はなきんデータランド
はなきんデータランド | |
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ジャンル | 情報バラエティ |
作 | テレビ朝日 |
出演者 |
桂文珍 朝岡聡 ヒロミ 松岡昌宏 永作博美 高橋真紀子(テレビ朝日アナウンサー)ほか |
放送 | |
放送国・地域 |
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はなきんデータランド (放送開始 - 1991年3月) | |
放送期間 | 1989年4月14日~1991年3月 |
放送時間 | 金曜日19:30 - 20:00(30分) |
はなきんデータランド (1991年4月 - 最終回) | |
放送期間 | 1991年4月~1995年3月24日 |
放送時間 | 金曜日 19:30 - 19:58(28分) |
はなきんデータH | |
放送期間 | 1995年4月21日~1996年3月22日 |
放送時間 | 金曜日19:30 - 19:58(28分) |
はなきんデータランドは、1989年4月14日から1996年3月22日まで、タイトル通り金曜日の19:30 (JST) からテレビ朝日系列で放送されていた、様々な物事をランキングする生放送情報バラエティ番組(ランキング番組)である。本項ではこの番組で最後の1年間だけタイトルを変更した『はなきんデータH』についても表記する。
目次
概要[編集]
元々は『ニュースシャトル』内の金曜日コーナー『データフラッシュ』であったが、同番組が18時台に移行したことに伴いこのコーナーをひとつの番組に独立した。
放送開始から半年間は『ニュースシャトル』時代の名残から同番組で使われたNスタジオ(ニューススタジオ)で放送された。その後はセットを変え、更に観客を入れるなどの大幅なリニューアルを行った。
1995年4月21日放送分からは出演者を入れ替え『はなきんデータH』にリニューアルした。しかしその後翌1996年春の番組改編で『クレヨンしんちゃん』が月曜19時枠からこの枠へ移動してくることになったため、同年3月22日放送分をもって終了。『はなきんデータランド』時代を含めた番組シリーズは7年の放送に幕を閉じた。
ネット局について[編集]
当番組を放送した期間は、放送開始半年後の1989年10月1日に開局した熊本朝日放送を皮切りにいくつものテレビ朝日系列フルネット局の新規開局が相次いだため、ネットする局が増え、番組開始当初の13局から最終的には23局に増加した。このうち1995年4月1日に新規開局した愛媛朝日テレビと同年10月1日に新規開局した琉球朝日放送では、前者の開局8日前に『データランド』が終了したために実質上『データH』のみのネットとなったが、『データH』の放送途中で開局した後者では最後の半年間しかネットできなかった。また、クロスネット局ではテレビ朝日系列の番組を多くネットしていたテレビ信州(1991年4月に長野朝日放送が開局したため同局に移行)を除きネットされなかった。
備考欄の『☆』は、『データH』のみのネット局。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
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関東広域圏 | テレビ朝日 | テレビ朝日系列 | 制作局 |
北海道 | 北海道テレビ | ||
青森県 | 青森朝日放送 | 1991年10月開局から | |
宮城県 | 東日本放送 | ||
秋田県 | 秋田朝日放送 | 1992年10月開局から | |
山形県 | 山形テレビ | 1993年4月のテレビ朝日系列へのネットチェンジから | |
福島県 | 福島放送 | ||
新潟県 | 新潟テレビ21 | ||
長野県 | テレビ信州 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列[1] |
1991年3月まで |
長野朝日放送 | テレビ朝日系列 | 1991年4月開局から | |
静岡県 | 静岡朝日テレビ | [2] | |
石川県 | 北陸朝日放送 | 1991年10月開局から | |
中京広域圏 | 名古屋テレビ | ||
近畿広域圏 | 朝日放送 | 現:朝日放送テレビ [3] | |
広島県 | 広島ホームテレビ | [4] | |
山口県 | 山口朝日放送 | 1993年10月開局から | |
香川県 岡山県 |
瀬戸内海放送 | ||
愛媛県 | 愛媛朝日テレビ | ☆ 1995年4月開局から | |
福岡県 | 九州朝日放送 | ||
