ホンダ・MVX250F

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1983年仕様
基本情報
排気量クラス 普通自動二輪車
車体型式 MC09
エンジン MC09E型 249 cm3 2ストローク
水冷90°バンクV型3気筒ピストンリードバルブ
内径×行程 / 圧縮比 47 mm × 48 mm / 8:1
最高出力 40 PS / 9,000 rpm
最大トルク 3.2 kg-m / 8,500 rpm
乾燥重量 138 kg
車両重量 155 kg
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MVX250F (エムブイエックスにひゃくごじゅうエフ)は、かつて本田技研工業が製造販売したオートバイである。

概要[編集]

型式名MC09[1]水冷2ストロークV型3気筒エンジン[注 1]を搭載するモデルである[1][2]

1980年代前半にHY戦争と呼ばれるヤマハ発動機との熾烈な販売競争が繰り広げられていた状況下の250 ccクラススポーツ車では2ストロークエンジンを搭載するRZ250に対抗して、本田技研工業では4ストロークエンジン[注 2]を搭載するVT250Fを発売して大ヒットとなったが、当時のレース部門ではNR500からNS500へのスイッチにより、市場からのレーサーレプリカイメージの要望に応える回答として1983年1月19日に同年2月1日から発売されることが[注 3]となった[1]

車両解説[編集]

MC09E型エンジン(上) ピストン・コンロッド(中・下)
MC09E型エンジン(上)
ピストン・コンロッド(中・下)

搭載されるMC09E型エンジンは、内径×行程:47.0×48.0(mm)・排気量249 圧縮比8.0に設定[1]。17 Lタンクからの燃料供給はスクエアフラットバルブのTA01型キャブレターにより最高出力40 PS / 9,000 rpm・最大トルク3.2 kg-m / 8,500 rpmを発揮[1]。始動はキックスターターのみで6段マニュアルトランスミッションを介して後輪を駆動するが[1]、以下の特徴がある。

  • VT250Fで採用した理論上一次振動がゼロとなる90°V型2気筒に対し、ロードレースで活躍中だったNS500と同じV型3気筒レイアウトとした[1]。振動対策では重量増と機械的ロスに繋がるバランサーの採用を避け、代わりに前バンク2気筒と後バンク1気筒のピストン周りの慣性重量を同等とし対処した[1]
    • 具体的には後方シリンダーのピストンピン径を前方2気筒の12 mmから18 mmに大径化しコンロッド小端部重量バランスを前側2気筒分と合わせキャンセルさせる[注 4]。このため後方コンロッドは大端部と小端部の見分けがつかないような形状となる[注 5]
  • 販売戦略としてNS500のレプリカのイメージを植え付けたが、整備性を考慮しシリンダーレイアウトを逆転させたため後方シリンダーピストン側圧に負荷が掛かり過ぎ、製造途中からカラーを介してピストンピンを18 → 14 mmに小径化した[注 6]
  • 点火装置は当時の2ストロークエンジンでは珍しいフルトランジスター式を採用[1]

車体はダブルクレードル型フレームとし、サスペンション前輪が円筒空気ばね併用のテレスコピック、後輪プロリンク式モノショックによるスイングアームでキャスター角26°30´・トレール量91 mmに設定した[1]

デザイン面ではVT250FやVF400Fと類似性があり、VT250Fとは多くの部品が共通設計とされた。

  • タンク・シート・サイドカバーなどは専用設計である反面、ビキニカウル・ヘッドライト・ハンドルスイッチ・テールランプ・フロントフェンダーなどが型番こそ違うもののVT250Fと同一デザインであり、100/90-16(前)・110/80-18(後)のタイヤを装着するブーメランコムスターホイール[1]、前輪デュアルピストンキャリパー式ベンチレーテッドインボードシングルデイスク[注 8]、後輪機械式リーディングトレーリングのブレーキも共通である[1][注 9]

これらの部品共通化により新規開発車でありながら標準小売価格428,000円[注 10]はVT250Fより3万円程高い[注 11]プライスである[3]

