下地島空港

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下地島空港
Shimojishima Airport
IATA: SHI - ICAO: RORS
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 沖縄県宮古島市伊良部
種類 商業
運営者 沖縄県
運用時間 8:00 - 19:30
開港 1979年7月
敷地面積 362 ha
標高 7.58 m (24 ft)
座標 北緯24度49分36秒 東経125度08分41秒 / 北緯24.82667度 東経125.14472度 / 24.82667; 125.14472座標: 北緯24度49分36秒 東経125度08分41秒 / 北緯24.82667度 東経125.14472度 / 24.82667; 125.14472
地図
下地島空港の位置
下地島空港の位置
SHI/RORS
下地島空港の位置
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
17/35 YES 3,000×60 アスファルト
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下地島空港の位置
下地島空港の位置
SHI/RORS
下地島空港の位置

下地島空港(しもじしまくうこう、: Shimojishima Airport)は、沖縄県宮古島市下地島)にある地方管理空港

概要

南西航空の那覇線が撤退した1994年(平成6年)以来、定期便の就航が無い。実質民間パイロットの訓練専用空港として扱われている。そのため日本では数少ない、滑走路両端にILSが設置されている空港である[注釈 1]。3,000m×60mの滑走路が整備され、航空機の操縦訓練が行われる。

しかし2011年を最後に日本航空が、2014年を最後に全日本空輸がそれぞれ当空港での訓練を終了したため、2014年4月以降は琉球エアーコミューター(RAC)と海上保安庁が小型機訓練のために使用するのみとなっている[2]

年度 年間利用者数(人)
2007年 329(国内)[3]
2008年 0(発着無しの為)[3]
2009年 967[3]
2010年 36[3]
2011年 0(発着無しの為)[3]
2012年 0(発着無しの為)[3]

歴史

  • 1973年昭和48年)7月31日 - 非公共用飛行場として建設される。
  • 1979年(昭和54年)7月5日 - 公共用飛行場(第三種空港)として設置、供用開始。航空会社によるパイロットの訓練が開始される。
  • 1980年(昭和55年)11月1日 - 那覇空港との間に南西航空(現日本トランスオーシャン航空)の定期便(YS-11型機)が就航。
  • 1988年(昭和63年)5月30日 - 全日空訓練機下地島離陸失敗事故が発生。
  • 1994年平成6年)7月22日 - 利用客が少ないことから定期便運休。以後、現在まで定期便運航は無し。
  • 2001年(平成13年)
  • 2002年(平成14年)
  • 2005年(平成17年)
    • 3月16日 - 伊良部町議会で空港への自衛隊誘致を賛成9反対8で決議。住民説明会で反対意見が続出。
    • 3月25日 - 伊良部町臨時議会で16日の自衛隊誘致決議と平成13年の自衛隊訓練誘致決議の白紙撤回を賛成16反対1で決議。
    • 10月1日 - 伊良部町が周辺町村と合併して宮古島市となる。
  • 2006年(平成18年)
    • 2月 - 航空自衛隊那覇基地司令が「日本の防衛上、下地島を自衛隊が利用できればいい」と発言したことが、地元紙で問題発言として扱われる。
  • 2007年(平成19年)
  • 2009年(平成21年)
    • 7月5日 - ジャルツアーズの企画「クラシック・ジャンボ退役記念フライト」[4]により、日本航空インターナショナルボーイング747-300型機がチャーター便として飛来。本空港発着となる大型機による旅客便は、チャーター便・定期便を含めてこの時が初めて。また、日本の航空会社が保有する3人乗務機(機長・副操縦士・航空機関士の3人乗務が必要な旅客機)の本空港への離着陸は、営業運航・訓練を通じてこれが最後となる。このチャーター便の運航により、2009年7月の本空港利用者数は898人[5]となった。
  • 2010年4月 同年1月に会社更生法の適用を申請した日本航空が、再建計画に基づいて副操縦士の育成を中止を決定し、当空港での訓練を終了した[6]。(なお、2010年度・2011年度は、JALグループの日本トランスオーシャン航空が当空港での訓練を行っている。)また、2012年度以降の空港運営費用の打ち切りを通告[7][8]した。
  • 2012年2月 全日本空輸が、単独での運営費負担は困難なことから、2014年度以降の当空港の利用計画は「白紙状態」であること、および、日本トランスオーシャン航空が2012年度以降は当空港での訓練を行わない計画である、という報道[9]がなされた。
  • 2013年4月 沖縄県による、当空港の利用方針案を策定する部横断的な作業班が設置された[10]
  • 2014年
    • 3月 - 全日空が2014年度以降当空港での訓練を行わないこと、さらに2015年度以降空港の維持管理費を負担せず、当空港から完全撤退する方針を明らかにする[11]
    • 7月22日 - 沖縄県土木建築部が、「下地島空港及び周辺残地の利活用促進支援業務」をプライスウォーターハウスクーパースJTB沖縄共同企業体(JV)に委託する契約を結ぶ[12]。同JVは、実際に同空港の利活用を行う企業の誘致活動や、公的機関へのアドバイザリー業務などを担当する。
  • 2015年
    • 3月31日 - 沖縄県が空港及び周辺地域の利活用事業者の候補として、星野リゾート三菱地所ら4事業者を選んだことを発表[13]。同年12月を目処に正式な事業者として選定する方針。
    • 12月25日 - 三菱地所が、同空港への旅客ターミナル建設を沖縄県に提案[14]。富裕層のプライベートジェットだけでなく、宮古空港には未就航の国際線などの誘致を目指す。同社では2017年1月着工、2018年5月開業という計画を明らかにした[15]