長崎県 | 長崎文化放送 | 1990年4月開局から | |
熊本県 | 熊本朝日放送 | 1989年10月開局から | |
大分県 | 大分朝日放送 | 1993年10月開局から | |
鹿児島県 | 鹿児島放送 | ||
沖縄県 | 琉球朝日放送 | ☆ 1995年10月開局から |
題材[編集]
アニメ大賞[編集]
その年に人気があったアニメ作品・主題歌・キャラクター・声優を葉書投票により決定し、ランキング形式で発表した。第1回は1990年6月に放送され、同年12月に第2回を放送。その後は毎年12月の放送が定着し、1994年の第6回まで放送された。
「声優賞部門」では草尾毅・佐々木望・林原めぐみらがランキングされていた。
文珍が震災の影響で上京できず[編集]
1995年1月20日の放送では文珍が番組出演を欠席していた。これは3日前の1月17日(この日は火曜日)に阪神・淡路大震災発生で東海道新幹線などの鉄道網や道路網に不通区間が多数発生し、上京に支障が出るために上京と番組出演を回避したためだった。文珍の上京と番組出演ができないかわりに、当日の放送では電話での会話をしていた(文珍はその時在宅していた)。
主な出演者[編集]
1989年4月〜1995年3月(はなきんデータランド)
- 桂文珍
- 喜多嶋舞→具志堅ティナ→吉沢瞳→鈴木蘭々
- 中村亘利(当時・CHA-CHA)→和泉元彌
- 朝岡聡(当時・テレビ朝日アナウンサー) - 前述の『ニュースシャトル』で初代サブキャスターを担当。番組開始から1990年3月まで同日の『ニュースステーション』のスポーツコーナーを兼務[5]。
- はしのえみ(当時は橋野恵美)
- 金野かなえ
- 池谷幸雄
- 土屋圭市
- 諸星和己(当時・光GENJI→光GENJI SUPER 5)
- 松原桃太郎(当時・CHA-CHA)
- 奥貫薫
ほか
前説
1995年4月〜1996年3月(はなきんデータH)
ほか
歴代テーマ曲[編集]
オープニング[編集]
- はなきんデータランド時代
- BLUE SKIES/TOKYO ENSEMBLE LAB
- PLEASURE IN RIO/JIMSAKU
エンディング[編集]
- はなきんデータランド時代
- ロックンロールサンタクロース/GO-BANG'S
- こしゃくなレディ/スターダストレビュー
- はなきんデータH時代
- Girls Be Ambitious/橋村芽利加
- 追憶のマーメイド/THE YELLOW MONKEY
- いいことなぁーい?/TOMO
- もっとちゃんと。/平松まゆき
脚注[編集]
- ^ 1991年3月までは日本テレビ系列とテレビ朝日系列によるクロスネット局。
- ^ 1993年9月までの社名は「静岡県民放送」(通称:静岡けんみんテレビ)で、同年10月に現社名に変更された。
- ^ 時折、同局が優先的に放映権を持っていた近鉄バファローズ主催ゲームの中継に差し替えていた。その際、振り替えの放送枠が確保できず本番組が返上となる事があった。
- ^ 時折、プロ野球広島東洋カープ主催ゲームの中継を放送していた関係で、同日の深夜または後日に遅れネットとする事があった。
- ^ 当時、松井康真(当時・テレビ朝日アナウンサー)がスポーツコーナーを担当していたが、はなきんの後に放送されていた『ミュージックステーション』(Mステ)のMCを1990年3月まで担当していたため、代わりに朝岡が担当。
関連番組[編集]
- 本番組終了後、TBSにてスタートした生放送情報番組。同番組にも、はしのが出演している。
- 2009年10月より放送されているランキング番組。2010年10月から2014年9月までは土曜版(GOLD)が放送されていた。
- 2016年6月より本番組のリメイク版『オスカル!はなきんランキング』が放送され、同年10月より『オスカル!はなきんリサーチ』としてリニューアルされた。
テレビ朝日系 金曜19:30 - 19:58 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
はなきんデータランド
↓ はなきんデータH (通算:1989.04 - 1996.03) |
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テレビ朝日系 金曜19:58 - 20:00 | ||
ニュースシャトルANN
※19:20 - 20:00 【18時台に移動】 |
はなきんデータランド
(1989.04 - 1991.03) 【2分縮小して継続】 |
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