エアトランセ

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株式会社エアトランセ
airtransse Inc.
種類 株式会社
本社所在地 160-0022
東京都新宿区新宿1-9-2 日南貿易ビル2階リノベックス内
設立 2004年8月
事業内容 航空機レンタル
代表者 代表取締役社会長 江村林香
資本金 8,500万円
決算期 3月末日
関係する人物 澤田秀雄
外部リンク http://airtransse.com/
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退役した一号機 (JA016A)
2006年11月25日 とかち帯広空港にて撮影
二号機 (JA017A)
2006年3月21日 函館空港にて撮影
エアァシェンペクス ドルニエDo 228(JA8866)
丘珠空港にて撮影

エアトランセは、日本の航空機レンタル会社。自家用機の売買仲介も行う。かつてはコミューター航空会社であった。日本の航空会社において初めて、女性社長が経営する会社として注目された。

概要[編集]

就航まで[編集]

1997年、群馬県前橋市に本社を置く医療機器製造販売会社「シェンペクス」が『はあと航空事業部』を発足。2001年3月時点では「はあと航空として2002年4月から帯広起点に2路線で就航予定」と発表していた。2001年5月、『はあと航空』として法人設立。のち「エアァシェンペクス」に社名変更。2002年中の就航を目標に準備していたが、資金不足等から就航が何度も延期された。2004年1月30日に定期航空運送事業が許可され、6月にはドルニエDo 228にて運航開始予定とされていたが、機種変更を理由に再び就航を延期していた。

2004年7月、旧社長は会社譲渡を決断。航空関係業界に相談するもすべて断られたが、観光ハイヤー事業をおこなっていた江村林香に事業売却の話が持ちかけられ、2004年8月、江村が譲受し、日本国内航空会社で初の女性社長に就任。スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)設立に携わった澤田秀雄を顧問に迎えた。社長の夫、中山淑惇も他の事業をおこないながらもエアトランセ取締役に名を連ねている。2004年8月に資本・経営陣の交代を発表、2004年10月に会社名を「エアァシェンペクス」から「エアトランセ」に変更。

旧親会社のシェンペクスは、2006年3月30日に自身の民事再生法適用の申し立てをおこなっている。就航以前には東京都港区虎ノ門2-10-1新日鉱ビルに本社を置いていたこともある。

就航[編集]

定期便搭乗券
定期便就航時の女満別空港カウンター(右端)

『北海道内の空飛ぶバス』として、ビーチクラフト1900D一機を使用し、2005年3月13日に1日2往復、片道運賃2万5,000円(片道割引運賃2万円、どさんこ割という地域住民割引があった)で函館空港 - 帯広空港の運航を開始。陸路で6時間以上を要する両地区間を約1時間で結んだ。

2005年10月1日より函館空港 - 新千歳空港、新千歳空港 - 帯広空港の運航を開始。函館空港 - 帯広空港間を新千歳空港経由で搭乗する際は、新千歳空港で降りずに機内で待機する『バス方式』を採用した。バス方式は北海道エアシステムなど他社でも行っていたが、航空情勢の変化による保安上の理由で中止されている中での採用となった。

2006年4月1日より北海道エアシステムが撤退した函館空港 - 女満別空港、同年6月20日よりすでに大手航空会社が就航している新千歳空港 - 女満別空港の運航を開始。しかし、2006年12月より新千歳空港 - 帯広空港、2007年2月より新千歳空港 - 函館空港・女満別空港が運休となり、新千歳空港から撤退となった。5路線が2路線に縮小される。同路線は2007年3月31日をもって廃止された。

2007年2月6日までに、函館空港 - 女満別空港、函館空港 - 帯広空港路線を2007年3月中旬から運休し、定期航空事業から撤退することを決定した。路線そのものは、乗客が集まれば運航する不定期路線として継続する。一方、2007年3月中にも、那覇空港 - 周辺離島の不定期路線を開設し、収支改善を目指す予定とした[1]。2007年3月6日に国土交通省へ3月13日を以っての定期便休止、3月14日からの不定期路線申請、4月1日からの那覇空港の運航整備基地申請および2~4路線の申請を行った[2]

定期便運航から撤退、不定期便運航へ[編集]

2007年3月13日、帯広往復を以って定期便の運航を終了(女満別便は欠航)。同年3月14日より不定期便としての運航となり、不定期初便となった函館発女満別行には7名が搭乗した[3]。本来、不定期便は運航時刻を定めることはできないが、定期便と変わらないサービスを提供できるよう工夫するとの会社側の見解により、函館発女満別行は9時15分頃発、女満別発函館行は10時55分頃発、函館発帯広行は12時55分頃発、帯広発函館行は14時25分頃発と、ある程度決められていた。

