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東和町 (岩手県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
とうわちょう
東和町
成島毘沙門堂
東和町旗 東和町章
東和町旗 東和町章
廃止日 2006年1月1日
廃止理由 新設合併
花巻市、東和町石鳥谷町大迫町花巻市
現在の自治体 花巻市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
和賀郡
市町村コード 03361-8
面積 157.51 km2
総人口 10,637
推計人口、2006年1月1日)
隣接自治体 北上市花巻市江刺市上閉伊郡宮守村稗貫郡大迫町石鳥谷町
町の木 あかまつ
町の花 あやめ
町の鳥 きじ
東和町役場
所在地 028-0192
岩手県和賀郡東和町土沢8区60番地
(現在の花巻市東和町土沢8区60番地)
座標 北緯39度23分13秒 東経141度13分41秒 / 北緯39.38686度 東経141.22808度 / 39.38686; 141.22808座標: 北緯39度23分13秒 東経141度13分41秒 / 北緯39.38686度 東経141.22808度 / 39.38686; 141.22808
東和町の県内位置図
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東和町(とうわちょう)は、平成17年(2005年)まで岩手県和賀郡にあった。東和賀、和賀郡の東部に位置する為、町名が東和町となった。

地理

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歴史

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当地域の歴史は坂上田村麻呂の時代にさかのぼり、成島毘沙門堂や丹内山神社などが田村麻呂の創建と伝わる。中世の当地域は和賀氏が支配しており、その家臣の小原氏の領地があったが、戦国時代末期、豊臣秀吉による奥州仕置で和賀氏は改易された。後に和賀氏は領土回復を目的に和賀・稗貫一揆岩崎一揆を起こしたが最終的に南部氏に平定され、近世は南部藩領となった。

また、伊達藩と接する重要拠点として慶長17年(1612年)に土沢城が築かれた。土沢城は旧葛西氏家臣・江刺隆直を城主として使用されたが、寛文10年(1670年)に廃城となった[1]江戸時代は盛岡から釜石に続く釜石街道の宿場町として栄えた。

廃藩置県では地域内に多くの村が設立され、後にこれらが合併して土沢町小山田村谷内村中内村などが成立、昭和30年、前述の各町村が合併し、東和町が成立した。

町名の由来

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賀郡の部にちなんで東和町と命名。 (同じく平成の大合併では当町と入れ替わる形で同郡の西部に西和賀町が発足した。)

沿革

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行政

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  • 最後の町長:小田島峰雄(おだしま みねお、1998年1月25日就任)
  • 小原秀夫 (1986年 - 1998年、3期
    • 1997年、コメの減反の実施を農家の自由な判断とする自主減反を表明。結局は断念したが「国の政策に反旗」と全国から注目された。これを扱ったNHK盛岡放送局制作の「ドキュメントにっぽん 米はドンドン作ればいい ~岩手・東和町長の挑戦~」は1997年(平成9年)に地方の時代映像祭グランプリを受賞している[2]。著書に「小さな町の大きな挑戦 : 岩手県東和町長の8年間[3]」がある。2010年死去。

他市町村との交流

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全国東和町サミット

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1987年(昭和62年)より、宮城県東和町福島県東和町山口県東和町とともに毎年「全国東和町サミット」を開催[4]。1990年(平成2年)には、東京・丸の内に4町合同のアンテナショップが開設された[5]

神奈川県川崎市との交流

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1988年(昭和63年)に川崎市教職員組合の機関誌に、組合員の地元紹介として東和町のりんごが掲載され、それがきっかけでりんごに興味を持った子どもの発言に端を発し、農家ホームステイしながら農作業体験を行う交流事業が始まった[4]。「ふれあいサマーキャンプ」と名づけられ、南成島地区および田瀬地区で、夏休みにそれぞれ毎年約40名の小学生を受け入れた[4]

1994年(平成6年)には、町民がスタッフやキャストとなり、テレビドラマ「牛(べこ)とコスモス」が制作された[6]。これは都会から農家にホームステイに来た女子高生が巻き起こす騒動を描いており、1995年には川崎市などが主催する地方の時代賞映像コンクールで受賞したほか、同年秋には全国の東和町ファンが町に集まり、ロケ地巡りや農業体験を行った[4]

経済

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平地では稲作、丘陵地ではリンゴ栽培が行われていた[4]

