第一次アキャブ作戦

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第一次アキャブ作戦
戦争大東亜戦争 / 太平洋戦争
年月日:1942年12月から1943年3月
場所ビルマアキャブ
結果:日本軍の勝利
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 イギリスの旗 イギリス
イギリス領インド帝国の旗 イギリス領インド帝国
指導者・指揮官
宮脇幸助大佐 ノエル・アーウィン中将
ウィリアム・スリム中将
戦力
1個連隊(宮脇支隊)
1個師団(第55師団)
4個旅団
(9個旅団まで増加)
損害
戦死 611
戦傷 1,165
戦死 916
戦傷・行方不明 4,141
ビルマの戦い

第一次アキャブ作戦(だいいちじアキャブさくせん、英:First Arakan Campaign)は、太平洋戦争大東亜戦争)中の1942年末頃から1943年4月までの約4ヶ月間、主に大日本帝国陸軍イギリス陸軍のあいだで起こった戦闘である。三十一号作戦第一次アラカン作戦とも呼ばれる。結果は日本軍側の勝利。

背景[編集]

日本軍は、1942年1月4日より、司令官・飯田祥二郎陸軍中将率いる第15軍 (日本軍)を用いて英領ビルマへの侵攻を開始させ、5月末にはビルマのほぼ全域を占領していた。しかし、同年冬頃より数々の戦闘において敗北が相次ぎ、日本の敗色が濃くなり始めたのと同時に、ビルマ方面でもアメリカ・イギリス・支那(中国)軍が反撃をしかけてきた。そんな緊張状態の中、第一次アキャブ作戦は、ビルマ西岸地区のアキャブ方面において1942年末頃から行われた。連合軍側は第2チンディット部隊を派遣し、北部ビルマの奪還を図った。

地理[編集]

アキャブ(現在のシットウェー)は現ミャンマーのラカイン州の町で、ベンガル湾の沿岸付近、南緯20度・東経92度56分に位置する。中にカラダン川英語版が通っていて、ベンガル湾沿岸に近く、インドミャンマーの国境線付近である。

戦闘の経過[編集]

  • 日本軍は桜井省三中将率いる第33師団を主力として1942年5月4日にアキャブ方面を全面的に制圧していた。1942年9月以降は、インドとビルマ西岸の国境付近に一個大隊を除く第55師団所属歩兵第213連隊主力(宮脇支隊)を配備するようになった。
  • しかし1942年末に、日本軍部隊に対してインド領内のイギリス軍の1個師団(第14インド師団)及び1個旅団基幹が攻撃を開始した。さっそく同連隊の基幹がこれを迎撃した後、アラカン山脈の反対側からあらかじめ基幹から分離してあった残りの一個大隊が基幹に加わり、南北方向から英軍部隊を挟み撃ちした。さらにとどめとして、第55師団部隊がベンガル湾から上陸した陸戦部隊などをもって支援した結果、英軍旅団長を捕獲・捕虜としたうえ英軍側に甚大な被害を与えて日本軍側が圧勝した。

損害と戦果[編集]

日本軍側の戦死者数は611名、戦傷者数は1165名。対して英軍側は、遺棄死体4770名、捕虜480名である。さらに日本側は戦車・装甲車40両及び自動車73両の捕獲に成功した。

参考文献[編集]

狩野信行『検証 大東亜戦争史 上巻』美蓉書房出版、2005年、195-198・351-352頁。

関連項目[編集]