施設

下地島空港の軍民共用化問題

先島諸島の状況

先島諸島は、宮古島にある航空自衛隊レーダーサイト以外は自衛隊がまったく駐留していない「軍事空白域」となっていたが、2014年に与那国島への部隊配備が決定し、2015年に行われた住民投票でも賛成多数で追認された為、この決定により、ようやく国境の島々にほとんど自国の国防戦力が配備されていないという、国際常識から考えて異常ともいえる状態は解消されつつある。(海上保安庁巡視艇は配置されている)。しかも、中華人民共和国台湾に接しており、尖閣諸島などの領土問題も抱えている。日中間では排他的経済水域の問題でも対立があり、先島諸島近海では、中華人民共和国の科学調査船による無許可海洋調査(事実上の侵略事前調査)が頻発しており、調査船の護衛名目で中華人民共和国の艦隊の威力航海が何度も行われている。また、台湾有事の可能性もあるなど軍事情勢は平穏とは言い難い。

尖閣や下地島を含む先島諸島への軍事侵略が現実味を帯びていた2012年頃から、当時の野田内閣により急遽建造が進められてきた海保の尖閣専従部隊とされる新造巡視艇が続々と配備されつつある2015年現在では、鳩山政権初期のような事実上無防備に近い状態からはかなりの正常化はなされたものの、空前のペースで軍備拡張を進める中国人民解放軍の脅威は大きくなるばかりで、この地域の軍事バランスは依然予断を許さない状況であると指摘する専門家も多い。

国防の観点からみた下地島空港の価値

下地島空港は沖縄本島台湾中国大陸の中間にあり、また尖閣諸島にも近い。滑走路は現在のところ1本のみだが、先島諸島で唯一かつ日本全体でも数少ない、ILSが両端に設置された空港でもある。2,800m×46mの滑走路を持つアメリカ海兵隊普天間飛行場[16]を上回る3,000m×60mの規模を誇り、超音速ジェット戦闘機や大型輸送機の運用にも支障のないキャパシティがある。アメリカ空軍B-52戦略爆撃機の最大離陸滑走距離が2900m程度[17]であるため、たいていの規模の軍用機であれば問題なく対応できると見られる。

日本最西端の与那国島からでは、台湾島はおろか中国大陸沿海部よりも本島の那覇基地のほうが遠いため、台湾や朝鮮半島の情勢をはじめとした有事対応が現実的でない。そこで自衛隊の下地島空港使用については国政でも議論されている。自衛隊による下地島空港の使用が可能になれば、東シナ海での行動範囲が広がり、航空自衛隊の戦闘機部隊や海上自衛隊P-3Cおよび新型のP-1対潜哨戒機部隊の基地、また補給中継施設として非常に重要な拠点となりえる。在沖米軍も、台湾及びフィリピンへ向かう航空路の近くにある下地島空港に関心を示しているとされる。事実、これまでに数回、普天間基地の海兵隊ヘリコプター群がフィリピンなどに向かう際の中継基地として、当空港の滑走路を一時的に借り上げたこともあった。この際、ヘリコプターへの給油は、米軍の輸送機が当空港に燃料を持ち込んで独自に行った。ほかにも緊急の給油や、熱帯・亜熱帯地域で頻発する天候急変等の突発事態を理由として、米軍機は何度も当空港への緊急着陸を行ってきた。

