ロサンゼルスの戦い

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ロサンゼルスの戦い
Battle of Los Angeles LATimes.jpg

事件翌日発行のロサンゼルス・タイムズ
戦争第二次世界大戦
年月日1942年2月25日
場所アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州
結果アメリカ陸軍による大日本帝国海軍機の誤認による誤射
交戦勢力
不明の旗 不明 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
指導者・指揮官
なし 陸軍第37沿岸砲兵旅団など
戦力
なし 対空砲火
損害
なし 死者5名、家屋及び自動車破損
太平洋戦争

ロサンゼルスの戦い(ロサンゼルスのたたかい、英語:Battle of Los Angeles)は、第二次世界大戦中の1942年2月25日未明に、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市で起きたアメリカ陸軍による誤射事件。日本軍機の空襲を誤認して対空砲での大規模な迎撃が行われたが、実際には飛行機は確認されていない。この混乱に起因して民間人5名が亡くなっている。

背景[編集]

1941年12月7日に日本海軍によってハワイ真珠湾攻撃が行われ、アメリカ本土でも日本軍の攻撃が懸念されていた[1]フランクリン・ルーズベルト大統領は真珠湾でアメリカ太平洋艦隊が壊滅した事により日本陸軍西海岸上陸が時間の問題だと考えており[2]、米軍でも真珠湾攻撃以降、西海岸への日本艦隊接近、爆撃、上陸といった誤報が相次いでいた[3]

戦闘に備えてサンフランシスコロングビーチサンディエゴ等のアメリカ西海岸沿岸の主要な港湾においては陸海軍の主導で潜水艦の侵入を阻止する防潜網や機雷の敷設を行った他、その他の都市でも爆撃を恐れて防空壕を作り、さらには防毒マスクの市民への配布や夜間の灯火管制、映画館ナイトクラブの夜間の営業停止、警察や市民による沿岸警備などを行っていた[要出典]

この様な状況下で日本海軍は、1941年12月から太平洋のアメリカ沿岸地域に展開していた潜水艦による通商破壊戦を実施し、アメリカ西海岸沿岸を航行中のアメリカのタンカー貨物船を10隻以上撃沈しており[4]1942年2月23日には伊号第一七潜水艦によりカリフォルニア州サンタバーバラ郡のエルウッド油田への砲撃作戦が行われた[5]。この砲撃による被害は僅かだったものの、これは1812年戦争以来130年ぶりのアメリカ本土攻撃であり、アメリカは警戒を強める事となった[6]

発生[編集]

赤:ロスアンゼルス郡
1:エルウッド油田
2:ロスアンゼルス市西方120マイル地点
3:ロングビーチ
4:サンタモニカ

エルウッド砲撃を受けてカリフォルニア沿岸で警戒態勢が敷かれ[7]ロサンゼルス郡では24日午後7時18分に空襲警報が発令されたが、10時23分に解除された[8]。しかし25日の午前2時過ぎ[1]レーダーがロサンゼルス西方120マイルの地点に飛行物体1点を捉え、2時15分に警報が発令され、陸軍航空隊戦闘機が迎撃準備を始めた[8]。目標が海岸近くまで接近して2時21分には灯火管制が敷かれ、その後目標はレーダーから消失しながらも、情報局には「敵機襲来」の報が舞い込んでいた[8]。2時43分にロングビーチ付近での飛行機目撃が報告され、その数分後、ロサンゼルス上空12000フィートに約25機の飛来が報告された[8]

3時6分に赤い光を放つ気球1基がサンタモニカ上空で目撃され、4つの対空砲部隊が射撃を開始し[8]サーチライトに照らされた夜空に1433発の砲弾が発射された[9]。射撃は4時14分まで続き、7時21分に灯火管制が解除された[10]

この間地上への攻撃はなかったが、流れ弾により建物や自動車に被害が出た他、灯火管制中の自動車事故により3名が、心臓発作により2名が亡くなっている[9]。また20名ほどの日系人が、敵機に信号を送ったとして保安官に拘束されている[9][1]

