tikubetu_jinkoudoutai_rekinen.pdf| format = PDF| accessdate = 2019-02-11}}</ref>。当時は石垣島との間に定期航路(春風丸)もあったほどである。往時は、竹富島由来の種子取祭が執り行われていた<ref name="history" />。
=== 地理 ===
島の全域に沖縄県[[八重山郡]][[竹富町]]字[[古見 (竹富町)|古見]]687番地が割り当てられている。由布島と西表島の間の海は、通常は大人の膝に満たないぐらいの深さしかなく、[[満潮]]時でも1mほどにしかならない。そのため、由布島と西表島間の観光用の移動手段として[[スイギュウ|水牛]]が利用され、島の重要な[[観光資源]]になっている。また、潮位が低く波が静かなときには、通常の自動車や徒歩で渡ることも可能である。


しかし、[[1969年]](昭和44年)[[9月26日]]にエルシー[[台風]]により島全域が水没するなど壊滅的な被害を受け、[[1971年]](昭和46年)[[8月8日]]には11世帯が対岸の西表島へと移住して美原集落を形成し、由布島には3世帯のみが残った<ref name="history" /><ref name="kadokawa" /><ref name="ayumi" /><ref name="company">{{cite web| title = 会社概要| publisher = 亜熱帯植物楽園| url = http://www.yubujima.com/company.html | accessdate = 2019-02-11}}</ref>{{refnest|group="注"|[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]によると、[[1970年]](昭和45年)の人口は106人であったが、[[1975年]](昭和50年)には8人、[[1975年]](昭和50年)には9人、[[1980年]](昭和55年)には6人となった<ref>{{cite web| title = 八重山要覧(平成28年度版) 第1章 指定離島・島しょ・人口| publisher = 沖縄県| url = https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/somu/yaeyama/shinko/youran/h28yaeyamayouran.html | format = PDF| accessdate = 2019-02-11}}</ref>。}}。
2010年現在、島内には水牛車待合所やレストラン、オープン喫茶、開放型植物庭園、蝶園などがある。


その後、由布島では[[ヤシ]]の植樹などが行われ、[[1981年]](昭和56年)[[4月1日]]に植物園が開園。徐々に施設を拡大して今日に至っている<ref name="history" /><ref name="company" />。[[1990年]](平成2年)には、島内の電力技術に携わっていた[[明電舎]]のCMで紹介され、知名度が向上した<ref name="history" />。
== 由布島と水牛 ==
由布島の重要な観光資源となっている水牛車の水牛は、元々[[台湾]]から連れて来られた雄の「大五郎」と雌の「花子」のひとつがいの水牛が繁殖して現在に至ると云われている。島にはその2匹の水牛の名前が刻まれた記念碑が建っており、その家系図をプリントした[[タオル]]がお土産として売られている。また、[[牛糞|牛の糞]]が描かれた「ウン」付き(ウンと運をかけてある)タオルや、水牛の角を加工した置物等の水牛に因んだ土産物も販売されている。


== 地理 ==
水牛は水牛車を引くために2歳からトレーニングを始め、3歳頃から本格的に車を引っ張るようになる。
西表島の与那良川からの堆積砂が[[海流]]により堆積して形成された島である。由布島という島名も、[[砂州]]を現地の言葉で「ユブ」と言うことが由来と考えられている<ref name="kadokawa" /><ref name="history" />。


島の全域に沖縄県[[八重山郡]][[竹富町]]字[[古見 (竹富町)|古見]]687番地が割り当てられている<ref>{{cite web| title = 【参考資料B26】日本の主な島の住所| work = サイエンスミュージアムネット| publisher = 国立科学博物館| url = http://science-net.kahaku.go.jp/contents/hint/RMB26_islandsaddress.pdf| date = 2017-07 | format = PDF| accessdate = 2019-02-11}}</ref>。
飼い主以外の人が水牛を触ることは禁じられてはいるが、非常におとなしく、飼い主の言う事をよく聞くその従順な姿と賢さに驚いたり感動したりする観光客が多い。


== 交通 ==
== 台風と西表正治おじぃ夫婦 ==
由布島と西表島の間の海は、通常は大人の膝に満たないぐらいの深さしかなく、[[満潮]]時でも1mほどにしかならない。そのため、由布島と西表島間の移動手段として[[牛車|水牛]]が利用され、島の重要な[[観光資源]]になっている。また、潮位が低く波が静かなときには、通常の自動車や徒歩で渡ることも可能である。
かつての由布島は、[[竹富島]]や[[黒島 (沖縄県竹富町)|黒島]]から移り住んできた人々で栄えていた。往時は、竹富島由来の種子取祭が執り行われていた。


