即興演奏

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即興演奏(そっきょうえんそう)は、楽譜などに依らず音楽を、即興作曲または編曲しながら演奏を行うこと。ともにを歌うことも含まれる。アドリブラテン語ad lib)、インプロヴィゼーション英語improvisation)などとも言う。

概略

広義には決めごとによらず音を出す行為を指すため、音楽の最も原始的な形態は即興であったとみなす事ができる。しかし現在では自由即興を除けば、ある一定の決まり事の中で即興的に演奏されることを即興演奏と呼ぶ事が多く、その決まり事の内容や範囲がジャンルやスタイルによって異なる。クラシック音楽ジャズや各種の民族音楽など非常に多くのジャンルで行われる。

既存の音楽の表現の幅を広げる以外に即興性そのものに価値を見いだす即興専門の表現者もいる。また、芸術表現としてだけでなく、演奏家の教育や音楽療法の一環として行われる事も多い。また、先鋭的な表現を目指す前衛音楽実験音楽ノイズミュージックと隣接する。特に即興に新しさを求める場合は異なるジャンルへの越境が頻繁に行われる。

長所と短所

まず長所としては、練習無しにすぐ本番の演奏に取りかかれ、練習の手間が省ける。即興をする事によって、実際の作曲のインスピレーションやアイディアの発想が速くなり、早書きが可能になって作曲への負担が少なくなる。また、演奏者にとっては、今まで思いもつかなかったような演奏ができる場合もある。

短所としては、(同時録音して解析しない限り)楽譜の形には残せないため、同じ音楽の精密な再演はまず不可能であり、音楽学的なアナリーゼ・研究がしにくくなる。しかし最近はCubaseなどのデジタルオーディオワークステーション(DAW)ソフトができて、徐々に即興演奏も正確な楽譜化が可能になってきた。また、即興演奏を長時間にわたって続けると、奏者の技量によっては同じような演奏の繰り返しに陥ることがあり、演奏者及び聞き手の双方に退屈感を与えてしまうことがある。

自由即興

まったく決めごとを作らずに自由に演奏すること。「完全即興」、「フリー・インプロヴィゼーション」等と呼ばれることもあり、呼称と定義にはゆらぎが多い。内容も奏者の指向性によって様々で、奏者の音楽的バックグラウンドによって特定の音楽ジャンルが感じられるものになることもある。特定の演奏技能や知識に依らずとも表現できる、他ジャンルへの越境がたやすいなどの利点がある。楽器や声以外に日用品やラップトップ、環境音など多様なものが使用されうる。

演奏時間、人数など最低限の決めごとがある場合も多い。ジョン・ゾーンのゲームピース「COBRA」のように即興演奏家のために書かれた作品もあり、ここでは演奏の内容は即興だが、展開を決めていくための約束事が共有されている。逆にくじ引きやコンピュータープログラム、自然現象などを用いて偶然性を持ち込む事で即興性を高める試みも行われる。

西洋音楽における即興演奏

西洋音楽の和声に基づいてメロディーを即興で作りながら演奏することは古くから行われていたが、平均律の完成以降は12の音を自在に組み合わせることが可能になり、作曲ばかりでなく即興演奏の可能性が広がり、また複雑さが増した。

コード進行が作り出す緊張と緩和に沿いながら、それぞれのコードの構成音と外音との組み合わせてメロディーを作る方法や、設定した特定の旋法(音階)に基づいてメロディーを生み出すモードの方法などがある。

クラシック音楽における即興演奏

協奏曲アリアにおけるカデンツァなどで即興が行われるが、作曲家によりあらかじめ音符が書き込まれていることも多い。

また、楽譜にほとんど現れないが、大作曲家の多くは即興演奏の大家であった。バッハモーツァルトベートーヴェンブルックナーシェルシショスタコーヴィッチメシアンなどがそうであり、実際の創作活動に大きく影響を与えたと考えられる。

様式と歴史

バロック音楽古典派音楽初期ロマン派音楽におけるチェンバロ奏者やフォルテピアノ奏者は、指定された和音数字にしたがって右手で即興的な装飾音を使った演奏をしなければならなかった。これを通奏低音と言う。オペラオラトリオカンタータ等の「かわいた」レチタティーヴォによく使われる。オラトリオやカンタータなどではこの部分で指揮される場合もあるが、オペラでは指揮を止めることが多く、しばしば指揮者がチェンバロなども一緒に担当する。

他にオルガンピアノなどの独奏で即興演奏が行われる。オルガンは礼拝やコンサートの前に、指慣らしの意味で前奏曲トッカータなどを即興するが、これはある意味での実用音楽である。ヨーロッパの大きな教会では教会音楽家が即興で弾くのを聴くことができる。聖歌において、前奏や間奏、後奏が即興で演奏されるだけではなく、伴奏も旋律だけを見て即興され、例えば1番と2番以降で和音や装飾音形が変奏曲のように違って演奏されることもある。

