万人坑

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"万人坑"遺祉 遺骨

万人坑(まんにんこう)とは、中国などにより、満州を中心とする中国各地に存在する、日本人経営の鉱山や工事現場で使い物にならなくなった中国人労働者が生き埋めにされた「ヒト捨て場」と主張されるもの[1][2]。中国語の坑は、生き埋めの意味があり、犠牲者の数を指して万人坑という。

概要[ソースを編集]

1971年(昭和46年)、本多勝一により朝日新聞での連載「中国の旅」で取り上げられ知られるようになった。連載では、撫順炭鉱などで栄養失調やケガ、病気などで使い物ならなくなった労働者が生き埋めにされ多数の犠牲者が出たとし、犠牲者が埋められたとする場所を万人坑という名の「ヒト捨て場」であるとした。連載で取り上げた南満鉱業の「万人坑」の上に記念館が建設され、累々とした白骨遺体が展示、公開された。以降、毎日新聞などで同様の報道が続き、後に削除されたが日本の高校用歴史教科書にも一時掲載されるに至った。

関係者による事実無根との抗議が朝日新聞社などに寄せられたがそれらは無視され、加害者とされた関係者への取材もおこなわれなかった。その後も新たに中国東北部の60ヶ所余りが万人坑とされた。田辺敏雄は撫順炭鉱や鶴岡炭鉱など六企業の勤務経験者を中心に約300人以上に連絡を取り、アンケート調査などを行い資料にも当たった。しかし、目撃証言は一切なく、現地人への残虐行為についても全員が否定した。田辺の調査後、撫順炭鉱の社友会が全会員1000人を対象におこなった調査でも同様の結論を出ている。さらに、戦後、国民政府によって行われた満州唯一の戦犯裁判である瀋陽裁判において、同容疑で刑を科せられた例が一例もなく、取調べや逮捕された例もなかったため、田辺は中国の捏造であると結論している[3]

経過[ソースを編集]

1971年、本多勝一記者が朝日新聞「中国の旅」第2部「万人坑」として連載する。連載では、南満州鉄道が経営していた撫順炭坑(遼寧省撫順)と南満州鉱業(南満鉱業)が経営していたマグネサイト鉱山(同省大石橋)に存在するという"万人坑"を取り上げた[1]。"万人坑"とされる場所の一つを訪れた本多は、「私はまだ、ナチがやったアウシュビッツ殺人工場の現場を見たことはない。だからこの万人坑のような恐ろしい光景は、生涯で初めてだった」との感想を述べた[1][4]

連載直後、南満鉱業社友会代表者が朝日新聞社を訪れ、記事取り消しを求めて抗議したが、門前払いであったという[5][6]。また、撫順炭鉱の電気技師だった久野健太郎が「万人坑、防疫惨殺事件は事実無根である」と自著を添えて抗議の書簡を送ったところ、本多は1986年3月に「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば中国側に直接やっていただけませんでしょうか」[7]と返答した[6]

万人坑は歴史的事実として百科事典[注 1]、教科書(後に削除)[注 2]、日教組教研集会[10]にも登場した。だが学者、研究者、作家で、日本側関係者を調査した者は誰一人いなかった。[11]

万人坑に疑問を抱いた田辺敏雄は、撫順炭鉱42人、南満鉱業13人、大石橋関係9人に調査をおこない、「万人坑はなかった」との結論が出たとして、1990年『正論』に調査結果を公表する[12][4]。『正論』翌月号に、本多による「反論ではなくコメント」が掲載される[13]。本多は田辺の調査結果に対し「少数のアンケートで断定するのはおかしい」と反論した[4]。翌々月の『正論』には、南満鉱業の元社員5名による座談会「私たちは万人坑なんて知らない」が掲載された[14]

本多・田辺両者の主張の食い違いを受けて、撫順炭鉱関係者でつくる「東京撫順会」(以下「撫順会」)は、会員(約1,000人)全員にアンケート調査をおこない、回答のあったから469人の証言内容を精査した結果、「強制労働による犠牲者の“人捨て場”としての万人坑がなかったことははっきりした」と結論[4]し、1990年12月に産経新聞が要旨を報じた[15]

調査をうけて撫順会は1991年4月25日、南満鉱業社友会は同5月、「作り話等が歴史的事実として確定してしまうおそれがある」「事実であるかのごとき報道をされたままでは、同僚に対して、また国民に対し申し訳がたちません」として関連記述の削除を求める申入を行った[16]