[[西表島交通]]が運行する西表島の東西を結ぶ路線バスが、由布島に最寄りの「由布水牛車乗場」停留所を経由する。水牛車乗場から由布島までは、水牛車で約15分、徒歩で約5分である<ref name="dor39">{{cite web| title = 由布島 離島紹介| publisher = DOR39(沖縄県ディスカバー沖縄しま観光振興事業)| url = http://dor39.jp/islands/detail/36/ | accessdate = 2019-02-11}}</ref>。
島民たちは、自分たちが持っている対岸の西表島の[[水田]]まで行き帰りして生活をしていたが、[[1969年]](昭和44年)の[[台風]]により島は壊滅的な被害を受けた。生存者のほとんどは西表島などに移り住んで行った。

島の人々が去っていく中で、おじぃと呼ばれた故・西表正治(享年96)は妻と島に残り、再び島に人々が戻ってくることを信じてたくさんのやしの木や花を植え続けていった。そうして現在では、[[沖縄本島]]では見ることが出来ない熱帯性の植物がたくさん生い茂り、数々の動物たちが生息している。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<references/>
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Yubujima}}
* [[竹富町]]
* [[南西諸島]]
** [[先島諸島]]
*** [[八重山列島]]
* [[明電舎]](島内の電力技術に携わっていたことから、1990年代初期によくCMで紹介されていた)
* [[日本の地理]]
* [[日本の地理]]
* [[日本の島の一覧]]
* [[日本の島の一覧]]
{{Commons|Category:Yubujima}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Yubujima}}
* [https://www.town.taketomi.lg.jp/ 竹富町ホームページ](公式サイト)
* [https://www.town.taketomi.lg.jp/ 竹富町ホームページ](公式サイト)
** [https://www.town.taketomi.lg.jp/about/yufu/ 竹富町を知ろう 由布島]
** [https://www.town.taketomi.lg.jp/about/yufu/ 竹富町を知ろう 由布島]
* [https://ta.taketomicho.jp/ 竹富町観光協会]
* [https://ta.taketomicho.jp/ 竹富町観光協会]
* [http://dor39.jp/islands/detail/36/ 由布島] - DOR39(沖縄39離島観光情報サイト)
* [http://dor39.jp/islands/detail/36/ 由布島] - DOR39(沖縄39離島観光情報サイト)
* [http://www.yaeyama.co/island/hatoma/index.html 由布島] - 八重山物語(石垣市経済振興公社)
* [https://www.okinawastory.jp/about/yaeyama_area/yubu 由布島] - おきなわ物語(沖縄観光コンベンションビューロー)
* [https://www.okinawastory.jp/about/yaeyama_area/yubu 由布島] - おきなわ物語(沖縄観光コンベンションビューロー)
* [https://ritohaku.okinawastory.jp/yaeyama/yubujima/ 由布島] - リトハク(沖縄観光コンベンションビューロー)
* [https://ritohaku.okinawastory.jp/yaeyama/yubujima/ 由布島] - リトハク(沖縄観光コンベンションビューロー)
* [http://www.yubujima.com/index.html 由布島 亜熱帯植物楽園]


{{八重山諸島}}
{{八重山諸島}}

2019年2月11日 (月) 13:27時点における版

由布島
由布島と西表島
由布島(中央)と西表島(左)
(1977年度撮影)国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 日本の旗 日本沖縄県八重山郡竹富町
所在海域 東シナ海
所属諸島 八重山諸島
座標 北緯24度20分34秒 東経123度56分1秒 / 北緯24.34278度 東経123.93361度 / 24.34278; 123.93361座標: 北緯24度20分34秒 東経123度56分1秒 / 北緯24.34278度 東経123.93361度 / 24.34278; 123.93361
面積 0.15 km²
海岸線長 2.0 km
最高標高 1.9 m
プロジェクト 地形
テンプレートを表示
亜熱帯植物楽園
由布島と西表島を往来する水牛車

由布島(ゆぶじま)は、西表島の東約0.5kmに位置する八重山諸島である[1]。行政区域は、全島が沖縄県八重山郡竹富町古見に属する。

概要

西表島の東岸直近に隣接する総面積0.15km2、周囲2.0kmの小島である。島全体が「亜熱帯植物楽園」と呼ばれる植物園になっている[2][3]

昼間はピーク日で1,117人もの観光客で賑わう[注 1]一方、住民基本台帳上の人口は16人(2019年1月末時点)と住民は少ない[5]。植物園で飼養する水牛が増えた結果、住民よりも水牛の数が多くなっている[6]