20世紀後期以降は古楽スタイルの演奏が独奏者まで徹底され、本当の即興カデンツァを演奏するピアニストが増えた。ドイツやオーストリアの音楽大学でもカデンツァの即興をレッスンをするピアノ教授が増えている。

クラシック音楽における即興演奏の例

一例として、アメリカの音楽学者兼ピアニストのロバート・レヴィン(en)は、モーツァルトベートーヴェン等の楽曲のカデンツァを、作曲当時のスタイルに従って完全に即興し、楽譜には残さない。インタビューで語ったところでは、事前には何も準備していないという。したがって、その時々の演奏で何が出てくるのかは本人にも全くわからず、その演奏を繰り返し聴けるのは録音やCDのみということになる。その他ではやはりピアノのアンドレアス・シュタイアーが当時のままの即興演奏することで知られている。自由即興の例ではトルコのファジル・サイピアノ協奏曲アンコールなどで見せてくれ、彼はもちろん協奏曲の際のカデンツァでも様式にあった即興を披露している。最近の傾向は主に古楽の専門家=その様式での即興演奏家を兼ねることが多くなった。

古くはアンドレ・プレヴィンが、そうした形でモーツァルトピアノ協奏曲弾き振りしたCDを残している。またフリードリヒ・グルダはモーツァルトのピアノソナタの中で、提示部の繰り返しと展開部、再現部の繰り返しにバッハ的な装飾音を用いて変奏即興している。グルダは作曲も行い、またジャズピアノを多く弾いたが、クラシックにおいてもその種の即興も当たり前として弾いていたと思われ、ジャズの即興性からは決して遠い存在ではなく、ソナタの繰り返しの退屈さを見事に克服しているとも言える[要出典]

ヴァイオリンとピアノのユリア・フィッシャーやピアノのマルティン・シュタットフェルト(en)のように、カデンツァを自作する演奏家も欧米にはたくさんいる。他にはナイジェル・ケネディマクシム・ヴェンゲーロフヒラリー・ハーンジョセフ・リン、日本人では児玉麻里庄司紗矢香なども自作カデンツァを演奏している。しかしこれらの場合、カデンツァの大枠は事前に決められていて、即興は部分的なものに留まる。

ヴァイオリンのヨーゼフ・ヨアヒムなど高名な演奏家によるカデンツァが楽譜に残されると他の演奏家もそれを使う傾向があり、そうなるともはや完全な即興演奏とは言い難いものになる。スヴャトスラフ・リヒテルは、カデンツァで何もせずいきなり最後のトリルに入るという「即興」をしてしまい、「即興カデンツァの本来の形の一つだ」と新聞で絶賛されたこともある。

近年ではアルフレート・ブレンデルが有名である。普段から単純な旋律でも即興的に装飾音音階分散和音などを入れる。カデンツァで長く即興しすぎて調性が完全に変わってしまい、元の調に戻れなかったという逸話もある。

ヴィルヘルム・バックハウスのライブ録音では、指慣らし風に分散和音等のメロディーを弾いてから次曲を弾き始めるのがある。

セルゲイ・ラフマニノフには、編曲はしていない原曲を、大胆に変えた録音が多く残っている。

現代音楽における即興演奏

海外の大家としてはショスタコーヴィチメシアンリームなどが挙げられる。イタリア出身でパリで活躍したジャチント・シェルシは自分で即興演奏した音楽をすべてテープに録音して、自分で聴音して自己の作品として楽譜化したと言われる。

実技方面では、日本の小杉武久がヴァイオリンで有名である。ヨーロッパでは無数のオルガン奏者が、自由即興を原則として礼拝やコンサートの前に演奏する事が多い。シュトゥットガルトのシュタイナー学校では楽譜による演奏と並んで即興演奏も重要な教育テーマの一つである。カール・ロベルト・ヴィルヘルムは演奏スタイルこそクラシック音楽だったが、優れた即興ピアニストであった。美術家のヴォルフガング・カイムはインド音楽現代音楽の接点でシタールを用いて即興演奏を行っている。

クラシック即興演奏の教育法

一例としては、まず始めにある旋律に全音符の伴奏を付けてみるという方法で開始し、徐々に分散和音化する方法がある。後にパッサカリアシャコンヌのバスのテーマで右手を自由自在に変奏する。これができたら、トッカータ前奏曲インヴェンション幻想曲などで両手の即興に入り、三声・四声と声部を拡大する。最後にある任意のテーマでアレグロにより四声のフーガがすぐできたら修業となる。即興的にメロディーに和音をつけたりすることを俗に「鍵盤和声」と言う。

