北れい吉
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北 昤吉(きた れいきち、1885年(明治18年)7月21日 - 1961年(昭和36年)8月5日)は、日本の思想家、評論家、教育者、政治家・衆議院議員[1][2]、自民党政調会長[3]。別名・礼華[3]。二・二六事件で処刑された北一輝の実弟。
人物[編集]
新潟県佐渡市(旧新潟県両津市湊)出身。北慶太郎の二男[1][2]。新潟県立佐渡中学校(新制佐渡高校)を経て1908年、早稲田大学大学部文学科哲学科卒業[2]。同年、兄輝次郎方より分家した[1]。
1913年、早稲田大学講師となる[1][2]。またこのころより大正デモクラシーの旗手として論壇に登場し、民本主義の学問的根拠、政治学のあり方をめぐって吉野作造と論争する。1918年、欧米に留学した[1][2]。1923年帰朝以来文化学院教授、大東文化協会第二研究主任、日本新聞編輯監督、大正大学講師歴職[2]。
在英ユダヤ人政治学者のハロルド・ラスキと友人になったが帰国直後には兄の北一輝がソ連外交官でユダヤ人のヨッフェを批判していた旨を後に回顧している[4]。また、改造、読売新聞、東京日々新聞などに論文を寄稿した。
1923年12月27日の虎の門事件(天皇暗殺未遂)の翌日に弁護士小川平吉(警視総監斎藤樹の義父)が発起した青天会に参加し、また小川と共に日本新聞を主宰した。青天会と日本新聞とは不離の関係にあり、会員の重なる者は本人のほか、井上哲次郎、五百木良三、阪東宣雄、花井卓蔵、蜷川新、本多熊太郎、頭山満、大木遠吉、大島健一、東条英機、若槻礼次郎、鎌田栄吉、原嘉道、永田鉄山、荒木貞夫、永田秀次郎、筧克彦、川島卓吉、上杉慎吉、近衛文麿、北里柴三郎、金杉英五郎、江木千之、平沼騏一郎、星野錫、長崎英造、鈴木梅四郎、若宮卯之助、綾川武治(国本社)、中谷武世、下位春吉等であった[5]。北はその他にも愛国勤労党など様々な愛国的団体に参加した。
1928年、総合評論雑誌「祖国」を創刊、自ら主幹となり評論活動に入る。この雑誌は本来左右を問わない言論発表の場であったが、後に「祖国(同志)会」の機関紙へと性質を変える。
早稲田大学時代の教え子であった金原省吾らに請われて帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)の創立者兼初代校長となるが、学校の運営と移転問題をめぐって学生と対立し、学生のストライキ事件を期に学校は分裂する。1935年、多摩美術専門学校(現在の多摩美術大学)を創設。1936年、二・二六事件直前の第19回衆議院議員総選挙で無所属で当選し、政治家へと転身。当選後立憲民政党に入党[6]。
戦後一時公職追放に遭遇した時期を除き、衆議院議員として戦後まで活動することとなる。戦前より鳩山一郎と政治活動をともにし、翼賛選挙に反対して議員有志による「同交会」を結成、戦後は自由党鳩山派・日本民主党・自由民主党に属した。1952年より評論雑誌「猶興」を創刊。兄の北一輝とは相克があったともいわれるが、戦後に兄の「国体論」を出版するなど、その思想を肯定的に評価し、また影響を受けている面も見られる。また、「祖国」において軍国主義論、戦争哲学を発表したことなどから軍国賛美、極端国家主義的であるとしてパージの憂き目を見ているが、それら論評の真意については議論の余地がある。
主要著作・訳書[編集]
- 『ベルグソン哲学の解説及び批判』(第一篇・第二編)1914年
- 『近世哲学史』(上・下)へフディング著・北訳 1917年 - 1924年
- 『哲学より政治へ』1918年
- 『光は東方より』1918年
- 『ベルグソンとの対話』、東京日日新聞 1922年
- 『クロオチェを訪ふ』、読売新聞 1922年
- 『王道と覇道』、改造 1922年
- 『独逸革命の回顧』、改造、1923年
- 『妥当性の哲学』1924年
- 『西洋哲学史』ロジャース著・北訳 1925年
- 『哲学概論』1926年
- 『哲学行脚』1926年
- 『昭和維新』1927年
- 『人間観』1928年
- 『再革命の独逸』1933年
- 『思想と生活』1937年
- 『ファッショと国家社会主義』1937年
- 『排撃の歴史』1941年
- 『戦争の哲学』1943年
- 『小川平吉翁の回顧』。日本新聞社『日本及日本人』2(3)、p.55~66。1951年3月。
- 『ヒューマニティーの再建』ソローキン著・北訳 1951年
- 『現代の危機』ソローキン著・北訳 1955年
脚注[編集]
- ^ a b c d e 『人事興信録 第12版 上』キ79頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e f 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』キ285頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月2日閲覧。
- ^ a b 北 昤吉とはコトバンク。2018年11月2日閲覧。
- ^ 北『小川平吉翁の回顧』、p.p.55。
- ^ 北『小川平吉翁の回顧』、p.p.57。
- ^ 大東文化協会は1937年、ヒトラー・ゲッペルス共著の『人民戦線に対するナチスの宣戦』を翻訳出版。
参考文献[編集]
- 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 稲邊小二郎 『一輝と昤吉 -北兄弟の相克-』、新潟日報事業社、2002年6月。ISBN 4-88862-912-9
関連項目[編集]
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