花き栽培

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1992年(平成4年)に第三セクターとうわアグリトピア公社が設立され、花き栽培が盛んに行われた[7]。公社は都市との交流を図る8棟12世帯の滞在型農園「グリーンビレッジ」の運営や、後述の物産センター「まほろばの郷」の運営も担う[7]。当初はバラの栽培に力を入れていたが、安価な韓国産バラの台頭に伴いラン栽培へと転換した[8]

町内の商業

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土沢商店街では、約50年ぶりに「つちざわ市日」が復活した[7]

1987年には国道283号沿いにまほろばの郷物産センターができ[5]、1997年4月には農産物直売所「農家の八百屋さん」ができた[9]

首都圏のアンテナショップ

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1993年(平成5年)にはJA岩手東和町とともに第三セクターとうわ大増を設立し、1997年(平成9年)、川崎市内にアンテナショップ「東和ふるさと村」をオープン[8]。レストランを併設し、当初は東京の料亭と契約した高級路線でスタートしたが赤字が続き、岩手県内から呼んだ料理人に入れ替えふるさとの味に徹する路線に転換したところ、黒字化に成功した[8]

なおこれ以前にも、前述の4町合同のアンテナショップや、1994年2月に銀座5丁目にオープンした居酒屋「ます八」など、首都圏で東和町のものを扱う店があった[6]

水力発電

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1920年(大正9年)に盛岡電気の黄金山発電所が操業開始[10]。その後1954年(昭和29年)に田瀬ダムの完成に伴い電源開発東和発電所ができると役割を譲った[10]

教育

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小学校

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  • 東和町立小山田小学校
  • 東和町立土沢小学校
  • 東和町立成島小学校
  • 東和町立田瀬小学校
  • 東和町立谷内小学校
  • 東和町立浮田小学校

6校は後に統合して花巻市立東和小学校となった。

中学校

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  • 東和町立東和中学校
  • 東和町立田瀬中学校

2校は後に統合して花巻市立東和中学校となった。

高等学校

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交通

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公共交通

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第三セクター「東和町総合サービス公社」が路線バスを運行していた[7]

道路

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名所・旧跡・観光スポット

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文化・名物

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祭事・催事

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名産・特産

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出身有名人

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 『東和町史 上巻』東和町、1974年。doi:10.11501/9569635 
  2. ^ 作品紹介:過去のグランプリ一覧”. 地方の時代映像祭実行委員会. 2025年11月30日閲覧。
  3. ^ 小原秀夫『小さな町の大きな挑戦:岩手県東和町長の8年間』東山堂、1994年6月。doi:10.11501/13102904 
  4. ^ a b c d e 伊藤秀紀、広田純一「岩手県東和町における農村と都市との多面的交流」『農業土木学会誌』第64巻第8号、農業農村工学会、1996年、doi:10.11408/jjsidre1965.64.8_775 
  5. ^ a b 「明日をつくるふるさと産業15 TOWA-アグリトピア構想を具体化し新しい「東和町農業」の確立に取り組む 株式会社とうわアグリトピア公社」『岩手経済研究』第154巻、岩手経済研究所、1995年9月、10-17頁、doi:10.11501/2869897 
  6. ^ a b 農村にすまう」『農村計画』第42巻、農村計画学会、1995年、16-21頁。 
  7. ^ a b c d 「わがまちの戦略:健康で潤いと活気のあるまほろばの郷――東和町」『岩手経済研究』第207巻、岩手経済研究所、2000年2月、18-21頁、doi:10.11501/2869956 
  8. ^ a b c 特集 電源地域のサクセスストーリー:岩手県東和町」『地域のひろば』第183巻、電源地域振興センター、2003年3月、1-11頁。 
  9. ^ ネットワークいわて」『いわてグラフ』、岩手県、1997年5月、14頁。 
  10. ^ a b なんでもインフォ 黄金山発電所 ~田瀬湖に眠る近代遺産~”. 昭和土木設計 (2020年8月). 2025年11月30日閲覧。
  11. ^ クローズアップ:成島和紙生産者 青木一則さん」『春日和』2019春、花巻市、2019年3月、10-13頁。 
  12. ^ 及川全三と岩手のホームスパン」No.53、花巻市博物館、2017年12月。 

外部リンク

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