風見しんご

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かざみ しんご
風見 しんご
本名 大下 義博(おおしたよしひろ)[1]
別名義 風見慎吾
生年月日 (1962-10-10) 1962年10月10日(59歳)
出生地 広島県広島市西区己斐
身長 169cm
血液型 A型
職業 俳優タレント歌手
ジャンル バラエティ番組テレビドラマ
活動期間 1982年 -
配偶者 既婚
 
受賞
第16回日本有線大賞最優秀新人賞
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風見 しんご(かざみ しんご、1962年10月10日 - )は、日本俳優タレント歌手ダンサー。1982年 - 1988年までバーニングプロダクション(当初の芸名は風見慎吾)、1989年よりマスタープラン(バーニング系)に所属。日本における「ブレイクダンスの先駆者[2][3][4]

来歴・人物[編集]

地元の町工場を経営する父の影響でエンジニアを目指していた。広島市立己斐小学校を経て、広島学院中学校・高等学校に進学。高校生時代は数学物理が得意で[1]、周囲からは広島大学を勧められていたが、東京成蹊大学工学部機械工学専攻)に進学する[1]。大学在学中の1981年東京ビクトリークラブのメンバーだった哀川翔原宿で見て、チームに入れてくださいと懇願してメンバー入り[5]。デビュー前は髪型をリーゼントでキメていた。愛称は"ボビー"。哀川とお揃いのダブル革ジャンを着てラバーソウルを履いて二人で歩いていると、当時よく雑誌に声をかけられ『ポップティーン』や『プチセブン』に初めて掲載。哀川が先に加入していたグループに「お前も参加しろ」と声をかけられ参加する。その後、そのグループに加入したのが野々村真羽賀研二[6]。『欽ちゃんの週刊欽曜日』のオーディションに野々村の付き人として風見と武野功雄(のちに『欽ドン』出演)の2人が同行[4]、何故か付き人として行っていた風見が合格[4][5]。その後、野々村と羽賀はいいとも青年隊となる。野々村は劇男一世風靡の前身である劇男零心会のメンバーで、劇男一世風靡に参加していないが立ち上げには関わり、事実、哀川達と「ユニーク集団 劇男一世風靡を立ち上げました」と語っている。『哀川翔のオトナ倶楽部』「第15回ボビーと革ジャンとリーゼントと」(BSフジ)で哀川は、風見と野々村を「初期一世風靡のメンバー」と紹介した[5]

1982年TBS『欽ちゃんの週刊欽曜日』オーディションに合格。芸能界デビュー(当時の芸名は風見慎吾)[4]。合格理由も、この時のオーディションで萩本欽一に会った時に大きな声で挨拶。「有名人を前に萎縮することもなく、バカでかい声で挨拶して合格!」と言われたという単純なこと[7]。風見は元々母親から大きな声で挨拶するよう言われて育ち、声が大きくなったことで友達も出来易く「いいことがたくさんあった」。こういったことから、自分の娘たちにも大きな声で挨拶することを教えている。娘たちには自分と妻を「チチ」「ハハ」と呼ばせている[7]

欽ちゃんファミリーの中で抜群のアイドル性を放った[4][5][6]。デビュー日(1982年10月8日)以来、現在まで一度もレギュラー番組が途切れることなく40年目(2022年1月期現在でレギュラー番組98本)を迎えている。