歴史

近世、稲作に不適であった竹富島黒島の島民は、西表島に水田を開き舟で通って耕作を行っていた(通耕)。その際、マラリアの有病地であった西表島を避け、無病地であった由布島に田小屋と呼ばれる仮住居を置いたのが、確認されている範囲での人が住むようになった始まりとされる[6][7][8]

太平洋戦争後、1947年(昭和22年)に竹富島や黒島から移住が行われて由布島に集落が成立[9]。果樹や甘蔗が栽培され、各戸で水牛を飼養するようになった。人口も増加し、1948年(昭和23年)には学校(島分教場)が開校[6][8]。のちに由布島小中学校などに改称[6]1964年(昭和39年)頃には島民111人、25世帯を数えた[10]。当時は石垣島との間に定期航路(春風丸)もあったほどである。往時は、竹富島由来の種子取祭が執り行われていた[6]

しかし、1969年(昭和44年)9月26日にエルシー台風により島全域が水没するなど壊滅的な被害を受け、1971年(昭和46年)8月8日には11世帯が対岸の西表島へと移住して美原集落を形成し、由布島には3世帯のみが残った[6][8][9][11][注 2]

その後、由布島ではヤシの植樹などが行われ、1981年(昭和56年)4月1日に植物園が開園。徐々に施設を拡大して今日に至っている[6][11]1990年(平成2年)には、島内の電力技術に携わっていた明電舎のCMで紹介され、知名度が向上した[6]

地理

西表島の与那良川からの堆積砂が海流により堆積して形成された島である。由布島という島名も、砂州を現地の言葉で「ユブ」と言うことが由来と考えられている[8][6]

島の全域に沖縄県八重山郡竹富町古見687番地が割り当てられている[13]

交通

由布島と西表島の間の海は、通常は大人の膝に満たないぐらいの深さしかなく、満潮時でも1mほどにしかならない。そのため、由布島と西表島間の移動手段として水牛車が利用され、島の重要な観光資源になっている。また、潮位が低く波が静かなときには、通常の自動車や徒歩で渡ることも可能である。

西表島交通が運行する西表島の東西を結ぶ路線バスが、由布島に最寄りの「由布水牛車乗場」停留所を経由する。水牛車乗場から由布島までは、水牛車で約15分、徒歩で約5分である[14]

脚注

注釈

  1. ^ 2017年に環境省が取りまとめた資料によると、由布島への入込客の概数は年間201,600人で、ピーク日は1,117人[4]
  2. ^ 国勢調査によると、1970年(昭和45年)の人口は106人であったが、1975年(昭和50年)には8人、1975年(昭和50年)には9人、1980年(昭和55年)には6人となった[12]

出典

  1. ^ 島データ 竹富町” (PDF). 沖縄県. 2016年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月11日閲覧。
  2. ^ 亜熱帯植物楽園 由布島”. 竹富町観光協会. 2019年2月11日閲覧。
  3. ^ マップ”. 亜熱帯植物楽園. 2019年2月11日閲覧。
  4. ^ 奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島世界自然遺産候補地地域連絡会議第2回西表島部会 参考資料3 西表島における観光利用の現況と課題(現時点修正版)” (PDF). 環境省九州地方環境事務所 (2017年2月15日). 2019年2月11日閲覧。
  5. ^ 竹富町地区別人口動態票”. 竹富町. 2019年2月11日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 由布島ヒストリー”. 亜熱帯植物楽園. 2019年2月11日閲覧。
  7. ^ 藤井紘司「近代八重山諸島における遠距離通耕の歴史的展開」『地理学評論 Series A』第83巻第1号、日本地理学会、2010年、1-20頁。 
  8. ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂委員会 (8 July 1986). "由布島". 角川日本地名大辞典 47 沖縄県. 角川書店. p. 710.
  9. ^ a b 沿革2(昭和13年~昭和63年)”. 竹富町. 2019年2月11日閲覧。
  10. ^ 竹富町地区別人口動態票(昭和39年~平成22年)” (PDF). 竹富町. 2019年2月11日閲覧。
  11. ^ a b 会社概要”. 亜熱帯植物楽園. 2019年2月11日閲覧。
  12. ^ 八重山要覧(平成28年度版) 第1章 指定離島・島しょ・人口” (PDF). 沖縄県. 2019年2月11日閲覧。
  13. ^ 【参考資料B26】日本の主な島の住所” (PDF). サイエンスミュージアムネット. 国立科学博物館 (2017年7月). 2019年2月11日閲覧。
  14. ^ 由布島 離島紹介”. DOR39(沖縄県ディスカバー沖縄しま観光振興事業). 2019年2月11日閲覧。

関連項目

外部リンク