これに対し朝日新聞は6月17日付で、中国側証言を覆す確固たる証言が得られていない、(日本でなく中国での)精密な現地調査を考えている、求めに答えられない等とする回答を行った[17]

1991年11月12日付朝日新聞夕刊は、新たな万人坑の存在を報じた[18]。炭鉱人の悲痛な叫びを朝日新聞社は一顧だにしなかった、と田辺は言う[19]

申し入れから20年、朝日新聞は事実解明の調査・訂正を行っていない[20]。「中国の旅」は教室に持ち込まれ、朝日新聞社は今も自紙に広告を掲載し、宣伝につとめている[21]

証言例[ソースを編集]

20年余り[注 3]電気技術者として撫順炭鉱に勤務した久野健太郎[6]は、電力設備をはじめ電柱1本にいたるまでが管理責任にあった。送電線新設の際には、現地測量、架設工事に従事した。「この間、文字通り山、谷、川を徒渉してきたが、金輪際”万人坑”なるものはなかった」と断言する[22]

南満鉱業社友会から紹介され会った3人は、「いずれも、万人坑を全面否定し、工人に対する残虐行為などとんでもないときっぱり否定し、「中国の旅」連載を知っていた2人は、怒りを隠そうとしなかった」[23]と述べた。

労災死、トン当たり0.7人が25.8人に[ソースを編集]

朝日新聞(1991.11)の新たな老頭溝万人坑報道[24]では、沈東剣教授[注 4]により、石炭1トン当たり労働者死亡数が25.8人に上ったという[注 5]。東京撫順会は「撫順炭鉱統計年報[注 6]」に当たり、1940年は死亡が年9人だったことを突き止めた。トン当たり0.7人である[注 7]。田辺は、中国側の「主張が、いかに根拠のないものか、はっきり示している」[25]と述べている。

組織的な関与か[ソースを編集]

撫順炭鉱龍鳳採炭所で起きたとされる「防疫惨殺事件」[注 8]は、中国側証言によると昭和17年の発生とする。皇帝・溥儀の自伝『わが半生』も事件発生は17年と記す[27]。さらに大同炭鉱の中国人証言者が、1942年(昭和17年)コレラが流行し、死者が続出、万人坑に捨てられたと証言している[28]

一方、撫順炭鉱「防疫の思い出」はコレラ発生を18年と記し[29]、大同日本側関係者もコレラ発生は18年に間違いない、犠牲者は埋葬したと話す[30]。「満州日日新聞」も昭和18年で報ずる[注 9]。17年に同新聞のコレラ記事は見当たらない[32]

田辺敏雄は、撫順炭鉱(満州)と大同炭鉱(華北)の中国側証言が、同じ間違いを犯すなど、偶然では起こり得まい。溥儀の自伝をタネに、上層部の組織的な意思、関与があったことは、まず間違いないとしている[33]

中国などの主張による「万人坑」[ソースを編集]

日本軍関係[ソースを編集]

要塞建設工事関係[ソースを編集]

  • ハイラル要塞万人坑[34]
  • 東寧要塞万人坑[34]

民間企業関係[ソースを編集]

  • 豊満ダム万人坑[35]
  • 鶴岡炭鉱万人坑[35]
  • 鶏西炭鉱万人坑[35]
  • 坂石炭鉱万人坑[35]
  • 老頭溝炭万人坑[35]
  • 遼源炭鉱(西安)万人坑[35]
  • 石人炭鉱万人坑[35]
  • 本渓炭鉱万人坑[35]
  • 弓長嶺鉄鉱万人坑[35]
  • 大石橋マグネタイド万人坑[35]
  • 阜新炭鉱万人坑[35]
  • 北栗炭鉱万人坑[35]
  • 大同炭鉱万人坑[36]

関連文献[ソースを編集]

  • 中嶋嶺雄 編『歴史の嘘を見破る 日中近現代史の争点35』文藝春秋文春新書〉、2006年5月。
  • 田辺敏雄「「中国の旅」批判 ヒト捨て場「万人坑」は存在しなかった」『正論』、2014年12月特別増刊号、95-109頁。
  • 青木茂『万人坑を訪れる 満州国の万人坑と中国人の強制連行』緑風出版、2013年。ISBN 978-4-8461-1323-0

脚注[ソースを編集]

注釈[ソースを編集]