1983年5月、同郷の大先輩である吉田拓郎作曲の「僕笑っちゃいます」でレコード・デビュー[3][4]。デビュー曲ながら33万枚売上[4]、風見最大のヒット曲にして代表曲[4]となった。2曲目「泣いちっちマイ・ハート」と合わせ、第16回日本有線大賞最優秀新人賞、第16回日本レコードセールス大賞新人賞(男性部門)などそれぞれ受賞[4]。4曲目「涙のtake a chance」(1984年12月)では自ら米国ニューヨークに出向き猛特訓でブレイクダンスを修得[2][3][4]。振付に大胆に取り入れ、当時の音楽番組で大きな話題を呼んだ[4]。女性だけでなく男性アイドルにさほど興味のない10代の男たちを虜にした功績は大きく[4]日本におけるブレイクダンスの先駆者で、テレビを通し日本中にブレイクダンスを広めた人物と評価[2][3][4]。風見がレギュラー出演した『欽ちゃんの週刊欽曜日』は、風見のブレイクと同時に『ザ・ベストテン』などの歌番組に出演することにより[4]、逆輸入する形で[4]、風見を見たい若い男性ファンと10代の少女ファンを取り込み人気も本格的なものになった[4]。風見は新しい視聴者層を開拓した功労者[4]。「涙のtake a chance」の次はタップダンスを、と師匠の萩本欽一に促されるも、固辞。5曲目は更に激しいダンス(ヌンチャクを使用した、本人曰く「バトルダンス」)の「BEAT ON PANIC」(1985年4月)、B面の「Hollywoodスペシャル」がタップダンス調となった。「BEAT ON PANIC」は打ち込みを導入したエレクトロ風のファンキー楽曲で、曲の一部にラップが取り入れられており、これも日本のポピュラー音楽への導入としては初期のものとなる。また週刊欽曜日で歌う時にインカム式ヘッドマイク(ブレイクマイク)導入もいち早く初期である。

WEB配信番組にもいち早く取り組み、2002年12月からテレビスタジオ(パナソニックセンター有明スタジオ)よりテレビカメラ4台を使って2時間の生配信レギュラー番組『TOKYO ひかり TOWN』を放送。

主演映画は3本。1987年公開『泣き虫チャチャ』は6曲目「泣き虫"チャチャ"の物語」が主題歌。続いて同年公開『あいつに恋して』では相手役オーディションで森高千里が選ばれ芸能界入り[8]。1992年公開の『200X年 翔』では息子役に堂本光一、同級生役に堂本剛が出演、その後、彼等は「KinKi Kids」としてデビューした。

映画の役柄でピアスを開けたが、当時はピアスをしている男は少なく、同郷の"吉川晃司とデキてる"などと週刊誌に揶揄された。この頃、銀蠅一家嶋大輔矢吹薫の3人で「ハリケーントリオ」を結成、全国を回った[6]。風見はデヴィッド・ボウイの大ファンで、ボウイと同じスーツを誂え、化粧も施してビリー・ジョエルや、カルチャー・クラブの楽曲、欽ちゃんファミリーメドレーを3人で歌った[6]。選曲は放送作家集団「パジャマ党」大岩賞介[6]。当時は3人の所属レコード会社が既に異なった為、ハリケーントリオとしてレコード・デビュー出来なかったが所属事務所、レコード会社が違うアーティストでグループを組んでの活動もイモ欽トリオわらべのように欽ちゃんファミリーが初期となる。

バンドブーム全盛期の1988年から1990年まで、TBSで放送された音楽番組『キラリ・熱熱CLUB』の司会を16回まで務めた[9]。またニッポン放送で嶋、羽賀、松村雄基らと『どんまいフレンド』というラジオ番組を持った[6]

一人称を「自分は〜」と呼ぶ口調が特徴的(普段の公式ブログやコメントなどでは主に「僕」)。

1990年代頃よりバラエティ番組やドラマに出演。高視聴率を上げるレギュラー番組の出演も多く、各局の社長賞及び会長賞も数多く受賞。ゲスト出演としても高視聴率や最高視聴率を獲得、師匠の萩本に負けず劣らず視聴率を稼げるタレントとなる。『マジカル頭脳パワー!!』が最高視聴率31.6%を記録したのは1996年5月2日の放送、瞬間最高視聴率の40.9%を記録したのは1996年4月11日の「第16回大マジカル!!」の放送で風見がマジカルアート伝言バトルでアートを描いていた時。他にも視聴率が今ひとつだった番組に風見をゲストに迎えたところ、それまでの最高視聴率を出し、その後人気番組になったものも多い。その番組として『開運!なんでも鑑定団』、『チューボーですよ!』『天才!志村どうぶつ園』等がある。また『週刊スタミナ天国』『所さんのただものではない!』『投稿!特ホウ王国』『嗚呼!バラ色の珍生!!』『マジカル頭脳パワー!!』『伊東家の食卓』等の番組にゲスト出演し高視聴率をたたき出しそのままレギュラーとなる。この状況を見て現在レギュラーの『噂の!東京マガジン』の元プロデューサーの吉岡は約2年間交渉して1997年4月に風見を迎え入れることができた。当初は事務所の希望で準レギュラーでの出演に留まり、風見単独コーナーを持たせ高視聴率を得、レギュラーとなり現在に至る。この他にも長寿番組にレギュラー出演している。

