ガンビア
- ガンビア共和国
- Republic of The Gambia
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(国旗) - 国の標語:Progress, Peace, Prosperity
(英語: 進歩、平和、繁栄) - 国歌:わが祖国ガンビアのために(For The Gambia, Our Homeland)
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公用語 英語 首都 バンジュール 最大の都市 セレクンダ 独立
- 日付イギリスから
1965年2月18日通貨 ダラシ(GMD) 時間帯 UTC(0) (DST:なし) ISO 3166-1 GM / GMB ccTLD .gm 国際電話番号 220
ガンビア共和国(ガンビアきょうわこく、Republic of The Gambia)、通称ガンビアは、西アフリカ西岸に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。北大西洋に面したガンビア川の河口を除き、周りをセネガルに取り囲まれている。西は大西洋に面する。首都はバンジュール。
国名
正式名称は Republic of The Gambia (リパブリック・オブ・ザ・ガンビア)。通称 The Gambia (ザ・ガンビア)。
日本語の表記は、ガンビア共和国。通称ガンビア。漢字による当て字は岡比亜。
歴史
10世紀から13世紀頃までガーナ王国に属していた。その後15世紀まではマリ帝国に属した。13世紀にマリンケ族の商人がイスラム教を広め、18世紀まで強い影響力を持っていた。15世紀中頃、ポルトガル人が下流域に商業拠点を建設した。
16世紀にイギリスが進出、その後フランスと争った末、1783年に植民地となる。奴隷貿易が行われていた植民地支配の痕跡をとどめる遺構の数々は、「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」として、ユネスコの世界遺産に登録されている。
1959年にダウダ・ジャワラがマリンケ人の支持により、人民進歩党(PPP)を結成。1963年ジャワラが首相になり、自治権を獲得。1965年に英王を元首とする立憲君主国(英連邦王国)として独立。1970年共和制に移行し、ジャワラが大統領に就任した。1981年7月に軍副将軍によるクーデターが起こるも、セネガル軍の介入により鎮圧される。1982年2月1日セネガルとセネガンビア国家連合を形成したが、1989年9月両国の関係悪化に伴い国家連合を解体した。1994年7月ヤヒヤ・ジャメ中尉による無血軍事クーデターが発生し、長期政権となっていたジャワラ大統領はセネガルへと亡命している。軍政となったが1996年9月に大統領選挙、1997年1月に国民議会選挙の実施により民政へと復帰した。
政治
ガンビアは共和制・大統領制を採用する立憲国家である。現行憲法は1970年4月24日に制定され、幾度かの改正を経たもの。
国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は5年。再選制限はない。大統領の強大な権力は憲法により保障されている。副大統領職あり。
行政府たる内閣は閣僚で構成されるが、実際の行政権は大統領が行使し、内閣はその執行機関に過ぎない。よってその権力は極めて小さく、大統領の補佐機関であるといえる。首相職もなく、全閣僚は大統領が任免する。
立法府は一院制の国民議会で、53議席により構成される。うち48議席は国民の直接選挙、残りは5議席は大統領が任命する。議員任期は5年。
主要政党には、1996年設立の愛国再建同盟 (APRC) があり、ヤヒヤ・ジャメ大統領の下、強力な支配体制を敷いている。その他にも人民進歩党(PPP)、統一民主党(UDP)などがある。
ヤヒヤ・ジャメ大統領の夢にて先祖が告げたとされるエイズ治療薬(ハーブや香辛料からなる薬湯)に、効果があると感染者からの声があがっている一方、医療専門家らの間では「患者たちに誤った希望を抱かせる」との懸念が広がっている。
国際関係
隣国のセネガルとは関係が良く、かつて1982年から1989年までセネガンビア国家連合を形成していたが、方向性の不一致により解散した。
ガンビアはパレスチナを国家承認しており、イスラエルの存在を認めていない。背景にはガンビアの国民のほとんどがイスラム教徒であるため、同じイスラム教徒であるパレスチナ人に対して非常に同情的である。またガンビアの大統領ヤヒヤ・ジャメは厳格なイスラーム主義者であり、徹底した反米・反イスラエル主義者でもあり、ガザ紛争 (2008年-2009年)においてはイスラエルを激しく非難している。このため、同じ反米路線を採る国であるイランやシリア、ベネズエラといった国との関係を強化している。