評価[編集]

商品コンセプトである低振動で性能曲線がなだらかな4ストロークエンジン的特性は一定の評価を得られたが、2ストロークエンジンらしくないというマイナス評価が主となった。

RZ250の対抗として発売されたが、直後にヤマハは最高出力43 PSのRZ250Rを発売。スズキからは市販車初のアルミフレームを採用し本格的レーサーレプリカの祖となった最高出力45 PSのRG250Γが発売され、販売価格面でも上述2モデルと大差がなかったため早々に商品性で大きく見劣りするようになり売上が低迷した[注 12]

商品イメージを託したワークスレーサーNS500とシリンダーレイアウトが前後逆転し、スタイルが似ていないというマイナス評価もあり、わずか1年で後継モデルのNS250Rへモデルチェンジされた[注 13]

またエンジンの焼付対策として、2ストロークオイルの吐出量を多くしたために以下の事象が発生した。

  • サイレンサーへのカーボンスラッジ堆積による排気音増大が多発。
  • ユーザーから排気煙の多さに対する苦情も多発。対応策として排気煙拡散を抑制するサイレンサー末尾に装着する外観から通称「笛」と呼ばれるキャップが無償配布された。
  • 販売店も対応策としてオイルポンプを必要以上に絞るなどしたことから、逆に潤滑不足を原因とした焼付を頻発させた[注 14]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2ストローク3気筒エンジンは、カワサキマッハKHシリーズやスズキGTシリーズなど直列3気筒では例がある。
  2. ^ 当時の本田技研工業では原動機付自転車クラス以外のスポーツモデルは4ストロークを主軸に据えていた。
  3. ^ 発表前年となる1982年東京モーターショーが非開催。このようなケースでの新型モデル発表は海外モーターショーで参考出品されるのが通例であるが、本モデルはほぼ同時期に西ドイツ(現・ドイツ連邦共和国)で開催されるケルンモーターショーをはじめ一切のアナウンスがなかった。
  4. ^ ただし厳密には完全ではない。
  5. ^ 本構造は1968年式スズキ50 cc GPレーサーRP68と全く同じ。
  6. ^ 原動機番号5,000番台以降は製造段階よりシリンダーにメッキを施工した俗説があるがそのような事実はない。
  7. ^ 自動車用ブレーキローターは構造上の関係で見た目があまり問題にならないためほぼ100パーセント鋳鉄製である。
  8. ^ ブレーキローター素材は鋳鉄である[注 7]。これは一般的にオートバイに採用されるステンレス製ローターよりも摩擦係数が大きいので軽いタッチで良好な制動力が得られるメリットから採用された。その半面で錆びやすいというデメリットがある。
  9. ^ ただしリヤドラム径は本モデルの方が大きい[3]
  10. ^ 北海道沖縄は6,000円高。一部離島は除く[1]
  11. ^ 399,000円で北海道・沖縄は6,000円高[4]
  12. ^ 上述2モデルに対し最高出力では劣るものの加速性能は同等で、乾燥重量の軽さ・VT250Fで好評だった16インチフロントホイール・プロリンクサス・インボードフロントブレーキなどで走行性能は高く評価された[5]
  13. ^ このため試作車の発表まで行われた本モデルの上位車種となるMVX400Fは販売中止が発表されたが、時期的には小売店へセールスガイドの配布が行われ一部のパーツが補修用名目で購入可能でオプションカタログでは一部の品番にMVX400Fの記載があったなことなどから製造開始直前であったと推察される。また後に販売されたNS400Rはエンジンレイアウトが本モデルと同じだが、設計変更されラバーマウント方式が採用された[5]
  14. ^ エンジンそのものも第2シリンダー排気チャンバーの取り回しで近くに配置されていたバッテリーを溶解させ電装トラブルを起こし、焼付と誤解させる認識を助長する一因ともなった[5]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 野口眞一「思い出の国産車たち」『Bikers Station』第160巻、遊風社、2001年1月、P. 94-99、雑誌07583-3。 

外部リンク[編集]