2007年4月27日には、函館空港 - 帯広空港・女満別空港の定期路線廃止を届け出[4]。定期便運航から撤退となり、不定期便のみの運航に変更した。同じく2007年4月27日付で、初号機であるJA016Aが登録抹消となり、2機体制で運航される。なお、この不定期便についても2007年9月末で休止することとなった。

沖縄への進出、3ヶ月での撤退[編集]

2007年3月15日には、自社ホームページにて那覇空港 - 沖永良部空港に2往復、下地島空港に1往復の就航が発表された。沖縄地区での予約はエアードルフィンで受け付けることとなっていた。

2007年4月1日、那覇空港より沖永良部空港および下地島空港へ就航した。特に下地島空港便は1994年に日本トランスオーシャン航空が撤退して以来、約13年振りの航空路線ということもあって注目され、運航初便は那覇空港発が75%、下地島空港発が満席と幸先の良いスタートとなったと思われた[5]

2007年6月に機体整備による沖縄路線の9日間計画運休が発表されたが、下地島空港便の4月の月間搭乗率が15.7%と目標を大幅に下回ったこともあって、その後運休期間の延長が発表された[6]。一時休止でありこのまま撤退することはないとしたものの、5月中旬の時点でエアードルフィンに対し、搭乗率低迷に加えて乗員不足により北海道での運航に影響が出る恐れがあるとのことで、沖永良部空港便も含めた沖縄路線からの撤退を申し出ていたことが報じられている[7]。沖永良部空港便はエアードルフィン自社運航に戻り、下地島空港便は休止となる。

特に下地島空港便は、競合する那覇空港 - 宮古空港便(下地島・伊良部島と宮古島間は高速船で15分)において、座席数に限りがあるものの、事前購入型割引運賃で最低5,000円からの価格を打ち出しており、離島特別割引(往路が宮古空港発の往復割引)では11,000円前後であった。対してエアトランセは普通運賃18,000円、島民割引でも15,000円としていた。価格設定に加えて1日1往復と利便性も悪く、関係者の間では撤退は時間の問題とされていた。

収益改善を目指した沖縄進出も、約3ヶ月で撤退することとなった。「長い目で計画を立てて欲しかった」とエアードルフィン社長に苦言を呈されるなど、かねてから指摘されていた慢性的な乗務員不足、市場リサーチ不足や事業計画の見通しの甘さを改めて露呈することとなった。

本州路線へ進出[編集]

沖縄撤退に伴って空いた機材は再び北海道へ戻し、2007年7月21日より函館空港 - 仙台空港に就航した。2007年から他社が撤退したためその分の需要が見込めると発表されているが、他社の撤退後または同時に就航した路線では他社ほどの需要が見出せておらず、今までの路線改廃から「5年後の事業像が見えない。他路線の短期撤退で、この路線も同じではといった印象が客離れを招く」といった苦言を呈されていた[8]

なお、この路線も「仙台空港で借りていた搭乗のための保安検査場の契約期間が10月末で切れ、更新に当たって使用料が折り合わなかったため」11月1日からしばらく運休となっていたが、12月15日に再開されている。

再度沖縄へ進出[編集]

沖縄撤退から間もない2007年7月5日には、同年6月30日を以って全日本空輸が撤退した那覇空港 - 大分空港便就航を検討していると報じられた[9]

2007年7月24日に、大分県庁において記者発表を行い[10]、同年11月からの就航を発表した[11]。1往復の運航で、運航の無い時間帯のチャーターや北海道への機体整備回送を利用したツアー等も計画されている[12]。大分空港を拠点とするため、短期撤退で苦言を呈されたエアードルフィンと再提携は行わない。

1名からでも予約があれば運航する「乗り合い便」として同年11月1日より運航を開始したが、利用が低迷し早くも11月9日付で13名以上の予約に限る「チャーター便」に変更された。毎週火曜日~金曜日の利用のみ受け付けた。

税金滞納、差し押さえ[編集]

2007年11月14日、信販会社ハコセンが自らの経営破綻記者会見において、エアトランセと会長夫妻に融資している計20億円程の返済が滞っていることを説明し、「税金の滞納により、ハコセンが担保に取っているエアトランセの航空機1機を差し押さえた」との通知が同日、国税当局からきたことを明らかにした(ただし、財産としての差し押さえであって、勝手に売却することはできないが、運航には当面支障はないようである)。この差し押さえについては2008年に解除されている模様である。

函館からの撤退と航空機レンタル事業への転換[編集]

