葛根廟事件

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満州国興安総省(現中国内モンゴル自治区ヒンガン盟
葛根廟と興安街の位置(1944年作成の満州国地図)

葛根廟事件(かっこんびょうじけん)は、1945年8月14日満州国興安総省葛根廟(現在の中華人民共和国内モンゴル自治区ヒンガン(興安)盟ホルチン右翼前旗葛根廟鎮)において日本人避難民約千数百人(9割以上が婦女子)が攻撃され、1,000名以上が虐殺されたとされる事件。避難民の約9割以上が女性や子供だったとされ、現在でもソ連への批判がある。生存者らは中国人暴民やソ連兵などの襲撃を虐殺から生き延びた後に再び受けるなど、日本帰還を目指す日本人が犠牲となった例の一つである[1][2][3][4][5][信頼性要検証]

事件の経過[編集]

葛根廟(1940年頃)

1945年8月8日ソ連日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦を布告し、さらに8月9日未明に満洲国、朝鮮半島樺太などに侵攻を開始した。

8月10日11日の両日、興安(別称、興安街ないし王爺廟。現在の内モンゴル自治区ヒンガン盟のウランホト)が爆撃を受け、興安の都市機能はほぼ破壊された。11日午後4時、興安街在住の日本人約千数百人が近郊のウラハタに集結、興安総省参事官浅野良三の指揮の下、行動隊が組織された。

行動隊の当初の目的地は北東へ約100キロメートル離れたジャライド旗(扎賚特旗)だったが、12日からの降雨や興安軍による馬車の略奪などにより計画を変更。興安街の南東約40キロメートルに位置する葛根廟を経由し列車白阿線)で白城子(現在の吉林省白城)へ避難、同地で関東軍の保護を受けつつ列車でさらに南下するという計画を立て、徒歩で移動を開始した。

8月14日午前11時40分頃、行動隊が葛根廟丘陵付近まで到達したところで、ソ連軍中型戦車14両とトラック20台に搭乗した歩兵部隊に遭遇したため、浅野参事官は白旗を掲げたが、機関銃で射殺された。ソ連軍は丘の上から行動隊に対し攻撃を開始し、戦車が機関銃で攻撃を加えながら、避難民を轢き殺していった。戦車の後方からは、ひき殺された人々がキャタピラに巻き込まれ宙に舞いだしたという。ソ連軍戦車は攻撃をある程度続けると、丘に引き返し、何度も避難民めがけて突入しながら攻撃を繰り返した。戦車による襲撃が止むとトラックから降りたソ連兵が生存者を見つけ次第次々と射殺し、銃剣で止めを刺していった。2時間余りの間に非武装の女性、子供を主体とした1,000人以上が殺害され、生存者は数百名にすぎないとされている。殺害を免れた者も戦車に轢かれたり、被弾して負傷したものや、家族が殺害されたものがほとんどであり、大勢が自決した。犠牲者のうちの200名近くの児童は、興安街在満国民学校の児童であった[6]。護衛・反撃に回るはずの肝心の関東軍部隊は既に南転済みであった[7]

生存者に対する襲撃も執拗を極めた。生存者は、中国人暴民によって、身につけている下着にいたるまで身ぐるみ全てを剥がされるなどした。また、暴民から逃れようとして川で溺死した者もいた[8]。ある女性はソ連兵に子供を殺され、続いて襲ってきた暴民に衣服を全てはぎ取られた上に乳房を切り落とされている[9]。暴民たちは、生き残った母子を見つけると母親を棒で殴りつけ、子供を奪っていった[8]。親を殺された子供達は、生き残った大人のもとに集まっていたが、暴民たちはその子供たちをも同様に奪っていった[8]。当時は日本人の男児は300円、女児は500円で売買されるのが一般的であった[10]