  1. ^ 平凡社『大百科事典』(1985年 - )[8] 項目筆者は田中宏
  2. ^ 教師用指導書は「中国の旅」「中国の日本軍」を参考資料とする[9]
  3. ^ 1927年入社、1948年引き揚げ
  4. ^ 延辺博物館教授
  5. ^ 「1940年の同社の統計資料」という
  6. ^ 老頭溝炭鉱は撫順炭鉱の分鉱 米国国会図書館所蔵
  7. ^ この年の出炭量は12万7500トン
  8. ^ 本多のルポは、炭鉱が防疫の名の元に惨殺したというもの。そのとき防疫に従事した関係者は十余人の連名で、「先の朝日新聞の本田記者が書いたコレラ事件は誠にでたらめであり、自信を持って否定するものであります。実際とかけはなれた荒唐無稽なもので抗議します」と記している(勤務経験者でつくる『龍鳳会』文集)[26]
  9. ^ 昭和18年のコレラ発生は、北京付近で発生したものが華北方面で流行し、撫順に飛び火、という経路をたどっている。華北にある大同炭鉱と満州川にある撫順炭鉱は同じ流行下にあった[31]

出典[ソースを編集]

  1. ^ a b c “【歴史戦 南京が顕彰した男(下)】朝日記事「万人坑」はなかったという指摘に本多勝一氏はこう返答した…「中国の主張を代弁しただけ」(2/7ページ)”. 産経ニュース (産経新聞). (2016年5月15日). http://www.sankei.com/premium/news/160504/prm1605040031-n2.html 2016年9月27日閲覧。 
  2. ^ 中嶋嶺雄 編『歴史の嘘を見破る 日中近現代史の争点35』文藝春秋〈文春新書〉2006年5月、116頁。
  3. ^ 中嶋嶺雄 編『歴史の嘘を見破る 日中近現代史の争点35』文藝春秋〈文春新書〉2006年5月、116-118頁。
  4. ^ a b c d “【歴史戦 南京が顕彰した男(下)】朝日記事「万人坑」はなかったという指摘に本多勝一氏はこう返答した…「中国の主張を代弁しただけ」(3/7ページ)”. 産経ニュース (産経新聞). (2016年5月15日). http://www.sankei.com/premium/news/160504/prm1605040031-n3.html 2016年9月27日閲覧。 
  5. ^ 31頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」田辺敏雄 全貌社 1994年
  6. ^ a b c “【歴史戦 南京が顕彰した男(下)】朝日記事「万人坑」はなかったという指摘に本多勝一氏はこう返答した…「中国の主張を代弁しただけ」(4/7ページ)”. 産経ニュース (産経新聞). (2016年5月15日). http://www.sankei.com/premium/news/160504/prm1605040031-n4.html 2016年9月27日閲覧。 
  7. ^ (田辺)139頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  8. ^ “【歴史戦 南京が顕彰した男(下)】朝日記事「万人坑」はなかったという指摘に本多勝一氏はこう返答した…「中国の主張を代弁しただけ」(5/7ページ)”. 産経ニュース (産経新聞). (2016年5月15日). http://www.sankei.com/premium/news/160504/prm1605040031-n5.html 2016年9月27日閲覧。 
  9. ^ 門脇禎二編『高校日本史』(三省堂)1991年
  10. ^ 1992年「天皇と戦争責任」
  11. ^ 257頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  12. ^ 田辺敏雄「朝日・本多勝一記者の誤報」『正論』(1990年8月号)
  13. ^ 「『朝日・本多勝一記者の誤報』という”誤報”」本多勝一(『正論』1990年9月号)
  14. ^ 「重ねて言う、万人坑はなかった」『正論』1990年10月号
  15. ^ 産経新聞 1990年12月4日付
  16. ^ 142,147頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  17. ^ 144,148頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  18. ^ 「日本占領下、旧満州炭鉱で過酷労働」朝日新聞 1991年11月12日
  19. ^ 150頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  20. ^ 149頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  21. ^ 17頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  22. ^ 34頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  23. ^ 31頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  24. ^ 「日本占領下、旧満州炭鉱で過酷労働」朝日新聞 1991年11月12日
  25. ^ 152-160頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  26. ^ 69頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  27. ^ 80頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  28. ^ 『昭和史の消せない真実』中原道子(岩波書店 1992年)
  29. ^ 70頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  30. ^ 81頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  31. ^ 81頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  32. ^ 80頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  33. ^ 81頁「朝日に貶められた現代史・万人坑は作り話だ」
  34. ^ a b 青木[2013:22-25]
  35. ^ a b c d e f g h i j k l 青木[2013:24-32]
  36. ^ “山西省大同市の「万人坑」遺跡記念館を訪ねて”. 中国網日本語版. (2015年10月7日). http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2015-07/10/content_36030067.htm 2016年9月26日閲覧。 

関連項目[ソースを編集]