報告[編集]

事件翌日にフランクリン・ノックス海軍長官が敵機襲来を否定し、不安から発生した誤報だろうと述べた[9][8]

面目を失ったヘンリー・スティムソン陸軍長官は、敵機の襲来は無かったとしつつも、敵の手により民間機15機が飛ばされて防空体制の確認か市民への威嚇を行ったのだろうと述べたが[9][8]、後に撤回されている[1]

陸軍による報告書[編集]

1942年2月26日付のジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長による大統領宛の報告書[11]

  1. 未確認の航空機は、合衆国陸軍または海軍のものではない。おそらくロサンゼルス上空を飛行したものとみられ、第37沿岸砲兵旅団(対空砲兵中隊)の複数の小隊が、午前3時12分から4時15分までの間砲撃した。これらの部隊は1430発の弾薬を使用した。
  2. 関係した未確認航空機は15機に及ぶらしく、公式の報告書によれば「非常に遅い速度から時速200マイル(約322Km/h)に至るさまざまな速度で、9000-18000フィート(約2743m-5486m)に及ぶ高度で飛行した。
  3. 爆弾はまったく落とされなかった。
  4. わが軍の戦闘犠牲者はなし。
  5. これらの未確認航空機は1機も撃墜されなかった。
  6. 当時活動中のアメリカの陸・海軍航空機はなかった。

その後[編集]

(参考)第二次大戦中にアメリカで使われた気象観測気球

戦後になり、改めて日本がこの騒動へ関わっていない事が明かされると、今度は宇宙人飛来説が唱えられる様になった[1]ロサンゼルス・タイムズに掲載された写真に「UFO」が写っているとされる事が主な根拠とされているが[12]、これはレタッチされたものである事が明言されている[9]。当時の証言の中には奇怪な飛行物体の目撃例もあったが[10][13]、当時は敵機からの爆撃やパラシュート降下、ハリウッドの通りに日本軍機が不時着したなどと不正確な情報が溢れていた[1]

1983年にOffice of Air Force Historyがこの騒動をまとめたところによると、警報の原因は気象観測気球で、最初に誤射が起きた後、サーチライトに照らされた煙と砲弾の破片が敵機と誤認されて攻撃が続いたものとされた[1]

映画[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g World War II's Bizarre 'Battle of Los Angeles' - HISTORY
  2. ^ 産経新聞取材班『ルーズベルト秘録(下)』p.237 扶桑社 2000年 ISBN 9784594030162
  3. ^ 産経新聞取材班『ルーズベルト秘録(下)』pp.238-239 扶桑社 2000年 ISBN 9784594030162
  4. ^ 時実雅信『米国民を震撼させた特命の奇襲作戦 伊号潜水艦、米本土を攻撃せよ』(「歴史群像アーカイブ9 帝国海軍太平洋作戦史1」収録)P.100 学研 2009年 ISBN 4-0560-5611-0
  5. ^ 時実雅信『米国民を震撼させた特命の奇襲作戦 伊号潜水艦、米本土を攻撃せよ』(「歴史群像アーカイブ9 帝国海軍太平洋作戦史1」収録)P.99 学研 2009年 ISBN 4-0560-5611-0
  6. ^ Attack on Ellwood – Goleta History
  7. ^ Japanese Attack of Santa Barbara Beach Marker and Photos”. BeachCalifornia.com. 2014年1月7日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g The Battle of Los Angeles - Cal@170 by the California State Library
  9. ^ a b c d e f From the Archives: The 1942 Battle of L.A. - Los Angeles Times
  10. ^ a b Battle of Los Angeles - Weird California
  11. ^ California in World War II: The Battle of Los Angeles
  12. ^ Battle of Los Angeles: The day we went to war with a weather balloon!?
  13. ^ UFO事件簿 ロサンゼルス空襲事件

関連項目[編集]