晴山さおり
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| 晴山 さおり | |
|---|---|
| 出生名 | 晴山 里織(読み同じ) |
| 別名 | 浜崎章子(はまさき しょうこ) |
| 生誕 | 1972年10月10日(53歳) |
| 出身地 | 神奈川県 |
| 学歴 | 神奈川県立大和西高等学校 |
| ジャンル | 演歌・J-POP |
| 職業 | 歌手、シンガーソングライター |
| 活動期間 |
1989年 - 1992年 (晴山さおり時代) 1995年 - 2005年 (浜崎章子時代) |
| レーベル |
ビクター音楽産業 ↓ ビクターエンタテインメント (初代法人) |
| 事務所 |
第一プロダクション オフィス・ホッパーズ |
晴山 さおり(はれやま さおり、1972年10月10日 - )は、1990年代前半に活動していた演歌歌手。神奈川県出身。所属レコード会社はビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント〈二代目法人〉)、所属事務所は第一プロダクション[1]。
概歴
[編集]小学生時にビクター少年民謡会に参加(長山洋子は先輩に当たる)。1988年、NHKのど自慢(NHK総合・ラジオ第1)に出場し、歌謡曲の部グランドチャンピオンを受賞。1989年、16歳の時にNHK『みんなのうた』で『一円玉の旅がらす』を歌い、CDとカセットを合わせて65万枚(1991年9月時点)[2] の大ヒットとなる。同曲で11もの新人賞を受賞した[2]。
当初はこぶしを強く効かせた純演歌の歌唱法であったが、3rdシングル、および2ndアルバムからは子供向け音楽を意識したポップスに転向。しかし1992年を最後にCDリリースが途絶え、一旦芸能界を引退。
1995年5月、ビクターエンタテインメント(初代)から秋元康プロデュースにより「浜崎章子」に改名し事実上の再デビューを果たす。“浜田省吾から影響を受けた22歳のシンガーソングライター”の触れ込みで[3]、演歌歌手から脱却しガールポップを意識したロック調の楽曲でシングル2枚・アルバム1枚をリリースしたが、再びリリースが途絶えた。
その後は、浜崎章子のまま、2005年末まで有限会社オフィス・ホッパーズに所属し、ライブハウスでステージボーカリストとして活動したのち、芸能界を完全に引退した。
ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]- 一円玉の旅がらす(1990年3月21日 NHKみんなのうた オリコン15位)
- 出世音頭だよ!(1991年3月21日 NHKみんなのうた オリコン39位)
- アシカがよろしく(1991年9月21日 足利銀行CMソング)
- 一円玉の九九の歌(1992年2月21日 田中星児の「ラップ九九」のカップリング)
- ヴェジタブル・マイ・ラヴ(1992年4月21日 テレビ東京系「サラダ十勇士トマトマン」主題歌 津田義彦作詞・大谷明裕作曲)
- 作詞:津田義彦/作曲:大谷明裕/編曲:伊戸のりお C/W 「サラダ十勇士トマトマン」
- 何度も何度も(浜崎章子名義 1995年5月21日 TBS系「山田邦子のしあわせにしてよ」エンディングテーマ)
- 作詞:秋元康/作曲:浜崎章子/編曲:西本明 (C/W「風が吹いていたあの頃」)
- 夢のありか(浜崎章子名義 1995年9月6日 毎日放送・TBS系「最大公約ショー」エンディングテーマ)
- 作詞:秋元康/作曲:浜崎章子/編曲:西本明
アルバム
[編集]- 一円玉の旅がらす〜晴山さおりの一番搾り(1990年10月10日)
- 晴山さおりミニ・アルバム 一円玉の旅がらす〜おどるポンポコリン(1990年12月16日)
- Day by day is getting better~今日よりも明日は…~(1995年6月21日)
非売品シングル
[編集]- 一円玉の九九の歌(『小学一年生』1991年3月号の読者プレゼントとして、シングルCDが応募者全員に頒布された)