宗教音楽の即興演奏

礼拝のオルガン前奏としてはトッカータ幻想曲インヴェンションなどの指慣らしのための演奏がある。あくまでもその日は朝起きてからまだ一度も弾いていないのだから、準備運動的な本当の指慣らしのためである。そして指が温まったときにフーガに入るのである。バッハが作曲した多数の「前奏曲とフーガ」はそれを楽譜化したものであるが、当時は実際にこのような音楽が即興で奏されていた。出来が良かったのでもう一度弾きたい場合にのみ楽譜として残されたのである。

礼拝の途中の聖歌賛美歌の即興は、まずその音楽のモティーフなどをフガートした形で入り、カデンツを奏して前奏が終わる。前に何らかの音楽を奏された場合はその残りの材料を取って繋げる方法もある。コラールの第1番、第2番などの節は、旋律を右手で追いながらバスにアルペジオなどの伴奏をその都度即興で付ける。最後になって会衆が旋律に慣れてきたら、繋ぎや間奏を入れたり、その旋律をはずして全面的に伴奏形を即興で織り込む。聖歌や賛美歌はメロディーが一般人でも歌えるように単純で原始的なので、極力退屈さを避けるために即興の伴奏を行う場合が多い。

ジャズにおける即興演奏

ジャズの即興演奏はスタイルによって多少の違いがあるが、まったく無規則に演奏されるのではなく、原曲のコード進行、またはそこから音楽理論的に展開可能なコードに基づいて行われる。従って演奏されるアドリブを理解したり、アドリブを自ら演奏するためには、前提としてコード理論に関する知識が必要であり、さらに原曲のコード進行を知っていなければならない。フリー・ジャズとなるとほとんど規則のない演奏だと言われるが、その曲によって規則性に差が大きい。

様式と歴史

1950年代後半におけるセシル・テイラーオーネット・コールマンらによるフリージャズの登場により、ジャズの即興演奏の幅が大きく広がり、1960年代には完全即興演奏によるジャズが大きく成長することになった。1970年代にはキース・ジャレットが即興のピアノ・ソロだけでコンサートを行い、大衆的にも人気を博すこととなった。また、1985年ソニー・ロリンズニューヨーク近代美術館で、1時間近くに及ぶ無伴奏のサックス・ソロを即興で披露したコンサートは当時話題になった。

日本の大友良英+サチコ・Mのように、ノイズを大量に使った現代の自由即興演奏がジャズのカテゴリーに組み込まれる事も多い。

コードに基づいたジャズのアドリブの方法

オーソドックスなスタイルのジャズで即興演奏をする奏者は、一般的にリック(よく使われる短いフレーズ)をいくつも覚えていて、曲想やひらめきなどに応じて、知っているリックを自在に組み合わせて演奏する。

得意とする言語での会話において即興で言葉をしゃべるときに、よく使う言い回しは何も考えなくても出てくる。日常使われる単語や言い回しの数は限られているのに、実にさまざまな意見や表現を繰り出すことができる。同じような単語や言い回ししか知らない人が複数いたとしても、それぞれが語る内容はまったく趣を異にするということはごく自然である。リックとはそのようなものである。覚えているリックの数は限られていても、優秀な奏者であれば、決してどれも同じような即興演奏になってしまうということはないのである。また、複数の奏者が似たようなリックしか知らなかったとしても、演奏の趣が異なるというのは決して不思議ではない。

人が言葉をしゃべるときに、まったく違う分野の専門家がそれぞれの専門分野の話をするときは、その内容にほとんど共通点はない。なぜなら、使用する語彙がまったく異なっているからである。ジャズにおいても同様で、ディキシーランド・ジャズ・スタイルのリックを主に覚えている者たちの演奏と、ビバップ・スタイルのリックを主に覚えている者たちとでは、演奏の趣はまるで異なるが、たとえば同じディキシーランド・ジャズのリックを覚えている者同士の演奏の趣は、異なってはいるがなんとなく似たスタイルに聞こえる。専門用語が分野別に異なるように、リックもスタイルにより異なっているからである。

もちろん、即興演奏はただいろいろなリックを並べて演奏するだけではない。たとえば、あるリックがものすごく高い音で終わっていて、次に続けようと思うリックがとても低い音から始まっていたとする。連続して演奏すると、大抵はあたかも継ぎはぎ細工のようなぎこちないフレーズとして響く。人が話をするときに、今しゃべっている言い回しと次にしゃべろうとする言い回しが自然につながるように、接続詞や「てにをは」をうまく使う。これと同じように、続けて演奏されるリックが音楽的に自然につながるように、非常に多くの場合、リックのつなぎ目のメロディリズムをうまく調節する。

その他に、前に弾いたフレーズを元にメロディーは同じでリズムを変えたり、リズムは同じでメロディーを変えるなどの方法がある。これを一般的にMotif Developmentと呼ばれている。