交通安全啓発運動[編集]

2007年1月17日、当時10歳で小学5年生の長女が東京都世田谷区で通学時、青信号のタイミングで交差点通行中、配送用の2トントラックにはねられ病院に搬送されたが死亡した。なお、現場となる交差点に当該トラックが進入した道路は、当時スクールゾーン指定でありトラックはもちろん車輌一切が進入禁止であった。病院での治療時、風見および親族が見守る中、長女は止まっていた心臓を一時動かしたが、その直後再び心肺停止となり、風見は「何でこんなことで命落とさなきゃいけないんだ!?」と叫んだという(情報番組での報道)。霊安室にて長女の遺体を目の当たりにしながら、「こんな思いは誰にも味わってほしくない」と思ったという。長女の死化粧担当者に「娘は花嫁になるのが夢だったので、死化粧ではなく、花嫁化粧でお願いします」とお願いした(後述の著書より)。その後、通夜の場で会見を行い、涙を流しながら「娘と飲酒をしたかった」などと述べた。ただこの会見の中で「喧嘩嫌いだった長女のため」として加害者への思いは一切述べなかった[10]。その後、長女の死から四十九日を経過した際に加害者への思いを表したコメントを発表している。事故の詳細と裁判についてはウィキニュースのリンクを参照のこと。長女の死去後、妻は再び妊娠したがダウン症児で死産した。

長女亡き後は、交通事故死亡者をなくすために各地で交通事故や命の大切さについてを語った講演と、警察等が主催する交通安全関連のイベントや啓蒙活動への参加を盛んに行っている。2012年7月26日に警視庁より交通安全運動に対して感謝状授与。長女の一周忌にあたる2008年1月には、長女や交通事故に対しての思いを綴った著書『えみるの赤いランドセル』(この本のISBNコードは ISBN 978-4903853178)を出版。2012年2月、娘への思いを自ら作詞した「ゆるら」を秋元康プロデュースで芸能生活30周年メモリアルCDとして発表。以後、日本歌手協会主催のチャリティーイベント等にも精力的に参加。

2008年、NHK福岡放送局の要請を受け、「追放!飲酒運転」キャンペーンの1分CMに出演。合計6本作られたそのCMでは、自らナレーションを務め、長女の写真も提供。自ら長女の実名を挙げることで交通事故の悲惨さを訴えている。NHKアナウンサー松尾剛のインタビュー取材では、時折涙を流しCM出演を受諾するに至った思いを語った。2011年11月から広島県の「広島被害者支援センター」のチャリティーCMに出演、その中で当時を「自分だけが真っ暗な中に1人ぽつんといる気持ちになった」と振り返っており[11]、契約満了後の今でも広島県では広島県警の要請で所属事務所の許可のもと放映が続けられ、広島被害者支援センターより感謝状授与[12]。2008年1月4日の『朝日新聞』朝刊1面コラム「天声人語」にも掲載。さらに2016年1月11日の『朝日新聞』朝刊、2017年4月9日の『読売新聞』朝刊、2017年7月7日の『産経新聞朝刊』に掲載された風見の記事は、その月のニュース・電子版、スマホ版でよく読まれた記事ランキング1位だった。2018年から春と秋の全国交通安全運動に向けてJA共済が風見の「交通安全手紙篇」「自転車交通安全教室篇」さらに「親と子の交通安全ミュージカル篇」を全国紙及び雑誌等に掲載して大きな反響を呼んでいる。