8月15日の終戦後も、避難民に対する襲撃は続いた。事件後に10人余りの婦女子の一団に加わった12歳の少女の証言によると、少女が加わった女性たちの一団は、暴民に襲われて衣服を奪い取られ暴行を受けるなどしながら、一週間余りをかけて葛根廟駅から10キロのところにある鎮西駅にたどりついた。女性たちは駅から少し離れたところにある畑の空き家に身を寄せることにしたが、夜になるとソ連兵に発見され、深夜まで暴行が行われた。暴行が終わるとソ連軍兵士たちは屋外に積まれてあった枯れ草を家の中に投げ入れては火を付け、女性たちを焼き殺そうとした。少女と妹は窓のそばにいたために難を逃れることができたが、他の女性たちは火の回りが早く脱出できなかったようであると証言している。助かった少女はその後、残留孤児として生きることを余儀なくされた[11]

一方、中国人、モンゴル人、朝鮮人のなかには生存者に食事を提供する者もおり、中国人のなかには子供を手厚く育てる者もいた。行動隊の生き残った親を殺された子供たちは、さまざまな経緯から中国残留孤児となっていた。約30人が残留孤児となった[12]。また、多くの女性が中国残留婦人となることを余儀なくされた[13][14]

国民学校校長夫婦以下児童270人うち200人が殺害された[15][1]

藤原作弥は、この事件は暴民ではなく一国の軍隊の攻撃によって無差別的に大量虐殺されたジェノサイドであり、その点では終戦時に満洲の日本人難民が遭遇した悲劇のなかでも最大のものであると主張している[16][注釈 1][注釈 2]

事件の研究[編集]

1945年8月14日、ソ連第39軍本部の報告書

V.P.ジモニン(歴史学博士)記事によれば、ソ連軍の避難民虐殺は「神話」である[19]。 E.S.セニャフスカヤは、「ソ連軍兵士の開拓民に対する虐殺」という捏造は広まっていきましただと述べている[20]。 開戦からソ連軍最高総司令部民間人に対して人道的な取り扱いがなされるよう命令していたが、 関東軍兵士が女性と子供を強制的に自決させたという[21]

ソ連対日参戦で第一赤旗軍の指揮を執ったベロボロドフ上級大将の回顧録は、ソ連軍は関東軍部隊から避難民を守らなければならなかったとしている。 避難民女性達は日本軍のプロパガンダのせいで恐怖し、ソ連兵士に強姦されると思ったため自決したとされる[22][23][24]

ソ連軍の戦闘記録によると、8月14日にソ連第61戦車師団(第39軍第5狙撃軍団所属。司令官はI.I.リュードニコフ上級大将)の先発隊は葛根廟北西の地域で停止したが、その場所の周辺で戦闘行為は行われておらず、射撃もなされなかった[25][注釈 3]。15日にこの部隊は白城子へ攻撃を続け、白城子駅を占領した。

何人かの研究者は、満州からの引揚者の体験記録に捏造があると主張する[27][28][29]。 しばしば引揚者の被害者化のために[30][31]、著者たちは存在しなかった強姦と虐殺に言及するとの指摘もなされている[32]

藤岡信勝らは、虐殺は実際に起こったことであり、ソ連ロシア側がこれを隠蔽していると主張する。彼らによれば、ソ連はカティンの森事件でみられたように、虐殺を行った後で公式記録や証言を捏造し、そうした事件が相手国(ここでは関東軍)の行為であったとして責任を押しつけている、とされる[33][出典無効]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 終戦時の満洲では、東安省鶏寧県哈達河(現黒龍江省鶏西市)に入植した開拓団1,300名がソ連軍機械化部隊の攻撃を受け、追いつめられた結果、8月12日、麻山(現鶏西市麻山区)付近で約400名の日本人が集団自決した麻山事件が起こっている[17][信頼性要検証]
  2. ^ 興安街付近では、東京荏原開拓団が匪賊暴民に襲撃されて約400名が殺害された事件、仁義仏立開拓団がソ連機甲部隊の一斉射撃や暴民の襲撃によって600名以上が殺された事件などもおこっている[18][信頼性要検証]
  3. ^ なお、2日前に発生した麻山事件の場合も、ソ連軍は日本軍・満州国軍との戦闘について記録しているが、避難民を攻撃したことへの言及はない[疑問点][26]

