ヒュアキントス

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ジャン・ブロックの1801年の絵画『ヒュアキントスの死英語版[注 1]ポワティエサントクロワ美術館英語版所蔵[1]
ティエポロの1752年-1753年頃の絵画『ヒュアキントスの死』[注 2]マドリードティッセン=ボルネミッサ美術館所蔵。

ヒュアキントス古希: Ὑάκινθος, Hyakinthos, ラテン語: Hyacinthus, 英語: Hyacinth)は、ギリシア神話に登場する美少年である。アポローンに愛されたとされ、死後にヒヤシンスになったことで知られている。ヒアキントスヒヤキントスとも表記される。

出自[編集]

ヒュアキントスはスパルタアミュークライ市の生まれで、アミュクラース[2][3]ラピテースの娘ディオメーデーの子であり[2]キュノルテース[2][3]、アルガロス、オイバロスと兄弟[3]。あるいはオイバロスの子[4][5]

また、別の説ではペラ王ピーエロス(他の王の説も)と、歴史のムーサであるクレイオーとの間に生まれたとされる。こちらの説によるとクレイオーはアプロディーテーが美少年アドーニスに恋しているのを咎めたために、アプロディーテーの怒りを買い、ピーエロスに恋をするように仕向けられたのだという[6]

神話[編集]

アポロドーロスによると、ヒュアキントスはアポローンが誤って投じた円盤に当たって命を落とした[2]。いっぽう、オウディウスの『変身物語』では、アポローンと円盤投げの遊戯を行っていた際、ヒュアキントスはアポローンの投じた円盤を拾おうとして走って行ったが、大地に当たって跳ね返った円盤を頭部に受けて死んだという。アポローンは死を悼んでヒュアキントスを花に変え、またスパルタ人はヒュアキントスの死にちなんでヒュアキンティア祭を創始したと記述されている[7]。ヒュアキンティア祭ではアポローンよりも先にヒュアキントスが英雄として祀られたという[8]

ヒュアキントスの頭部から流れるから咲き始めた花は、ギリシア神話においてエポニムヒヤシンスとして知られている。ただし、この花は現在のアイリスラークスパー、若しくは、パンジーであるとも言われている。

一説には、西風の神ゼピュロスもヒュアキントスを愛していたが、ヒュアキントスはこれを拒絶した。ある日、アポローンとヒュアキントスが、仲睦まじく円盤投げの遊戯を行っている様子を見て、西風の神ゼピュロスは嫉妬に偏狂してしまい、アポローンの投げた円盤がヒュアキントスに当たる様に風を操った。このためヒュアキントスはアポローンの円盤を頭に受けて死んでしまったという[4]

解釈[編集]

ヒュアキントスは元来、アミュークライにおいて信仰されていたギリシア先住民族の植物神であったと言われている[9][10]

後世への影響[編集]

このギリシア神話は、オウィディウス『変身物語』の題材となり、18世紀のオーストリアにおいて、ウィーン古典派の三巨匠の一人として活躍した作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトによるオペラ『アポロとヒュアキントゥス』の原作となった。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 赤いスカーフは西風ゼピュロスの、背中のリラはアポローンのアトリビュートである。
  2. ^ アポロンが打った当時の硬いテニスボールが頭に当たった設定になっている。

出典[編集]

  1. ^ 中野京子『名画の謎 中野京子と読み解く ギリシャ神話篇』文藝春秋、2011年、136頁。ISBN 978-4-16-373850-5 
  2. ^ a b c d アポロドーロス、3巻10・3。
  3. ^ a b c パウサニアス、1巻1・3。
  4. ^ a b ルキアノス『神々の対話』。
  5. ^ ヒュギーヌス、271話。
  6. ^ アポロドーロス、1巻3・2。
  7. ^ 『変身物語』10巻。
  8. ^ パウサニアス、3巻19・3。
  9. ^ 呉茂一『ギリシア神話(上)』p.159-160。
  10. ^ 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』p.205b。

参考文献[編集]

関連項目[編集]