現用の那覇空港は軍民共用であり、かつ民間の発着便数の多さだけでも過密といえる状態である。そのため近い将来に那覇空港第2滑走路が竣工するまでは、有事の際に軍用空港としての機能は果たせないと見られている。ただし那覇空港の拡張案も具体的に検討されており、それが実現すれば那覇空港の利用実態においての下地島空港の優位性は相対的には低下するものとみられる。しかし沖縄本島宮古島地方は大海を隔てて300kmほど(参考として、首都圏の横田飛行場と本州北端の三沢飛行場との距離は約600kmである)離れており、これは佐世保基地を基準とすれば東へは呉基地、西へは韓国済州島との距離に匹敵する。いまだ東アジア地域での軍事的緊張が続くなか、先島諸島から台湾に至るまでの軍事的空白域を補うために防衛上の拠点を宮古島地域に置くことには、地政学的な重要性があることも否定できない。

屋良覚書

しかし、下地島空港の利用方法については、飛行場設置に当たって1971年(昭和46年)に日本政府と当時の屋良朝苗琉球政府行政主席との間に交わされた「屋良覚書」が存在しており、これによって(琉球政府→沖縄県の同意がない限り)下地島空港の軍民共用空港化は為されないものとされている。

その内容は

  1. 下地島飛行場は、琉球政府が所有及び管理を行い、使用方法は管理者である琉球政府(復帰後は沖縄県)が決定する。
  2. 日本国運輸省(現・国土交通省)は航空訓練と民間航空以外に使用する目的はなく、これ以外の目的に使用することを琉球政府に命令するいかなる法令上の根拠も持たない。
  3. ただし、緊急時や万が一の事態のときはその限りではない。

というものである。

この「屋良覚書」に関連する質問趣意書への回答で、2004年(平成16年)に日本政府は「下地島空港は、公共の用に供する飛行場として適切に使用する必要があり」、そのため「パイロット訓練及び民間航空以外の利用が当然に許されないということではない」としている。

西銘確認書

また「屋良覚書」を補完するものとして、1979年(昭和54年)に当時の西銘順治沖縄県知事が森山欽司運輸大臣宛に提出した、いわゆる「西銘確認書」が存在する。同確認書では、下地島飛行場を空港に転換するにあたり

  1. 下地島空港の維持管理にあたっては、県費の持ち出しをしないことを基本とした訓練使用料を設定する。
  2. 下地島空港は、人命救助、緊急避難等特にやむを得ない事情のある場合を除いて、民間航空機に使用させる方針で管理運営する。

という沖縄県の要望に対し、運輸省側からは「下地島空港の運営方針は、第一義的には設置管理者たる沖縄県が決める問題であると考えている」との返答があったものである。

日本政府はこれら覚書・確認書を踏まえ、「地方管理空港である下地島空港の利用についての調整の権限は、管理者である沖縄県が有している」として、航空訓練・民間航空以外への利用に関しては沖縄県が判断すべき問題であるという姿勢を示しており、2013年に提出された質問趣意書への回答でもその立場を崩していない[18]

旧伊良部町の請願

それに対して、下地島空港の地元である旧伊良部町では、2005年(平成17年)3月16日に開催された町議会で、下地島空港への自衛隊誘致の請願を賛成9反対8で可決し、本島を中心とした沖縄県全体に衝撃が走った。この請願は、2004年(平成16年)11月10日に、宮古島および石垣島沖合で発生した漢級原子力潜水艦領海侵犯事件において、稲嶺惠一沖縄県知事(当時)をはじめ、沖縄県内の首長が誰一人として中国人民解放軍海軍潜水艦による領海侵犯に抗議の声明を出さず沈黙したことに、事件の地元である伊良部町の一部の住民が憤慨し、政府の責任で自衛隊を駐屯させ、日本の国土である先島諸島を守って欲しいと意思表示を行い、請願したものであった。もっとも、当請願には自衛隊駐屯による経済振興を期待する意味もあり、純粋に国防上の問題を憂えた上でのものではないとも言われる。[要出典]

結局、この請願は、住民集会で異論が噴出[要出典]し、3月25日に白紙撤回をせざるを得なかったが、沖縄本島と先島諸島との間の国防に関する温度差が如実に表れた出来事だった。