また世界で数少ない、中華民国の承認国でもある。
地方行政区分
ガンビアは5つの地方と1つの市に分かれる
- バンジュール (Banjul)
- ガンビア川上流地方(Upper River)
- ガンビア川中流地方(Central River)
- ガンビア川下流地方(Lower River)
- ノースバンク地方(North Bank)
- 西部地方 (Western)
地理
ガンビア川の両側に国土を有し、最大幅は48kmに過ぎない。ガンビアはもともとイギリス領であり、セネガルはフランス領で、イギリスとフランスが1889年に、ガンビア川の約200マイルをイギリス領とすることで合意した。アフリカ大陸最小の国で1,300平方kmをガンビア川が占める。国土の大部分がサバンナ地帯。
経済
農業が主で落花生、米が主要生産品。近年観光業がさかんになり、英語が通じることもあってヨーロッパ諸国から気軽に行ける観光地となっている。
交通
3,000トン級の船舶が内陸のジャンジャンブレアまで行く事が出来る。バンジュールにあるユンダン国際空港はアメリカのスペースシャトルが不時着出来るよう、NASAが1989年に改修した。バンジュール港はアフリカ西海岸で有数の天然港である。
教育
教育制度は、基本的にイギリスの制度を基にしている。2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は40.1%(男性:47.8% 女性:32.8%)である[2]。
主な高等教育機関として、バンジュール郊外のカニフィングにガンビア大学がある。
国民
住民は、マンディンカ族、フラニ族、ウォロフ族、ジョラ族、セラフリ族、ソニンケ族、セレール族など多くの民族集団に分かれる。アクと呼ばれる解放奴隷のクレオール人も少数だがいる。
言語は英語が公用語であるが、マンディンカ語、フラニ語、ウォロフ語などが日常的に使われている。
宗教はイスラム教が9割を占める。その他、キリスト教、現地の宗教なども信仰されている。
アメリカの黒人奴隷を描いたドラマである『ルーツ』に登場するクンタ・キンテも、ガンビア出身のマンディンカ族がモデルとなっている。
文化
世界遺産
ガンビア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件登録されている。詳細は、ガンビアの世界遺産を参照。
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クンタ・キンテ島と関連遺跡群 -(2003年)
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セネガンビアの環状列石(セネガルと共有) - (2006年、文化遺産)
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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1月1日 | 元日 | New Year's day | |
ヒジュラ暦第12月10日から | タバスキ | Tobaski | 2005年は1月21日 |
2月18日 | 独立記念日 | Independence Day | 祝日 |
3月25日 | 聖金曜日 | Good Friday | 日付は2005年 |
3月27日 | 復活祭 | Easter | 日付は2005年 |
5月1日 | メーデー | Labour day | |
ヒジュラ暦第3月12日 | 預言者生誕祭 | Prophet's Birthday | 2005年は4月21日 |
7月22日 | 共和国の日 | Republic Day | 祝日 |
8月15日 | 聖母被昇天 | Holy Maria day | |
ヒジュラ暦第10月1日~3日 | イード・アル=フィトル (ラマダン明けの祝日) |
Eid-Al-Fitr | 2005年は11月3日~5日 |
12月25日 | クリスマス | Christmas Day |
脚註
- ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年7月18日閲覧([1])
- ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ga.html 2009年4月2日閲覧
参考文献
関連項目
外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 日本外務省 - ガンビア (日本語)
- 観光
- ガンビア政府観光局 (英語)