「(長女の死亡直後)当初は時間が経てば気持ちは収まるかなと思ったが、時を重ねるごとに気持ちは変わらないんだな」と悟るようになったという。長女の死亡後、家庭が崩壊状態(妻が病で寝込むようになったり、長女の死亡当時、3歳だった次女が異様行動を取るようになったという)になったこともあると話している。後に「長女を守れなかった分、絶対に次女を守ろう」「今でも毎晩ベッドに入って目を閉じると、最初に事故の現場の映像が出てくる。僕が現場に駆けつけて目にした光景が…。家内も同じだと言います。でも今は『これではいけない。前向きに生きよう』と心に決めました。長女と天国で再会した時、『チチ、よく頑張ったね』と言ってもらえるようしっかりと生きていかなければいけない」との思いを持つようになったとしている。また、長女の死亡後は自身が車を運転する機会が以前の10分の1に減り、仕事やプライベートで外出する時はタクシーや電車、バスを利用している。自分が車を運転している目の前に長女が出てきて、彼女を轢いてしまうという悪夢にうなされることもあるという[13]

2016年4月5日、成人式を迎えるはずだった長女への思いを手記『さくらのとんねる〜二十歳のえみる』と題して青志社より出版、この中で2008年「こころ」と名付け、家族で誕生を心待ちにしていた長男が、妊娠9カ月で死産したことを告白。

エピソード[編集]

子供の頃に少林寺拳法を習っていたことがあるが、喧嘩で使ったことは一度もないという。少林寺拳法の資格は1983年の時点で2級だった[1]

物心が付いた時から大の広島東洋カープファン。1975年9月10日、初優勝に向かって驀進する広島対中日戦(広島市民球場)で、本塁上のタッチプレーを巡り中日の新宅洋志と広島の三村敏之が激しく言い争い、普段温厚な三村が激怒したとあって広島ベンチから選手が飛び出し、やがて観客もグラウンドに入り乱れての大乱闘へと発展した[3][14]。当日、試合を観戦に来ていた当時中学生の風見は、この騒ぎに乗じ、中日の星野仙一に砂をかけたという[3][15][16][17][18][19]。その後、風見が『ザ・ベストテン』に出演した際、スタジオから星野(当時野球解説者)に生電話で謝罪したいということで、この時の話をすると、星野は「そういえば、何か小僧に砂をかけられたことは覚えているよ。あんときのガキゃぁお前じゃったんか!!」(あの時のガキはお前だったのか!!)と答えた。また『近代映画』でも対談が組まれ、風見が星野に直接謝罪した[19]。その後、広島市民球場のフェンスは、金網の目を細くして足が掛からないようにしたり、上部を大きく内側に折れ曲げたりして簡単には乗り越えられないようになった。当時中日の選手会長だった谷沢健一は「あの乱闘で自分自身も含め中日の選手6人とコーチ4人が負傷させられ、結局レギュラー野手4人とエースの負傷も響いて、中日は二連覇を逃した」と話している[20]。のちに中日ドラゴンズ応援特番に星野から声をかけられてゲスト出演して番組を盛り上げた。また1994年にはアニメ映画『かっ飛ばせ!ドリーマーズ“カープ誕生物語”』で声優に初挑戦し、2014年より広島東洋カープ公認応援隊員として、MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島のアストロビジョンに映し出される応援歌『それ行けカープ』の歌唱や応援チラシ等にも登場している。2015年4月26日にはMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島で黒田博樹投手の真っ赤なグラブを借りて始球式も務めた。

自宅でワニを飼っていた時期がある(当時飼育許可申請済)。風見も子供の頃にワニを飼っていた事をテレビ等でよく話していた。しかし飼っていたのを親に見つかって怒られ、自宅近くの川に逃した所、近所の老婆が見つけて警察に通報して大騒ぎになった。しかしそのワニを探しても結局発見は出来なかった。通報した老婆が絶対にワニがいたと言い張っていたが、警察官が「おばあちゃん、広島の川にワニはいないんだよ」と説得したという。

