ギリシア悲劇

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ギリシア神話
Zeus Otricoli Pio-Clementino Inv257.jpg
主な原典
イーリアス - オデュッセイア
神統記 - ギリシア悲劇
ビブリオテーケー - 変身物語
オリュンポス十二神
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主な神殿・史跡
パルテノン神殿
ディオニューソス劇場
エピダウロス古代劇場
アポロ・エピクリオス神殿
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ギリシア悲劇(ギリシアひげき、: τραγῳδία, トラゴーイディアー)は、古代ギリシアで、アテナイディオニュシア祭で上演されていた悲劇またそれに範を取った劇をいう。ヨーロッパにおいては古典古代およびルネサンス以降、詩文芸の範例とみなされる。

概要[編集]

ギリシア悲劇を意味する「トラゴーイディアー」(: τραγῳδία, tragoidia)は、(捧げ物である)「山羊」を意味する「トラゴス」(: τραγος, tragos)と、「歌」を意味する「オーイデー」(: ᾠδή, oide)の合成語であり、「山羊の歌」の意味。英語のtragedy等も、この語に由来する。

アリストテレスによれば、ギリシア悲劇はディオニュソスに捧げるディテュランボス(酒神讃歌)のコロス(合唱隊)と、その音頭取りのやり取りが発展して成立したものだという[1]

アテナイにおける悲劇の上演は競作の形を取り、競作に参加する悲劇詩人は、三つの悲劇と一つのサテュロス劇をひとまとめにして上演する必要があった。現在まで三つの悲劇がこの形で残っているのは、アイスキュロスオレステイア三部作のみである。 いずれにしても、題材はギリシア神話やそれに類するものから取られる。聴衆は参加した悲劇詩人のうちで誰のものが最も優れていたかを投票し、優勝者を決めていた。

人物・作品[編集]

三大悲劇詩人[編集]

最も有名な悲劇詩人は、三大悲劇詩人として知られているアテナイのアイスキュロスソポクレスエウリピデスである。プラトンも最初は悲劇詩人を目指していた。古代ギリシア喜劇のアリストパネスは、その作品「」の中で三大詩人の批評をやって見せている。

現存作品[編集]

ギリシア悲劇のほとんどは散逸しており、現存するのは

等のみである。

演劇形態[編集]

悲劇は仮面をつけた俳優と舞踊合唱隊(コロス)の掛け合いによって進行する。コロスの登場する舞台をオルケストラといい、劇場は円形のオルケストラを底とする、すり鉢状の形を取った。現存する最も整ったギリシアの劇場の遺構はエピダウロスに見られる。俳優は最初はひとりであったが、アイスキュロスが2人に増やした。これによってドラマチックな演出が可能となり、舞台芸能として大きく進歩したと言われる。その後にエウリピデスがもう1人増やして三人となった。

学問[編集]

古代における悲劇論では、アリストテレスの『詩学』が、根本文献である。

近代でギリシア悲劇の成立について記した文献に、フリードリヒ・ニーチェの初期代表作『音楽の精髄からの悲劇の誕生 (悲劇の誕生)』があるが、ニーチェ自身の思想表明が多大で、文献学研究的には、発刊当時も今日もほぼ支持されていない。 

イギリスの著名な女性の古典学者、ジェーン・エレン・ハリスン(1850-1928)に、『古代芸術と祭式』がある。

訳書[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ 詩学』第4章

参考文献[編集]

  • 『ギリシア悲劇全集 別巻』 岩波書店、1992年(初版)
  • ハリスン『古代芸術と祭式』(佐々木理訳、筑摩叢書→ちくま学芸文庫、1997年)

関連項目[編集]