葫芦島在留日本人大送還

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葫芦島から引き揚げる日本人

葫芦島在留日本人大送還(ころとうざいりゅうにほんじんだいそうかん)は、連合国ポツダム宣言に付随した協議により、中国国民政府(陸上輸送部分)とアメリカ(海上輸送部分)の責任において行われた日本人難民の送還事業[1]。中国では、「葫芦島日僑大遣返」といわれる。

概要[編集]

満州国崩壊後の中国大陸には大勢の日本人居留民が取り残された。日本敗戦後の満州では、満漢人暴民や進駐ソ連軍兵士による収奪・強姦・殺戮などに至るケースが相次ぎ、例えば、田舎の各邦人開拓民団が、より安全な都会へ逃避する途中、暴民らに追剥ぎや暴行を受け、抵抗した者は四肢と頭に釘を打たれた末ににされる虐待を受けたりした。命からがら都会に着く頃には、逃避団構成員も半分以下に減り、餓鬼状態の男女とも全員が丸々素っ裸になっていたり、こうした“全裸の行進”も珍しくなかった。また八路軍が支配する地域では、軍紀が厳しかった為、暴行や略奪はなかったが、日本人医師や看護婦を欲しがり、四平では、17、18歳の女性から芸娼妓や人妻までを強制的に病院などの看護婦に徴用、鉄嶺では、15、16歳の少女などを“女狩り”をして、本人の意志を無視してトラックに積み込み戦場に徴用、その後の行方は知れていない[2]

在満邦人が困窮を極める状況の中、野坂参三が日本に帰国して講演した際、在満邦人が中国共産党軍やソ連軍により安寧無事に保護されていることをラジオを通して喧伝、それを遠く満州・鞍山で聞いていた残留日本人3名(新甫八朗丸山邦雄、武蔵正道)らが直接満州の状況を伝えに日本に帰国することを決意した[2][3]。旧知の中国人やカトリック教会半島ホテルの支配人であった朝鮮人などの助けを受けソ連兵や朝鮮保安隊の監視の網をかいくぐり、天津経由で命からがら密かに脱出した。東京吉田茂首相はじめ日本政府要人に面会したが「現在の日本は主権を喪失しており、どうすることもできない」と言われショックを受ける。思い余ってダグラス・マッカーサーGHQ司令官に面会し、その計らいにより新甫・丸山・武蔵ら三人とGHQ担当室員らとの打ち合わせ作業から引き揚げが始まった[2][4][5]。1946年10月5日、大陸同胞救援連合会が結成され、会長に下条康麿、最高顧問に賀川豊彦植原悦二郎ら、常務理事に新甫と丸山らがそれぞれ就任、連合軍(特にソ連軍)による厳しい検閲のなか、救援運動も全国的に知られていくこととなった。

連合国側では、中国国民党中国共産党アメリカ合衆国の三者による協議の結果、中国東北部の在留日本人を中国国民党が支配していた遼寧省錦州の南西にある葫芦島から送還すること(ただし、安東と大連の在留日本人は東北民主連軍とソ連軍が送還をおこなう)を1946年1月までに決定した[1]

葫芦島からの引き揚げは1946年5月7日から開始され、同年末までに101万7549人(うち捕虜1万6607人)、1948年までに総計105万1047人の在留日本人が日本へ送還された[1]。中には、ソ満国境から2,000キロも逃げて来た人もいた。日本人難民が主戦場を通過し終わるまで国民党軍共産党軍八路軍)の戦いが一時中断するなど、葫芦島においては、虐待に至るケースまで無くほぼ正当に扱われた。

日本人は、辿り着いた順に検閲を受けて乗船し、日本の博多港などに向かった。中には帰国出来ずに死亡した人もいて残留孤児の問題も現れ、24万人が死亡した。亡くなった人々は郊外の海沿いにある「茨山」と言われる山に日本の方角に合わせて埋葬された。ちなみに、満州国皇帝の弟・愛新覚羅溥傑の妻である嵯峨浩と次女の愛新覚羅嫮生は、逃亡生活の末1946年9月に葫芦島に着き引揚船に乗船予定であったが、乗船目前に国民党軍に身柄を拘束され、北京を経由して上海に連行された。

葫芦島港の桟橋跡には「1050000日本僑俘遣返之地」の記念碑が建っている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c “在留日本人送還60周年(1) 人道主義の記念碑”. 人民網日本語版 (中国網). (2006年6月23日). http://japanese.china.org.cn/jp/archive/huludao/txt/2006-06/29/content_2245407.htm 2013年12月30日閲覧。 
  2. ^ a b c 森川哲郎『満州の暴れ者(もん) 敵中突破五千キロ』(徳間書店、1972年) P150-151など
  3. ^ ポール・邦昭・マルヤマ:著 『満州 奇跡の脱出』(柏艪舎、2011年) ISBN:978-4-434-16055-4 《原著:Paul K. Maruyama, "Escape from Manchuria" (iUniverse、2009) ISBN 9781450205818 (ハードカバー) & 9781450205795 (ペーパーバック) (英文)》[要ページ番号]
  4. ^ 丸山邦雄『なぜコロ島を開いたか―在満邦人の引揚げ秘録』 (永田書房、1970年) [要ページ番号]
  5. ^ 武蔵正道『アジアの曙―死線を越えて 』(自由社、2000年)[要ページ番号]

関連項目[編集]