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小川仁一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小川 仁一
おがわ じんいち
生年月日 1918年2月1日
出生地 日本の旗 岩手県和賀郡東和町
没年月日 (2002-11-24) 2002年11月24日(84歳没)
死没地 日本の旗 岩手県盛岡市
出身校 岩手師範学校
前職 岩手県教職員組合委員長
所属政党 日本社会党

選挙区 岩手県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1987年 - 1995年

選挙区 岩手1区
当選回数 2回
在任期間 1976年 - 1979年
1983年 - 1986年
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小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 2002年11月24日)は、日本政治家日本社会党に所属し衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)を歴任。

略歴

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岩手県和賀郡東和町(現花巻市)生まれ。岩手師範学校(現岩手大学教育学部)卒業[1]小学校教諭を経て[1]1959年に岩手県教職員組合委員長[1]1961年(昭和36年)に中学生の全国一斉学力テストの反対闘争を組織し、地方公務員法違反容疑で逮捕される。ほかに日本教職員組合副委員長、総評副議長[1]、公務員共闘事務局長などを務めた[2]

1971年第9回参議院議員通常選挙1974年第10回参議院議員通常選挙岩手県選挙区から日本社会党公認で出馬したが、落選[3]

1976年第34回衆議院議員総選挙岩手1区に日本社会党から立候補し、初当選[4]1979年第35回衆議院議員総選挙1980年第36回衆議院議員総選挙に続けて立候補したが、落選[4]1983年第37回衆議院議員総選挙で再び当選[4]1986年第38回衆議院議員総選挙で落選[4]

1987年第13回参議院議員通常選挙補欠選挙岩手県選挙区に立候補し、売上税反対を掲げ、自由民主党の候補を破って当選[3]。売上税法案を廃案に追い込むきっかけとなった。岩手選挙区での日本社会党の当選者は、渡辺勘吉(参議院議員1期)以来25年ぶり。以後2期務める。1988年、参議院災害対策特別委員長。1989年に再選[3]1994年、第46代参議院議院運営委員長1995年第17回参議院議員通常選挙には立候補せず引退。

2002年11月24日急性大動脈解離のため盛岡市の病院で死去[5]享年83。

参考文献

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  • 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』(大蔵省印刷局、1990年)
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。

脚注

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  1. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』261頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』262頁。
  3. ^ a b c 『朝日選挙大観』571頁。
  4. ^ a b c d 『朝日選挙大観』450頁。
  5. ^ 小川仁一氏死去 元社会党参院議員
議会
先代
大森昭
日本の旗 参議院議院運営委員長
1994年-1995年
次代
志苫裕
先代
佐藤三吾
日本の旗 参議院地方行政委員長
1993年-1994年
次代
岩本久人
先代
梶原敬義
日本の旗 参議院災害対策特別委員長 次代
佐藤三吾