現状

伊良部町は合併により宮古島市になり、軍民共用化反対の立場を取る左派の伊志嶺亮が初代市長になった。軍事利用を排して下地島空港を「国際物流拠点」とする構想を表明していたが、現時点で具体策はなく、その後、初代市長の辞職によって方針は事実上白紙化された。2010年代の2代目市長以降は賛成派も当選し、豊かな自然を活かした地域振興による総合的な開発計画が認可される流れとなっている。[19]

稲嶺元沖縄県知事も明確に反対の姿勢を示していたこと、また住民感情の面からも下地島空港の軍民共用化の道は現状では流動的であると言えるが、2016年には伊良部大橋の開通などを経て、宮古島全体に対してさらなる交通利便性向上により、首都圏と同様に激増する訪日旅行者への宿泊需要を取り込み、今後は新石垣空港並の交通インフラが整備される動きが拡がっており、沖縄県全体での外国人観光客を含めた訪日観光ブームが本格化する事も予測されており、既に総合商社による大規模な開発計画が発表されている。日本航空などが訓練に使っていた期間と同様の人材及び施設を再利用及び増設し、空港周辺での総合リゾート地開発と軍民共用化を同時並行的に進める計画が発表され、地元自治体の同意も得た上で、下地島空港の再度有効活用が事実上決定した。

交通

2015年1月31日に、宮古島と伊良部島を結ぶ「伊良部大橋」が供用を開始、伊良部島と下地島は隣接しており宮古島から下地島は道路で繋がった。

かつては平良港(宮古島)-佐良浜港(伊良部島)間で、宮古フェリー及びはやてによる高速船(15分)及びフェリー(25分)が運航されていたが、伊良部大橋の開通によって廃止された。

ギャラリー

その他

  • 下地島VORTAC及びILSが整備されているものの、管理官所は、宮古空港・航空路監視レーダー事務所である

脚注

注釈

  1. ^ 東京国際空港等の大規模空港も含め国内の大多数の空港では、ILSは滑走路の片側にのみ設置されている

出典

  1. ^ 下地島空港”. 管内空港の現況と出先機関. 国土交通省大阪航空局. 2015年9月12日閲覧。
  2. ^ 今月のタッチアンドゴー(訓練計画) - 沖縄県土木建設部・2014年3月17日
  3. ^ a b c d e f 国土交通省「暦年・年度別空港管理調書”. 2013年7月30日閲覧。
  4. ^ ‘747クラシックジャンボ’で那覇/下地島を飛ぶ 2日間”. 2010年9月14日閲覧。
  5. ^ 大阪航空局「管内空港の利用状況概況集計表(平成21年7月期速報値)」”. 2010年9月14日閲覧。
  6. ^ 日航、下地島空港撤退へ 県、民事調停も視野 - 琉球新報
  7. ^ JALが下地島から撤退 - 宮古毎日新聞
  8. ^ JAL、下地島空港撤退で最終通告 - 沖縄タイムス
  9. ^ 下地島空港、操縦訓練の撤退可能性 全日空「白紙状態」 - 琉球新報
  10. ^ “下地島空港 活用推進へ作業班”. 琉球新報. (2013年4月17日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-205445-storytopic-3.html 2014年6月29日閲覧。 
  11. ^ 2015年度以降、下地島空港ANA撤退 - 琉球新報・2014年3月7日
  12. ^ 利活用プロモーターを決定/下地島空港 - 宮古毎日新聞・2014年7月31日
  13. ^ パイロット訓練など4事業選定/下地島空港利活用 - 宮古毎日新聞・2015年4月2日
  14. ^ 下地島に国際空港提案 三菱地所、富裕層や格安便誘致 - 琉球新報・2015年12月26日
  15. ^ 下地島空港新ターミナル建設、三菱地所が沖縄県に提案 - 読売新聞・2015年12月26日
  16. ^ http://www.futenma.info/place.html
  17. ^ http://hobbycom.jp/workshop/library/weapon_sora/27.html
  18. ^ 衆議院議員照屋寛徳君提出いわゆる「屋良覚書」に関する質問に対する答弁書 - 内閣総理大臣・2013年2月8日
  19. ^ 伊志嶺は2008年12月31日付で辞職している。宮古島市政の現状については宮古島市#行政を参照されたい。

関連項目

外部リンク