中山秀征松本明子飯島直子がレギュラー出演していた『DAISUKI』で、健康診断を受ける回に風見が出演した。尿検査を行うべく個室トイレに入り、検尿終了後にズボンのファスナーを上げる際に思わず「痛っ!皮を挟んだ」と口に出た言葉をレギュラー陣が聞き、松本・中山は「え?しんごちゃんてまさか…?」と話し、音声さんもマイクで声を拾ってたので「しんごちゃんって…」とテロップを出し、自ら包茎である事をばらしてしまった事が有る。

1993年12月、レギュラー番組『週刊スタミナ天国』(フジテレビ)の風見担当コーナー“わんぱくヘルパー”に男性2人組アーティスト「吉田山田」の山田義孝の母が応募、当時9才だった山田の誕生日に風見が1日パパとして遊園地などのロケに出かけていたことが、2018年2月21日の風見のラジオレギュラー「ごごラジ!」にゲスト出演した「吉田山田」の山田本人から語られ、生放送中にも拘わらず風見は動揺が隠せず、かなり驚いた様子だった。番組公式ブログには25年振りのツーショット写真も掲載されている。

1998年2月7日より行われた長野オリンピック聖火リレーランナーとして1月13日に広島市内を走った。なお、2月22日の閉会式の司会は師匠である萩本が務めている。

父が認知症になった2004年のある日、父と車のキーを巡り大喧嘩になる。父親を羽交い絞めにして車の鍵を取り上げた。それから3年後、風見は長女を自動車事故で亡くしており「もし、父が向こう(加害者)の立場になっていたらと思うとゾッとする。あの時、力ずくでも車の鍵を父から取り上げた事は正しかったと思う」と述べている。

2010年代以降、風見は日本におけるブレイクダンスの先駆者として再評価されている[2][3][4]。特にクリス松村は「風見の『涙のtake a chance』で、日本人が初めてブレイクダンスをしているのを見た」と話しており、ブレイクダンスは風見がテレビで披露したことにより、広く日本で知られるようになったのである[2][3][4][21]。風見が振付にブレイクダンスを取り入れた経緯については、映画『フラッシュダンス』で子供たちが踊るシーンを見て思いついたと話している[4][22][23]。風見は「当時のダンサーと言えば、東京音楽学院スクールメイツ日テレ音楽学院ザ・バーズという頃で、まわりにブレイクダンスをやっている人は誰もおらず、ニューヨークに渡りブレイクダンスを修得した」と話している[4][22]。レギュラーだったTBSテレビ金曜9時ゴールデンタイムの人気番組『欽ちゃんの週刊欽曜日』番組内で、萩本に「どうしてもブレイクダンスをやらせて下さい」と頼み込む[4]。当時ブレイクダンスを知る人は殆んど居ないかったが、やらせてくれた[4]。風見は「大将の決断がなければ日本のヒップホップは5年普及が遅れたと思う」と話している[4]。2017年6月、キリンビールのどごし生』WEBコマーシャルムービーで54歳のブレイクダンスを披露、Yahoo!ニュースでも「風見しんごの身体能力に仰天」と絶賛して報じている。

出演[編集]

主なテレビドラマ[編集]

現在(放送中レギュラー番組)[編集]

過去(主な作品)[編集]

映画[編集]

Vシネマ[編集]

  • 怪奇千夜一夜物語”愛の巣”(1991年)初監督作品
  • ザ・ヒールストリート(1991年)友情出演
  • 霧加神(1992年) - 主演
  • おいら女蛮 決戦!パンス党(1992年)友情出演
  • パステルLOVE“セレモニーの前に”(1993年)監督作品第2弾
  • 新パチンコ物語“秘デジパチ攻略法”(1993年) - 主演
  • 爆走トラッカー軍団3“紅薔薇軍団参上!”(1993年) - 野口勝男 役
  • 爆走トラッカー軍団4“浪花(暴)遊侠伝”(1993年) - 野口勝男 役
  • 実相寺昭雄ファイル・怪の館“小夜子の恋”(1997年)監督作品第3弾
  • 教育ビデオ“かぶしき・虎の巻”(2001年) - 主演
  • 東映教育映像“人生のネクストドア~50歳代からのライフプラン”(2021年) - 主演

舞台[編集]