リックはジャズの即興演奏を成功させる上で是非習得されるべき語彙であり(そうでないと、次に何の音を演奏しようかと考えていたらあっという間に音楽に置いて行かれる)、多くの優秀な奏者はそういった語彙をたくさん持っているのであるが、必ずしも覚えているリックを組み合わせるだけで即興演奏がなされるわけではない。奏者は、本当にその場でひらめいたメロディで即興演奏をすることもしばしばある。これは一種の賭けであり、リックを使っていただけでは決してできないような新鮮なサウンドを得られる場合もあれば、さえないサウンドになってしまうこともある。にもかかわらずこういったことをするのは、より素晴らしいサウンドを求める奏者の挑戦の現れである。本当にその場でひらめいたメロディを使うかどうか、あるいはどのくらいの量を使うかは、演奏の意味合いによって異なってくる。たとえば、ライブ演奏であれば、創造的な奏者は本当にその場でひらめいたメロディをよりたくさん使おうとするであろうし、CD録音のための演奏であれば、あとでたくさんの人が何回も聴くのに耐えられるように、新鮮味は減ったとしても、その場でひらめいたメロディをより少なく使うか、まったく使わないかであろう[要出典][1]

ライブ演奏か録音かにかかわらず、より高度なソロを演奏するために、あらかじめ演奏内容を作りこんで準備することがある。即興演奏とはいえなくなるが、それをそのまま演奏することにするか、作りこんだメロディからインスピレーションを得てある程度即興的なメロディを演奏するかは場合による。ともあれ、奏者が即興演奏に先立ち、綿密か大まかかにかかわらず、下準備をしてくることもしばしばある。

ポピュラー音楽における即興演奏

一般的にポピュラー音楽、とくにロックなどでの「即興演奏」では、ジャズと同様に一定のコード進行やコード理論などの規則にしたがってフレーズを作り演奏される。

1960年代以降のブルース・ロックやハード・ロック、プログレのジャンルには、間奏部分に即興演奏をおこなうバンドが増えてきた。だが、やがてパンクの時代となり、これらのバンドは創造力を欠き硬直したサウンドと見られる傾向となる。現在でも即興演奏として評価されているのは、ジャム・バンドと呼ばれるバンド群の元祖であるグレイトフル・デッドオールマン・ブラザーズ・バンドなどである。ロックの歴史をふりかえると、60年代後半以降、各ミュージシャンがその場の雰囲気に合わせてソロを自由に繰り広げるコンサートが、ロック界においても絶大な人気を得て世界に広がっていった。1970年代には、即興演奏を重視したプログレッシブ・ロック・バンドも一部にあらわれた。例えばキング・クリムゾンのアルバム『暗黒の世界』は、内容の大半が即興演奏となっている。だが、1970年代後半からはプログレは古いサウンドという扱いとなった。常に斬新なサウンドに挑戦し続けたのは、フランク・ザッパキャプテン・ビーフハート、ルー・リードらである。2000年代に入ってからは、タイトルやイメージのみを観客からもらい、その場で完全な即興で全てを演奏するという、インプロ(即興劇)から生まれたスタイルでの演奏も見られるようになった。

民族音楽における即興演奏

津軽三味線の伴奏では唄い手の即興に応じた演奏が求められ、「唄づけ」と呼ばれる。

他の表現ジャンルとの共演

即興の強みである瞬発力と対応能力を活かして、映像や絵画、パフォーマンスなど異なるジャンルとのコラボレーションが行われることもある。

即興劇(インプロ)における即興演奏

演劇のジャンルの一つである即興劇(インプロ)の劇中では、演劇の内容も台本・打ち合わせが全くないため、BGMも即興で演奏される。主に使われるのはピアノ、キーボード、シンセサイザー、ギターなどであり、舞台のすぐ横、あるいは舞台上に楽器が設置され、専門のプレイヤー(即興ミュージシャンと呼ばれる)が演奏する。場面の展開にあわせて適切なBGMを即興で演奏しなければならないため、演奏者としての技術や音楽の知識のみならず、即興的に対応する能力が必要とされる。

身体表現と結びつく即興演奏

ダンス舞踏の表現者と即興演奏家の共演も見られる。決めごとの配分は様々で、全員が自由即興を行う事もある。最近では即興舞台芸術としての観点から、効果照明やビデオアート、ライブペインティングが伴われることも多い。

言語表現と結びつく即興演奏

その場で作品を作りながら読む即興詩人も含めた詩人、作家の朗読と音楽の演奏の共演も見られる。また即興を行う歌手やヴォイスパフォーマーの場合、音楽の形式のみならず自身の発する声と母語との結びつきも即興性を設定する際の問題となりうる。

関連項目

脚注

  1. ^ Franziska Blume, “Die Improvisation aus der Jazzmusik”, Musikstudium, Jürgen Behlendorf (ed), 313, Stuttgard BRD, 1952, pp. 57-59.