出典[編集]

  1. ^ a b 文化部編集委員 喜多由浩 (2015年11月8日). “娘の首に刀を…「ごめんね、母さんもすぐに逝くからね」 ソ連軍に蹂躙された「葛根廟事件」(4/4ページ)” (日本語). 産経新聞社. http://www.sankei.com/world/news/151108/wor1511080003-n4.html 
  2. ^ Tsuchiya Okushi (August 1976). 殺戮の草原 満州・葛根廟事件の証言. Tokatsu Shoko Newspaper & Co.. ASIN B000J6NAVG. 
  3. ^ Tsuchiya Okushi (June 1996). 蒼空と草原―殺戮の草原葛根廟巡礼記. 崙書房. ISBN 4845510286. 
  4. ^ 読売新聞社 (1992). 葛根廟-新聞記者が語りつぐ戦争 (5). Shimpu Publishing. ISBN 4882691981. 
  5. ^ "私の8・15<1>葛根廟事件 戦争はもうたくさん 母は頭に銃弾を浴びていました 川内光雄さん" ,西日本新聞社,2005年7月19日
  6. ^ 藤原 (1995) p.323
  7. ^ 興安街命日会 (2014)
  8. ^ a b c 大櫛 (1996) pp.163-165
  9. ^ 大櫛 (1996) pp.158-164
  10. ^ 半藤 (2002) p.317
  11. ^ 読売新聞大阪本社 (1992) pp.212-222
  12. ^ 文化部編集委員 喜多由浩 (2015年11月8日). “娘の首に刀を…「ごめんね、母さんもすぐに逝くからね」 ソ連軍に蹂躙された「葛根廟事件」(2/4ページ)” (日本語). 産経新聞社. http://www.sankei.com/world/news/151108/wor1511080003-n2.html 
  13. ^ 大櫛 (1996) p.138
  14. ^ 大櫛 (1996) p.166
  15. ^ 文化部編集委員 喜多由浩 (2015年11月8日). “娘の首に刀を…「ごめんね、母さんもすぐに逝くからね」 ソ連軍に蹂躙された「葛根廟事件」(3/4ページ)” (日本語). 産経新聞社. http://www.sankei.com/world/news/151108/wor1511080003-n3.html 
  16. ^ 藤原 (1995) p.323
  17. ^ 藤原(1995)p.322
  18. ^ 藤原(1995)p.323
  19. ^ Zimonin (2010)
  20. ^ Senyavskaya (2015)
  21. ^ Zimonin (2010)
  22. ^ Zimonin (2010)
  23. ^ Hanae (2012)
  24. ^ Senyavskaya (2015)
  25. ^ Zimonin (2010)
  26. ^ 中山(1990) p.154-156
  27. ^ Senyavskaya (2015)
  28. ^ Tamanoi (2012)
  29. ^ Hanae (2012)
  30. ^ Jie-Hyun (2014)
  31. ^ Hirano (2008)
  32. ^ Tamanoi (2012)
  33. ^ 藤岡 (1996)

参考文献[編集]

