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プラトン社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プラトン社
種類 合資会社
本社所在地 日本の旗 日本
大阪府大阪市東区谷町五丁目乙20番地
(現在の同市中央区谷町五丁目)
設立 1922年大正11年)
廃止 1928年昭和3年)[注釈 1]
業種 出版業
事業内容 雑誌女性』『苦楽』『演劇・映画』の編集・発行、単行本の編集・発行
代表者 中山豊三
主要株主 中山太陽堂
(現・クラブコスメチックス
関係する人物 河中作造[注釈 2]
小山内薫
直木三十五
川口松太郎
山六郎
山名文夫
岩田専太郎
富士川游
特記事項:1928年(昭和3年)5月活動停止[2]
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苦楽』新年創刊号(第1巻第1号)1924年1月1日発行

プラトン社(プラトンしゃ、1922年設立 - 1928年廃業)は、かつて存在した日本出版社である。大阪市化粧品会社「中山太陽堂」(現・クラブコスメチックス)が設立した。

データ

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略歴・概要

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1922年大正11年)、化粧品会社の中山太陽堂は、自社の広報誌を作る計画で、元大阪朝日新聞記者だった松阪青渓(松阪寅之助)が所有する『女学生画報』編集部を買収してプラトン社を設立[3]

中山太陽堂を後ろ盾にし、女性を読者層にねらった斬新な文芸雑誌として、1922年(大正11年)5月に『女性』、1923年(大正14年)12月に『苦楽』の2誌を創刊した[2]。社長は中山豊三、副社長はその義弟の河中作造[注釈 2]であった。当初の谷町の地番は、河中の自宅住所だった。

小山内薫が会社の運営に関与し、『女性』の編集を担当、『苦楽』の編集に直木三十五(当時「直木三十二」)、川口松太郎らが携わっていた。また単行本も月1冊程度のペースで刊行。両誌と単行本に山六郎山名文夫岩田専太郎らを起用した華麗なデザインは一世を風靡し、いわゆる大正モダニズム、阪神間モダニズムの勃興に多大な影響を与えたとされる。おもな執筆者は、泉鏡花大佛次郎谷崎潤一郎武者小路実篤与謝野晶子[2]、非常勤編集者に藤澤清造がいた。

中山太陽堂は、1923年(大正12年)7月に竣工した堂島ビルヂング御堂筋に面する105号室を借りて営業を行い、「クラブ石鹸」「クラブ白粉」の屋上広告を設置していた。また、翌1924年(大正13年)に堂島ビルヂング5階の全フロアを借りて、「婦人文化、家庭文化の向上、児童の健全育成、宗教による精神文化の向上」を目的として、研究機関「中山文化研究所」を開設し、初代所長に医学博士・文学博士の富士川游を招いた[4]。富士川はそこに「婦人精神文化研究会」を設置した。1925年(大正14年)3月、プラトン社は堂島ビルヂング4階に移転。同年夏、直木は同社を辞して、連合映画芸術家協会を設立した。1924年(大正13年)冬、中山太陽堂本社工場に隣接する南区馬淵町(現在の浪速区恵美須西)にプラトン社専属印刷工場が完成したため、1925年(大正14年)9月上旬にプラトン本社も工場敷地内の仮事務所に移転した[3]

1926年(大正15年)1月には雑誌『演劇・映画』を創刊したが、同年8月には休刊した。1927年(昭和2年)1月に東京支局を本社へ昇格、旧本社がプラトン支社となる[5]

1928年(昭和3年)5月、6年間をもって廃業した[3]

おもな出版物

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  • 雑誌『女性』(1922年5月 - 1928年5月)
  • 雑誌『苦楽』(1923年12月 - 1928年)
  • 雑誌『演劇・映画』(1926年1月 - 同年8月)
  • 有島生馬『片方の心』1924年5月20日。doi:10.11501/982206 
  • 吉井勇『夜の心』1924年6月25日。doi:10.11501/979492 
  • 直木三十三『仇討十種』〈苦楽叢書〉1924年9月20日。doi:10.11501/982524 
  • 白井喬二『捕物時代相』〈苦楽叢書〉1924年11月。doi:10.11501/982556 [注釈 3]
  • 上野陽一『能率学者の旅日記』1925年6月20日。doi:10.11501/983220 
  • 山六郎山名文夫『女性のカツト』1928年3月30日。doi:10.11501/1185637 
  • 三上於菟吉『首都』1928年4月5日。doi:10.11501/1189660 

デジタルアーカイブ

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脚注

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注釈

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  1. 『創業中山太陽堂―クラブコスメチックス80年史』の年譜によれば、1929年昭和4年)解散とする[1]
  2. 1 2 中山豊三の妻・イトの弟。
  3. 国立国会図書館収録本(デジタルアーカイブ版)は奥付が欠落しているが、帝国図書館が表題下部に押した「内交(内務省交付)」受入登録印から、発行日が大正13年11月15日(1924年11月15日)以前であることが読み取れる。

出典

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参考文献

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  • 尾形国治「解説」『「女性」総目次』、雑誌研究会、1982年12月3日、4-12頁、doi:10.11501/1566349 
  • 『創業中山太陽堂―クラブコスメチックス80年史』クラブコスメチックス、1983年8月25日、92頁。doi:10.11501/11955707 
  • 小野高裕、西村美香、明尾圭造『モダニズム出版社の光芒―プラトン社の1920年代』淡交社、2000年6月。ISBN 4-473-01754-0 
  • 植村鞆音『直木三十五伝』文藝春秋〈文春文庫〉、2008年6月(原著2005年6月)。ISBN 978-4-16-771786-5 

外部リンク

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