ヴォルフガング・リーム
| ヴォルフガング・リーム Wolfgang Rihm |
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2007年6月8日ケルンのフィルハルモニーで
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| 基本情報 | |
| 出生 | 1952年3月13日 |
| ジャンル | 現代音楽 |
| 職業 | 指揮者、作曲家 |
| 影響 | ヘルムート・ラッヘンマン モートン・フェルドマン ルイジ・ノーノ |
| クラシック音楽 |
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| 作曲家 |
| ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
| 音楽史 |
| 古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
| 楽器 |
| 鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
| 一覧 |
| 作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
| 音楽理論/用語 |
| 音楽理論 - 演奏記号 |
| 演奏形態 |
| 器楽 - 声楽 宗教音楽 |
| イベント |
| 音楽祭 |
| メタ |
| ポータル - プロジェクト カテゴリ |
ヴォルフガング・リーム(Wolfgang Rihm, 1952年3月13日 - )は、ドイツのカールスルーエ生まれの現代音楽の作曲家。
ドイツの同姓の作曲家に、カールスルーエ音楽大学の音楽理論の教授で人智学系作曲家のペーター=ミヒャエル・リーム(Peter-Michael Riehm, 1947年 - )とフランクフルト音楽大学で作曲と音楽理論を教えていたロルフ・リーム(Rolf Riehm, 1937年 - )がいる。
目次 |
[編集] 略歴
高校を卒業する以前から、地元のカールスルーエ音楽大学でオイゲン・ウェルナー・フェルテに作曲と理論を師事。この頃から頻繁にダルムシュタット夏季現代音楽講習会やドナウエッシンゲン音楽祭に通うようになる。1973年にはケルン音楽大学のカールハインツ・シュトックハウゼンに師事するが一年余りで離れ、1974年からフライブルク音楽大学のクラウス・フーバーに師事。
これら師事した作曲家の他に、ヘルムート・ラッヘンマンやモートン・フェルドマン、ルイジ・ノーノなどを手本とし、本人の指向は多種多様である。この頃までに10回余りの作曲コンクールに入賞、程なくして母校のカールスルーエ音楽大学で教え始め、まもなく教授に就任。クラーニヒシュタイン音楽賞を20代前半で受賞した。
クラウディオ・アバドが第一回ウィーン・モデルンにおいて、ノーノやジェルジ・リゲティと並んでリームをテーマ作曲家の一人に選び、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で新作を初演した。その後、アバドの伝手でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンポーザー・イン・レジデンスに就任した。
[編集] 作風
今日までに少なくとも500曲の作品が存在するとされ、その殆どが楽器や歌と始めとする生楽器のための音楽であり、純粋な電子音楽は存在しない。インストラクションを必要とする特殊奏法には殆ど興味を示さないので、使われることは非常に稀である。
創作ペースが非常に早く、1980年代中庸まではほとんど推敲なしに書き上げていた。あまりの多作のためLPのリリースがとても間に合わず、収益のほとんどをウニフェルザル出版社への楽譜出版に投資していたので、全盛期といわれる1980年代中葉に主要音源が入手しにくいという事態に発展した。(これは1990年代にCD時代になっていくらかは解消した。)名声が上がってからは、アンネ・ゾフィ・ムターのような名演奏家にも取り上げられて、人気がさらに向上した。現在は室内楽の国際コンクールの課題曲にも、コンクール向けに難易度を落とすことなく採用されている。
多くの管弦楽曲は金管楽器を増強した編成で書かれている。その読書経験から、古今の文学への言及もプログラムノートやインタヴューで非常に多い。
[編集] 1970年代の作風