  • 年忘れ特別企画“萩本欽一・奮闘喜劇公演”(1998年)新宿コマ劇場
  • コント55号40周年プラス1“仇討物語〜でんでん虫”(2007年)明治座
  • 平成21年初春公演“あらん はらん しらん”(2009年)明治座
  • コント55号THE LAST“いかん どっかん あっけらかん”(2011年)明治座
  • おちゃのこ妻妻(サイサイ)“品川区商店街物語”(2013年)ひらつかホール杮落とし公演
  • 独りぼっちの地球人 feat.ULTRASEVEN(2013年)30周年記念初座長公演
  • 欽ちゃん奮闘記THE LAST“ほめんな ほれんな とめんな”(2014年)明治座
  • 舞台“ROOKIES”(2021年)シアター1010 /サンケイホールブリーゼ/栗東芸術文化会館さきら - 村山義男 役[24]

情報・バラエティ[編集]

現在(放送中レギュラー番組)[編集]

過去(主なレギュラー番組)[編集]

その他[編集]

  • JA共済地域貢献活動「交通安全の手紙 ~ 子どもたちの未来のために」ネットCM(2021年3月 - )
  • 「なるほど交通安全」(FM TOKYO)ラジオスポットCM(2019年4月 - ) - ナレーション
  • 「セーフティドライブ」(FM NACK5)キャンペーンCM(2018年4月 - ) - ナレーション
  • テレメンタリー2018「検証・西日本豪雨[1] 道は濁流になった 〜カメラが捉えた広島豪雨災害〜」(2018年9月2日、テレビ朝日) - ナレーション。ギャラクシー賞「テレビ部門月間賞」受賞
  • 追放!飲酒運転」(NHK福岡放送局)キャンペーンCM(2008年) - ナレーション
  • JA共済済地域貢献活動第2弾「交通安全の手紙~ 高齢ドライバーのみなさまへ」と「 いつまでも安全運転を続けるために」ネットCM(2022年4月 - )
  • 警察庁「幼児・児童の交通安全~保護者が果たすべき役割」ネット配信(2022年4月 - )
  • 香川県警「次は、あなたかもしれない」ネットCM(2022年4月 - )

主なラジオレギュラー[編集]

  • 風見慎吾のみんな笑っちゃいます(1983年10月 - ?、文化放送系)
  • ザ・欽グルスショー「水曜日」(1984年1月 - ?、TBSラジオ系)
  • みづえ・慎吾のおもしろサンドイッチ(1984年1月 - ?、文化放送系)
  • ヤングパラダイス内・箱番組「慎吾と大輔どんまいフレンド」→「慎吾と雄基どんまいフレンド」(1984年4月 - 1985年10月、ニッポン放送
  • サンデーナイトフィーバー(1984年4月 - ?、文化放送系)
  • バラエティスクール → 慎吾とラブナイト(1984年10月 - 、文化放送系 TDK1社提供)
  • 風見しんごのYaYa CLuB(1989年10月 - 1991年3月)、文化放送系)
  • 午後のまりやーじゅ「水曜日」(2015年4月 - 、NHKラジオ第1放送
  • ごごラジ!「水曜日」(2016年4月 - 2018年3月7日、NHKラジオ第1放送)

主なCM[編集]

  • ロッテチョコレート「アーモンドボールチョコ」「クランキー」(1984年4月)
  • HITACHIファンコンポ「風蛍〜‘Em’」(1990年6月)
  • キリンビール「ビアっこ生」※東北地区限定醸造(1995年6月)
  • 中外製薬「グロンサン」(1997年2月)
  • 民間介護保険「セント・プラス少額短期保険」(2015年5月)
  • のどごし〈生〉(2017年6月 - 、麒麟麦酒)難しい上司もこれで攻略!サラリーマン交渉バトルproduced by キリン のどごし〈生〉編[26][27]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 タイトル B面 規格 規格品番
1st 1983年5月21日 僕笑っちゃいます OTONA BIRTHDAY EP 7K-92
2nd 1983年11月18日 泣いちっちマイ・ハート 悲しきStand-in Boy EP 7K-118
3rd 1984年6月5日 そこの彼女 朝陽のプロローグ EP 7K-147
4th 1984年12月21日 涙のtake a chance 涙のtake a chance -Instrumental Dance Version- EP 7K-168
5th 1985年4月24日 BEAT ON PANIC Hollywoodスペシャル EP 7K-182
6th 1985年9月25日 泣き虫“チャチャ”の物語 LOVING YOU EP 7K-196
フォーライフミュージックエンタテイメント
7th 2012年2月22日 ゆるら 今さら Fall in love Maxi FLCF-7184

