ニューポート・ジャズ・フェスティバル

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ニューポート・ジャズフェスティバルNewport Jazz Festival)は、ロードアイランド州ニューポートで毎年8月に開かれるジャズフェスティバルの草分け的存在である。イベント・プロモーターのジョージ・ウェインによって、1954年に始められた。

1984年より日本ビクターがスポンサーにつき、正式名称は「JVC Jazz Festival Newport, R.I.」となった。また、姉妹フェスがニューヨークを始めとする複数の都市でも開催されるなど、今日も活況を呈している。日本でも斑尾高原にてこのフェスティバル名を冠した「ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾」が1982年から2003年まで開催されていた。

歴史[編集]

ニューポート・ジャズ・フェスティバル史上最もよく知られている演奏には、1955年マイルス・デイビスによる"'Round Midnight"のソロ、そして1956年デューク・エリントン・オーケストラの"Diminuendo and Crescendo in Blue"の長時間に渡る演奏がある。アルバムMiles & Monk at Newport」は、1958年マイルス1963年セロニアス・モンクのフェスティバルでの演奏を収録したものである。このアルバムでマイルス、モンク以外の注目すべきソロイストとしては、ジョン・コルトレーンピー・ウィー・ラッセルが挙げられる。このときのマイルスのバンド(セクステット)は、この後コロムビア・レコードより「Miles & Coltrane」と銘打ったアルバムをリリースした。

フェスティバルのほとんどの部分は、ラジオ局ボイス・オブ・アメリカによって放送された。また、その演奏の多くは録音され、様々なレコード・レーベルからリリースされた。その中には、1956年の演奏を再構築して作った「Ellington at Newport」がある。ポール・ゴンサルヴェスの遠くから聴こえるサックスソロの入った"Diminuendo and Crescendo in Blue"の演奏はそのまま残されたものの、オリジナル・アルバムの一部には、エリントンの意思に反してフェスティバルにおけるライヴ演奏を忠実に再現する形で密かにスタジオで録音された音源が使用された。これは、音質や音のバランスの問題を解決するために措置であった。

1996年になって、フェスティバルを放送したボイス・オブ・アメリカによる録音テープが発見され、これを使用して再度このライヴ盤はマスタリングが施された。その結果、ゴンサルヴェスの妙な音色の演奏を含むいくつかの問題点が解決し、フェスティバル時の演奏が蘇った。ゴンサルヴェスは、ソロをプレイする際、本来使うべきバンドのマイクではなく、誤ってボイス・オブ・アメリカのマイクに向かってその伝説的なソロをプレイしてしまった。彼のこのステージにおける演奏は観客を熱狂させ、あわや暴動が起きるかというところまでいったという。

1958年のフェスティバルの模様は、映画「真夏の夜のジャズ (Jazz on a Summer's Day)」でドキュメント化された。前年のエラ・フィッツジェラルドビリー・ホリデイカーメン・マクレーのパフォーマンスは、アルバム「Ella Fitzgerald and Billie Holiday at Newport」として1958年にリリースされている。

1960年には、音楽に夢中になり荒れ狂ったファンが大騒ぎを起こし、州兵が会場に呼ばれる事態となってしまった。この騒動によってフェスティバルは中止の危機に追い込まれた。日曜の午後のマディ・ウォーターズによるブルースの演奏の後、フェスティバル会場で会議をしていた詩人のラングストン・ヒューズにこの情報が伝えられると、ヒューズは即興で“Goodbye Newport Blues”という歌詞を書き、ウォーターズのステージに持ち込んだ。そして、この作品を使った即興演奏がウォーターズのバンドによって披露されると自らステージ・アナウンスを行ったのだった。ヒューズの詩は、ウォーターズのピアニスト、オーティス・スパンによって歌われた。この演奏は前述のウォーターズのアルバムの最後に収録されている。

1960年に起こった困難な状況にもかかわらず、フェスティバルは1961年も続行した。この年の主要な出演者には、雨で滅入っていた聴衆を"Pennies from Heaven"の演奏で喜ばせたデイヴ・ブルーベックや、キャノンボール・アダレイなどがいた。

1971年のフェスティバル2日目、会場に入れなかったファンが暴徒化し、柵を破って乱入する事件が起こる。フェスティバルは中止となり、以後1972年より9年間、開催場所をニューヨークに移した。

1956年には穐吉敏子が、1965年には弘田三枝子が日本人として出場している。

カーネギー・ホールで行われた1973年のフェスティバルは、アルバム「Newport Jazz Festival: Live at Carnegie Hall」として記録されている。

ニーナ・シモンの1960年のアルバム「At Newport」は、同年夏のこのフェスティバルのライブを録音したものである。カウント・ベイシーレイ・チャールズジョン・コルトレーンを含むほかの多くの演奏家が、ニューポート・ジャズ・フェスティバルで録音された演奏をアルバム化している。

会場[編集]

フェスティバルは、当初ベルビュー・アベニューにあるルイスとイレイン・ロリラードの所有地、ベルコートで開催されていた。この場所は、現在はベルコート・キャッスルと呼ばれ、ティネイ家が所有している。

現在のフェスティバルは、ニューポートの港に隣接したフォート・アダムス州立公園並びにニューポート・カジノにて開催されている。


外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 『ニューポート・ジャズ・フェスティバルはこうして始まった』酒井眞知江、講談社、1996年。