デビュー当初は調性や引用が度々用いられた。引用の元はベートーヴェンやシューベルトのようなものから、マーラー、シェーンベルクなどの現代作曲家にまで渡っている。非常に保守的な音の重ね方の中に斬新な側面もあり、一貫して強弱の対比が極端に大きく、その中間のメゾフォルテやメゾピアノは殆ど見られない。
「弦楽四重奏曲第3番 ”奥底にて”(1973)」では2ベートーヴェンから初期シェーンベルクにいたるイディオムが縦横に組み合わされている。「見えざる風景」でも従来の前衛世代が忌避したピアノ・トリオという編成に挑み、古今のドイツ語圏の作曲家のモチーフが混ぜ合わされている。
[編集] 1984年以後の作風
巨大な「弦楽四重奏曲第6番”青色本”(1984)」の完成後、率直な引用や調性を含むパッセージの使用を避け、ヘルムート・ラッヘンマンやフォルカー・ハインらの試みに似た騒音的効果への執着が顕著になる。「弦楽四重奏曲第8番」は「紙を破く」、「紙をくしゃくしゃにする」、「全員が弓でパート譜の上にCon Amoreと書く」という指定がなされており、聴衆はその書かれた文字を「音で聴く」。「暗号」と題された一連の連作では、無作為に打たれ続ける単音のみで音楽が演奏され、70年代に目指した具象性からは遠ざかる結果となった。この傾向は音楽劇「メキシコの征服」で頂点を迎える。
[編集] 1990年代後半以降の作風
シューマンの後期に見られた過剰な反復を狭い音程内で積極的に導入するようになり、時にはコル・レーニョのように本来散発的に使われるはずの特殊奏法が数分以上続く「弦楽四重奏曲第10番(1993/1997)」のような聞き苦しい結果となる。その一方で、PPに徹し続けた薄い密度が曲全体を覆う、細い単音のみの提示など、ライトな作風も使い分けることもできている。「マルシャス」「名づけざる物IV(2002-2003)」のように従来の作風の延長線上の作品も多いが、年をとってからは全体的にテンションの増減が小さくなりつつある。「細片8」の曲尾や「弦楽四重奏曲第12番」の冒頭で見られる、すすけた渋い音色の引き伸ばしも目立っており、枯れた味わいへの移行も見られる。
[編集] 2000年代後半以降の作風
今まで速筆で多作であった彼が、一つの作品に時間を掛けて取り組むことが多くなった。数年以上にまたがって作品が書かれていることもある。「セラフィン協奏曲(2008)」は冒頭は比較的2台のピアノから速めの音型が飛び出すものの、中間部は楽器のソロの長い持続で持たせる箇所が急増する。表現主義的なダブルリードのメロディーはそれほど新しくないが、スラップを中心とした衝撃音が毎度絡まっているため、依然として耳への負担は大きい。tacetも目だって増えた。
近年は健康の悪化が激しく、2009年のシュトゥットガルトのバッハ・アカデミー委嘱作品は入院の為、一回キャンセルされた。それでも、健康が危ぶまれる中、2010年にオペラ「Dionysos」を完成させるなど、創作意欲は健在である。
[編集] 代表作品
- 「3人の弦楽器奏者の為の音楽、全3部計7楽章」(1977) 約62分
- 「弦楽四重奏曲第4番」(1981)、「弦楽四重奏曲第6番 ”青色本”」(1984)45分
- ゾリステン・少年合唱・語り手・しゃべるだけの合唱・混声合唱と大管弦楽の為の「これ・Dies」(1984)
- オペラ『メキシコの征服』(1989)
- 「狩り立てられた形式」(1995-2002)
- 「大河交響曲へ向かってI-IV」(2000)約95分
- アコーディオンと弦楽四重奏のための「細片 1-8」(1999-2004)約30分
- 「Jagden und Formen(2001)」。この作品は2010年現在も進化し続けている、ワーク・イン・プログレスである。約63分
- 「離接輪郭と副次輪郭・Dis- und Sub-Kontur」(1974と1975)
- 「交響曲第三番」(1977)(約60分)
- 「音の記述 I‐III」(1987)約110分
- オペラ『狂ってくるレンツ』(1978)
- オペラ『ハムレットマシーン』(1986)
- オペラ『エディプス王』(1987)
- 室内オペラ『セラフィン』(1996)
- 『コンチェルト・セラフィン』(2009)
[編集] 日本の受容
現代音楽特有の修練を経ずに演奏しやすいということで、オペラから独奏曲までいくつかの作品はデビュー当時から演奏されている。日本初紹介は松平頼暁「現代音楽のパサージュ」にピアノ曲第五番の譜例の掲載[要出典]。ピアノ曲も第一、五、六、七曲は日本初演がすでに済んだ。NHK-FMでも現代音楽の割りには演奏打率の高い作曲家である。