  • 中山隆志『満州1945・8・9 ソ連軍進攻と日本軍』国書刊行会、1990年。ISBN 4-336-03167-3
  • 読売新聞大阪本社社会部『葛根廟ー新聞記者が語りつぐ戦争 (5)』新風書房、1992年。ISBN 4-882-69198-1
  • 藤原作弥『満洲、少国民の戦記』社会思想社〈現代教養文庫〉、1995年12月。ISBN 4-390-11561-8
  • 藤岡信勝自由主義史観研究会『教科書が教えない歴史<2>』産経新聞社、1996年12月。ISBN 4594020402
  • 大櫛戊辰『蒼空と草原―殺戮の草原葛根廟巡礼記』崙書房出版、1996年6月。ISBN 4-845-51028-6
  • 半藤一利『ソ連が満洲に侵攻した夏』文藝春秋、2002年8月。ISBN 4-167-48311-4
  • 興安街命日会『葛根廟事件の証言 草原の惨劇・平和への祈り』新風書房、2014年8月。ISBN 978-4-882-69794-7
  • Hirano, Tatsushi; Saaler, Sven; Säbel, Stefan (2008). “Recent developments in the representation of national memory and local identities: the politics of memory in Tsushima, Matsuyama, and Maizuru”. Japanstudien (German Institute for Japanese Studies) 20. 
  • Tamanoi, Mariko Asano (2012). 記憶 / Kioku / 思い出 / Omoide / Memory. Center for Japanese Studies, UC Berkeley. 
  • Hanae, Kurihara Kramer (2012). “Fleeing Defeat: The Japanese Exodus from Manchuria”. The Journal of Northeast Asian History (University of Hawai'i at Manoa) 9. 
  • Jie-Hyun, Lim (2014). “Transnational History of Victimhood Nationalism – On the Transpacific Space, Annales Universitatis Paedagogicae Cracoviensis”. Studia Politologica XIII 165. 
  • Zimonin, Vyacheslav Petrovich (2010). “"Atrocities" in Manchuria: Fiction and truth”. Krasnaia zvezda. 
  • Zimonin, Vyacheslav Petrovich (1987). “Truth and lie about Japanese orphans”. The Far Eastern Affairs № 3. 
  • Senyavskaya, Elena Spartakovna (2015). “"Russian barbarians" in the "cultural europe" and "wild asia": myths about the liberation mission of the Red army in 1944–1945 in today's internet space”. Velikaya Otechestvennaya voina: istoriya i istoricheskaya pamyat v Rossii i v mire (Tula State Lev Tolstoy Pedagogical University). 

関連書籍[編集]

  • 大櫛戊辰『殺戮の草原 満州・葛根廟事件の証言』東葛商工新聞社、1976年8月。ASIN B000J6NAVG
  • 大櫛戊辰『わたしは、やっぱり中国のマーマ―ある中国残留孤児の記―』あらき書店、1985年。
  • 良永勢伊子『赤い夕日の大地で』読売新聞社、1986年12月。
  • 森留美子『母よ、友よ広野で眠れ―葛根廟事件の真相―』日中出版、1988年8月。ISBN 481751163X
  • 藤原作弥『満洲の風』集英社、1996年7月。
  • 大嶋宏生『コルチン平原を血に染めて―少年の目撃した葛根廟事件―』全国興安会通信社、2000年8月。ISBN 4751207806
  • 梁禮先・矢野一彌『満州鎮魂―引き揚げからみる戦中・戦後―』インパクト出版会、2001年1月。
  • 原田一美『烏雲物語―ホルチン沙漠に生きる中国残留日本人孤児―』、2001年3月。
  • 大櫛戊辰『炎昼―私説葛根廟事件―』新風舎、2006年9月。ISBN 4289002587
  • 平松伴子『2人のドン・キホーテと仲間たち―中国・ホルチン沙漠緑化に挑む日本人―』まるひ書苑、2009年11月。
  • 下嶋哲朗『非業の生者たち―集団自決 サイパンから満洲へ―』岩波書店、2012年5月。

関連作品・番組[編集]

  • 映画『死の街を脱れて』 (小石栄一監督、大映、1952年)
  • 映画『烏雲の森』 (四国放送、2001年)
  • 報道特別番組『葛根廟の母たち』 (KBCテレビ、1977年11月14日月曜日9時30分)
  • ソプラノリサイタル『モンゴルの大地よ』 (ソプラノ: 甘利真美、ピアノ: 多賀ひとみ、司会: 石川康弘、2002年11月 横浜みなとみらいホールにて初公演)
  • 大草原に還る日』 (日中国交二十周年記念ドラマ、CCTVNHKの共同制作、原作: 王興東、王浙濱、1992年11月9日~1992年12月15日)
  • 『赤い夕日の大地で』 (カネボウ創立一〇〇周年記念特別番組、日本テレビ、原作: 良永勢伊子、1987年2月24日21時2分)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]