ここまでの経緯の通り、エアトランセの事業は短期で参入と撤退を繰り返し、根付くことはなかった。加えて燃油費の高騰もあり、不定期運航やチャーター便を維持することすら困難となった。そこで、2008年10月に会社は全てのチャーター便運航を廃止し、航空機のレンタル事業と中古機の売買仲介事業に転換した。

航空機のレンタル事業とは自社のビーチクラフト機のほか節税で所有している航空機オーナーや総合商社から航空機をレンタルし、利用を希望する客先に貸し出すものだとしている。従来行ってきたチャーター便と異なり、航空機を借りたい客は航空機の他にパイロットを派遣会社から手配する必要があり、拠点空港からのフェリー(回送)費用も負担する必要がある。エアトランセは「燃油高騰のもとでも黒字化を実現できる新しい航空機を使った移動ビジネス」としている。

これに伴い、函館からは撤退し本社を東京都新宿区に移転している。函館の事務所等は当面存置される見込みであるが、ビーチクラフト機は既に中部国際空港に移動している模様である。

月刊エアラインによると、2009年10月、エアトランセカラーのオレンジ色の二号機(JA017A)がカナダに売却された模様。

不具合[編集]

定期便を運航していた際は予備機がない中で運航していたが、増便によって増大した定期整備や慢性的な運航乗員不足による計画運休、機材故障による欠航が他社と比較して多く発生。2006年10月より3機体制になり、新千歳空港路線からの撤退で若干余裕ができた。

  • 2006年4月6日、帯広空港にて離陸許可のないまま離陸のための滑走を400メートルおこなっていたが離陸には至っていない。乗客は4名が影響を受けた[13]
  • 2006年5月1日、天候不良に伴う乗員シフトの変更で、新たな機長の手配が付かず函館空港 - 帯広空港を欠航。乗客2名が影響を受けた[14]
  • 2006年12月25日、函館空港の格納庫がサイバーファームの子会社であるエアードルフィンに譲渡されていたことが発覚する。同じ建物には函館市の企業が1億円の抵当権を設定している。

コミューター航空会社時代の運航路線[編集]

定期便[編集]

不定期便[編集]

不定期路線として

チャーター便運航のための回送を利用した不定期便(片道のみを含む)

使用機材[編集]

レイセオンエアクラフト社製双発プロペラターボプロップ機、ビーチクラフトビーチクラフト1900Dを3機使用。定員は全て18名。座席は中央通路をはさみ通路両側に1列ずつの2列。一号機JA016Aは白地に赤のストライプライン。2005年12月24日就航の二号機JA017Aは機体の上部四分の三がオレンジ(エアトランセ社イメージカラー)、下部が白のツートンカラー。一号機、二号機はマイク・ストーン (Mike Stone) によるリペイント。2006年10月、クリスチャン・ラッセンのイルカの絵を機体に描いた三号機が就航。自社整備をおこなっており、一等航空整備士6名、二等航空整備士7名を擁している。

就航以前の予定機材は、フェアチャイルド・メトロドルニエ 228と変遷をたどり、新経営体制下で現在のビーチクラフト1900Dを選択している。

脚注[編集]

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  1. ^ [エアトランセ定期便撤退 函館-帯広・女満別 来月] 北海道新聞 2007年2月7日
  2. ^ [エアトランセ、定期便運休届け出 乗り合い方式などへ転換] 北海道新聞 2007年3月7日
  3. ^ [「乗り合い」第1便離陸 エアトランセ] 北海道新聞 2007年3月15日
  4. ^ [定期便の廃止を国交省に届け出 エアトランセ] 北海道新聞 2007年4月28日
  5. ^ 13年ぶり下地-那覇 小型機が就航、住民歓迎 琉球新報 2007年4月2日
  6. ^ 25日から一時運休 エアードルフィン下地島―那覇便 琉球新報 2007年6月12日
  7. ^ 下地島―那覇路線 撤退へ 沖縄タイムス 2007年6月13日
  8. ^ [エアトランセ:「函館-仙台」就航、予約客1人でも運航・安定運航へ正念場…会長「柱の路線に」] 北海道新聞 2007年7月22日
  9. ^ [大分~沖縄便 就航検討] テレビ大分 2007年7月5日
  10. ^ 株式会社エアトランセによる大分=沖縄間のりあい便就航表明に関するお知らせ 大分県 2007年7月20日
  11. ^ [大分沖縄便エアトランセ就航] テレビ大分 2007年7月24日
  12. ^ [エアトランセ:那覇便就航へ 「乗り合い便」で1日1往復 /大分] 毎日新聞 2007年7月25日
  13. ^ エアトランセ機、離陸許可を得ず滑走…先月6日 読売新聞 2006年5月9日
  14. ^ 人繰りつかず欠航…エアトランセ 読売新聞 2006年5月2日

外部リンク[編集]