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
1st 1983年11月5日 FRIDAY TROUBLE LP 28K-59
CT 28C-42
2nd 1985年7月5日 Whoopee〜ギャーピーの叛乱〜 LP 28K-92
CD 35KD-12

ベスト・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
1st 1985年12月5日 特売 LP 28K-99
CD 35KD-26
2nd 2011年5月25日 風見慎吾 ゴールデン☆ベスト 〜FRIDAY TROUBLE+シングルス〜 CD FLCF-4377

参加楽曲[編集]

発売日 商品名 楽曲 備考
1991年11月1日 ULTRAMAN LOVE FOR CHILDREN ウルトラ合唱隊 「ULTRAMAN LOVE FOR CHILDREN」 ウルトラマン誕生25周年 参加特別企画チャリティソング

風見しんごに影響を受けた人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 河北新報』1983年9月12日20面「登場」コーナー
  2. ^ a b c d e “風見しんご感慨、ブレイクダンスがパリ五輪追加種目決定 日本普及には欽ちゃん助言も”. デイリースポーツ (神戸新聞社). (2020年12月14日). オリジナルの2020年12月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20201229111934/https://www.daily.co.jp/general/2020/12/15/0013938710.shtml 2020年12月29日閲覧。 吉永岳央 (2017年5月26日). “「僕のブレークダンス古い?でも幸せ」 風見しんごさん”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナルの2017年5月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170526102231/https://www.asahi.com/articles/ASK5V00VQK5TUTQP027.html 2018年1月11日閲覧。 吉永岳央、吉村真吾 (2017年5月26日). “「ブレークダンスを五輪競技に」日本の10代、世界屈指”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナルの2017年6月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170612222504/https://www.asahi.com/articles/ASK5D440YK5DUTQP00S.html 2018年1月11日閲覧。 “ザ。インタビュー トップ・ランナーの肖像#382 風見しんご(タレント)”. ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜 (BS朝日). (2018-04–28). オリジナルの2018–04-28時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180428023503/https://www.bs-asahi.co.jp/interview/lineup/prg_382/ 2020年12月29日閲覧。 ブレイクダンスがあったから、自信が持てた――風見しんご”. Red Bull BC One World Final 2016 (2016年11月28日). 2017年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月30日閲覧。ブレイクダンス先駆者 風見しんご×世界的ダンサー ISOPP 初共演『サラリーマン交渉バトル』”. ORICON NEWS. オリコン (2017年6月17日). 2018年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月11日閲覧。“連載【詩人・黒川隆介のアンサーポエム】特別編 RYO-Z(RIP SLYME)と語る、リリックの源”. Mikiki (タワーレコード). (2020年5月28日). オリジナルの2020–09-26時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200926180757/https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/25265 2020年12月29日閲覧。  24年パリ五輪「ブレイクダンス」が“スピード昇格” 野球、ソフト、空手は落選今田耕司&指原莉乃も驚き!ファンが語った風見しんごの芸能界No.1“神対応”男も憧れたトシちゃんにマッチ、チェッカーズ、吉川晃司ほか80年代男性アイドルソングの魅力「ダンスブームの先駆け・風見しんご 今もキレあるダンス披露」NEWSポストセブン(2013年5月6日)、 「TAKAHIRO “世界が尊敬するダンサー”が抱く夢と挑戦」スポーツニッポン(2016年5月21日)
  3. ^ a b c d e f g h チャッピー加藤/NEWS ONLINE 編集部 (2016年9月11日). “祝!優勝!!広島出身アーティストの曲【歌謡曲ここがポイント!】”. ニッポン放送 NEWSONLINE (ニッポン放送). オリジナルの2020–02-04時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200204081706/https://news.1242.com/article/103545 2020年12月29日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 伊藤禎 (2014–6). 〈特集〉萩本欽一 テレビの欽ちゃん 欽ちゃんの週刊欽曜日 風見しんごインタビュー. “昭和40年男”. クレタパブリッシング: 48–51頁. 
  5. ^ a b c d 哀川翔のオトナ倶楽部<哀川翔―「自由」とは「暗黙のルール」がある 哀川翔 初プロデュース番組!「哀川翔のオトナ倶楽部]
  6. ^ a b c d e f 吉田豪掟ポルシェ『電池以下』(アスペクト、2012年)pp.18-24
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  10. ^ ※記事名不明※[リンク切れ]ORICON STYLE
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  12. ^ 広島県警」より
  13. ^ いずれもTBS『ひるおび!』(2012年4月10日放送分)、『爆報! THE フライデー』(2012年4月27日放送分)、『TechinsightJapan編集部 みやび』(2012年4月28日 http://news.livedoor.com/article/detail/6514901/)、『女性自身』( https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1607806/ )。
  14. ^ 広島総合&広島市民球場:ボクの思い出STADIUM 中日スポーツ「思い出のスタジアム広島市民球場…2千人暴徒乱入事件」デイリースポーツ日めくりプロ野球【8月3日】1975年(昭50)スポニチ Sponichi Annex 野球、「第15回 プロ野球 前代未聞!警備不安による中止」スポニチ、「61歳早すぎる…元広島監督三村氏急死」デイリースポーツonline、プロ野球仰天伝説カープを思うあまり!? 市民球場にファンが乱入!/プロ野球仰天伝説186
  15. ^ 9月21日~9月25日の「ラジオサロンdeくにまる」のゲストは風見しんごさん
  16. ^ 「ヒロシマの2大シンボル」『FLASH』、光文社、2011年8月16日。
  17. ^ 球史に残る乱闘劇でグラウンドにいたタレントが告白。星野監督に一喝された!?
  18. ^ 祝!優勝!!広島出身アーティストの曲【歌謡曲ここがポイント!】
  19. ^ a b 「風見慎吾vs.星野仙一の激突! 思い出対決 ボクが8年前の砂かけ少年」『近代映画』1983年11月号 pp.38–41、近代映画社
  20. ^ ウォーリー与那嶺氏の「お別れの会」 - 谷沢健一のニューアマチュアリズム
  21. ^ スター☆ドラフト会議』(日本テレビ、2011年12月13日放送(風見しんご | スタードラフト会議 | TVでた蔵
  22. ^ a b ブレイクダンスがあったから、自信が持てた――風見しんご”. Red Bull BC One World Final 2016 (2016年11月28日). 2017年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月30日閲覧。
  23. ^ 『J-POP 青春の'80』(NHK BSプレミアム、2011年5月5日放送)、NHKアーカイブス J-POP青春の’80 浅香唯・石川ひとみ・石野真子ほか
  24. ^ 「ROOKIES」2021年11月、東京、大阪、滋賀で上演決定!
  25. ^ 「伊東家ランド」第2日本テレビも出演した。
  26. ^ [ 頑張る親父がNO.1 風見しんご VS ISOPP 夢のダンスバトルが実現!サラリーマン交渉バトルで商談成立!]”. ダンスの情報サイト Dews(デュース). Dews (2017年6月7日). 2017年9月25日閲覧。
  27. ^ 風見しんごがブレイクダンスを踊る!仕事で使える交渉術ダンス動画を公開!”. ミドルエッジ. ディー・オー・エム (2017年6月7日). 2017年9月25日閲覧。
  28. ^ 欅坂46など手掛ける振付師・ダンサーTAKAHIRO、異端のキャリアとダンス論を語る Real Sound(2017年10月8日)
  29. ^ ダンスブームの先駆け・風見しんご 今もキレあるダンス披露 NEWSポストセブン(2013年5月6日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]